病院へ行こう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(病院へ行こう (映画) から転送)
病院へ行こう(びょういんへいこう)は、1990年と1992年に上映された日本の映画作品である。
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
目次 |
[編集] 第1作
| 病院へ行こう | |
|---|---|
| 監督 | 滝田洋二郎 |
| 製作 | 三ツ井康 村上光一 |
| 脚本 | 一色伸幸 |
| 出演者 | 真田広之 薬師丸ひろ子 大地康雄 |
| 音楽 | 高橋千佳子 |
| 撮影 | 浜田毅 |
| 編集 | 冨田功 |
| 配給 | 東映 |
| 公開 | 1990年4月7日 |
| 上映時間 | 118分 |
| 製作国 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| allcinema | |
| Variety Japan | |
1990年の作品。ある大学病院での医師と患者、そしてそれに携わる人々の人間ドラマを描いたコメディー。
[編集] あらすじ
広告代理店のコピーライター・新谷 公平(しんたに こうへい)は、妻が夜中に見知らぬ男性を自宅に連れ込んでいる現場に鉢合わせ、男性と揉み合いの末マンションの階段から転落。そんな新谷が搬送された大学病院の新人研修医・吉川 みどり(よしかわ みどり)は救急患者が苦手で点滴の針すらもさせないさま。その結果、新谷は大腿骨骨折・全治1ヶ月間と診断され、同病院の利用料が安い大部屋で入院生活を送ることとなる。だが、新谷の隣のベッドの患者は前述の男性、如月 十津夫(きさらぎ とつお)だった...。
[編集] スタッフ
- 監督 - 滝田洋二郎
- 製作者 - 三ツ井康、村上光一
- プロデューサー - 鎌田敏郎、小林寿夫、河井真也
- 企画協力 - 山田耕大
- 脚本 - 一色伸幸
- 撮影 - 浜田毅
- 美術 - 中澤克巳
- 編集 - 冨田功
- 音楽 - 高橋千佳子
- 助監督 - 萩庭貞明
- 製作協力 - メリエス
- 製作 - フジテレビジョン
[編集] 出演
[編集] 第2作「病は気から 病院へ行こう2」
| 病は気から 病院へ行こう2 | |
|---|---|
| 監督 | 滝田洋二郎 |
| 製作 | 村上光一 |
| 脚本 | 一色伸幸 |
| 出演者 | 真田広之 小泉今日子 三上博史 |
| 音楽 | 梅林茂 |
| 撮影 | 浜田毅 |
| 編集 | 冨田功 |
| 配給 | 東映 |
| 公開 | 1992年12月19日 |
| 上映時間 | 118分 |
| 製作国 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| allcinema | |
| Variety Japan | |
1992年の第2作はがん患者の女性と担当医の恋愛模様を中心にした物語で、ホスピス患者とそこに携わる病院関係者のふれあいを描いた作品である。
[編集] あらすじ
美容師・安雲 祐子(あずみ ゆうこ)は、酒を飲みすぎて病院に担ぎ込まれ、副院長・片倉 一郎(かたくら いちろう)から胃潰瘍と診断された。しかし実際はスキルスといわれる末期の胃癌で最も重傷の部類に当たる病状と判明。「少しでも長生きできるよう延命処置を取るべきだ」と主張する一郎。しかし弟であり同じく医師の片倉 保(かたくら たもつ)は「患者に苦痛のないような死に方を理解し支えるのも医者の仕事」と考え、新設されたホスピス病棟の仕事に全力を傾け意欲を燃やす。そんな中、うかつな保の言葉から自らの病気を知った祐子は、動揺を隠しきれず病院を抜け出そうとする。結局、祐子は保の勧めでホスピス病棟に入ったが...。
[編集] スタッフ
- 監督 - 滝田洋二郎
- 製作者 - 村上光一
- プロデューサー - 河井真也、小林壽夫
- 企画 - 堀口壽一、岡田裕介
- 原案 - 一色伸幸
- 脚本 - 一色伸幸
- 撮影 - 浜田毅
- 美術 - 中澤克己
- 編集 - 冨田功
- 音楽 - 梅林茂
- 助監督 - 伊原真治
- 製作 - フジテレビジョン

