国鉄113系電車
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| 国鉄113系電車(共通事項) | |
|---|---|
113系2000番台(名古屋駅)
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| 起動加速度 | 1.6km/h/s(MT比1:1時) |
| 営業最高速度 | 100km/h(高速化改造車は110km/h) |
| 設計最高速度 | 100km/h(高速化改造車は110km/h) |
| 減速度 | 3.0km/h/s(常用最大) 4.0km/h/s(非常) |
| 全長 | 20,000mm |
| 全幅 | 2,956mm |
| 全高 | 4,077mm |
| 車両質量 | 31.6t(クハ111) ~38.6t(モハ113) |
| 軌間 | 1,067mm |
| 電気方式 | 直流1,500V |
| モーター出力 | 100kW(MT46)*4 / 両(111系) 120kW(MT54)*4 / 両(113系) |
| 歯車比 | 1:4.82 |
| 制御装置 | 直並列組合せ制御、抵抗制御、弱め界磁制御(CS12) |
| 駆動装置 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
| ブレーキ方式 | 発電ブレーキ・電磁直通ブレーキ ハンドブレーキ |
国鉄113系電車(こくてつ113けいでんしゃ)とは、1963年に日本国有鉄道(国鉄)が開発した直流近郊形電車。また、本稿では113系の設計のベースとなった国鉄111系電車についても解説する。
目次 |
[編集] 車両概説
[編集] 111系
湘南電車(東海道本線東京地区普通列車)には1950年代末期から1960年代初頭にかけて80系と153系が使用されていた。しかし両形式は片開きの片側2ドア・デッキ付き構造でラッシュ時の客扱い能力に難があり、打開策として両開き片側3ドア・デッキなし構造の近郊形電車が投入されることになった。これが111系である。
1960年に常磐線用に開発された交直流電車である401系の直流専用型というべき位置付けで、出力100kWのMT46系直巻電動機を搭載することも共通する。
台車は、電動車用は401・421系用と同一のDT21B形であるが、付随車用台車はブレーキ頻度の高さを考慮して、401・421系に使用している踏面ブレーキ式のTR64形ではなくディスクブレーキ式のTR62形とされた。
前面形状については、同時期に製造されていた401・421系と同じ高運転台構造とされた。前照灯は落成時点では大型タイプで、のちに前面強化工事と併施で小型のシールドビームに改造された車両もある。また、クハ111形のうち静岡・神戸方(偶数向き)に連結される車両は、床下に電動空気圧縮機(CP)を搭載することから、300番台として区分されている。
相前後して出力120kWの強力型モーターMT54系が開発されたため、直流近郊形電車もこれを搭載した113系に移行し、111系の新規製造は1962年~1963年と短期間で終わっている。
1962年に東海道本線用として大船電車区と静岡運転所に導入され、秋には横須賀線にも進出した。この際には塗装変更はされず、東海道本線と同じ湘南色のまま前面に横須賀線のラインカラーであるスカ色のヘッドマーク形行先表示板が取付けられていた。
1974年以降、113系0'番台の投入によって大船所属車は広島運転所へ転出し、その後は東海道本線静岡地区と山陽本線広島・下関地区で集中使用された時期が長い。
これらは国鉄末期から廃車が始まっていたが、国鉄最末期の1987年3月に四国地区(予讃本線高松駅~坂出駅、多度津駅~観音寺駅間と土讃本線多度津駅~琴平駅間)で電化が実施されるのに伴い、12両(モハ111/110-13・24・36、クハ111-6・11・28、303・317・323)が4両編成3本を組んで四国(高松運転所)に転用され、そのまま四国旅客鉄道(JR四国)に承継された。JR化後の1988年にJR四国用としてさらに8両(モハ111/110-3・4、クハ111-2・10・27・29)の車籍が復活したが、この時に車籍編入されたクハ111形は上り向き用の0番台ばかりであったため、同年2両(10・11)が下り向きに方向転換改造されてクハ111形3000番台(3001・3002)となった。
四国の111系は使用開始にあたり塗装が独自のもの(四国色)に変更され、本四備讃線用の無線アンテナが設置された。またクハ111形のトイレは撤去(クハ111-27・29だけはトイレを撤去していない。)され、モハ110形には2両分しかホームがなかった無人駅で車掌が集札を行うために車掌用設備(放送装置や車掌スイッチ等)がある業務用スペースを設置した。さらに1988年から翌1989年にかけて集約分散形AU101形を用いた冷房化改造が実施され、あわせて電源装置が電動発電機(MG)から静止形インバータ(SIV)に変更された。一部、窓サッシの交換や前照灯のシールドビーム化がなされた車両も存在する。
瀬戸大橋線開業直後は岡山~高松間の臨時快速にも使用されたが、主に瀬戸大橋線岡山~観音寺間と、ラッシュ時の高松~観音寺・琴平間の列車に使用されたほか、団体専用列車にも使用された。先述のように各部に改造がなされていたが、老朽化のために1996年から2001年3月にかけて6000系や後述の113系改造車(→#JR四国)に置換えられ、全車が廃車となった。
なお、111系として落成し、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されたクハ111-314が後述の高速化改造施工によりクハ111-5314に改番の上、2006年5月まで存命した。
現在、旧静岡地区所属車のクハ111-1が佐久間レールパークに、モハ111/110-1が東海旅客鉄道浜松工場に、旧四国地区所属車のクハ111-3002が四国旅客鉄道多度津工場にそれぞれ保存されている。4両とも湘南色[1]で、車籍は抜かれている。
[編集] 形式
順番は過去からの慣例に準じる。
- モハ111形(M)
- モハ110形とユニットを組む電動車で、主制御器、主抵抗器、電動発電機(MG)を搭載する。JR四国に配置された車両は冷房改造時にMGが撤去された。
- モハ110形(M')
- モハ111形とユニットを組む電動車で、パンタグラフと空気圧縮機(CP)を搭載する。JR四国に配置された車両は冷房改造時にサイリスタインバータ(SIV)が設置された。
- クハ111形(Tc)
- 111・113系を通しての制御車である。3位側隅にトイレがあり、300番台はCPを搭載している。同時期に登場した115系と異なり、奇数(東海道本線基準で東京駅方)向きが0番台(Tc)、偶数(神戸駅方)向きが300番台(Tc1)と区別されているが、非冷房車は奇数向き・偶数向き双方に使用が可能な両わたり構造となっている(クハ111-1017~1025・1332~1339を除く)。初期車については、中間組み込み時に助士席側を折りたたみ、立席スペースとすることができるようになっている。
[編集] 113系
1962年(昭和37年)に先行開発された上記の111系をもとにモーター出力が強化された形式。1963年から1982年にかけて約2,900両もの多数の車両が製造され、主に本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられた。また、関連系列として、寒冷・急勾配路線用に平行製造された115系がある。
JR移行後の現在も東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・四国旅客鉄道(JR四国)の各社に多数在籍しており、主に普通列車に運用されている。
113系の形式における新造車および改造車は以下の通りである。ただし、グリーン車については後述する。なお、順番は過去からの慣例に準じる。
[編集] 新造形式
ここでは、113系の新造時から存在する形式を紹介する。
- モハ113形(M)
- モハ112形またはクモハ112形とユニットを組む電動車で、主制御器と主抵抗器を搭載する。111系でM車が搭載していた電動発電機(MG)は、主回路機器容量増大にともないM車がぎ装上輻輳したため、113系ではM'車に搭載車が変更された。
- モハ112形(M')
- モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む電動車で、パンタグラフ、MGおよび空気圧縮器(CP)を搭載する。
- クハ111形
- #クハ111形参照。
- サハ111形
- 付随車で、400・1500・2000・7000番台と5801以外はトイレを持つ。クハ111形と合わせて111が付番された。2000番台の登場時まで地上用のサハは5両しか製造されなかったため、車両数に対して数が少なく、1000番台初期製造車の地上転用やモハからの改造車、115系からの改造車、サハ代用のクハが多く存在した。長編成での運用の減少とともに急速に廃車が進み、2007年5月28日にJR西日本で保留車となっていた最後の6両が吹田工場へ回送されて同年5月30日付けで廃車となり、形式消滅となった。
[編集] 改造形式
ここでは、113系が改造された時に発生した形式を紹介する。
- クモハ113形(Mc)
- モハ112形またはクモハ112形とユニットを組む制御電動車である。改造車のみで、すべてモハ113形を種車とする。
- クモハ112形(M'c)
- モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む制御電動車で、こちらも改造車のみである。すべてモハ112形を種車とする。
- クハ113形(Tc)
- JR四国が購入したクハ111形0番台に付与した形式である。
- クハ112形(T'c)
- JR四国が購入したクハ111形300番台に付与した形式である。
[編集] 新規製造車詳説
ここでは、新規に製造された113系の番台区分を地上線向けと地下線向けに分けて解説する。改造車両の番台区分については次節を参照のこと。
[編集] 地上線向け
[編集] 0番台(初期車)・0'番台(新製冷房車)
| 定員 | 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車) 座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車) |
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|---|---|---|---|
| 保安装置 | ATS-P.SW.ST | ||
| 備考 | 111系も同一 | ||
1963年(サハ111形のみ1969年)から製造された、113系最初の製造区分。当初は東海道本線東京地区および横須賀線に投入され、1964年には京阪神地区にも投入が始まった。横須賀線の0番台車については東京駅・新橋駅の地下ホーム乗入れにともなう難燃化対策の必要から、1970年代以降すべて後述の1000'番台に置換えられている。
構造上は111系のモーター出力を増強したのみで、外観的にはほとんど変化はなく、相互に連結も可能である。特に付随車および制御車については111系とほぼ同一構造で、形式および番号も111系の続番とされている。ただし、性能と無関係に、クハ111形の雨樋が乗務員室扉上まで延長されており、識別点となっている。
設計上の母体となった401・421系及び403・423系と共に、屋上のベンチレーター(通風器)の形状、配置が数回にわたって改良されている。大きな変化としては、1964年からクハ111形の運転台部分に乗務員への通風用の四角形の大型通風器が設置されるようになり、1969年からは雪対策として丸型(グローブ型)だった客室用通風器が、吸気調節のできる押込型に変更された。よって、サハ111形は全て押込型での製造となっている。
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クハ111形5000番台(→高速化改造車)奇数(東)向き車。丸型通風器搭載・シールドビーム前照灯のタイプ。冷房機の搭載が行われている。 |
1970年に冷房試験車が京阪神地区に投入されている。103系に用意された冷房試験車と同様、AU73X、AU74X、AU75Xの3種の冷房装置と各種の風道方式が試験されたが、103系が試験用に新造された車両であったのに対し、113系は既存車の改造で賄われた。試験の結果は良好で、国鉄時代は一部車両に対しほぼそのままの様式で冷房改造が進められた(→#冷房改造)。
1970年~1973年の間、1000番台の製造が重点的に行われたため、0番台の製造は中断した。1974年に再開されたが、これ以降製造された車両は車体構造が後述の1000'番台の影響を受けた、窓別組立・後取付け(ユニット窓)で製造時からの冷房搭載車(新製冷房車)となり、前照灯も製造時からシールドビーム[2]となった。車輌番号は以前の車両の続番でモハユニット-233、クハ111-194・505、サハ111-5以降が付されたが、それらとは各部で形態が異なっていることから、非公式の呼称ではあるが「0'番台」と区別されることが多いため、本稿でもその呼称を使用する。なお、0'番台に相当する0番台のサハ111形は-5の1両のみであった。
各地で長きにわたって使用されており、老朽化により廃車が進行している中で1969年以前の車両でも未だに運用されているものも存在する。JR東日本、JR西日本に承継された0'番台には延命目的で大規模なリニューアル改造(→#体質改善車)も実施された車両も存在したが、余命を考慮して2007年現在では新規施工は中止されている。
[編集] 700番台
| 定員 | 座席63(クロス36・ロング27)・立席51(先頭車) 座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車) |
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|---|---|---|---|
| 保安装置 | ATS-P.SW | ||
湖西線用に1974年から1976年に製造されたグループ。0'番台の車体をベースとするが、湖西地区が多雪地帯であるため、客用扉の半自動(手動で開閉)対応化、前面タイフォンへのシャッター設置、スノープラウ設置といった耐寒耐雪構造で、いわば115系から抑速ブレーキを除いた仕様である。CP付きの西(偶数)向き制御車は「クハ111形750番台」と区分されている。2M2Tの4両、4M2Tの6両に編成された84両が製造されたが、短編成のためサハ111形は含まれない。
新製時の配置は高槻電車区で、国鉄末期の同区の無配置化に伴い宮原電車区に転属、国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継された。JR化後に京都総合運転所に転属している。1991年からは後述の高速化改造が施工され、全車が番号に5000を加えた「5700番台」となり、一部は半自動扉の電動スイッチ化や体質改善工事も受けている。ただし、2007年現在の新規施工は中止されている。
登場以来湖西線とその後電化した草津線を主な働き場としているが、京都転出後は山陰本線京都口(嵯峨野線)でも運用されている。嵯峨野線用は方向幕がLED化され電気連結器を持つ「C編成」、湖西草津線用は電気連結器を持たない「L編成」と運用が分かれている。このグループの中から、2003年電化開業の小浜線用として半自動開閉扉ボタン取付や座席改造が行われた2本が福知山運転所電車センター(現・福知山電車区)に転属したが、2006年の北陸線敦賀直流化に伴う125系増備により京都総合運転所に復帰している。 また、2005年に福知山線で発生した脱線事故による117系の同線からの撤退を受け、補充用として宮原総合運転所に転用された車両も存在する。現在はモハユニット1組(5768)が該当。
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モハ112形5700番台。冬季の架線の霜取り用にパンタグラフが増設(写真手前側)されている。 |
[編集] 2000番台
| 定員 | 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車) 座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車) |
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|---|---|---|---|
| 保安装置 | ATS-P.SW.ST | ||
1978年から製造(サハ111形は1980年から)された地上温暖地向仕様の番台区分で、0番台の直系にあたるグループである。クロスシート部の座席間隔(シートピッチ)の拡大(1,420mm→1,490mm)・形状変更とこれに伴う窓の割付の変更、座席定員の減少などがなされたため、番号が区分された。CP付きの西(偶数)向き先頭車(クハ111形2000番台)は全車トイレ付きだが、CPなしの東(奇数)向き先頭車(クハ111形2100番台)は2145までがトイレなし、2146以降はトイレ付きと製造途中に仕様変更が行われたのが特徴である。
後期に製造された車両は屋根上冷房装置横のランボード(歩み板)などの構造が当時製造されていた201系量産車に準じたものとなっている。
サハ111形2000番台のうち、2001~2007・2009~2012・2025は1983年~2000年に大船電車区(現・鎌倉車両センター)と幕張電車区(現・幕張車両センター)に配置され、1000'番台に連結されて横須賀・総武快速線で使用されていた。1000'番台・1500番台との主たる相違点はジャンパ栓だけであり、0'番台以降、車両の耐火基準は地下用のA-A基準に沿って製造されているので、地下線区間走行に問題はなかった。
東海道本線からは撤退したが、比較的新しい本グループは他番台置き換えなどで温存される例が多く、近年までJR東日本・東海・西日本に多数在籍していた。例えば、国府津車両センターから幕張車両センターへの転属車は一部の先頭車を除いてすべて2000番台が対象であった。しかし、状態の悪い老朽車や短編成で必要のないサハ111形については順次廃車・解体が進んでいる。またJR東海所有の車両は313系3次車の投入に伴い、2006年8月から2007年3月にかけて急速に廃車が行われ、定期運用が消滅している。
また、京都総合運転所「C編成」に組成されて主に山陰本線京都口(嵯峨野線)で使用されている車両は、特に番号区分等は行われないまま寒冷地対策でスイッチ式半自動扉への改造が行われている。これらは方向幕のLED化も行われている。
[編集] 2700番台
| 定員 | 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車) 座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車) |
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|---|---|---|---|
| 保安装置 | ATS-P.SW | ||
草津線電化用に700番台の増備として一般向け2000番台仕様に寒冷地対策が追加された1980年製造のグループである。700番台同様、サハ111形の製造はない。4M2Tの6両編成2本と非常に数が少なく、1983年~1984年にかけて4両編成に組み直された際に不足した先頭車はクハ111形2000番台からの改造編入で賄われている。
草津線電化開業時から湖西線用700番台と共通運用されてきた。全車がJR西日本に承継され、現在は全車が高速化改造されて番号に5000を加えた「7700番台」となり、体質改善工事を受けている。その後も湖西・草津線で運用されてきたが、小浜線電化の際このグループから4両編成1本(クハ111-7709+モハユニット7705+クハ111-7759)が小浜線用として転出し、のち小浜線113系運用撤退後も福知山運転所電車センター(現・福知山電車区)に予備として残留し、山陰線や福知山線で時折運用されている。
[編集] 地下線向け
[編集] 1000番台(初期車)・1000'番台(冷房準備および新製冷房車)
| 定員 | 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車) 座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車) |
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|---|---|---|---|
| 保安装置 | ATS-P.SW | ||
横須賀・総武快速線東京地下駅前後の地下区間(錦糸町~品川間、1972年開業)直通を目的に、1969年から製造された地下区間乗入対応車両グループである。0番台を基本に、運輸省(→国土交通省)制定のA-A基準に対応した難燃構造が採用された。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+300の「クハ111形1300番台」と区分されている。
パッキン材などごく一部の部品に使用されていた木材はすべて廃され、窓やカーテン、床板、腰掛などの材料も難燃性・不燃性材料に変更されたほか、火災発生源となりうる抵抗器などの一部機器・回路に発火防止対策がなされている。また、1972年以降に落成した先頭車(クハ111-1017~1025・1332~1339)は前照灯がシールドビームで製造されると共に、片わたり(方向転換不能)とされた。
しかし、開業間近の時期に地下区間の信号がATCに変更されたため、ATC装置を搭載し、あわせて冷房装置搭載(当初一部は準備)など各部に大幅改良がなされた車両が1972年4月以降に新たに製造されることになった。この変更のため、従来の1000番台非ATC車輌は専ら房総地区(総武本線・成田線・鹿島線・外房線・東金線・内房線)ローカル列車や0番台と共に東海道本線東京口で使用されることとなった。特に、サハ111については東海道本線東京口に転用されたことから、0'番台での増備が1両にとどまることになった。
新たに製造された車輌は先頭車の助士席後部にATC装置が搭載(一部は準備構造)され(従って、助士席の折りたたみ構造は廃止された)、運転士側も後方に拡大されて急行形電車並みの広い構造に、従来車では前照灯と幌枠の間にあったタイフォン(警笛)が下方に移設され、ジャンパ栓がKE70形とされたほか、全車とも側面窓上に行先表示器が設置され、側窓は別組立・後取付けの「ユニット窓構造」となって大きく外観が変わっている。車両番号は従来車の続番で、モハユニット-1055、クハ111-1026・1340、サハ111-1020以降が付されているものの、従来の非ATC車両との区別のために、非公式の呼称ではあるが「1000'番台」と区別されることが多く、本項目でもこの呼称を使用する。
また、トイレは設置位置、数は0番台や1000番台従来車と変化ないが、地下線の清浄化と保線作業者の影響を考慮して、循環式汚物処理装置が設置された。後期の製造車は製造時から冷房装置を搭載した「新製冷房車」となり、MG容量は冷房・制御電源が一体化されて160kVAとなった。容量の増大にともない、搭載するモハ112形は側面中央扉の戸袋窓部分にMG冷却用冷却風取入口が設けられている。
先述したが、この車体構造は以降の地上用の新製冷房車(0'番台)や700番台でも採用されたほか、同系の車体構造を持つ115系300番台および415系0'番台でも採用されている。ただし、クハ111-1106・1419以前の車両は115系300番台以降の車両と異なり前面強化構造とはなっておらず、後年、前面強化工事が強固に推進されることとなる。
地上用となった従来車については後に前照灯がシールドビーム化された車両もあるが、タイフォンが他番台と同じ前照灯と幌枠の間の配置となっているほか、窓構造や、ATCの装備がなされていないために先頭車両の助士席後部の窓配置も異なっているなど、1000'番台との差異は現在も大きい。冷房装置も、国鉄時代には1000'番台と同じAU75系が搭載されたが、民営化後にはJR東日本開発の集約分散型冷房装置AU712形2基/両によってなされた車両も存在する。中には冷房が搭載されず、非冷房のまま廃車となった車両も存在する。
国鉄時代にごく少数の初期非ATC車が中京圏・近畿圏に転用された他は、当初の配置区所で使用され続けた。よって、国鉄の分割・民営化時にはほとんどがJR東日本に承継されている。
その後も長きにわたって横須賀・総武快速線および房総地区ローカル列車の主力車両として使用され、初期非ATC車を中心に更新工事、後期ATC車を中心にリニューアル工事も施工されたが、横須賀・総武快速線1999年にE217系への置き換えで撤退。房総地区でも2004年10月から状態の良い元東海道本線車輌(0'番台、2000番台)、2006年10月からはE231系の投入で余剰となった211系3000番台の転入があり、リニューアル車以外はほぼ消滅状態となっている。
このグループのサハ111形は2005年に東海道線で更新工事施工の上使用されていた1両(1015)が廃車されたのを最後に形式消滅した。また、中京圏・近畿圏からJR東海・西日本に承継された車両も、阪和線で使用されていた1両(クハ111-6310・高速化工事で+元番号5000)が2004年に廃車となり、消滅している。
なお、横須賀・総武快速線からの撤退時には廃車となるゾロ目番号のクハ111-1111を含む編成が11月11日にイベント列車として使用された。また、ATC付きの1000'番台は横須賀・総武快速線が禁煙とされたために灰皿は製造時から設置されていないが、非ATCの1000番台は設置されていたため、房総地区では1997年3月のJR東日本管内普通列車全面禁煙化まで列車によって禁煙であったり喫煙可能であったりする現象が続いた。
[編集] 1500番台
| 定員 | 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車) 座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車) |
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|---|---|---|---|
| 保安装置 | ATS-P |
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1000番台の改良増備型として、2000番台の車体構造を取り入れて1979年から製造されたグループである。国鉄の分割・民営化時には全車がJR東日本に承継された。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+100の「クハ111形1600番台」と区分されている。また、6両製造された東(奇数)向き制御車のうち、-1504までがトイレ無し、-1505と-1506はトイレ付きと製造途中で変更がある。
他の番台と比べ、前照灯とタイフォンが若干高い場所に設置されているのが本番代先頭車の特徴である。
横須賀・総武快速線の他、一部は車輌需給の都合から東海道本線東京口で使用されていた。現在も、車齢が若いことから房総地区で残存の対象となっており、リニューアル車の比率も高い。ただし、4両編成、6両編成でのみで使用箇所がないため、サハ111形は全車廃車となり、形式消滅している。横須賀・総武快速線のE217系置き換え後はリニューアルか廃車の道を辿ったが、未リニューアルのモハユニットがあり、車番はモハ112・113-1517・1520である。
[編集] 改造車
本系列は、長きにわたり大量に製造されたほか、JR各社へ移行後も使用されていることから、地域や時代のニーズに合わせた改造工事が多数施されている。
[編集] 国鉄時代
[編集] 冷房改造
- 試作冷房改造
0番台の項で触れたが、1970年に試作冷房編成が京阪神地区に投入された。改造されたのはサロ112形を含む以下の1編成8両である。
- ←東
- クハ111-52+モハ113-55+モハ112-55+クハ111-360+サロ112-14+モハ113-15+モハ112-15+クハ111-369
冷房装置はクハ111-360とモハ112-15が東芝製AU73X形、モハ112-55とクハ111-369が日立製作所製AU74X形、クハ111-52とモハ113-15・55が三菱電機製AU75X形と集中式3種類が車体・台枠を補強のうえで搭載され、車内の意匠も冷房風道や吹き出し口の配置、扇風機の有無も数種類が存在した。
冷房用の電源装置は制作期間の関係から急行用の110kVAのMGを流用しクハ111形に搭載した。
一方、サロ112-14は同系の車体を持つ165系サロ165形、455系サロ455形と同様の分散式AU13E形が搭載されたが、それらが5基搭載だったのに対して6基搭載とされた。 宮原電車区に配備されたサロ112-3についても同様の改造が行われた。
- なお、同じサロ112でも、1,13,17,19,21~29,51,101~104については、サロ152, サロ163時代に冷房電源として、MH122A-DM76の20kVAMGを装備していたが、サロ112への改造に際して撤去したか不明である。
試験終了後、量産化改造ののち編成を解かれ、サロ112-14は廃車となった。残る7両のうちクハ111-369は1986年に800番台に改造された。国鉄の分割・民営化時には7両全車がJR西日本に承継され、0番台のままだった6両は1991年に800番台および415系800番台に改造されている。
- 番号の対照は以下の通り
- モハ113-15→モハ113-813→クモハ113-3813、モハ113-55→モハ113-819→クモハ113-3819
- モハ112-15→モハ414-810、モハ112-55→モハ414-804
- クハ111-52→クハ415-801、クハ111-360→クハ415-807、クハ111-369→クハ111-810
クハ111-810は2005年に廃車されたが、残りの6両は現在も使用されている。
- 1971年度冷房改造
試作冷房車の使用実績から、冷房装置は小型軽量化の点で勝るAU75X形が標準機種として選定され、扇風機が無いクハ111-52の方式を基本としたAU75系が上記3社の手で量産が開始された。この時の対象車は試作冷房改造車に続いて関西地区の配属車が選ばれ、平行私鉄との対抗に利用された。
- 量産形冷房改造
1973年以降、同年製造の1000'番台に準じて、冷房電源はモハ112形のMGを20kVAから冷房電源兼用の160kVAに交換して、自車を含む4両に給電する方式に変更された。また、同時に一部の車両を除いて側面行先表示器の準備工事が施工され、競合する直下の窓は上段が固定化された。なお、大船工場改造車のクハ111-172と名古屋工場改造車は、改造時に屋根上ベンチレーターが押込式であったものが、グローブ式に換装されている。
[編集] 車両需給調整関連
- クハ111形の方向転換
クハ111形は前述の通り、一部を除き奇数向き(Tc)・偶数向き(Tc1)共に両渡り構造のため、方転使用が可能であるが、国鉄時代に方転改造を施工した車両は、必ず機器の統一と改番が実施されていた。また、全て偶数向きから奇数向きへの改造であった。
- クハ111-357・367・481・436・457・462・449・455 → クハ111-263~270
- サハ111形300番台
房総各線で運用している6両編成の一部を4両編成とするために先頭車を捻出する必要があったのと、クハ111-1307の事故廃車補充および伊東線用の4+7編成1本を11両編成1本に組み替えるために、1984年と1985年にダイヤ改正で余剰となるサハ115形300番台4両を改造して登場した番台区分である。外観は115系時代と全く変わらず、115系の特徴である半自動扉対応の取手などもそのままであった。このため、当番台の側扉開口幅は他車より狭い1,100mmとなっている。301~304が改造され、全車が国府津電車区(→国府津車両センター)に配置された。これにより同区のサハ111-2000台3両が大船電車区(→鎌倉車両センター)に転属し同区の編成中間のクハを捻出した。東海道本線東京口基本編成で運用されたが、横須賀・総武快速線へのE217系投入による同線からの1000・1500・2000番台の転入に伴い、1995年から1999年にかけて全車が廃車された。この中で302と303がトイレ対向部を除いてロングシート化改造を受けていた。
- サハ111形400番台
サハ111形300番台と同じ理由で1986年と1988年にモハ113・112形を電装解除して登場した番台区分で、401~404が存在し、奇数号車がモハ113形(273・1058)、偶数号車がモハ112形(273・1058)からの改造車である。サハ111形0・1000番台との相違点は電動車からの改造のため、車体妻面の主電動機への冷却風取入口が存置されている他、モハ112形からの改造車は電動発電機冷却風取入口の存置やパンタグラフを撤去した跡が残っているなどの特徴があった。403・404は、種車のモハ113・112-1058が冷房準備車だったために扇風機のスイッチ跡が残っていた。
- 前述のサハ111形300番台と同様に東海道本線東京口で運用され、のちに全座席ロングシートに改造されたが、300番台と同じ理由で403以外は1998年に、403も2000年に廃車された。
- クハ111形1200番台
脱線事故によりユニットの片方を失ったモハ113-1027を1983年に制御車に改造して登場した番台区分で、種車の前位に運転台を、後位にトイレを設置して奇数向き固定使用とされた。改造を施工した大井工場にクレーンが無かったため、運転台ブロック接合方式ではなく、台枠を切らずに運転台を構築する方法で改造されている。-1201の1両が存在し、幕張電車区(→幕張車両センター)に所属して房総地区ローカル列車で運用していたが、2001年に廃車されている。
[編集] 800番台
1986年に福知山線宝塚駅~福知山駅間および山陰本線福知山駅~城崎駅(→城崎温泉駅)間の電化開業に伴い、国鉄が大船・吹田・鷹取・小倉の各工場と広島車両所・幡生車両所(名称はいずれも当時のもの)で0番台に対してドアの半自動化(手動)など、700番台に準じた寒冷地対策を施工したグループである。この時期には国鉄の財政事情も厳しくなってきており、各地から集めた余剰車を改造することとなった。
国鉄時代には4両編成9本と2両編成14本の64両が改造された。2両編成はモハユニットに対して運転台を増設することで賄われている(→#改造形式)。種車は大部分がグローブ型ベンチレーターを持つ最初期に製造された車両で、それらは寒冷地には不向きであったが、冬季の雪や冷風の吸い込みを抑えるためのカバー取り付け(車両前後方向の吸気口が塞がれ、開口面積が半分程度にされた)が行われたのみで使用された。また、種車の関係で非冷房車の率が比較的高く、冷房搭載が行われた車両も電源用MGは廃車となった食堂車から調達されている(70kVA)など、コスト削減の跡が伺える。クハ111形の前面形状もバラバラであった。なお、非冷房で残された車両は後の分割・民営化後に様々な方法で冷房改造され、車両毎の形態差がさらに複雑化することになる(→#簡易冷房改造車)。
戸閉機械も本来半自動用でないTK4形の改造品を搭載しているため、700番台など当初からの半自動対応車よりも開閉し難くなったことから、客用扉の取っ手は持ちやすいよう従来より大型の物が設置された(同様の工事を受けた103系仙石線用改造車や105系可部線用改造車に倣っている)。2両編成のクモハ112形にはトイレが新設されたが、電動車で床下にスペースが無かったことから、水タンクは車内トイレ脇に設置された。
元番号とは関係なく、改造順に801~の番号が付された。クハ111形は他番台のような向きによる番台区分はされず、CP無しの東(奇数)向き先頭車は奇数番号、CP付きの西(偶数)向き制御車は偶数番号とされた。福知山運転所(現・福知山電車区)に配置され、4両編成の一部は改造後、車両不足を補うため日根野電車区に貸出され紀勢本線を中心に運用されたこともある。全車JR西日本に承継された。
1991年、七尾線の電化にともなう車両調達と絡んで、日根野電車区などから集められた4両編成と以下のような編成替え(一部例外あり)が行われた。このとき交流に対応させるための機器を485系から移植したため、485系の一部は183系化された。
- ←東
- クモハ113+クモハ112 クハ111+モハ113+モハ112+クハ111
- ↓
- クハ111+モハ113+クモハ112(800番台) クモハ113+モハ112+クハ111(七尾線転出)
この改造により、2両編成はWAU202形冷房装置搭載の3本(-803・807・809)を除いてユニットを分割され、クモハ113形は415系800番台に改造。新たに連結されたクハ111+モハ113は800番台に編入され、編成ごとに規則的だった車両番号が元番号、800番台番号共に崩れ始め、先頭車の偶数奇数も守られなくなった。また、残った3本は編成東側にクハ111形が増結されて3両編成となり、2両編成は消滅した。
1992年、クモハ112-801が事故廃車されたのに伴い編成間で車両の交換が行われ、その過程で余剰となった1両(モハ113-818)が電装解除を受けてグループ初のサハ111形が発生した。改造時に高速対応工事が施工されたため、+5000の5800番台(サハ113-5801)となった。他車と離れて網干電車区(現・網干総合車両所)に配属されたが、途中から予備車となってほとんど使用されないまま2004年に廃車され、形式消滅している。
1996年、山陰本線園部~福知山間の電化に伴い、2両編成で残っていた3本がクハ111形の取り外しとワンマン運転対応改造、半自動ドアのスイッチ化(700番台と異なり、窓埋めはされず)、電気連結器の設置を受けて同線に投入(配置車庫は変わらず)された。直後、高速対応工事が行われ、800番台番号に5000が加えられて「5800番台」となって現存する。#山陰本線向けも参照。
前後して残った3両編成の一部が4両編成に組み換えられ、車両需給の都合で他線に転用された車両や、全電動車やクハ111+クハ111+モハ113+クモハ112といった特殊な編成となった車両も発生した。しばらくはこの状態で推移したが、2000年から2001年にかけて、モハ113+クモハ112が2両編成の再配置とワンマン運転のために3800番台に改造されて消滅。最終的には純粋な4両編成3本(クハ111-807+モハユニット-804+クハ111-808、クハ111-809+モハユニット-805+クハ111-810、クハ111-817+モハユニット-809+クハ111-818。全て国鉄時代に改造されて以来変化なし)と編成相手の電動車が3800番台に改造されたために予備扱いとなっていたクハ111形2両(822・828)だけが残った。しかし、これらも新車への置き換えで2004年に廃車され、当初の改造目的通りの使用がなされていた車両とモハ113形、モハ112形の形式が消滅した。
現在、本グループのクハ111形は2両(811・812)のみとなっている。国鉄時代に4両編成として投入され、1994年に編成単位で下関車両管理室に転属した車両で、編成を組んでいたモハユニット-806は2002年に115系0番台のモハユニットに置き換えられて廃車されている。さらに、現在は115系0番台のモハユニットも廃車され、115系6000番台のモハユニットに置き換えられている。
- 番号の対照は以下の通り
- 国鉄投入分
- モハ113/112-69・48・146・82・63・101・54・83・86→モハ113/112-801~809
- クハ111-129・384・148・396・114・445・118・376・78・369・112・398・50・467・94・334・95・390→クハ111-801~818
- モハ113/112-135・134・81・80・163・175・169・160・72・115・145・148・219・230→クモハ113/112-801~814
- JR西日本追加投入分
- モハ113-66・31・30・15・18・164・168・111・12・55→モハ113-810~819
- クハ111-66・68・151・172・442・451・471・432・435・490→クハ111-819~828
[編集] JR東日本
[編集] オールロングシート車
1989年に混雑の激しい東海道本線と横須賀・総武快速線の一部車両の座席が、クハ・サハ111形のトイレ対向部を除き全て撤去の上でロングシートに交換された。これにより床面積が大幅に増加し、輸送力が向上した。新設された座席は211系や415系の同様の車両に準じたバケット構造(座席に体形にあった定員分の凹みを設け、より快適な着座感を期待するほか定員着席を誘導する構造)とされ、サービス維持と着席定員低下防止が図られていた。
配置車庫が異なることもあって両線で対象車が異なり、東海道本線の田町電車区(現・田町車両センター)、国府津電車区(現・国府津車両センター)では11両編成グリーン車以外の9両7本中分計63両が、横須賀・総武快速線の大船電車区(現・鎌倉車両センター)では11両編成中グリーン車前後の2両22本分計44両が改造された。改造時に車両更新を併施した車両も存在したが、シートピッチ拡大車は改造の対象からは除外された。また田町電車区と国府津電車区で0番台と2000番台との車両交換も同時に行われ田町から2000番台が国府津からは0番台が交換されたが国府津電車区所属時にロングシート改造時にはシルバーシート(優先席)の設置はされてたがステッカーの貼り付けは行われなかった。
東海道本線では廃車や編成替えによって徐々にロングシート統一編成が崩れていったが、追加改造はなされなかった。これらは他線転用の対象にもならず、東海道本線からの撤退が完了した2006年に消滅した。クハ111-527,528,536,537,539,550,556、194,198,202,215,218,226,237モハ112.113-236,252,253,260,266,267,268,274,278,279,281,285,287,289,300サハ111-302,303,403,1001,1014,1015,1018
[編集] モヤ113形
異常時の対応や車両故障時の応急処置等、乗務員のための巡回訓練用車両としてモハ113形(→#新造形式)から改造された職用車。改造時に客扱いからは撤退し、車内は後位側半分の座席が撤去されてミーティング用スペースと視聴覚教育用のAV機器が設置された。車外は側面に訓練車であることを示す白帯2本と「訓練車」の文字が追加されていた。
当初、1991年に0番台モハ113-68がモヤ113-1に改造されたが、1995年に同じく0番台で、経年の浅いモハ113-192改造のモヤ113-2と交代で廃車された。モヤ113-2は2005年まで使用されたが廃車され、現在形式消滅している。
[編集] 前面強化車
1992年に113系のクハ111-1038が成田線で踏切事故に巻き込まれ、同車に乗務していた運転士が変形した運転台に挟まれて殉職した。JR東日本はこの事故を受け、衝突からの乗務員保護のために先頭部にステンレス板(一部鉄板の例もあり)を追加する工事を積極的に進めた。
この種の工事は国鉄時代から行われていたが、事故以降はより耐性を高めるため、それ以前や他のJRよりも徹底した、独自のメニューに移行した。下部のアンチクライマー(板状の物体)は1本から4本(連結栓受け部分は1本のまま)に増強され、窓下の手すりは撤去されて衝撃吸収板が設置された。本来、アンチクライマーは正面衝突時に噛み合うことで他車への乗り上げを防ぐものであるが、ここでは障害物に対するバンパー的意味合いが強い。
年内に全ての非施行車を強化するため、工場だけでなく各電車庫でも工事が行われた。横須賀・総武快速線の大船電車区(現・鎌倉車両センター)、幕張電車区(現・幕張車両センター)の両車庫での施行車には、早期の運用復帰のためにステンレス地[3]に帯テープを貼付されたのみで出場した車両も存在する。これらは後の工場入場時に塗装が行われ、短期間で消滅した。
なお、前照灯が白熱電球であった車両は改造時に前面の整形と共にシールドビームへの交換が行われたため、工事の完了によって副次的に白熱電球装備車も消滅している。
[編集] 車両更新車
[編集] リニューアル車
1999年より、幕張電車区(現幕張車両センター)配置の1000番台後期車、1500番台を中心にリニューアル工事が行われた。内容は、コンプレッサーをレシプロ式からスクリュー式への交換、座席の交換、補助電源装置のMGからSIVへの交換などが挙げられる。編成番号は、4両編成がS221~S225、6両編成がS61~71が与えられた。これらの編成のみ列車番号表示機がLED化されているのも