御津町 (愛知県)
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御津町(みとちょう)は愛知県南東部、宝飯郡にあった町である。豊川市に、音羽町も含めて編入合併を申し入れ、2008年1月15日、同町と共に編入された。
現在は、旧御津町域の住所表示を「豊川市御津町」とすることにより、旧町名を残している。
目次 |
[編集] 地理
三河湾に面している。温暖な気候と豊かな自然に育まれ、海から町の歴史が拓かれた。
町域は東西7.73km、南北7.53km。北西から南東にかけて広がっており、その形は湾曲している。北西部は山林が広がり、音羽町との境界には宮路山が聳えている。
[編集] 気候
太平洋側気候に属し、比較的温暖な気候である。ただし冬場(12月~3月頃)の最低気温に関しては、摂氏0度を下回るのが一般的である。
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年平均気温、 年合計降水量 |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 最高気温(℃) | 13.7 | 14.8 | 18.7 | 29.9 | 28.1 | 34.7 | 34.6 | 35.4 | 33.6 | 29.9 | 22.4 | 13.8 | 25.8 |
| 最低気温(℃) | -1.1 | -2.3 | -0.1 | 2.5 | 9.7 | 15.9 | 20.1 | 21.0 | 16.4 | 10.1 | 4.1 | -1.9 | 7.9 |
| 平均気温(℃) | 5.5 | 5.8 | 8.5 | 15.2 | 18.6 | 23.6 | 26.3 | 28.0 | 25.3 | 19.3 | 12.3 | 4.3 | 16.1 |
| 降水量(mm) | 23.0 | 58.0 | 117.0 | 59.0 | 105.0 | 122.0 | 247.0 | 82.5 | 102.5 | 169.5 | 19.5 | 3.5 | 1,108.5 |
[編集] 土地利用
| 年 | 田(ha) | 畑(ha) | 宅地(ha) | 山林(ha) | 原野(ha) | 雑種地(ha) | その他(ha) | 計(ha) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002年 | 341 | 277 | 259 | 271 | 1 | 176 | 548 | 1,873 |
| 2003年 | 339 | 276 | 259 | 299 | 1 | 146 | 553 | 1,873 |
| 2004年 | 337 | 274 | 260 | 299 | 1 | 146 | 556 | 1,873 |
| 2005年 | 336 | 273 | 261 | 299 | 1 | 145 | 558 | 1,873 |
| 2006年 | 334 | 271 | 262 | 299 | 1 | 149 | 557 | 1,873 |
[編集] 都市計画
行政区域の全てが都市計画区域内にあった。市街化区域は389haで、行政区域全体の20.8%。残り79.2%を市街化調整区域が占めていた。詳細は以下のとおり[3]。
| 区分 | 面積(ha) | 割合(%) | 建蔽率(%) | 容積率(%) |
|---|---|---|---|---|
| 第一種中高層住居専用地域 | 42 | 2.2 | 60 | 200 |
| 第一種住居地域 | 156 | 8.3 | 60 | 200 |
| 近隣商業地域 | 11 | 0.6 | 80 | 200 |
| 商業地域 | 7 | 0.4 | 80 | 400 |
| 準工業地域 | 24 | 1.3 | 60 | 200 |
| 工業地域 | 57 | 3.0 | 60 | 200 |
| 工業専用地域 | 92 | 5.0 | 60 | 200 |
| 市街化調整区域 | 1,484 | 79.2 | 60 | 200 |
[編集] 地名
『総国風土記』によると、孝元天皇が東国へ行幸した際に、乗っていた船を寄せたことから、当地を御津湊と名付けたという。「津」「湊」はいずれも港を意味し、これに尊称「御」が付いている。「御津町」の名は、これに由来する。
御津町内には、11の大字が存在した。
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御津町内の住所表示は「宝飯郡御津町大字○○字△△1番地」のようになっていたが、豊川市との合併に伴い住所表示を変更した。このとき、「御津町」の名を残してほしいとの要望が寄せられたことから、「豊川市御津町○○△△1番地」のようにすることが決まった。ただし、「大字下佐脇新田」の表示は「新田」に、「大字金野字堹ノ下(ままのした)」の表示は「金野下」に改められた[4][5]。
[編集] 隣接していた自治体
[編集] 歴史
[編集] 縄文・弥生時代
御津町に隣接する豊橋市の瓜郷遺跡には多数の農耕具が出土しているが、御津町地域はこの瓜郷に居住していた人々の生活圏内にあったとみられる。町内では、長床遺跡をはじめ石堂野遺跡、河原田A遺跡などの遺跡群が確認されている。
長床(ながとこ)遺跡は1936年、御津南部尋常高等小学校(現・豊川市立御津南部小学校)の講堂建設工事の際に発見された。高坏を含む数々の土器が出土したが、それまで知られていた弥生式土器とはいくつかの点で様式が異なっていた。具体的には、壺の胴部が算盤の玉のように上下のすぼまった形状をしており、波線と直線が交互に引かれていた。また、脚台のある土器には丹塗りが施されていた。蒲郡市在住の考古学研究家・久永春男は、長床遺跡で発掘されたこれらの土器と特徴を同じくする土器を「長床式土器」と称することを提唱した。
発見から約半世紀後の1987年、講堂の取り壊しと校庭拡張が行われたのを機会に、再び調査が実施された。
石堂野遺跡では1985年、愛知県立御津高等学校の建設工事に際して愛知県埋蔵文化物センターが調査を実施した結果、弥生時代後期の土器が出土した。河原田A遺跡は、県道国府前芝線の建設工事中に土器片などが発見されたことによって存在が明らかとなった。1965年11月に行われた愛知大学文学部史学研究室の調査では、石器(石鏃、石槌、石包丁など)、長床式土器の存在が報告された。また、萩原神社遺跡及び二本松遺跡には、土器片が散乱している。
広石の新宮山では1878年、道路工事中に銅鐸が発見された。この銅鐸は高さ46cm、底部長径24cmの流水文銅鐸で、1974年に愛知県から文化財指定を受けた。町内には、このほかに2つの銅鐸が発見されたと記録されているが、いずれも実在が確認されていない[6]。
[編集] 古墳時代
町内の主な古墳は、穴観音古墳と船山古墳である。
穴観音古墳は御津高校の西方に位置する円墳で、横穴式石室に石造の観音像が安置されている[7]ことから「穴観音古墳」の名で呼ばれる[8]。直径は20m、高さは5mで、石室の全長は8m。
船山古墳は全長37mの前方後円墳で、北東に位置する後円部には盗掘の跡とみられる窪みがある。
この他、金野地区には横穴古墳群12基があったが、その姿を留めているのはわずかに7号墳のみである。
[編集] 持統行幸
『続日本紀』や『類聚国史』には、702年に持統天皇(この時には退位して上皇となっていた)が 三河国を行幸したとの記述がある。
『万葉集』には、この行幸について詠んだ歌として、長忌寸奥磨(ながのいみきおきまろ)の歌「引馬野に にほふ榛原(はりはら) 入り乱り 衣にほはせ 旅のしるしに」や、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の歌「何処にか 船泊(ふねは)てすらむ 安礼の崎 漕ぎ廻(た)み行きし 棚無し小舟」がみえる。これらによると、持統天皇は船に乗って引馬野(ひくまの)、安礼の崎(あれのざき)に上陸したと読み取れる。
『十六夜日記』中にある「引馬の宿」について、賀茂真淵が浜松北方とする見解を示して以降、引馬野を遠江とする説が拡大した。対して、仙覚や荷田春満、斉藤茂吉らは三河説を唱えたが、現在では後者が有力視されており、音羽川の河口に近い御津町御馬の辺りであるとみられている[9][10]。また、昭和末期に造成された埋立地三河臨海緑地の一部には、「安礼の崎」の地名が付けられた。
[編集] 中世
平氏を打倒して政権を掌握した源頼朝は、安達藤九郎党盛長を三河国の守護とした。盛長は、西御馬八幡社を創建したと伝えられている。
南北朝時代には佐脇一帯を治める佐脇氏が興った。『太平記』の中には佐脇姓の人物が何人か見出される。
足利尊氏の命で波多野氏が入り、現在の豊沢に大沢城が築かれる。
戦国時代には、御津山に大恩寺が建立された。同寺は1479年に了暁慶善が新宮山に開山した大運寺を起源とし、代々菩提寺としてきた牛久保城主・三河牧野氏の援助により、念仏堂が建立された。この念仏堂はのちに国の重要文化財に指定されたが、1994年に消失した。
佐脇は作手地方を本拠とする奥平氏が領有したが、東方から進出した今川氏の支配に服した。桶狭間の戦い以後は、没落した今川氏に代わって松平元康(徳川家康)が進出し、長沢松平家が町域の大半を領有した。家康が関東地方に移封されると、町域は池田輝政(照政)の所領となった。
下佐脇には佐脇城跡がある。『三河国二葉松』には、佐脇右京亮明秀の後裔・佐脇刀禰太夫や、奥平兵庫・三浦左馬助義就がここを居城としたとある。
大沢城(豊沢)の波多野時政(法名全慶)は長山一色城(豊川市牛久保町)の一色時家の被官であったが応仁の乱の西軍に加わった時家を倒した。しかし、後に時政は牧野成時(法名、古白)に討たれる。
町域には他に茂松城、御馬城、竹本城などがあり、地域の有力豪族が抗争を繰り広げたものとみられる。
[編集] 近世
江戸時代に至ると灰野・金割・茂松などは天領、上佐脇・下佐脇は新城藩領、広石の一部は大恩寺領というように再編された。その後も各村の勢力関係は幾度も変遷した。
御馬湊は三河五箇湊の1つに数えられ、年貢米が江戸へ送られた。地域の廻船問屋渡辺家の第8代当主・渡辺富秋は郷土史研究に取り組み、また和算の分野にも関心を示した。18世紀末には俳句結社・御馬湊社中が興った。
[編集] 明治・大正期
1868年になると、町域の大半が三河県に属した。さらに静岡藩や静岡県を経て、1871年に町域は全て額田県下に入った。翌1872年5月、額田県は愛知県に編入された。大区小区制に基づき、宝飯郡は県内9大区のうち第6大区に分類され、町域は第5小区とされた。
1889年10月1日、西方村、泙野村、広石村、豊沢村、金野村の5村が合併し、御津村が成立した。同日には、佐脇村及び御馬村が成立した。1906年、この3村が合併し、新たに御津村が成立した。
この頃、当地域では養蚕業が大いに伸長していた。1919年の繭生産額は477,675円と、米生産額(166,005円)の約3倍を記録し、主要農産物中の第1位を占めた。1920年の御津村事務報告は、「本村ノ農業ハ、十年前ニハ米麦作ニ最モ重キヲ置キ、養蚕業ヲ副業トセシモ、今ヤ養蚕ハ主タル業トナリ、畑ハ皆桑園トナル」[11]と記している。しかし繭は価格変動が激しく、1920年の生産額は255,040円と、前年実績を約4割下回った。以後数年間の生産額は概ね15万円~25万円の間で推移し、なおも主要農産物としての地位を維持したが、昭和期に入ると衰退した。
明治末期に16を数えた製糸工場は激減し、第一次世界大戦後には不況の影響もあって4工場が残るのみとなった。対して海苔の生産は拡大した。
交通・輸送網としては東海道本線が敷設され、御津村内には御油駅(現・愛知御津駅)が設けられた。同駅に近い海岸には西方港が建設され、漁船の避難港として、また木材や石炭、肥料の輸入港として機能した。また、道路法に基づき、県道三谷豊橋線や県道国府三谷線が認定された。
[編集] 昭和期
1929年12月19日、村議会で村長が提出した町制施行の議案が可決され、次のような申請書が愛知県知事宛てに送付された。
御津村ハ従来農村ノ処交通至便ノ為メ漸次商工業者増加シ町形ヲ為シタルニ依リ、来ル昭和五年二月十一日紀元節ノ佳辰ヲトシ村ヲ町ト致度候条御許可相成度別紙村会決議書写併ニ参考書類及図面相添ヘ此段及申請候也[12]
- 村ヲ町ト為スノ件許可申請
指令地第一一号
昭和四年十二月二十五日附御津発第四八八号申請昭和五年二月十一日ヨリ村ヲ町ト為スノ件許可ス
- 宝飯郡御津村
- 昭和五年二月十日
翌11日、御津村は町制を施行し、御津町が成立した。 当初は佐脇村の隔離病舎を移築して、これを役場庁舎としていたが、老朽化が進んだことから、1935年に庁舎の新築を決定した。新庁舎は翌1936年3月25日に竣功し、27日には早くも町議会が開催された。旧庁舎は御津町信用販売購買利用組合が借り受けたが、1945年8月、爆撃によって崩壊した。 第二次世界大戦中の1943年には、豊川海軍工廠の防衛を目的として御津山(大恩寺山)に砲台が建設され、横須賀海軍警備隊大恩寺山砲台第66分隊が配備された。 1945年8月7日、工廠を中心とした一帯を米軍が空襲した。御津町も爆撃を受け、大恩寺山砲台は飛来する米軍機に砲撃を行い、うち1機を撃墜したが、他の爆撃機には命中しなかったという。工廠は、爆弾の雨に曝されて壊滅した。 戦後は町営住宅の建設を進めて住宅事情の改善に努めるとともに、三河湾に面する海浜を埋め立てて佐脇浜や御幸浜を造成し、企業誘致を推進した。佐脇浜にはエクシムや愛知ニコンをはじめとする製造業者が集積し、また御幸浜にはマリーナが形成された。 1996年からは「みとまつり」を年1回開催し、地場産業の掘り起こしや賑わいの創出を図った。
[編集] 町制廃止
宝飯郡を構成する4町(御津町、一宮町、音羽町、小坂井町)と豊川市は、2001年に合併協議会を設立して、対等合併の可能性について検討作業を始めた。それから2年余りのちの2004年2月、合併の是非を問う住民意識調査が実施された。3市町で合併に賛成する票が過半数を占め、2町で反対票が過半数を占めた。この結果を受け、1市4町の合併協議会は解散した[14]。
その後、一宮町は独自に豊川市との合併協議を進め、2006年2月に正式に合併した。同年3月、音羽町が豊川市に合併協議を申し入れ、6月に合併協議会を発足させた。御津町も再び合併に向けて動き、10月末に合併協議を豊川市に申し入れた。翌2007年6月、豊川市・音羽町・御津町の3市町は合併協議会を設置、8月に合併協定が調印された。
2008年1月15日、町制施行から78年弱で御津町は廃止され、豊川市に編入された。
[編集] 年表
[編集] 御津町発足前
- 702年 - 持統天皇が三河国を行幸
- 851年 - 御津神社に従五位下が授けられる
- 1367年 - 後光厳天皇の行幸に佐脇右京亮明秀が随伴
- 1672年 - 大恩寺山門が竣功
- 1732年 - 上佐脇、国府間に水論(水利をめぐる争訟)発生
- 1803年
- 1808年 - 御馬村でウンカが異常発生
- 1869年 - 赤根村の陣屋を廃止
- 1872年4月1日 - 御津神社が郷社となる
- 1873年9月25日 - 正眼庵に佐脇学校創立
- 1875年 - 御馬村に引馬学校創立
- 1878年12月26日[15]
- 森下村、茂松村が合併して豊沢村が成立
- 灰野村、金割村が合併して金野村が成立
- 1879年
- 1880年 - 佐脇学校を本見寺に移転
- 1881年 - 西方郵便局開局
- 1889年10月1日 - 町村制施行に伴い
- 1898年 - 西方銀行設立
- 1903年 - 御馬・下佐脇両漁業組合設立
- 1904年 - 西方銀行解散
- 1906年7月1日 - 御津村、御馬村、佐脇村が合併し、御津村となる
- 1911年12月 - 下佐脇信用販売購買組合設立
- 1929年
- 1930年2月10日 - 町制施行許可申請が愛知県知事の許可を受ける
[編集] 御津町発足後
- 1930年
- 1936年
- 1939年1月1日 - 町章を制定
- 1942年2月1日 - 御津町国民健康保険組合設立
- 1943年11月頃 - 大恩寺山砲台完成
- 1944年4月1日 - 御津青年学校創立
- 1945年
- 1946年
- 3月 - 御津町青年団発足
- 12月 - 御津町農地委員会発足
- 1947年4月5日 - 公選による初の町長選挙を執行
- 1949年
- 1951年
- 農地委員会を農業委員会に改組
- 9月30日 - 御津町警察署を廃止
- 1952年11月1日 - 御津町教育委員会発足
- 1953年10月30日 - 御津山頂に忠魂碑を建立
- 1954年 - 町営住宅「狐塚住宅」「日暮住宅」竣功
- 1955年10月1日 - 大塚村大字大草、大字赤根を編入
- 1957年4月11日 - 昭和天皇・香淳皇后、大草海岸に行幸啓
- 1958年4月10日 - 御津町の一部を含む一帯が三河湾国定公園となる
- 1959年
- 1962年9月1日 - 御津町上水道、供用開始
- 1965年 - 河原田遺跡から土器出土
- 1969年3月14日 - 金野の一部を含む一帯が愛知県立自然公園となる
- 1970年 - 町営住宅「富士見台団地」「みなと団地」竣功
- 1974年 - 宝飯地区広域市町村圏組合の粗大ごみ処理場竣功
- 1975年
- 1976年10月6日 - 役場庁舎を西方字日暮に移転
- 1978年10月31日 - 御津町商工会館竣功
- 1980年
- 2月20日 - 町制施行50周年記念式典開催。町の木、町の花、町民憲章を制定
- 佐脇浜1号地の埋め立て完了
- 1983年12月1日 - 公共下水道供用開始
- 1984年
- 1986年4月1日 - 愛知県立御津高等学校創立
- 1987年1月20日 - 御津広石郵便局開局
- 1989年
- 4月 - 御幸浜埋立地で、進出企業の操業開始
- 御幸浜パターゴルフ場オープン
- 1991年
- 3月20日 - 御津山周遊自然歩道完成
- 御津町シルバー人材センター設立
- 1994年
- 1995年1月6日 - 御津町文化会館(ハートフルホール)竣功
- 1996年10月9日 - 第1回みとまつり開催
- 1998年3月2日 - 御津中学校屋内運動場及び水泳プール竣功
- 1999年
- 2000年
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2月8日 - 住民請求に基づき、議案「豊川市と御津町の合併についての意思を問う住民投票条例の制定について」を町議会臨時会で採決。賛成3、反対11で否決[20]
- 2月20日 - 第1回豊川市・御津町合併研究会開催[21]
- 3月1日 - 同日付の『広報みと』が通巻500号を達成[22]
- 6月9日 - 豊川市・音羽町・御津町合併協議会設置。22日、第1回協議会開催
- 8月6日 - 豊川市・音羽町・御津町合併協定調印式開催[23]
- 8月 - 住民投票はせず、豊川市及び音羽町との合併を議会が可決(賛成6、反対5)
- 10月1日 - ハートフルホール図書室を御津町図書館とする
- 10月12日 - 愛知県議会、合併関連議案を可決。愛知県知事が即日配置分合処分を実施
- 11月9日 - 総務大臣、音羽町・豊川市・御津町の配置分合を告示(総務省告示第625号)
- 2008年
[編集] 人口
2006年の高齢者人口(65歳以上)は3,033人で、人口全体の22.2%を占める。2002年以降の統計結果によると、人数、割合ともに増加傾向にあった[24]。