ボヘミアン・ラプソディ

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ボヘミアン・ラプソディ
クイーンシングル
リリース 1975年10月31日
録音 1975年
ジャンル ロック
時間 5分55秒
レーベル EMIUK

ハリウッド・レコード (US

プロデュース ロイ・ベイカー
クイーン シングル 年表
ナウ・アイム・ヒア
1975年
ボヘミアン・ラプソディー
(1975年)
マイ・ベスト・フレンド
1976年

ボヘミアン・ラプソディBohemian Rhapsody)は、クイーン1975年に発表した、フレディ・マーキュリー作の楽曲。アルバム『オペラ座の夜』に収録。また、演奏時間が長すぎるために、内部で議論となったが、同年にそのままシングルカットされ(B面はロジャー・テイラー作の「アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー」。アルバムバージョンの冒頭に、効果音が付加されたバージョン)、世界中で大ヒットした。本国イギリスでは9週連続1位を獲得した。アメリカビルボード誌では、1976年4月24日に週間ランキングの最高位第9位を獲得。ビルボード誌1976年年間ランキングは第40位。

同時にプロモーションビデオも製作された。明確な意味でのプロモーションビデオとしては世界初と言われる。また、TV出演のスケジュールが合わなかったため急遽制作され、出演できないかわりにこのビデオを流した。撮影は約2時間で終了した。その視覚的重要性を、当時の業界関係者や、他のミュージシャンらに認識させることとなった。さらに、HIV合併症が元でフレディが死去した直後の1992年にも、シングルCDとして再発され、同じく多くの国々で1位となる。この時の印税は、エイズ基金などの研究機関や関係慈善団体などに寄付された。

2002年にはギネスブックを発行しているギネス・ワールド・レコーズ社が31000人以上から取った「英国史上最高のシングル曲は?」というアンケートの結果、イマジンジョン・レノン)やヘイ・ジュードビートルズ)を抑えて見事No.1に輝いた(授賞式にはロジャーとブライアンが出席)。

宇多田ヒカルはこの曲に大変な思い入れがあり、自身初のツアータイトルを「UTADA HIKARU BOHEMIAN SUMMER 2000」と称した。

[編集] 解説

曲の構成は冒頭から順に

  1. アカペラ
  2. バラード
  3. オペラ
  4. ハードロック
  5. バラードである2.の延長

となっている。

ヒットしたためにステージ演奏が要求されたが、当然バンドのメンバー4人での通奏や完全再現は不可能であった。初期のステージでは分割した形で、2.と4.とをそれぞれ、別々の曲と組み合わせた、メドレー形式として演奏された。その後、中期以降においては、ほぼ1曲通して演奏されることとなったが、1.は省略して、2.のイントロ相当部分のフレーズの繰り返し、ないしは独自のピアノ弾き語り部分を、冒頭に付加して行われた。3.はテープのみを流し、その間に、衣装を変えて再登場して4.以降をライヴ演奏するなどの視覚的効果も加えられた。クイーン+ポール・ロジャースのステージでは、1.は省略、2.はフレディ・マーキュリー存命時のライヴのヴォーカル・トラックに合わせた演奏(スクリーンにもフレディの姿が映し出された)、3.はテープ、4.以降ポール・ロジャースも加わるという演出がなされた。

当時の日本では、16トラック録音が主体であったために、一部業界関係者内でも誤解が生じているが、母国イギリスの関係スタッフの証言によると、この曲の録音は、24トラックレコーダーを使用して行われた、という。しかし、ブライアン・メイが『オペラ座の夜』30周年記念盤のインタビューで「当時は16トラックだった」と語っていることから見解の分かれるところでもある。

キーポイントでもあり、ライヴ再現での大きな障害ともなっている3.のコーラスの録音は、ドラムセットのうちのバスドラシンバルピアノエレキベース、リードボーカルといった、実際にミックスされている正式パートの他、仮歌とリードギターといった、ミックスされないトラックを除く残りのトラックに、フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーといった、歌える3人のメンバーがオーバーダビングし、それらを順次何度もピンポン録音することによって、180~200人分かそれ以上の「声の効果」を出そうとしたものであり、実際にそれくらいの声が重ねられている。

[編集] カバーとコラボレート