志村けん
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| 志村けん | |||
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| 志村けんの木(東京都東村山市、2008年2月9日撮影) | |||
| 本名: | 志村 康徳 | ||
| 生年月日: | 1950年2月20日(58歳) | ||
| 出身地: | 東京都東村山市 (旧北多摩郡東村山町) |
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| グループ名: | ザ・ドリフターズ | ||
| 事務所: | イザワオフィス | ||
| 活動時期: | 1972年 - 現在 | ||
| 公式サイト: | ・志村けん オフィシャルサイト ・ken's blog 志村けん公式ブログ |
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| 受賞歴 | |||
| ・1999年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞 | |||
志村 けん(しむら けん、本名:志村 康徳〈しむら やすのり〉、1950年2月20日 - )は、日本のお笑いタレント。イザワオフィス所属。身長:166cm。血液型:A型。
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目次 |
[編集] 人物
日本を代表するコメディアンの一人で、ザ・ドリフターズ(以下、ドリフと表記)の一員。
愛称は「志村」「けんさん」「しむけん」「けんちゃん」「ケン坊」など。上島竜兵や桑野信義からは「師匠」、母親には本名の康徳から「やっちゃん」、また「康べぇ」などとも呼ばれる。「しむけん」について本人は「一文字(ら)くらい言えよ」とあまり気に入っていない。
ドリフ入りの頃には沢田研二、キャンディーズ、1990年代以降ではダチョウ倶楽部、矢崎滋、柄本明、藤山直美、松本人志、岡村隆史、金城武など多くの芸能人や制作関係者が大きな影響を受けたと言われる。
“日本の喜劇王”と呼ばれることもあり、ビッグ3とは一線を画する。白塗りの殿様から老婆まで幅広い芸域でコントを行うことから「憑依芸人」とも呼ばれている。
テレビで見せるイメージとは裏腹に実像は無口である。ドラマや映画、CM、クイズ番組への出演はあまりしない。
[編集] 来歴
[編集] 付き人からドリフ入り
志村憲司・和子の三男として東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)に生まれ、厳格な家庭に育つ。本名の「康徳」は、父親が徳川家康を尊敬していたことにちなみ、頭の「徳」と尻の「康」をとり、逆さにした[1]。芸名の「けん」は父親の名に由来する。
小学校時代、運動会で脱糞した事があった。東村山第二中学校時代は文化祭でよくコントをしていたといい、所ジョージ(埼玉県所沢市出身)の遠戚とバンドを組んだこともあった。東京都立久留米高等学校に進学するが、卒業間際にドリフの付き人になった際、いかりや長介に強引に東北巡業に付き合わされ、出席日数が足りなくなってしまい中退(本人の証言であるが、様々なプロフィールでは卒業となっている。一説によれば、遅れて卒業したという)。2007年3月のブログでは、高校3年当時2月に付き人になり、3月の卒業式には参加したことを述べている[2]。
はじめは由利徹の弟子になろうとした。ついでコント55号かドリフのどちらに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選び、1968年にいかりやの家まで押しかけ、玄関前で12時間正座した末に弟子入りし、ドリフの付き人となる。当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では「付き人」ではなく「バンドボーイ」(通称ボーヤ)と呼ばれていた。
加藤茶の付き人となる[3]が、1年余りで一度脱走。本人の著書では、社会勉強をするため他の付き人に伝言して辞めたというが、いかりやの許可をもらったわけではない。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の「BISTRO SMAP」に出演した際にはこの時のことを、いかりやの家に行き「1年間だけ時間をください。1年経ったら戻ってきます」と言ったが、当時夫婦喧嘩の最中だったいかりやからは「うるせぇこの野郎」と無視された、と述べている。戻ってくる時はいかりやの家に行きにくかったので、加藤の家に行って頼み、加藤が個人的にいかりやに口添えし出戻り、幸い破門は免れた。その後しばらく加藤の付き人兼加藤家居候となる。無名の付き人だった志村は、運転免許を持っていないため、当時国民的人気者の加藤が運転する車の助手席にふんぞりかえったまま加藤の家に帰り、加藤を差し置いて加藤の母親に晩御飯を用意してもらい、加藤より先に風呂に入るという大物ぶりを発揮していた。
1972年、お笑いコンビ・マックボンボンを結成し、テレビ番組『ぎんぎら!ボンボン!』に出演するも、失敗に終わった(この頃の芸名は「志村健」の表記が多かった。なお「志村健」の芸名は、現在台湾で使用されている)。しかし荒井注の脱退により、見習い期間を経て、1974年に正式にドリフのメンバーとなる。なお、この時リーダーのいかりやは、荒井やいかりやと同年代の新メンバーの加入を検討していたが、加藤の推薦により若手の志村が起用された。
[編集] 「東村山音頭」でヒット
ドリフの正メンバーになって2年間ほど(この頃の芸名は「志村ケン」の表記もあった)はギャグが全く受けずスランプ状態であったが、『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったことにより、一躍人気者となる。きっかけは1976年3月6日の新潟県民会館での公開生放送での同コーナーで、新潟にちなんだ歌として「佐渡おけさ」を全員で歌い、その後にゲストやドリフメンバーの故郷の歌をそれぞれ歌うという趣向であった。そこで志村は地元の「東村山音頭」を披露することになり、制作段階でリメイクを施して4丁目が完成。これがいいということで、更にリーダーのいかりやが3丁目を作詞・作曲し、志村の作詞・作曲による1丁目が加えられて、この3曲を本番でまとめて歌ったところ、以後も「毎回このコーナーの最後に歌った方がいい」ということになり、遂には各丁目ごとの衣装が作られるまでになり、特に1丁目は毎回様々な衣装で観客や視聴者を笑わせた。志村の「東村山音頭」は東村山市の知名度向上にも大きく寄与した(詳しくは後述)。
ドリフのコントでは大概ボケ役だったのでボケのイメージが強いが、マックボンボン時代はツッコミ役であり、『全員集合』でいかりやがポリープの手術後で声を出せない時に、メインのコントでいかりやの代役としてツッコミ役を演じたこともある。『全員集合』の後半コントなどでも女性歌手や加藤をボケ役に立て、自らはツッコミ役に回るコントもあった。1980年代後半以降の自らの冠番組でもツッコミ役が相当あり、現在も『バカ殿様』でダチョウ倶楽部相手にツッコミを入れて落とすことがある。『NHK紅白歌合戦』の応援コーナーでビートたけしとコントを演じた際も、ボケ役はたけしが演じ志村はひたすらツッコんで話を展開させていた。志村の多芸さがうかがい知れる。
この頃、同じ渡辺プロダクション所属の沢田研二とのコント内でのやり取りと息の合ったコンビネーションが絶大な人気と話題を呼ぶ(志村らドリフはその後渡辺プロ子会社の「イザワオフィス」に移籍)。沢田は現在も志村のギャグセンスを高く評価している。
1981年には仲本工事と共に競馬のノミ行為で書類送検された。当時の新聞の社会面やトップを飾り、朝日新聞の見出しは「ノミ馬券だョ!全員集合」であった。賭けた金額が1万6千円と仲本に比べてはるかに小さかったことから起訴猶予処分となったが、この事件以降暫く『全員集合』などへの出演を見合わせ、当時ドリフ全員で出演していた永谷園のふりかけのCMも、志村・仲本を除く3人のみが出演しているバージョンに改められた。
[編集] 冠番組へ
『全員集合』終了後は、加藤をボケ役、自らをツッコミ役とした番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に出演。『全員集合』を終了に追いやった裏番組の『オレたちひょうきん族』を逆に終了に追い込んだ。その後、自身をメイン出演者とした初の冠番組『志村けんの失礼しまぁーす!』(日本テレビ)、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)、現在も続く『志村けんのバカ殿様』などでドリフメンバー以外との活動が多くなる。 この頃からドリフとは一線を画す独自のコントスタイルを確立し、第2の人気ピークとなる。
1988年の大晦日には、当時フジテレビアナウンサーであった山中秀樹と共に『デイトライン特別版』のキャスターを担当した。
[編集] 死亡説
1996年9月から10月頃、突如として「志村けん死亡説」が流れた。順風満帆に歩んできたと思われがちな志村だが、死亡説流布の前後にはレギュラー番組がない低迷期があり(アドリブ話芸や天然ボケ系タレントが全盛となったこともある)、テレビで見かけなくなったのが騒動の背景にあると思われる。以下に原因とされるものを列記する。
- 説が流れる直前の夏にゴルフ場でちょっとした脱水症状になったこと。
- その前後に飲み屋で志村が「俺もうダメかも知れないよ」と言ったこと(しかし、本人が本当に言ったかどうかは定かではない)。
- ゴールデンタイムの志村の番組が終わったこと。
- 東京都内で同姓同名(漢字は異なる)の老人が亡くなり、新聞のおくやみの欄に載ったこと。
この4つがミックスされて噂となり、志村の故郷・東村山の女子中高生の間から広まったとされる。最初は「死亡か?」という程度だったが、段々エスカレートして「群馬県のゴルフ場で急死した」、「宇都宮のがんセンター(栃木県立がんセンター)で死んだ」、「死んだことは四十九日法要が過ぎてからでないと公表されない」、「今放送している番組は生前に撮り溜めしたもの」などと具体的な内容の噂(都市伝説)に発展。栃木県立がんセンターが「志村さんは入院していない」という異例の声明を出すに至り、9月28日には本人がインターホン越しに記者会見し健在をアピールした。
死亡説がデマであることが判明した直後に収録された『ドリフ大爆笑』の「公開コント」(母ちゃんコント)では、加藤に「あ、知ってる、志村けんって死んだってよ」とネタにされ、本人が苦笑しながらツッコんだ。また翌年の『志村けんのバカ殿様』ではお笑いコンビ・猿岩石との「母子コント」で「母ちゃんだって、死んでたって噂になってたよ」などギャグにされ、母親役の志村は「その頃『電波少年』で旅をしていたのになんで知ってんだよ」とやり返していた。
[編集] その後から現在
1997年後半以降、バラエティ番組のゲストとして呼ばれることが多くなった。また、子供の時にテレビで志村を見て育った芸能人などから再び注目され始め、第3の人気ピークとなる。
1998年12月30日夜、TBSの『21世紀プロジェクト〜年越し30時間テレビ 今日だけお見せ数々の名番組大集合!〜』の後半に、加藤と共に出演。
古畑任三郎の犯人役のオファーを断るなど、映画やドラマには出演しない姿勢を一貫していた志村だったが、1999年の映画『鉄道員(ぽっぽや)』に俳優として出演した。自宅の留守番電話に主演の高倉健直々の出演依頼のメッセージが残されていたため断れなかったという。この時の録音テープを家宝として保存している。
『バカ殿』で共演していた先輩コメディアンの東八郎に「東さんはいい歳になってもなぜ馬鹿な演技ができるのか」と尋ねた時、東から「芸人が本当は利口だと思わせようとしたり、文化人面(づら)したりするようになったらおしまい」と言われた。志村はこの言葉に深く感銘を受け、東に尊敬の念を抱いていたと何度も発言している。
1990年代半ばあたりまでの志村は非常に照れ屋で、フリートークが苦手だったため、トーク主体のバラエティ番組への出演はほとんどなかった。トークバラエティ番組に出た時は歓迎されたが、やはりツッコミが主な仕事であった(これは他のドリフメンバーにも共通する特徴であった)。当初はほとんどがコント用のかつらにメイクをした姿(変なおじさん、バカ殿等)での出演であったが、これはそれまでコント一筋だった志村にとって、バラエティ番組に出演することは勝手が分からず気恥ずかしいという気持ちからである。「自分自身のことを語るトーク番組の出演は苦手であり、地声は低音である」と、2002年5月29日にOAされた『わたしはあきらめない』(NHK制作)で語っている。しかし、その後ナインティナインやダウンタウンの番組に頻繁にゲスト出演する経験を経て、素顔でも出演するようになった。
2001年、「けん♀♂けん」として、研ナオコとのデュエット曲「銀座あたりでギンギンギン」をリリース。2002年4月、ハロー!プロジェクト所属のミニモニ。と共に「バカ殿様とミニモニ。姫」として活動。持ちギャグの「アイーン!」を冠した曲を歌った。
2001年12月、共演していたタレントで志村の「弟子」的存在だった田代まさしが、男性宅の風呂を覗き見及び覚醒剤所持で逮捕された事に対し、桑野信義と共に「あいつは最低なことをしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。
2004年12月7日、東京都三鷹市内の自宅に泥棒が侵入し、時計や宝石類1000万円相当と現金40万円を盗まれる被害に遭った。本人は会見で「ちゃんと仕事して金稼いで下さい」と犯人にコメントし、最後に「だいじょうぶだぁー」と締めた。ペットの犬たちはラブラドールで人懐こいため泥棒に吠えず「番犬にならない」と語っていた。また、ホームセキュリティに加入していたにも関わらず、警備員が駆けつける前に盗難被害に遭ったことも話題となった。
2005年、ビートたけしと組んで1時間半のコント番組『たけし☆志村 史上最強の爆笑スペシャル!!』を制作。ダチョウ倶楽部やたけし軍団の一部も参加した。番組の最後には志村が三味線、たけしがタップダンスを披露した。
現在では健康オタク、動物愛好家としても知られ、それに関する番組のレギュラーを持つ。そのためか、最近ではお笑いタレントと言うよりコメンテーター色が強くなっている。ただし、現在のトーク主流のテレビ番組のあり方については、自説としていくつかの雑誌などでのインタビューで疑問符を投げかけている。
[編集] エピソード
- 送迎用にロールス・ロイスを所有しているが(おそらく志村のマネージャーが運転しているものと思われる)、彼は自動車の運転免許を持っていない。ただ、『人気者でいこう!』の企画で教習所で車の運転をした事はある。
- 父親は元軍人で、戦後は小学校教諭となり教頭迄昇進した。しかし、志村が中学生の頃に自宅前で交通事故に遭って以来認識障害(と思われる状況)となり、志村がドリフ入りを決意した頃には物事の判断がほとんど出来なかったという。志村の爺さんコントは「この時期の父親をモデルにしたもの」と自身の著書で明言している。母親は氷川きよしの大ファンで、『バカ殿』のコントにも出演したことがある。
- 2001年9月24日放送の『世界絶叫映像もろ見え超びっくり人間大集結ギネス来襲スペシャル』(日本テレビ系)で円周11.0mのフラフープを30秒間で24回転させ、「世界で最も大きなフラフープを(30秒間)回した人」として当時のギネス世界記録に認定された。2002年1月5日放送の『世界絶叫映像もろ見えびっくり人間緊急来日ギネス爆裂スペシャル』(日本テレビ系)では、志村と同じ記録を持つスペインの女子高生(当時)と対決。志村は11.5mをクリアしたものの、12.0mは16秒で失敗し、相手に世界記録保持者の座を譲った。なお、2005年8月現在のギネス世界記録保持者は元Wの辻希美と加護亜依。
- 2004年、『全員集合』コントで、いかりや長介に攻撃するシーンは「本気でやっていた」と加藤茶に言われ、本人も認めた(他のメンバーも大同小異であった)。しかし、お笑いに関しては完璧主義者だったいかりやがそれを求めていた部分もある。
- 日本だけでなく、台湾(『だいじょうぶだぁ』)、タイ(『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』)、インド(蚊取り線香のCM)でも知名度が高い。イランの政府高官が「国賓として招きたい」と言ったり、レンタルビデオショップには志村の特設コーナーもある。また、六本木で出会ったアメリカ兵に「お前はアメリカに行くべきだ。俺の部隊の連中は、みんなお前が大好きだ」と言われたこともある[4]。
- 日本中央競馬会の馬主である(本名の志村康徳名義)。所有馬の1頭のアイーンベルがデビューした日には阪神競馬場の来賓者席から応援していた。志村は他に「ケンエックス」「ミツノアジ」「トノノオナリー」などという名の馬も所有している。
- 太地喜和子は志村の熱心なファンであった。志村の著書によると、若い劇団員に対し「ね。志村さんのお婆さんは本物に見えるでしょ。先ずは、そう見えるかどうかが大事なのよ」と言ってくれたという。太地は『志村けんのだいじょうぶだぁ』の常連ゲストとして度々出演し、太地の急死直後には追悼番組が放映された。
- 都立久留米高校のサッカー部にGKとして在籍。志村入学の31年後、このサッカー部には後に日本代表選手として活躍する中村憲剛が入部している。
- タカアンドトシが自身の持ちギャグである「欧米か!」をこのまま続けて行くべきか真剣に悩んでいた際に、「このままずっとやり続けるべきだ」と励ました[5]。ちなみに志村はタカアンドトシを気に入っている。
[編集] 嗜好
酒とタバコが大好きで、共演者や芸人仲間と一緒に嗜むことが多い。『だいじょうぶだぁ』などのコントに登場する酒は本物を使い、コント中にタバコを吸っている場面も多く見られた。ドリフ全員がホノルルマラソンに出場した時、志村が途中棄権した後の第一声が「タバコ吸いたい」だったほどである。現在愛用しているタバコの銘柄は、アメリカンスピリット・メンソールウルトラライトフィルター。それ以前には、カールトン・スリム・メンソールを数年間吸っていた。
笑いのネタは実際に身の周りにある人物や出来事からヒントを得ることがほとんどで、あまり奇想天外なものは自分の感覚には合わないと述べている。そのため漫画やアニメの類を嫌悪し(「非科学的と現実の区別がつかなくなっては人間としてダメになる」と批判もしている)、週刊誌などでも漫画は常に読み飛ばす。一方でコントの勉強のため、かなりの映画を見ている。一時期は「家の床が抜け落ちるくらい映画のビデオテープを買っていた」という。
髪型にもこだわりがあり、ミッキー・ロークに憧れて髪を伸ばし長髪にしたこともある。
大の犬好きであり、ゴールデン・レトリバーなどの大型犬を自宅内で数匹飼っている。
潔癖症で知られる。礼儀礼節はもちろんのこと、身嗜みや掃除、整理整頓に煩く、ちょっとでも乱れていると怒号する。
[編集] 音楽
ソウル・ミュージック、ファンク、ジャズなどの音楽にも造詣が深く、初期のジェリー・リー・ルイスに強い影響を受けたとのこと。ヒゲダンスで使用されたBGMはテディ・ペンダーグラスの「Do Me」のベースラインをサンプリングしたものだが、これは当時ソウル・ミュージックを好んで聴いていた志村が探し出して推薦したものである。また、かつて音楽誌『jam』でソウル・アルバムのレビューを書いていたこともある。
ドリフにおける担当はキーボード。過去のバンド演奏でキーボードを弾いている姿が見られる。しかし、高木ブーは「ギターだった俺が荒井の担当だったキーボードになって、ギターしか弾けない志村がギター担当になった」と発言している。番組内でビートたけしのタップダンスに合わせて三味線を弾いたり、コントで霊媒師を演じた時には琵琶でギターのテクニックの一つであるチョーキングを披露するなど、元々のバンドマンとしての技能が見られる。
中学以来のビートルズファン[7]。ビートルズの日本公演を観に行った際、持参したカメラで1枚のみ隠し撮りをしており[8]、その写真をパネル化してテレビ番組で公開したことがある。その写真ではジョン・レノンが丸いサングラスをかけており、1966年7月2日公演と分かる。同日の公演は、音源・映像とも、公式には一切収録されていない。
[編集] ドリフメンバーとの関係
ドリフのリーダーであり、志村の師匠でもあるいかりや長介とは一時期(1989年から1990年代始め頃)不仲と伝えられ、実際この頃の『ドリフ大爆笑』ではいかりやと絡むコントは無く、リハーサル、撮影とも別々に行われたこともあった。また、雑誌『Switch November 1991 特集・志村けん「笑う男」』誌上では「今のいかりやさんは面白いとは思わない。実際いかりやさんとは2年以上会っていないし…」と語っていた。しかし、いかりやが亡くなった時に自宅へ真っ先に向かったのは、加藤茶と志村だった。二人ともショックでしばらく動けなかったという。
いかりやは弟子である志村が単独で活動・成功しているのが面白くないのではと言われていたが、著書の中で「志村をリーダーに第2のドリフを作って欲しい」としていることからも、近年はむしろコメディアンとしての志村の活躍を快く思っていたという見方が強い。いかりやの息子である浩一も著書で「自分の見た限りでは、特に不仲を感じることはなかった」「父さんは『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を見ては『こういう方法があるのか』と関心を示していた」と述べている。
加藤の話によると、ドリフ再集合の話が持ち上がるとたびたび嫌がったという。理由としては、いかりやとの不仲説や単独で他のドリフメンバーを遙かに凌ぐ人気と活躍をしながらドリフに戻れば一番下扱いされることが不満であったと言われる。加藤も「志村がなかなか再集合したがらないんですよ」と言っていたが、これが加藤のネタなのかどうかは定かではない。
[編集] 女性関係
58歳にして独身であり結婚歴もないが、「母に子供の顔を見せてやりたい[9]」「人恋しく、人肌恋しい[10]」とブログに載せており、いずれ結婚することは意識しているようである。
昔も今も女性にもて、いしのようことは結婚寸前まで行った。2年間の同棲の果てに内縁関係(事実婚)を主張して財産の半分を持っていった女性もいた(法律上決まりはないが、判例によると同棲期間が長いほど高額な慰謝料が発生する場合がある)が、この女性とは結婚も考えていたと直後の記者会見で語った。『ダウンタウンDX』出演時には、高校生の頃から10人くらいと同棲経験があるとコメントした。
優香、相田翔子、夏川純、ほしのあき、若槻千夏、岩佐真悠子、安田美沙子、熊田曜子などの女性芸能人20人程度とメール交換を行い、誕生日には祝福のメールを欠かさない[11]。安田美沙子、後藤真希などのお気に入りアイドル数人を携帯電話の待ち受け画面に使用してきた[12]。
2004年に自宅が泥棒の被害に遭った際、女性のお手伝いさんがいることが判明して話題になった。
志村の番組では出演する女性タレントの数が異常なまでに多く、番組内のコントによってはエキストラ全員が女性というこだわりを見せる。
大のキャバクラ好きである。
[編集] ビッグ3との関係
タモリとの共演が極めて少ない。かつて『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのゲストとして出演した際に桑野信義が志村をゲストとして呼ぼうとしたが、「俺、明日ゴルフだから」と断った(それから約10年後、作家の嵐山光三郎の紹介で初めて出演し、更に2007年にも加藤茶の紹介で出演)。『たかじんONE MAN』に出演した際「あの人(タモリ)の笑いはあまり好きじゃない」と語ったが、仲が悪いわけではなく、ただ笑いの観点が違うだけだと言われている。
明石家さんまとの共演も極めて少ない。これはさんまが得意とするトーク主体の番組を苦手としているためだが、近年ではさんまが司会を務める『さんまのまんま』をはじめ、『踊る!さんま御殿!!』や『恋のから騒ぎ』にゲスト出演している。
ビートたけしとは『神出鬼没!タケシムケン』での共演を機にお互いを尊敬し合う仲である。
[編集] 出身地・東村山市
志村はプライベートで東村山市及び自身の実家に帰ることはほとんどないというが、「東村山音頭」以来地元への貢献は絶大であり、現在に至るまで人気・評価とも極めて高い。
東村山ネタで人気が出始めた頃、地元における志村バックアップの動きは元祖「東村山音頭」を企画した東村山市農協が中心であった。その後東村山ネタが全国的なブームになり、東村山市自体も注目を集めるようになったことから、市民をあげて応援するようになっていった。
1976年7月、「東村山市の知名度を高めた」功績が認められ、当時の東村山市長の熊木令治から感謝状を貰った。当初志村の東村山ネタについて、市議会議員や教育関係者の中には眉をひそめる向きもあったが、市長から感謝状を贈られたことにより、地元での肯定的な評価が確定した。また東村山市名誉市民に叙されたという見解が流布しているが、市当局はこれを公式に否定しており、明らかに誤りである。またいかりや長介が「東村山非国民」というギャグを使用して笑いを取っていた。なお、この時に西武鉄道東村山駅東口の交番前に感謝状授与記念と志村への激励の証としてケヤキが植えられ、通称「志村けんの木」と呼ばれている。このケヤキの木は地元小中学生の集合場所の目印として使われることが多い。
1995年、東村山市商工会が主催した西武鉄道東村山駅開業100周年記念イベントで司会を務めた。駅前広場に立つ「東村山停車場の碑」前で開かれた式典の後の小規模な催しであったが、東村山市役所に勤務する長兄の紹介で出演が実現した。参加者は志村の思わぬ帰郷に大喜びであったという。
東村山市商工会は、志村にちなみ会の愛称を「あい〜ん」にしている[13]。
志村の小学校時代の同級生が社長を務める市内の和菓子店「餅萬」では、志村にちなむ「だいじょぶだァー饅頭」や「だっふんだァーどら焼き」を「東村山名物」として販売している[14]。
[編集] 持ち芸
- 『全員集合』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』などで、スイカを異常に速く食べる芸を披露した。使用したスイカはテレビに映らない裏側部分が削り取られており、身の部分は非常に薄い(通称「ドリフカット」)ものだったが、フジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』では削られていない通常のスイカでも早食いができることを証明した。
- 「あなたは神様ですか?」「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ」というギャグは、アメリカの小説『競売ナンバー49の叫び』の養老院のシーンからの引用という説がある。
- 様々なキャラクターに扮しているが、その中でのお気に入りベスト3は、という質問をされたとき、志村は「バカ殿様、変なおじさん、そして一番はひとみ婆さん」と答えた。
- 2008年6月21日放送の『志村どうぶつ園』のロケで、目を細め五木ひろしのものまねをして見せた。
[編集] 『8時だョ!全員集合』・『ドリフ大爆笑』時代
- 東村山音頭
- 童謡の替え歌
- 「カラス、なぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」の元ネタは「七つの子」で、裏番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』内コーナー「レコード大作戦」の視聴者投稿作品でもあった。当初は少年少女合唱団のコーナーで披露されたが、好評を博したため、冒頭のコント内で披露された。突然カラスの操演物(可動式のぬいぐるみ)が登場し、鳴き声を発するのを合図に歌われる。最後に威張り口調で「ありがとうございました!」と言って締める。三船敏郎はこの歌が大好きであった。
- 「ぞうさん」の「かあさん」の部分を男性器の幼児語に替えて歌おうとしたが、途中でいかりやにどつかれてしまい、その後「そうよ、短けりゃ、ブタなのよ」という、下ネタでないバリエーションに改められた。
- 「赤い靴、履いてたら脱げた」(「赤い靴」の替え歌)
- 怒っちゃヤーヨ!
- この時の腕のポーズが、後の「アイーン」となる。
- ディスコ婆ちゃん
- 1970年代のディスコソング風BGMに乗って激しく踊る。合間にしきりに「あ〜ぁ」「ゲェッ!」「サンキューベイベー」と喚く。
- キョーデー・ナンデー
- 加藤茶とのコンビ。お互いを「キョーデー」(兄弟)・「ナンデー」(何だい)と呼び合い、『ヤン坊マー坊天気予報』の替え歌を歌い始める。「小さなものから」のところでお互いの股間を指し合うが、途中で2人ともいかりやにどつかれてオチがつく。
- ジャンケン決闘
- 「最初はグー」で始まるジャンケン。仲本工事とのペア。敗者には罰ゲーム(水や膨らむ風船などをズボンに入れられる、透明ケースを頭に被せ多量の粉〈呼吸器への影響を考慮して喉の薬を使用〉を注入するなど)が待っている。後に「最初はグー、またまたグー(または「お次はチョキ」)、いかりやチョー介、頭がパー、正義は勝つ!」になった。最後の「勝つ」の部分はグーを出す。なお、本人および加藤茶によると、「最初はグー」は、ジャンケンする人数が多すぎる場合にタイミングを合わせるべく、『全員集合』の現場で始まったとのことである。これによりジャンケン掛け声の第一声に「最初はグー」と言うのが世間に広まったとされる。
- ヒゲダンス
- 加藤茶とのコンビ。エレキベースによる印象的なBGM(『「ヒゲ」のテーマ』)は、ソウルの名曲「Do Me」をたかしまあきひこがアレンジしたもの。たかしまによると、ソウル通の志村が「Do Me」のレコードを持って来て「これと似たようなBGMできないかな?」と言ったという。ちなみに付けヒゲは、振付師兼ギャグアドバイザーだった藤村俊二のトランクから拝借したと、藤村本人が語っている。
- 私ってダメな女ね
- 桜田淳子との夫婦コント。『全員集合』の後半戦で、桜田がゲスト出演するたび毎回のように披露された。何をやっても駄目な新妻・桜田を、夫・志村が事細かく徹底的に叱りまくり、叱られるたび桜田が「私って駄目な女ね。あなたの妻でいる資格なんてないわ」と泣き崩れる。その度志村がなだめて桜田をおだて、桜田が愛される幸せをかみしめる…というパターンを何度か繰り返す。ところが志村の背広のポケットから“おさわりバー・百恵”という文字の入ったマッチが出てきて(“百恵”は山口百恵のこと。桜田と同じ花の中三トリオで親友かつライバル)、逆に桜田が志村を徹底的に糾弾。志村が「私って駄目な男ね」と泣き崩れてオチがつく。パターン踏襲スタイルの古典的なコントではあるものの、志村と桜田のキャラクターと演技力に加えて、BGMや照明などの舞台効果が高度に計算されていたため、何度見ても笑えると評判になった。
- お食事タイプライター
- 上記の夫婦コントの中などでも度々行われていたギャグ。食事の前に「何かいい音楽ないの?」と志村が切り出し、相方がテープレコーダーのスイッチを入れると、ルロイ・アンダーソンの楽曲「タイプライター」が流れてくる。最初は普通に食べているが、余りのテンポの速さにせわしない食べ方になってしまい、「チーン、サッ」の音とともに素早くカメラ目線をしては元に戻るという動作を繰り返す。最後には「やめろよ! 落ち着いて食事ができないじゃないか!」と志村が切れてオチがつく。
- 借金取り
- 加藤、女性ゲストとの三人で演じる時代劇コント。志村演じる病気の父と健気に看病する娘のもとへ加藤演じる借金取りが現れ返済を迫る。加藤が「借金のカタに娘をもらってくぜ!」と言って強引に娘を連れ出そうとすると、志村が「加藤の旦那、それだけはご勘弁を!」と加藤を何度も壁に叩きつけたり、プロレス技をかけたりと散々痛めつけ、倒れた加藤が「おい、借金はいいからよ、医者呼んでくれ…」と音をあげてオチがつく。『ドリフ大爆笑』ではこのパターンをTV画面に映し、その傍で女性が着替えや入浴で服を脱ぐごとに志村と加藤がコントそっちのけで目移りしてしまうなどのメタ的な変化を加えた派生型のコントも存在する。
- バカ殿様
- 歌舞伎「一条大蔵譚」のパロディ。フジテレビでのシリーズが有名だが、1980年前後に『全員集合』で披露されたコントが原型と言われている。橋幸夫演じる立派な殿様の影武者として、いかにも愚者らしい白塗りの顔の志村が抜擢され、城内で大騒動が起こる…という内容だった。当時は黒澤明の映画『影武者』が話題になっており、橋幸夫も漫才コンビザ・ぼんちに物まねをされて再ブレイクしていた。
- 志村、後ろ!
- 志村の背後に現れたお化け、もしくはいかりやに志村が気づいていない時に観客(主に子供)が叫ぶ。志村が能動的に行うギャグではなく、観客の偶発的なリアクションだが、同種のコントを披露するたび「志村、後ろ後ろ!」と声が飛んでいた。このコントは後輩コメディアン達に「タイミングを合わせるのが難しいので、そう真似できる物ではない」と言われている。
- 観客のリアクションに関して、志村は番組終了後の特番で「朝からリハーサルやってんだから言われなくてもわかってるんだよ」と述懐している。生放送中の観客席に向かっても言っていたことを特番で加藤茶に暴露される(ただし真偽不明)。
- お前、それはないだろう
- 地位が上のいかりやの横暴にじっと平伏しているが、途中でいきなり強気で反論し始める。現在で言う“逆ギレ”。
- 勝手にシンドバット
- 沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」の音をコラージュし、音に合わせて両方の振り付けで踊るが、どんどん滅茶苦茶になっていく。ちなみにサザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」はこれがヒントになっている。
- ものまね
- ジュディ・オングの「魅せられて」のものまねでは、真っ白な衣装にバックライトが当たり、志村のゴツゴツした体型がシルエットになって浮かび上がる。
- ジャイアント馬場のものまねでは、「ポー」にアクセントを付けて「オッポー!」と叫んだ。アントニオ猪木のまねで「なんだ、この野郎!」と叫ぶこともあった。加藤と一緒に馬場と猪木のハリボテ面を被る場合もある。
- テレビCMのパロディ
- 宮崎美子のミノルタカメラのCMのパロディでは、BGMの「いまのキミはピカピカに光って」に合わせて服を脱ぎビキニ姿になり、腹の肉をつかんで「みやざきよしこー!」と一言。仲本や加藤が背景の木を持って補助。
- 「○○ちゃーん(アイドルの名前)、マダム・ヤーン♪」と歌いながら奇妙な手つきでからむギャグは、1982年にハウス食品から発売されたインスタントラーメン「楊夫人」(マダム・ヤン)のCMソングをモチーフにしたもの。
- 「俺達○○するかなぁ?」「分かりません」「ピッカピッカの、一年生、ビシッ!」(小学館『小学一年生』)
- アー・ミー・マー
- 英語の一人称変格のI・MY・MEからとり、志村が好きなビートルズの曲「アイ・ミー・マイン」("I Me Mine")にヒントを得て変化させたもの。学校コントの英語授業で、いかりやが志村を指名して変格を言わせる際のお決まりとなっていた。以後、ユー・ユア・ヨー(YOU・YOUR・YOU)、ヒズ・ヒム・ヒー(HE・HIS・HIM)、シー・ハッ・ハー(SHE・HER・HER)と続き、シー・ハッ・ハーの時は一段と声を荒げ、おかしな顔をして笑いをとる。「正しい英語教育の支障になる」と、「カラスの勝手でしょ」と共にPTAから槍玉に挙げられたが、居作昌果は著書『8時だョ!全員集合伝説』にて「日本に正しい英語教育そのものが存在していない」と反論している。
- その他
- 「5秒前!、4、3、2、1」「デーン」「ビシッ!」(加藤茶とのペア)
[編集] 『加トちゃんケンちゃん』・『だいじょうぶだぁ』以降
- だいじょうぶだぁー、ウェ、ウェ、ウェ
- 3連の団扇太鼓を叩きながら「だいじょうぶだぁー」「ウェ、ウェ、ウェ」と言い、相手もその都度同じことを繰り返す。「ウェ、ウェ、ウェ」は「ウァ、ウォ、ウェ、ウィ」など時々変わる場合がある。
- 志村の兄が福島県喜多方市の女性と結婚し、その家に志村が遊びに行った時に、そこの家のお父さんから「あがっせ、あがっせ、だいじょぶだぁ」さらに「食べっせ、食べっせ、だいじょぶだぁ」と言われたのが起源となる。他説、岩手県西和賀町にロケで宿泊した旅館の夕食の際、珍しい郷土料理を見て「これ、食べても大丈夫ですか?」との質問に、親父さんが「だいじょうぶだぁ、クェ、クェ、クェ(食べなさいの意)」と答えたのが語源となった。
- 変なおじさん
- 「何だ、チミ(君)はってか? え?」「そうです、私が変なおじさんです!」
- 変なおじさんがコントのオチで言うセリフの「だっふんだ」は、桂枝雀の落語に出てきた「偉い人のくしゃみ」が「だっふんだ」に聞こえたのがきっかけ。「♪あはは、うふふ、えへへのおほほでだっふんだ」の歌は、三遊亭金馬 (4代目)らの人気番組『お笑い三人組』のメロディーを使用している。
- アイーン
- もともと「アイーン」というセリフはなく、“怒っちゃヤーヨ!”のポーズだった。
- のちにプロ野球選手のアレックス・ラミレスが、本塁打を打った後にテレビカメラに向かって行うパフォーマンスの一つとして使用した。
- ウンジャラゲ
- クレージー・キャッツのカバーだが、歌詞と振り付けの一部がオリジナルとは異なる。
- ひとみ婆さん
- メガネをかけた手の震えるばあさん。「ひとみと申します。ひぃちゃんと呼んでください」。
- その他
- 爺さんや、婆さんや(田代まさしとの掛け合い)
- ご、ご、ご、5時!?(いしのようことのコンビ)
- しょうゆ、ラー油、アイラブユー。仲直り!(いしのようことのコンビ)
- 糸まきまき、糸まきまき、ひいてひいてとんとんとん
- いいよなおじさん(「○○はいいよなぁー」と言って、勝手に人のものを食べたりするが、何故か憎めない)
- いえいえおじさん(小心者で「いえいえ…」と遠慮するが、結果的にヤクザを退治したり、トラブルを解決してしまう。本人は割と気に入っていたキャラだったそうだ)
[編集] 志村けん一座
「理想のお笑い」を追求すべく、2006年4月に東京芸術劇場で『志村魂(しむらこん)』と銘打って公演。前半に「バカ殿様」とコント1本、後半は藤山寛美の作品『一姫二太郎三かぼちゃ』をラサール石井がリメイクした舞台を上演した。2007年6月には、東京芸術劇場と中日劇場で第2弾『志村魂2』を上演。第1弾の演目に加え、「津軽三味線」が上演された。2008年5月から7月にかけては、全国で第3弾『志村魂3』を上演。後半に藤山寛美の作品『人生双六』をリメイクした舞台を上演した。
[編集] 主な参加タレント
(1)は「志村魂」、(2)は「志村魂2」、(3)は「志村魂3」での参加者。
- 地井武男(1)(2)
- ダチョウ倶楽部(1)(2)(3)
- 多岐川裕美(1)
- 山口もえ(1)
- 及川奈央(1)
- くまきりあさ美(1)
- 池田鉄洋(1)
- 美保純(2)
- 森下千里(2)
- 吉井怜(2)
- 小林恵美(2)(3)
- 桑野信義(3)
- あめくみちこ(3)
- 原史奈(3)
- 相澤仁美(3)
- 坂本あきら(1)(2)(3)
- 清水宏(1)(2)(3)
[編集] 主な参加スタッフ
- ラサール石井(1)(2)(3)
- ケラリーノ・サンドロヴィッチ (1)
- 妹尾匡夫
- 朝長浩之(1)(2)(3)
[編集] その他
[編集] 出演
この節では志村自身の出演作品を記述する。
ザ・ドリフターズとしての出演はザ・ドリフターズを参照
[編集] テレビ
- 志村屋です。(フジテレビ、水曜日25:08〜25:38放送)
- 志村けんのバカ殿様(フジテレビ、毎年正月、春と秋の番組改変期の19:00〜20:54放送)
- 本名の志村康徳として構成も担当している。
- 天才!志村どうぶつ園(日本テレビ、土曜日19:00〜19:54放送)
- 志村&所の戦うお正月(朝日放送・テレビ朝日、毎年1月1日午後放送)
- 志村けんの南国美女探し(テレビ朝日)シリーズ特番
- 志村けんの激ウマ列島(テレビ朝日)シリーズ特番
- 志村&鶴瓶のあぶない交遊録(テレビ朝日、毎年正月放送)
- ダウンタウンDX(日本テレビ) - 不定期出演
- 史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ(TBS、毎年お正月放送)
[編集] 以前の出演番組
- 笑っていいとも!(フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト
- ぎんぎら!ボンボン!(日本テレビ)
- シャボン玉ボンボン(日本テレビ)
- 志村けんの失礼しまぁーす!(日本テレビ)
- 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBS)
- KATO&KENテレビバスターズ(TBS)
- 志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ)
- 志村けんはいかがでしょう(フジテレビ)
- 志村けんのオレがナニしたのヨ?(フジテレビ)
- けんちゃんのオーマイゴッド(フジテレビ)
- 志村X(フジテレビ)
- 変なおじさんTV(フジテレビ)
- 志村流(フジテレビ)
- 志村塾(フジテレビ)
- 志村通(フジテレビ)
- 志村けんのだいじょうぶだぁII(フジテレビ)
- ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー(テレビ朝日) - 準レギュラー
- 神出鬼没!タケシムケン(テレビ朝日)
- 集まれ!ナンデモ笑学校(テレビ東京)
- 発掘!あるある大事典II(関西テレビ)
- 加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!(フジテレビ、1998年12月19日)
- 爆笑伝説!志村けんの変なおじさんVSネプチューン大決戦!!(フジテレビ、1999年12月7日)
- わたしはあきらめない(NHK、2002年5月29日)ゲスト
- 愛のエプロン(テレビ朝日)
- 志村けんだよ大集合!! コントとトーク大放出 タノシムケンSP!!(TBS、2008年4月1日) - 単発もの
[編集] ラジオ
- 志村けんのFIRST STAGE〜はじめの一歩〜(JFN)
- 志村けん&中山秀征のい〜んでないの?!(TBSラジオ、終了)
- 沢田研二・志村けんのジュリけん(2001年10月6日 - 2003年3月30日、文化放送)
[編集] 映画
[編集] テレビCM
- 餅つき機「力じまん」(タイガー魔法瓶、加藤茶と共演、1976年)
- マックロードL6O&SS(松下電器産業、仲本工事と共演、1979年)
- パンシロン胃腸内服液(ロート製薬、加藤茶と共演、1984年 - 1985年)
- アースノーマット(アース製薬、最初は森光子と共演し、その後単独出演となった、1984年 - 1989年)
- アースレッド(アース製薬、森光子と共演し本人はゴキブリの声を演じた)
- ごきぶりホイホイ(アース製薬、森光子と共演)
- ダニアース(アース製薬)
- PCエンジンソフト カトちゃんケンちゃん(加藤茶と共演、ハドソン、1987年)
- フルーツ村(カゴメ)
- 六条麦茶(カゴメ、1989年)
- あっさり焼肉(カゴメ、1990年)
- サッポロボーイ ケンちゃんラーメン(サンヨー食品)
- CMは撮り直しこそするものの、最後のセリフはいつも「ケンちゃんラーメン新発売!」だった。発売後約8年間もの長きにわたって「新発売」と言われていた。
- ツインインバーターエアコン、ツインロータリーエアコン(東芝、1990年)
- ライツ(サントリー、1992年)
- ビタシーゴールド(常盤薬品工業、1999年)
- SANKYO(2000年 - )
- カール(明治製菓、2001年)
- 明治アーモンドチョコ(明治製菓、米倉涼子と共演、2002年)
- アースジェット(アース製薬、最初は単独出演し、その後須賀健太と共演、2002年 - )
- 日本アジア航空(金城武と共演、2000年 - )
- アリコジャパン(高木ブーと共演)
- ペティオ(ヤマヒサ)
- プチシルマ(レダ、研ナオコと共演、2005年 - )
- 麒麟淡麗グリーンラベル 『ホームランダヨ篇』『ピクニックダヨ篇』『タコアゲダヨ編』(キリンビール、2006年 - )
- 西武園ゆうえんちアイススケートリンク
[編集] CD・レコード
- 東村山音頭(1976年)
- ウンジャラゲ(1988年、植木等が1969年にリリースした曲のカバー)
- けん&マーシー「婆様と爺様のセレナーデ」(1993年、田代まさしとデュエット、『志村けんのだいじょうぶだぁ』発のユニット)
- けん♀♂けん「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」(2001年、研ナオコとデュエット、つんくプロデュース)
- バカ殿様とミニモニ姫。「アイ〜ン体操/アイ〜ン!ダンスの唄」(ミニモニ。と共演、2002年)
- パラパラ東村山音頭(2002年頃、東村山市内限定販売)
[編集] ゲーム
- ハイパーオリンピック殿様版(ファミリーコンピュータ、コナミ、1985年。『8時だョ!全員集合』のバカ殿様コントで使用されたものが後に市販された)
- カトちゃんケンちゃん(PCエンジン、ハドソン、1987年。加藤茶と共演)
- 志村けんのバカ殿様 爆笑天下統一ゲーム(ゲームボーイアドバンス、TDKコア、2002年12月6日)
[編集] エッセイなど
- 変なおじさん(日経BP社)
- 変なおじさんリタ〜ンズ(日経BP社)
- 志村流 金・ビジネス・人生成功の哲学(マガジンハウス)
- 志村流 遊び術(マガジンハウス)
- 志村けん わたしはあきらめない(KTC中央出版)
- これでカラダだいじょうぶだぁ!〜志村けんのズボラ健康塾(アスコム)