名城信男

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名城 信男
基本情報
本名 名城 信男
階級 スーパーフライ級
国籍 日本
誕生日 1981年10月12日(27歳)
出身地 奈良県, 奈良市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 12
勝ち 11
KO勝ち 7
敗け 1
  

名城 信男(なしろ のぶお、1981年10月12日 - )は、奈良県奈良市出身のプロボクサーで第18代並びに第21代(当代)WBA世界スーパーフライ級王者。身長163.1cm。奈良県立奈良工業高等学校出身。六島ボクシングジム所属。

目次

[編集] 家族

名城裕司は、極真館全日本ウエイト制空手道選手権中量級や中央アジア空手道選手権大会中量級で優勝し、K-1に出場するなどの実績を持つ空手家。

父建伸は料亭料理人の他、調理専門学校で講師や奈良県調理技能士会の会長代行や奈良沖縄県人会副会長を勤めている。

[編集] 来歴

[編集] プロデビューまで

小学生時代に、沖縄県本部町出身の父に連れられて、同じ沖縄県出身のIBFバンタム級王者新垣諭の試合を観戦し、ボクサーに憧れる。その後は、WBCバンタム級王者の辰吉丈一郎に熱中した。ボクシングに必要な基礎体力をつけるため、奈良市立春日中学校では陸上部に入部。奈良県立奈良工業高等学校に入学して念願のボクシングを始め、ロサンゼルス五輪代表の高見公明に師事する。近畿大学に進んだが、在学中にプロデビューを決意。

[編集] 世界ランク入りまで

  • 2003年7月11日、大阪府立体育館第二競技場にて行われた稲沢俊之vsアーニー・アレスナ戦興行の前座バンタム級4回戦に登場。2000年の中日本(=東海・北陸地区)新人王・一ノ宮茂樹を相手に1回0分32秒でKO勝ちし、デビュー戦を飾る。赤コーナーがデビュー戦の名城、青コーナーがこの時点で11戦目の一ノ宮という組み合わせに、会場に訪れたファンの大半が首を捻っていたが、試合開始早々に爆発した名城の強打はその疑問を完全に払拭するものだった。
  • 2003年9月28日、大阪府立体育館第二競技場にて、木ノ下国広(畑中)に2回2分05秒でKO勝ち。東海地区を主戦場とする中堅の木ノ下を、左右のフック、アッパーで倒した。このKOシーンは、後に名城を取り上げた複数の報道番組やドキュメントで放送されている。
  • 2003年12月21日、大阪市中央体育館サブアリーナにて、関口武志(エディ)に1回2分35秒でKO勝ち。関口のガードを左のジャブ、フック、アッパーで切り崩して倒した。この日のメインイベントでは亀田興毅がデビュー戦を行った。
  • 2004年3月13日、大阪市中央体育館サブアリーナにて、日本ランキング登載経験もある竹田津孝(森岡)に8回判定勝ち。まさに名城の試金石となる一戦だったが、名城は2回に右フックでダウンを奪い、中盤は竹田津の巧みなボクシングに苦しめられたものの、終盤にアウトボクシングに切り替える作戦を成功させる。最終8回には再三、右フックを決めて竹田津をぐらつかせ、判定勝利を得た。名城は試合後「こんなに巧い相手は初めて」とコメントしている。
  • 2004年8月7日、大阪府立体育館第一競技場にて行われた「BOXINGアジア大会」第二部興行のセミファイナルにおけるプロ5戦目で、世界ランカーの本田秀伸グリーンツダ)と対戦。名城は序盤から右ストレートを中心に手数を惜しまず攻め込み、ボディブローも決めて本田を圧倒。本田も8回に意地の猛攻を見せるが、これを凌ぎ10回判定勝ちを収めた。この勝利で本田に代わり世界ランク入りし、無名の名城は一躍脚光を浴びるようになる。
  • 2005年4月3日、よく合同練習も行っていた日本スーパーフライ級王者田中聖二に挑戦し、10回TKO勝ち。王座奪取を果たすも、田中は試合後に意識不明の重体となり、急性硬膜下血腫で2週間後に亡くなる。名城自身も大きなショックを受け、1カ月間自宅に引きこもり「本気で引退を考えた」とのこと。後に、田中のジムメイトでWBCスーパーフライ級王者徳山昌守の防衛戦の会場で、田中の父親と対面。この席で「(亡くなった)息子のことは気にせず、これからも頑張って」と励まされたそうである。また、下記防衛後鳥取市にある田中の墓前に赴き、勝利を報告するなどしている。
  • 2005年11月22日、当時WBA世界スーパーフライ級2位だったプロスパー松浦に10回判定勝ちで日本王座初防衛に成功。この勝利でWBA世界ランキング1位となり、指名挑戦権を獲得。

[編集] 世界タイトル獲得から陥落まで

  • 2006年7月22日、8戦目にして世界初挑戦。指名挑戦者としてWBA世界スーパーフライ級王者マーティン・カスティーリョメキシコ)に挑み、10回TKO勝ち。世界王座に就いた。プロ8戦目での世界王座奪取はWBCバンタム級辰吉丈一郎と並ぶ国内最短記録(なお、JBC未公認であるが、IBFバンタム級の新垣諭も8戦目で世界王座奪取を果たしている)である。
  • 2006年12月2日、大阪府立体育館第一競技場でWBA世界スーパーフライ級王座の初防衛戦を行い、同級14位(WBCではバンタム級の世界下位ランカー)エデュアルド・ガルシア(メキシコ)を3-0の判定で下し初防衛成功。名城はやや苦戦したものの、有効打と攻勢で優勢を保ち勝利を得た。このガルシアは、前回のカスティーリョ戦前に、名城のスパーリングパートナーとして招聘され、スパーリングで名城とグローブを交えている。名城には長身で大柄なガルシアに対し、やや苦手意識があったようである。
  • 2007年5月3日有明コロシアムにて2度目の防衛戦を行った。対戦相手は指名挑戦者である元チャンピオンでWBA世界ランキング1位のアレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)。前半は元王者を相手に互角以上の戦いを演じるが、徐々に押されはじめ、後半はダウン寸前のピンチに陥る。12ラウンドをフルに戦うも、0-3の判定で敗れて世界王座から陥落した。

[編集] 再起

  • ムニョス戦後の6月に、愛車が大破し廃車になるほどの交通事故に巻き込まれ、頚椎を負傷するアクシデントもあり王座陥落後の再起が遅れたが、2007年11月26日大阪府立体育館第2競技場で前タイスーパーフライ級王者ペチクローンパイ・ソーターンティップと行い、3RTKOで勝利した。
  • 2008年3月23日、父の故郷である沖縄県うるま市多目的ドームでサーイルン・ジンワンチャーに3RKOで勝利する。

[編集] 世界王座返り咲き

[編集] 亀田興毅とのスパーリング

  • デビュー5戦で、歴戦の技巧派ボクサー本田秀伸を下し世界ランキング入りを果たしたが、その知名度は近年のボクシング界に対する注目度に比例して一般には低く亀田興毅の人気の影に隠れていた。そんな中、スパーリングではあるが公開の場で二人の直接対決が実現する。この際、名城側は「スパーリングとはいえ、お互い一切の手加減はしない」という条件を出したという。スパー終了後、亀田からの「余裕やったな。試合用グローブやったら三途の川渡りかけてるで」という談話がマスコミ各紙で報じられるが、TV番組(サンテレビで放送されていた「めざせチャンプ」)で放映されたVTR映像では、一方的に亀田が攻め立てていたという内容ではなく、逆に名城が亀田をロープ際に押し込んで猛烈に手数を浴びせている場面を映し出していた。亀田も時折カウンターを返してはいたが、とても優勢と断言出来る内容ではなかった。のちに名城は「(自分のほうが攻め立てていたのにもかかわらず)言ったもの勝ちですね。ムカっときました。」と心境を語っている。
  • これとは別に、名城は亀田興毅がB級ボクサーライセンス取得のためのプロテストを受験した際、非公開の場で実技試験のスパーリングパートナーを務めている。亀田興毅を追跡取材していたドキュメント番組のカメラも入っていたが、この際の模様や居合わせた関係者からの目撃談はマスメディアでほとんど報道されておらず、その番組内でも「亀田はアマチュア時の実績からプロテストを免除された」とされている。
  • このような経緯から、WBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助亀田大毅が挑戦する際に内藤のスパーリングパートナー(仮想亀田大毅という設定)を務めた。

[編集] 戦績

  • アマチュアボクシング: 57戦 38勝 19敗
  • プロボクシング: 13戦 12勝 7KO 1敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2003年7月11日 1R 0:32 KO 一ノ宮茂樹 日本 プロデビュー戦/一ノ宮は元中日本新人王
2 2003年9月28日 2R 2:05 KO 木ノ下国広 日本
3 2003年12月21日 1R 2:35 TKO 関口武志 日本
4 2004年3月13日 8R 判定3-0 竹田津孝 日本 竹田津は元日本ランカー
5 2004年8月7日 10R 判定3-0 本田秀伸 日本 本田は当時現役世界ランカー
6 2005年4月3日 10R 0:57 TKO 田中聖二 日本 日本スーパーフライ級タイトルマッチ
7 2005年11月22日 10R 判定 プロスパー松浦 日本 WBA世界スーパーフライ級挑戦者決定戦/日本防衛1
8 2006年7月22日 10R 1:02 TKO マーティン・カスティーリョ メキシコ WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ
9 2006年12月2日 12R 判定3-0 エデュアルド・ガルシア メキシコ WBA防衛1
10 2007年5月3日 12R 判定0-3 アレクサンデル・ムニョス ベネズエラ WBA王座陥落
11 2007年11月26日 3R 2:30 TKO ペットクローンパイ・ソータンティップ タイ
12 2008年3月23日 3R 2:24 KO サーイルン・ジンワンチャー タイ
13 2008年9月15日 12R 判定2-1 河野公平 日本 WBA世界スーパーフライ級王座決定戦


[編集] 人物・トリビア

  • 非常に謙虚な人物で、辰吉丈一郎から「謙虚な世界チャンピオンはおらへんぞ」と注意されたことがある。
  • 京阪神地区の試合会場では、世界王者となった以後もリングサイドで所属ジムの同僚・後輩を応援する姿が頻繁に目撃されている。
  • 趣味はビリヤードとボクシング。
  • 世界王座奪取の翌日、NTV系TV番組「ズームインsuper」に生出演した際、司会のアナウンサーから「亀田選手をどう思いますか」と訊かれ、「強い(「凄い」とも聞き取れた)……んですかね?」と苦笑交じりで答え、スタジオ内の爆笑を誘った。慣れないテレビ生出演での咄嗟の発言なので致し方ないとも言えるが、嘘をつけない人柄が窺える。
  • ココリコ遠藤章造司会のTV番組「BRAVO!」では「世界王者になって、どんなクルマに乗りたいですか」との問いに「燃費のエエやつ」と応え、遠藤を苦笑させた。遠藤は高級外車かスポーツカーの名前が出てくるものと予想していた模様。しかしこの番組中の遠藤の言動には、現在のボクシング界が置かれている経済的現実を理解していない面が見られる。「世界王者って、ロールスロイスとか乗って移動するイメージですよ」と語って、名城を苦笑させている。この番組における名城と遠藤の掛け合いは、名城の企まざるユーモアと、遠藤のボクシング世界チャンピオンへの無邪気な憧憬が相まって、心暖まるものになった。
  • 2007年2月22日には「奇跡体験!アンビリバボー」の感動のアンビリバボーとして転機となった本田秀伸との対戦から田中聖二との日本タイトル、そして世界王座奪取までの模様が紹介された。スタジオ中を感動に巻き込んだ中で格闘技通の関根勤は「世界チャンピオンには様々な物語があるものだ」と感心していた。
  • 2007年10月11日内藤大助亀田大毅のWBC世界フライ級タイトルマッチ観戦に訪れた際、マスコミに試合後の感想を問われて、業界のしがらみから言葉を濁す関係者が多い中、「(悪質な反則行為に手を染めた亀田大毅は)どんな負け方よりも最低の負け方」と率直にプロボクサーの立場から亀田家を厳しく批判した。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

前王者

マーティン・カスティーリョ

第18代WBA世界スーパーフライ級王者

2006年7月22日 - 2007年5月3日

次王者

アレクサンデル・ムニョス

前王者

クリスチャン・ミハレス

第21代WBA世界スーパーフライ級王者

2008年9月15日 - 現在

次王者

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