流山市

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流山市
ながれやまし
日章旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県 
団体コード 12220-3
面積 35.28km²
総人口 158,608
推計人口、2008年10月1日)
人口密度 4,500人/km²
隣接自治体 千葉県:松戸市柏市野田市

埼玉県:三郷市吉川市

市の木 ツゲ
市の花 ツツジ
{{{シンボル名}}} {{{鳥など}}}
流山市役所
所在地 〒270-0192 千葉県
流山市平和台一丁目1番地1
電話番号 04-7158-1111
外部リンク 流山市

流山市位置図(千葉県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
流山市 市章(1957年町章として制定)
テンプレート (ノート 解説) 日本の市町村PJ

流山市(ながれやまし)は、千葉県の北西部、東葛飾地域にあるである。

目次

[編集] 地理

千葉県の北西部、関東平野の中に位置する。東京都心からの距離は約30km。市の西境を江戸川が南北に流れていて、江戸川の対岸は埼玉県である。江戸川に沿った市の西部は平坦な低地であり住宅地や農地が多い。市の東部には高低差のある台地になっている地域もある。

市役所等があるのは、江戸時代から栄えていた流鉄流山駅周辺の旧市街地である。流山市北部は江戸川台地区を中心に住宅区画がされていて、この地域は柏市と関係が強い。流山市中央は首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線開通に伴い開発がされ、総合運動公園、市内唯一の文化会館、全天候型プールなど、文化施設が多々存在する。流山市南部は住宅地や水田、畑が広がるがこちらも大規模開発が予定されている。南部は隣接する松戸市との関係が強い。全体的には東京近郊のベッドタウンとして住宅地が多くなっている。

[編集] 河川等

[編集] 隣接している自治体

[編集] 柏市との関係

流山市と柏市との関係は非常に深い。県立高校の学区、電話番号の市外局番が共通である他、国道6号旧水戸街道の柏市寄りの流山市内の店舗等は、流山市内にあるにも関わらず、「柏店」「南柏店」「柏支社」といった店名、事業所名を使っている店舗、会社を多く見うけられる。また、住宅広告等も「南柏・松ヶ丘」などと記載されている場合も多く、住所を確認しないと柏市内と勘違いしてしまう。東武野田線豊四季駅も柏市に属するものの、市境に近いため、流山市在住者の利用者も多い。

柏市と流山市の市境は、柏市柏の葉・みどり台・西原・西柏台・豊四季・今谷上町と流山市駒木台・青田・江戸川台・東初石・野々下・長崎・松ヶ丘・向小金・名都借などの間で複雑に入り組んでおり分かりにくい。柏市立光ヶ丘小学校は柏市内が通学区だが、校地の9割以上は流山市であり、住所も流山市向小金となっている。また逆に、流山市立八木北小学校は校地の一部が柏市である。このように、近所に小中学校があるにもかかわらず、他市のため、市内の離れた小中学校に通わなければならないなど、不便な問題も多い。県立高校も、我孫子市鎌ケ谷市野田市とともに千葉県第3学区に属しており、両市の間で通学の流れがある。つくばエクスプレスが開業し、両市が直につながった為、さらに柏市と流山市の関係は深まると思われる。

[編集] 歴史

[編集] 近世以前

下総国に属する。18世紀頃から江戸川の水運のための河岸ができ、みりんの製造で栄えた。幕末期には新選組が本陣を置いたが、新政府軍に包囲されたため隊長の近藤勇が出頭し、盟友土方歳三との離別の地となった。

[編集] 近代以降

  • 1869年 (明治2年) 市域内は葛飾県に入る。流山に葛飾県庁が置かれた。
  • 1871年 (明治4年) 葛飾県が印旛県に統合。(県庁は市川市行徳
  • 1872年 (明治5年) 流山(旧葛飾県庁)に印旛県庁が置かれる(公式には佐倉だが、庁舎建設が間に合わなかった)。
  • 1873年 (明治6年) 印旛県が千葉県に統合。
  • 1889年 (明治22年) 南西部に流山町、北西部に新川村、東部に八木村が置かれる。
  • 1911年 (明治44年) 新川村・八木村に千葉県営鉄道(現:東武野田線)が開業。
  • 1916年 (大正5年) 流山軽便鉄道(現:流鉄流山線)運行開始。
ウィキソース
ウィキソース江戸川町を置く件の総理府告示文があります。
ウィキソース
ウィキソース流山町を流山市とする件の総理府告示文があります。
  • 1967年 (昭和42年)1月1日 市制施行。
  • 1973年 (昭和48年) 武蔵野線開業。
  • 1992年 (平成4年) 常磐自動車道の流山IC開業。
  • 2005年 (平成17年) 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線開業。
  • 2007年 (平成19年) 市制施行40周年。

[編集] 人口

流山市と全国の年齢別人口分布図(比較) 流山市の年齢・男女別人口分布図
紫色は流山市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 106,635人
1985年 124,682人
1990年 140,059人
1995年 146,245人
2000年 150,527人
2005年 152,641人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

流山市役所

債務は10億円以上と厳しい財政になっている。このようなことからも、市民の地域政治の積極的参加が求められている。

  • 市長:井崎義治(2003年から)

[編集] 流山市議会

  • 定数 28人

[編集] 会派構成

(2007年7月26日現在)

会派名 人数
流政会 12
民主・市民クラブ 6
公明党 4
日本共産党 4
社会民主党 1
緑の会 1

[編集] 経済

[編集] 産業

  • 産業人口(2000年国勢調査)
    • 第一次産業 1,113人
    • 第二次産業 17,766人
    • 第三次産業 53,371人

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 国内

[編集] 地域

[編集] 教育

小学校
中学校
高等学校
大学
短期大学
専修学校
医療学校
  • 私立医療学校
    • 勤医会東葛看護専門学校
その他学校

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

  • 市域内にないが、東日本旅客鉄道常磐線南柏駅東武野田線豊四季駅も市境から近く、関連が強い。
  • 常磐線が、当初はこの地を通る予定であったが鉄道忌避運動の影響で実現しなかったと言われている(常磐線は柏駅を通って我孫子駅に向かうルートとなっている。)。しかし実際は、常磐線を建設した日本鉄道と政府との間でのやり取りの結果、上野-南千住というルートを東京側の起点とすることが決まったため、南千住から水戸方面へ向かう際の最短ルートとなる水戸街道沿いに線路が敷設された、ということが真相とされる[3]
  • 現在の中心駅は南流山駅(JTBパブリッシングが発行している時刻表では流山駅が中心駅とされている)であるが、流山おおたかの森駅にシフトしつつある。

[編集] 道路

  • 流山市内の常磐自動車道はほとんどがトンネルになっており半地下化されているが、これも鉄道の常磐線と同じように地元住民や市民団体の猛烈な反発が原因と言われている。
  • 流山ICも計画では当初から設置が予定されていたがこの運動のためやむなく撤回された。しかし開通した後に利便性の高さから地元住民からインターチェンジの設置を望む声が出始めたため、結局公団にIC設置を要請するも今度はこれを知った公団が反発し、話し合いは紛糾。双方の譲歩の末、建設資金を流山市が負担することでIC設置が決定した。流山有料道路はこの建設資金の償還のために有料化されていると言われている。


[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 利根運河
  • 新選組流山本陣跡
  • 一茶双樹記念館
  • 江戸川花火大会
  • 市民まつり
  • 諏訪神社(通称:駒木のお諏訪さま)

[編集] 出身有名人

[編集] 電話番号市外局番

柏市野田市(それぞれ両市に合併された東葛飾郡の旧町域も含む)、我孫子市、流山市では市内局番の不足に伴い、2002年2月よりこれまでの「0471」の市外局番のうち、「71」を市内局番にまわして市外局番を「04」に変更した。 2桁の市外局番を採用したのは東京23区(03)、大阪市及び一部周辺地域(06)以外では初めて。

ところで埼玉県の「0429」、千葉県鴨川市など「0470」で、かつ市内局番の先頭が9の地域の市外局番も「04」に変更されており、これらの市外局番04地域に電話をかける場合は04を最初に回すことになる。但し天気予報は従来と同じく「0471-177」である。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 昭和27年6月20日、総理府告示第159号
  2. ^ 昭和27年11月6日、総理府告示第255号
  3. ^ 青木栄一『鉄道忌避伝説の謎』 吉川弘文館、2006年、83-95頁

[編集] 外部リンク


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