東京国際空港

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羽田空港 から転送)
東京国際空港
Tokyo International Airport
(羽田空港 Haneda Airport)
IATA:HND-ICAO:RJTT
概要
日本
設置場所 東京都大田区
空港種別 商業
運営者 国土交通省
標高 6.4 m・21 ft
位置 35°33′12″N, 139°46′52″E
ウェブサイト
滑走路
方向 ILS 全長×全幅(m) 表面
16R/34L II 3000×? 舗装
16L/34R II 3000×? 舗装
04/22 ? 2500×? 舗装
リスト
国際空港の一覧日本の空港

東京国際空港(とうきょうこくさいくうこう、Tokyo International Airport)は、東京都大田区羽田空港にある第一種空港空港コードHND/RJTT。通称は羽田空港(はねだくうこう)で、付近の地名(旧町名)に由来する。

目次

[編集] 概要

1931年昭和6年)8月25日開港。東京を代表する日本最大級の空港で、国内線主体にも関わらず利用者数は世界でも有数の規模をもつ[1]日本航空全日本空輸スカイマークハブ空港である。

年間の航空機発着回数は約28万5000回[2]航空旅客数は約6667万人[3](一日あたり約18.2万人)でそれぞれ国内最大(2位はいずれも成田国際空港)。航空貨物取扱量は約85.2万トン[3]で国内第2位(一日あたり約2333トン)。

滑走路は、

  • A滑走路 (16R/34L): 3000 m×60 m、34L側にILS設置
  • B滑走路 (04/22): 2500 m×60 m、横風用、22側にILS設置
  • C滑走路 (16L/34R): 3000 m×60 m、34R側にILS設置

の3本。A滑走路とC滑走路は平行滑走路のオープンパラレル配置で、同時離着陸が可能である。

発着する便のほとんどが国内線であるが、皇族内閣総理大臣などが政府専用機を使用する場合や、国賓公賓が専用機や特別機で訪日する際は、ほとんどの場合羽田を使用する[4]。これは羽田の方が都心に近く、沿道の警備が容易という理由からである。このため専用施設としてVIP機専用スポット (V1・V2) や旅客ターミナルビルとは別棟の中に設けられた貴賓室がある。

日本では数少ない24時間運用が可能な空港の1つ(他には関西国際空港中部国際空港新千歳空港北九州空港那覇空港)である(メンテナンスや騒音の影響で完全な24時間運用が可能なのはこのうち関西国際空港のみ)。深夜から未明の時間帯にかけては国際線チャーター便や貨物便(ヤマト運輸の「超速宅急便」などの高速宅配サービスが行われている)が発着するのみとなっている。国内線の各旅客ターミナルビルの開館時間は、定期便の運航時間帯に合わせ、第1旅客ターミナル・第2旅客ターミナルとも5:00〜24:00頃となっている[3]

空港の設置及び空港機能の管理・運用は、国土交通省東京航空局東京空港事務所が行い、各ターミナルビルの管理・運用は日本空港ビルデング株式会社が行っている。

羽田空港は東京都区内にあり利便性が高い反面、騒音問題・増便規制・小型機の乗り入れ禁止などのいわゆる羽田空港発着枠問題といった、緊急に解決が必要な問題が存在する(航空法上の混雑空港にあたる)。これらの問題を解決するため現在沖合展開事業再拡張事業が行われている。空港騒音に関しては羽田空港一帯(羽田空港一丁目〜羽田空港三丁目、これらに接する地先及び水面)のみ騒音規制法(昭和43年法律第98号)第3条第1項の規定に基づき大田区長が指定する地域から除外されている。

[編集] 歴史

羽田飛行場のターミナル周辺(1937年)
現在、西側の環八通りからの入口脇に置かれている大鳥居
日本航空のマーチン2-0-2と客室乗務員(1952年)
英国海外航空のコメット(Mk.IV)

[編集] 東京飛行場時代

開港する前の旧地名は東京府羽田江戸見町(鈴木新田字江戸見崎)、羽田穴守町、羽田鈴木町(鈴木新田字宮ノ下・辰巳ノ方・巽ノ方・明神崎・鈴納耕地・堤外東南)、羽田御台場、鈴木御台場(鈴木新田字御台場・御台場耕地・辰巳島)、猟師町御台場(羽田猟師町)である。

1931年(昭和6年)8月25日、東京府荏原郡羽田町鈴木新田字江戸見崎(旧旅客ターミナル地区付近 翌年に東京府東京市蒲田区羽田江戸見町となる)に日本初の国営(逓信省管轄)民間航空専用空港東京飛行場(羽田飛行場)として開港した。日本の民間航空黎明期における重要な飛行場であった(面積53haに全長300m、幅15m滑走路1本)。

1933年には、当時「空の都」として名高かった北多摩郡立川町砂川村立川飛行場の民間航空部門が移駐してきた。この頃には日本航空輸送満州航空ハブ空港となり、大阪や福岡へ向けた国内線のみならず、満州国中華民国タイ王国へ向けた国際線の運航も活発化した。

しかしその後1937年には日中戦争がはじまり、1941年に日本がイギリスアメリカオランダなどとの間に開戦すると民間航空は事実上停止し、軍用飛行場として使用されることとなった。

[編集] 連合国管理下

1945年8月の第二次世界大戦終戦後は、日本を占領した連合国軍の1国であるアメリカ軍の管理下に置かれ、ハネダ・アーミー・エアベース(羽田陸軍航空基地)と呼ばれることとなった。同年には同空港を首都圏における主要基地の一つとして使用しようとしたアメリカ軍により拡張工事が行われたが、拡張地区内にあった既存の建造物が軒並み撤去される中、穴守稲荷(あなもりいなり)神社の大鳥居だけが更地にぽつんと残されて話題となった[5]

なお連合国の占領下の日本においては、民間航空を含むすべての日本籍の航空機による活動が禁止されていたため、当時はアメリカやイギリス、フランスなどの連合国の軍用機やパンアメリカン航空ノースウェスト航空英国海外航空などの連合国の航空会社の乗り入れのみに使用されていた。

その後日本国との平和条約が締結され、連合国による日本占領が終結に近づいた1951年10月25日には、日本籍の航空機による活動が解禁されたことを受けて、戦後初の国内民間航空定期便として日本航空のマーチン2-0-2型機「もく星号」が、羽田空港-伊丹空港(大阪)-板付空港(福岡)間の定期旅客運航を開始した。なお日本のフラッグ・キャリアとなった日本航空は、その後現在に至るまで羽田空港をハブ空港として使用することとなる。

[編集] 返還以後(東京国際空港)

1952年7月には空港施設がアメリカ軍から一部返還され、現名称の東京国際空港に改名。また同年には世界初のジェット旅客機であるデハビランド DH.106 コメットMk.Iが英国海外航空によって初就航した。

1953年には日本航空のダグラスDC-6によって、日本の航空会社による第二次世界大戦後初の国際線定期路線の就航が開始された。この頃から日本の経済状況が回復してきたこともあり、国内線の乗客が急増したみならず、スカンジナビア航空スイス航空カナダ太平洋航空カンタス航空などが就航するなど外国航空会社の就航開始が相次ぎ、国際線の旅客も急増したことを受け、全面返還に先立つ1955年には近代的な設備を持つ新しい旅客ターミナルが完成し、その後1958年に全面返還された。

[編集] 混雑

その後1960年代に入ると、ダグラスDC-8ボーイング707コンベア880などの大型ジェット旅客機が次々と就航し、日本の空の玄関口、首都の空港として国際線、国内線ともに発着回数が増え、1964年に行われた東京オリンピックの時など数度にわたり旅客ターミナルが増・改築された他、貨物施設の拡充も行われた。

しかし、同年に一般旅行者の海外旅行自由化が行われたことや、地方路線の機材大型化やジェット化が進んだなどもあり、高度経済成長期真っただ中の1960年代後半には、増大する一方の離着陸をさばくのが困難になり、A滑走路の使用を停止して駐機スポットにするなどの策も講じたが、それでも対応が難しくなった。また、旅客ターミナルの混雑や貨物ターミナルの処理能力も限界に達し、抜本的な解決を望む声が多くなった。

[編集] 成田空港完成

日本航空のボーイング747

当時の港湾土木技術では沖合移転に必要な埋め立て工事には多大な困難が予想されたこともあり、当時の運輸省は首都圏第二空港の開設を決定、1966年千葉県成田市新東京国際空港の建設が始まる。

1970年には、パンアメリカン航空と日本航空が相次いで当時の主力機材であったDC-8ボーイング707の倍以上の座席数を持つボーイング747型機を就航させ、ノースウェスト航空英国海外航空エールフランス航空などの他の乗り入れ航空会社もその後を追う。その上に、1970年代中盤には国内線を運航する全日本空輸東亜国内航空(後の「日本エアシステム」)ロッキードL-1011 トライスターエアバスA300などのワイドボディ機の就航を開始したことから、国際線のみならず国内線ターミナル、貨物ターミナルの処理能力も限界に達してしまう。

そして1978年に成田が開港すると、外交的問題から成田への移転を行わなかったチャイナエアラインを除くすべての国際線が移転した(詳細は「国際線の就航状況」の節を参照)。

[編集] 沖合展開事業の進展

上空からの俯瞰(解説付き画像

かつてのターミナルは現在地より陸地側、今のB滑走路の南端付近にあり、3本の滑走路もそれを囲むように北側に04/22が東側に15R/33Lと15L/33Rのクロースパラレルが配置されていたが、1964年海外旅行自由化以降は航空機の利用客が急増し、便数も増加できない上に国際線・国内線が同居する状態では発着する飛行機の数を捌き切れなくなり、空域では航空機同士が急接近する事が常にあった。このため、1970年代にはターミナル寄りの旧A滑走路 (15R / 33L) を事実上閉鎖して駐機場を拡張した。

新設された新東京国際空港に国際線が移転した後も、国内線の需要の急激な増加が続いたため、手狭なターミナルと2本(交差しているため同時使用はできないので、事実上は1本)の滑走路では、首都空港としてのキャパシティは既に限界を超えていた。滑走路は現在よりも市街地に近かったため、騒音に対する苦情も絶えなかった。これら空港機能の改善及び騒音対策を目的として1984年1月から東方の海面を埋め立てて空港施設を移設・拡張するという沖合展開事業(通称: 沖展)が行われた。

沖展に不可欠な埋め立て工事は、脆弱な海底地盤により難航した。沖展用地は東京港の浚渫土や首都圏の建設残土を処分する残土処理場であり、長年のヘドロが堆積した「底なし沼状態」であったことから、重機はおろか人間も立ち入れない場所が多かった。チューブの集合体の板を地中深く差し込むことで水を抜くペーパードレーン工法や、沈下する地盤をジャッキ油圧で持ち上げ空洞を特殊なコンクリートで固める工法などを駆使し、計画から完成まで約20年の歳月を経て完成した[6]。この埋め立てによって新たに生まれた土地は広大なもので、これがすべて大田区に組み込まれたことから、世田谷区は長年保っていた「東京23区で面積最大」という地位を大田区に譲ることになった。

1993年9月には新国内線ターミナルビル(第1ターミナルビル)が完成した。同ターミナルを運営する日本空港ビルデングはこれに「ビッグバード」(Big Bird) という愛称をつけたが、今日ではこれが羽田空港旅客ターミナルの総称としても用いられている。2004年12月1日に第2旅客ターミナルビルが供用を開始した。全日本空輸 (ANA) グループおよびANAグループと業務提携している北海道国際航空 (ADO) の国内線業務が同ターミナルに移転した。12月21日には第1旅客ターミナルビルに残っていた日本航空 (JAL) グループが、従来使用していた同ターミナル南ウイングに加え、ANAグループなどが使用していた北ウイングの使用を開始。その後2006年4月1日よりスカイネットアジア航空 (SNA) も第2旅客ターミナルに移転し、現在は

のそれぞれ専用ターミナルとなっている。ただしANA便名でもSFJ運行のコードシェア便である北九州線は第1旅客ターミナルから出発・到着する。

各ターミナルのシンボルカラーも、第1ターミナルはJALグループのコーポレートカラーである赤色、第2ターミナルはANAグループのコーポレートカラーである青色となっている。JALグループでは広い第1ターミナルを活かし、国内線方面別チェックインを行っている。ターミナル・路線を参照されたい。

第2旅客ターミナルビル供用に関連して、2005年4月1日より東京国際空港を発着する便の航空券に旅客施設使用料として100円が上乗せされている。使用料の導入に関しては、国内線ハブとしての優越的地位の利用との非難も相次いだ。国内線を対象とした旅客施設使用料の徴収は日本で初めてであった(中部国際空港も同日より開始)。

なおこの事業は3期に分かれ、第2旅客ターミナルビル南ウィング(仮称)が完成した時点で終了する予定である。

  • 第1期(1984年1月 - 1988年3月)
    • A滑走路移転・拡張(1988年7月供用開始)
  • 第2期(1987年9月 - 1993年8月)
  • 第3期(1990年5月 - )
    • C滑走路移転・拡張
      1996年空の日には空港イベントの一環として供用前のC滑走路が一般公開された。
      1997年3月供用開始。これ以降、2本の平行滑走路による同時離着陸が可能になった。
    • 国際線旅客ターミナル移転(1998年3月20日供用開始)
    • 京急空港線羽田空港駅まで延伸(1998年11月開通)
    • B滑走路移転・拡張(2000年3月供用開始)
    • 第2旅客ターミナルビル(2004年12月1日供用開始)
    • 東京モノレール、羽田空港第2ビル駅まで延伸(2004年12月1日開業)
    • 空港連絡道路(2004年12月1日午前4時供用開始)
    • 第1旅客ターミナルビル北ウイングJALグループ利用拡張(2004年12月21日開始)
    • 第2旅客ターミナルビル南ピア(2007年2月15日供用開始。66 - 70番スポット)
    • 第2旅客ターミナルビル南ピア71 - 73番スポット(再拡張事業完了後に整備予定)
    • 第2旅客ターミナルビル南ウィング(仮称)(再拡張事業完了後に整備予定)
    • 第2旅客ターミナルビル第4駐車場 (P4) 立体化(再拡張事業完了後に整備予定)

[編集] 国際チャーター便就航

国際線ターミナルと国内線ターミナル間を結ぶ無料シャトルバス

第2旅客ターミナルビルの供用開始に先駆け、1998年3月20日には新国際線旅客ターミナルビルが完成した。2002年には早朝深夜枠を利用したグアムやアジア各国へのチャーター便の運行が始まる。4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアラインとエバー航空は成田発着となる。

これで浮いた発着枠が活用されたのが同年開催された2002年サッカーワールドカップ日韓大会だった。韓国ではソウル都心にほど近い金浦空港が新たに建設された仁川国際空港に表玄関の地位を明け渡して国内空港化していたが、仁川はソウル都心からは遠く不便で、成田とよく似た状況にあった。そこでワールドカップ開催期間中とその前後に羽田と金浦を直接結ぶチャーター便を発着させたのである。これが好評を博したため、翌2003年からは羽田と金浦の間に「定期チャーター便」という、定期便に限りなく近い航路が開設された。

2007年には同じ「定期チャーター便」方式で、羽田と中華人民共和国の上海虹橋空港の間に、2008年には香港の間に航路が開設されている。

[編集] 再拡張事業

再拡張事業の全体図

近年の航空需要の増大から、特に羽田空港においては、ラッシュ時は2分間隔で発着が行われるなど、発着能力が限界に達しており、増便は困難な状況になっている。限られた発着枠でできるだけ輸送量を大きくするため、羽田空港では日本の空港としては現在唯一小型機の乗り入れが禁止されており、その結果、特に地方空港の利便性が低下し不満が高まっていた。航空需要の増加に早急に対応するため、羽田空港の再拡張や、首都圏に羽田・成田に次ぐ第3の空港を設置する案が検討されたが、検討の結果、2000年9月に政府は第3空港の設置より優位性のある羽田空港の再拡張を優先的に行うことを決定し、以下の事業が進行中である。

[編集] B滑走路新誘導路

主として南風時に使用されているB滑走路で、着陸した航空機が速やかに滑走路から退避するための高速脱出誘導路とそれに接続する誘導路を現在建設中である(2009年7月供用開始予定)。高速脱出誘導路とは発着回数を増加させ空港処理能力を向上させるために、航空機を高速のまま滑走路から平行誘導路へ導く施設で、滑走路と斜めに配置する。現在、羽田空港の場合、出発機は1時間あたり32機、到着機は同じく28機と到着機の方が少ないが、滑走路から早めに脱出する事で到着機を1時間あたり29機へ増やすことが可能とされ、これにより1日あたり14便までの増枠ができると見込まれている。この工事と並行してA・B平行誘導路を結ぶ誘導路を新設する予定である。

[編集] 新滑走路(D滑走路)

神奈川県寄りの多摩川河口付近の海上に人工島を造成し、既存のB滑走路とほぼ平行に近い形で2,500mの新滑走路の建設が進んでいる。

設計・施工・運用にあたって制約条件がいくつかある。

  • 多摩川の流れを遮らないこと。→南側1100mおよび現空港との連絡誘導路を桟橋形式にして川の流れをせき止めないようにしている。
  • 既存の滑走路の離着陸を妨害しないように工事をすること。→進入コース直下での大型クレーンによる施工など制限表面に抵触する作業は空港運用時間外の夜間に行っている。また、高さを低く改造した作業船も用いている。
  • 東京港に入出港するタンカー、貨物船などの安全な航行を妨害しないようにすること。→空港東側にある東京港第一航路を一部移設する。また、工事期間中は東京航行安全情報センターを設けて一般船舶が工事区域に侵入しないように警戒その他の業務を行っている。

この滑走路の整備により、空港の処理能力である「年間発着能力」は29.6万回から40.7万回まで引き上げられ、国内線については発着枠の増加により現在より飛行機の小型化、多頻度運航化が可能となる。国土交通省は将来の国内航空需要に対応した発着枠を確保した後の余裕枠を活用すると年間6万回程度(短距離便と中・長距離便がそれぞれ3万回、1日約80便)の就航が可能となるという見解を示している。概ね就航可能な国際定期便については、短距離便で北京ソウル釜山上海大連など。中・長距離便で北米や欧州、東南アジアなどの主要都市。かつては羽田発着国内線最長距離の石垣空港間1947km (1228マイル) 以内の区間を目安としていたが、2008年4月1日に開設され、現在は日本航空と全日空が運航する香港線で早くも原則が崩れかけていた。

羽田空港沖は江戸前マアナゴなどで有名な漁場である。滑走路の建設工事の影響により漁獲量減少が懸念されるとして、地元漁協と国交省の漁業補償交渉が難航した。当初、同省は閣議決定されていた2009年末の供用開始に向け、2006年春頃の着工を目指していたが、結果的に目標は達成できなかった。工事は2007年3月31日に開始され、5月20日に関係者による着工記念式典が行われた。同省は、当初の計画に間に合わせるために、工期短縮の方法などを模索しているが、2010年10月完成・供用開始を予定している。

D滑走路は現在の管制塔からかなり離れており、現在の管制塔から管制官が目視でD滑走路上の機体を確認することができない。そこで新たに現在の管制塔の南東側、第2駐車場に隣接する「バスプール」のエリアに、世界で3番目の高さとなる116mの新管制塔を建設する。これにより、現在の管制塔は供用開始からわずか10数年で廃止されることになるが、発着能力増大に伴いグランドコントロールだけでは対処飽和になる可能性が出てくることから、グランドコントロールとは別にエプロン地区のみを管制する「ランプ・コントロール」導入が考えられている。仮に導入された場合、現在の管制塔は成田国際空港の旧管制塔のように「ランプ・コントロール・タワー」として再利用されることが検討されている。

このD滑走路の設置計画当初は既存のB滑走路と完全に平行な滑走路の建設を予定していたが、南風・雨天時に千葉県浦安市街地の上空を通過すること、また東京ディズニーリゾートと直線距離300mの沖合いを通過することが問題視され、滑走路の方位を7.5度変更した。この変更により川崎市にある東京湾アクアラインの換気塔が制限表面上に出るため、この換気塔は頂部の装飾を改修する。

[編集] 国際線地区

2010年10月を目処にA滑走路とB滑走路および環八通りに囲まれた区域に、新しい国際線旅客ターミナルビル・国際貨物ターミナル・エプロンなどを建設し、国際線地区としてPFI手法を用いて整備する予定である。

国際線旅客ターミナルビルは、5階建てのターミナルビルと6層7段の駐車場(約2300台収容)で構成される。ターミナルビルには、江戸の町並みを再現した商業ゾーンや国内最大級の規模の免税店を設置し収益を確保し、中部国際空港の2500円などより低い2000円の施設利用料を実現させる予定である。スポットは各々10ヶ所の固定スポットとオープンスポットが設置される。2008年4月8日に起工式が行われた。2010年7月末に完成、同年10月末に供用開始される予定[7]

ターミナルビルへのアクセスとして、東京モノレール羽田線は一部ルートを変更しビルに隣接する形での新駅建設を予定しており、京浜急行電鉄空港線羽田空港駅天空橋駅間のターミナルビル地下に新駅建設を予定している。ターミナルビルの整備・運営は国内線ターミナルビルを運営している日本空港ビルデングを筆頭株主とする特別目的会社東京国際空港ターミナル株式会社」(Tokyo International Airport Terminal Corporation, TIAT) がPFI方式で行う。

貨物ターミナルは、年間50万トンを処理する貨物上屋2棟・生鮮上屋・燻蒸施設などで構成される。ターミナルの整備・運営は三井物産を中心としたグループが行う。エプロン・周辺道路などの整備は大成建設を中心としたグループが行う。

[編集] 神奈川口構想

詳細は首都圏第3空港構想を参照

神奈川県・横浜市川崎市の1県2市が共同で提案している、羽田空港の再拡張・国際化に合わせて多摩川にある首都高速道路湾岸線大師橋の間に空港に接続するまたは海底トンネルを建設し、川崎市側にも空港施設を設置するという構想である。国際線旅客ターミナルビルの出国手続き施設を建設する他、ホテル物流施設を併設し、経済的な地盤沈下が進む京浜臨海部再生の起爆剤になると考えられている。現在、国土交通大臣、神奈川県知事、横浜市長、川崎市長を構成員とする「神奈川口構想に関する協議会」において、神奈川県などからの提案について具体的な検討を進めている。

[編集] ターミナル・路線

[編集] 国内線

  • 航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便
  • 第1、第2ターミナルの間は地下にある動く歩道で移動出来る他、無料連絡バスもある。

[編集] 第1ターミナル

第1ターミナル
第1ターミナル出発カウンター(南ウイング)

[編集] 北ウィング

[編集] 南ウィング

[編集] 第2ターミナル

第2ターミナル
第2ターミナル出発カウンター
  • 北海道国際航空 (ADO) ・全日本空輸 (ANA)
    • 女満別空港、旭川空港、新千歳空港、函館空港
  • スターフライヤー (SFJ)・全日本空輸 (ANA)
    • 関西国際空港

[編集] 貨物専用路線

  • 全日本空輸 (ANA)
    • 新千歳空港、関西国際空港、佐賀空港

[編集] 休廃止路線

[編集] 統計

(羽田空港発)就航路線別旅客数/順位
行き先 旅客数 国内線順位
新千歳空港 約927万人 上位1位
福岡空港 約814万人 上位2位
大阪国際空港 約583万人 上位3位
那覇空港 約537万人 上位4位
広島空港 約215万人 上位5位
鹿児島空港 約225万人 上位6位
熊本空港 約188万人 上位7位

以下省略。小松・関西・長崎・神戸・松山・宮崎・高松・大分・函館・北九州までの路線は、年間利用者数100万人を超える。 国土交通省 平成19年度航空運輸統計速報(平成20年6月26日)

[編集] 国際線

  • すべて定期チャーター便である。
  • 航空会社名が2社以上の場合、何れかの航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便。
国際線ターミナル外観

[編集] 国際線ターミナル

[編集] 国際線の就航状況

羽田には1930年代から日本航空輸送や満州航空の国際線が乗り入れており、戦後は日本の表玄関として世界各国からの国際線が乗り入れていたが、1978年成田に新東京国際空港が開港したことによりチャイナエアライン以外の国際線はすべて移転し、羽田は事実上国内線専用の空港となった。

中華民国のチャイナエアラインだけが特例として羽田に残ったのは、1974年1月の日本と中華人民共和国中国共産党政府の間で締結された日中航空協定に先立って、日華路線に就航する中華民国籍の便はすべて「日本の国内線扱い」とすることが日中間で取り決められていたためである。この協定に不満を持った中華民国政府によって、1974年4月20日を最後に中華航空の日本乗り入れが中断された。翌1975年8月10日に乗り入れが再開されたものの、尾翼に描かれていた中華民国の国旗「青天白日旗」を塗りつぶさなければならないという、異常な措置を取ることを余儀なくされた。

成田が開港して羽田が国内線専用となっても、チャイナエアラインは羽田に留まることとなった。これは、中華民国と中国の航空機同士が同じ空港を使わないよう、中国政府に配慮した結果であった。[13]。1989年には中華民国の新規参入航空会社・エバー航空も羽田発着で乗り入れを開始した。。

2002年には早朝深夜枠を利用したグアムやアジア各国へのチャーター便の運行が始まる。4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアラインとエバー航空は成田発着となる。2002年サッカーワールドカップ日韓大会の翌年の2003年からは羽田と金浦の間に「定期チャーター便」という、定期便に限りなく近い航路が開設された。2007年には同じ「定期チャーター便」方式で、羽田と中華人民共和国の上海上海虹橋国際空港の間に、2008年には香港国際空港の間に航路が開設されている。

再拡張事業でD滑走路が完成すると羽田の発着枠は大幅に増加することになるが、増加分の一部は同様の形式で近距離国際線向けとする方針である。これに対し、横浜市はASEAN地域を含む6000キロ以内を含めるよう主張している。

2008年5月19日国土交通省は、2010年に再拡張事業でD滑走路が完成すると羽田の発着枠が大幅に増加することに伴い、深夜早朝時間帯に限り国際線の中距離・長距離便の就航を自由化する方針を固めた。また20日の経済財政諮問会議で冬柴鐵三国交相(当時)が「6時台及び22時台に羽田からの国際線の就航を可能とし、欧米を始めとした世界の主要都市への国際旅客定期便の就航を実現したいと考えている」と表明した。

国土交通省は再拡張による発着枠増加分11万回のうち昼間の3万回を近距離国際定期便に割り振ることを決めている。同省は、周囲の騒音問題等で成田空港が運用できない午後11時〜午前6時(リレー時間帯を含める場合は、午後10時~午前7時)の深夜と早朝には通常の発着枠とは別に距離に制限が無い3万回が割り当てられ、国際線枠6万回によって成田を補完する形で活用が可能と判断している。[14]

国土交通省は同年10月に、「2010年10月以降に、深夜早朝枠を使って羽田とパリシャルル・ド・ゴール国際空港との間で日仏両国の航空会社が1日1便ずつの定期直行便を運航することで日仏両国が合意した」と発表した。なお、日本側の航空会社は日本航空が就航を検討していると報道されている[15] [16]

翌月11月に国土交通省は、「2010年10月以降に、ロンドンヒースロー国際空港との間で日英両国の航空会社が1日1便ずつの定期直行便を運航することで日英両国が合意した」と発表した。羽田に発着するヨーロッパとの定期路線の復活が決まるのは、フランスに続いて2カ国目になる。なお、日本側は日本航空と全日本空輸が、イギリス側はブリティッシュ・エアウェイズヴァージンアトランティック航空が就航に意欲を見せている[17]

新東京国際空港開港以前に就航していた航空会社については、原則として新空港へ移管されているので、成田国際空港を確認されたい。

[編集] アクセス

空港に至る道路は環八通り(新整備場地区から多摩川岸への羽田空港トンネル)を除いてすべて自動車専用トンネルのため、徒歩・自転車でのアクセスは一般的ではない。

[編集] 鉄道

京浜急行羽田空港駅
詳細は空港連絡鉄道: 羽田空港を参照

[編集] バス

関東地方およびその周辺から、空港直通バスが乗り入れている。

  • すべて京浜急行バス(グループ会社を含む)または東京空港交通が運行しており、発着地により共同運行会社も乗り入れる。路線などの詳細は、上記バス会社項目を参照されたい。

[編集] 首都高速道路

[編集] 一般道

[編集] 事件・事故

羽田空港周辺や羽田空港の発着便で起こった航空事故ハイジャック事件は以下の通り:

[編集] 拠点がある機関

旧整備場地区に以下の事務所や格納庫がある:

[編集] 航空管制

種類 周波数 運用時間 (JST)
CLR 121.825 MHz, 121.875 MHz
GND 118.225 MHz, 121.7 MHz
TWR 118.1 MHz, 118.8 MHz, 124.35 MHz
126.2 MHz, 236.8 MHz
DEP 120.8 MHz, 126 MHz, 127.6 MHz
APP 119.1 MHz, 119.7 MHz, 125.2 MHz
125.3 MHz, 236.8 MHz
TCA 124.75 MHz, 256.1 MHz 8:00〜21:00
ATIS 128.8 MHz

[編集] 航空保安無線施設

局名 種類 周波数 識別信号
HANEDA VOR 112.2 MHz HME
HANEDA DME HME
HANEDA NDB 337.0 kHz HM
DAIBA VOR 111 MHz DYE
DAIBA DME DYE

保守は国土交通省東京空港事務所航空管制技術官が担当している。

[編集] 脚注

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  1. ^ 2003年にソウル金浦空港への定期便が就航するまで、事実上の国内線専用空港としては世界一の利用者数であった。純粋な国内線専用空港だったことは実は一度もない。詳細は「国際線の就航状況」の節を参照。
  2. ^ 2004年。
  3. ^ a b c 2007年。旅客数・貨物取扱量については国際空港評議会(ACI)発表。
  4. ^ ただし公式実務訪問賓客実務訪問賓客外務省賓客などは通常成田を使用する。
  5. ^ [要出典]拡張地区内から立ち退きを余儀なくされた旧住民らが憂さ晴らしに語っていた「米軍が大鳥居を撤去しようとしたら事故が相次いだ」という根も葉もない話に尾びれがついて、「お稲荷さまの神罰が下って死者まで出た」という都市伝説になった。そのためもあってかこの大鳥居を粗末に扱おうとする者は後々までおらず、移設の話が何度出ても立ち消えとなり、大鳥居はさらに半世紀以上にわたって空港敷地内の駐車場の真中に留まり続けた(→ 画像)。そもそもアメリカ軍がこれを残した実際の理由は、この土地に不慣れなアメリカ軍パイロットにとってこの赤い大鳥居は着陸時に格好の目印となったからだが、その大鳥居も沖合展開事業に伴う新B滑走路の障害となったため、1999年2月に800メートルほど南に丁重に動座されて今日に至っている。なお移転の際、作業を始めようとしたところ曇り始め、見守っていた人たちの間から「やはり祟りが」との声が漏れ、関係者を苦笑いさせたと新聞で報じられた。
  6. ^ このエピソードについてはNHKで1993年に放送されたドキュメンタリー番組テクノパワー』第3回及び2004年放送の『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』でも取り上げられた。
  7. ^ ターミナル概要 TIAT
  8. ^ 南ウィング到着便および日本トランスオーシャン航空の機材・乗務員で運航する便あり
  9. ^ 北ウィング到着便および日本トランスオーシャン航空、JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり
  10. ^