増子輝彦
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| 参議院議員 増子 輝彦 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1947年10月8日(61歳) | ||
| 出生地 | 福島県郡山市 | ||
| 出身校 | 早稲田大学商学部 卒業 | ||
| 学位・資格 | 商学士 | ||
| 前職 | 衆議院議員(3期) 福島県議会議員(1期) |
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所属委員会
内閣役職
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経済産業委員会 理事 | ||
| 世襲 | 無 | ||
| 選出選挙区 | 福島選挙区(2010年改選) | ||
| 当選回数 | 1回 | ||
| 所属党派 | (自由民主党→新党みらい→新進党→) 民主党 |
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| 党役職 | ネクスト経済産業大臣 | ||
| 会館部屋番号 | 参議院議員会館702号室 | ||
| ましこ輝彦オフィシャルサイト | |||
増子 輝彦(ましこ てるひこ、1947年10月8日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。
衆議院議員(3期)、福島県議会議員(1期)、ユナイテッド・パワー株式会社監査役を歴任した。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 生い立ち
福島県立安積高等学校、早稲田大学商学部卒業。
当時参議院議員だった石原幹市郎の秘書を経て、1983年に福島県議会議員となった。1986年の衆院選で旧福島1区から無所属で立候補も42575票で6位に終わり落選。
[編集] 衆議院
1990年の衆院選では同じく旧福島1区から無所属で58301票を集め、トップで初当選。選挙後、自民党に追加公認される。1993年の衆院選では、自民党公認で旧福島1区から出馬し金子徳之介77268票・根本匠64503票に次ぐ60367票で当選する。
1994年、自民党を離党し新党みらいの結成に参加した後、新進党に合流するが1996年の衆院選で福島2区より出馬、根本100102票に対し、88661票の次点で落選。その後、民主党に入党し、2000年の衆院選では同党公認で出馬したが根本116835票に対し、80005票で次点落選する。
背水の陣で臨んだ2003年の衆院選では、根本108838票に対し、94514票の惜敗率86.8%で比例東北ブロックで3期ぶりに返り咲き、3回目の当選。議員年金の完全廃止を主張したが、2005年の衆院選で根本125447票に対し、100949票で比例復活できず落選した。衆議院選挙の戦績は3勝4敗。
[編集] 参議院
佐藤雄平が福島県知事選挙に出馬のため辞職し行われた、2007年4月22日投開票の参議院福島選挙区補欠選挙で、民主党公認・国民新党推薦で立候補し、参議院初当選。国政への復帰を果たした。
2007年9月、民主党ネクスト経済産業大臣に就任。
[編集] 政策
- パチンコ
- パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザーを務めており、パチンコ業界との関係を持つ[1]。
- 在日外国人の参政権
- 2008年1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が民主党内に発足し、参加する。
マルチ業者から報酬を受領 2008年11月、増子がインターネット機器販売会社「ユナイテッド・パワー」(東京都新宿区)の監査役に就き、月20万円の報酬を得ていたことが報道された[2][3][4]。
このユナイテッド・パワーは、2007年8月、マルチ商法に絡んで経済産業省から特定商取引法に基づく連鎖販売の新規契約や勧誘を半年間禁じる業務停止命令の処分を受けた[3][4]。
増子は2007年9月から民主党の「次の内閣」(ネクストキャビネット)で経済産業担当を務めており[4]、民主党はマルチ商法で処分をされていた会社の監査役を監督官庁(経済産業省)のネクスト大臣に任命していたことになる[3]。
マルチ業者にパーティー券を販売 増子の紹介により、ユナイテッド・パワーが2005年5月と2006年5月に都内で行われた民主党のパーティー券を各150万円ずつ、合計300万円分を購入していたこともわかった[2][3][4]。
[編集] 脚注
- ^ pcsa会員リスト
- ^ a b 『民主・増子議員がマルチ業者監査役=業務停止命令後も報酬月20万円』時事通信社、2008年11月3日。
- ^ a b c d 坂田達郎・奥山俊宏・織田一『民主・増子議員、問題マルチの監査役 党のパー券も仲介』朝日新聞社、2008年11月3日。
- ^ a b c d 松本惇『マルチ商法:民主の増子参院議員が監査役で報酬』毎日新聞社、2008年11月3日。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
ましこ輝彦(公式サイト)

