アレッサンドロ・デル・ピエロ
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| アレッサンドロ・デル・ピエロ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | アレッサンドロ・デル・ピエロ | |
| 愛称 | アレ、アレックス、ピントゥリッキオ | |
| ラテン文字 | Alessandro Del Piero | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1974年11月9日(34歳) | |
| 出身地 | コネリアーノ | |
| 身長 | 173cm | |
| 体重 | 73kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ユヴェントス | |
| ポジション | ST | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 右足
|
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| 代表歴 | ||
| 出場 | 90 | |
| 得点 | 27 2008年8月27日現在 |
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アレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero、1974年11月9日 - )は、イタリア、トレヴィーゾ県コネリアーノ出身のサッカー選手。ポジションはFW。セリエAのユヴェントスに所属しており、キャプテンを務めている。クラブの象徴的存在(バンディエラ)。
キャプテンシーに溢れ、チームメイトからの信頼が厚く、また、バンディエラとしてティフォシから絶大な人気を誇る。イタリアの名門、ユヴェントスの「10番」の系譜を受け継ぐ男。
カルチョの国、イタリアの歴史にその名を刻む不屈のファンタジスタ。
目次 |
[編集] プレースタイル
決して恵まれた体格とは言えないが、類稀なるテクニックとその創造性によりプレーに豊富なバリエーションを持つFW。左サイドからゴール前にドリブルで切り込むプレーを得意としていて、特に彼が無数の美しいゴールを決めたゴール前左45度は「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれている。この聖域から右足のインフロントで放たれたボールが、ゆるやかな弧を描いてゴール右隅に吸い込まれる様子は多くの観客を魅了してやまない。
アクロバティックなシュートやヒールキック、ダイレクトシュートなどもデルピエロのプレーを特徴付けるものの一つであり、セリエA、1994-95シーズン、フィオレンティーナ戦でのダイレクトボレーシュートは伝説となっている。数種類のキック(カーブや無回転など)を使い分ける短中距離のフリーキックの名手でもあり、また、トラップ技術も一級品で、次のプレーに最適な場所にワンタッチでボールをコントロールできる。
1998年の大怪我を機に、細身であった体つきからより筋肉質なものへと変化したことによってプレースタイルの変化を強いられた。しかし、以前のようなスピードやドリブルでのキレは失われたものの、大事な場面で当たり負けのしないパワーと相手のタイミングを外す独特のドリブルによって新たなプレースタイルを確立した。以前よりもストライカーに近いスタイルになったと言われているが、ファンタジー溢れるプレーは健在である。
彼の実力が最も発揮されるポジションはセカンドトップ(セコンダプンタ)であるが、若いころプレーしていたウイングや、チャンスメイクにも優れているためオフェンシブハーフ (トレクァルティスタ)としてもプレーすることができる(しかし、本人はあくまで自分はFWであると語っている)。また、前述のように、プレースタイルの変化後はセンターフォワードに限りなく近いスタイル・ポジショニングをとることも多い。
[編集] 略歴・人物
[編集] クラブ
1991-92シーズンにセリエB(当時)のカルチョ・パドヴァでキャリアをスタート、1992年3月15日のメッシーナ戦でトップチームデビューを果たす。パドヴァで2シーズンを過ごした後、1993-94シーズンにセリエA のユヴェントスに移籍、1993年9月12日のフォッジャ戦にてセリエAデビュー、その一週間後のレッジャーナ戦で初ゴール、1994年3月のパルマ戦では初のハットトリックを達成する。翌シーズン、ロベルト・バッジョの不調もあって、出場回数を増やしていくと、1994年12月のフィオレンティーナ戦にて、背後からのロングボールをダイレクトで、しかもアウトサイドにかけたボレーシュートを決めたことによって、デルピエロの名前はファンタジスタとして認知されるようになった(このシーズン、自身初のスクデットを獲得)。
1995-96シーズン、バッジョの ACミラン移籍によって、ミシェル・プラティニやバッジョが背負ってきたユベントスの背番号「10」を若くして引き継ぐこととなった。このシーズン、5試合連続を含む6得点とUEFAチャンピオンズリーグ制覇に大きく貢献し、エースとしての役割を果たす。翌シーズンには、トヨタカップの決勝点をあげ、MVPにも選出された。また、このシーズンのスクデットも獲得している。しかし、チャンピオンズリーグでは、決勝戦でヒールキックによる技ありのゴールを決めたものの、準優勝に終わった。
1997-98シーズン、このシーズンに加入したフィリッポ・インザーギと先シーズンから所属するジネディーヌ・ジダンとともに強力なトライアングルを形成し(特にインザーギとの2トップは「デル・ピッポ」と呼ばれた)、スクデット連覇を果たした。チームだけでなく、デルピエロ自身も好調で、リーグでは21得点、チャンピオンズリーグでは得点王(10得点)に輝いている。
1998年11月、ウディネーゼ戦で左膝十字靭帯断裂などの選手生命も危ういほどの重症を負い、膝の手術を行った。約9ヶ月間のリハビリの後、復帰するも以前の調子は取り戻せず、スランプに陥る。しかし、2000-01シーズンに復調の兆しを見せ、2001-02シーズン、リーグ16得点をあげて完全復活を果たし、4年ぶりのスクデットを獲得した(その後も、度々、怪我に悩ませられることになるが、そのたびにこれを克服し、センセーショナルな復活劇を見せて観客を魅了し続けている)。翌シーズンにもリーグ16得点とチームを牽引し、自身5度目となるスクデットを獲得した。
2005-06シーズン、先シーズンにリーグ14得点と結果を残したデルピエロであったが、加入して2年目となるズラタン・イブラヒモビッチをファーストチョイスと考えるファビオ・カペッロ監督にスタメンを外され、途中出場の交代要員へと降格させられる。しかし、キャプテンとして、またアスリートとして腐ることなく、出場すれば常に全力でプレーし、限られた時間でのプレーであっても必ずと言っていい程アシストやゴールで期待に応えていた。終わってみれば、ほぼフル出場していたイブラヒモビッチのリーグ7得点(シーズン10得点)に対し、デルピエロはリーグ12得点(シーズン20得点)、また、試合中ティフォシから批判を浴びるカペッロに対し、ウォームアップするデルピエロには「デルピエロ」コールが送られるというシーンが度々見られることとなった(ちなみにユベントスは、2004-05、2005-06シーズンにセリエAで優勝するが、カルチョ・スキャンダルにより優勝を剥奪された)。 また、2006年1月10日に行われたコッパ・イタリアの対フィオレンティーナ戦でハットトリックをマーク。これがユヴェントスでの185得点目となり、ジャンピエロ・ボニペルティの持つクラブ歴代最多得点記録を塗り替えた。
2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルでユベントスはセリエBへと降格してしまうがイングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドからのオファーを断り、真っ先にチームへの残留を表明し、彼に続くようにネドベドやブッフォンらも残留を決意した。そして、そのシーズンのセリエB得点王に輝き、1年でのセリエA復帰の原動力となった。
セリエAに復帰した2007-08シーズン、自己最多タイとなるリーグ21得点での得点王に輝き、パオロ・ロッシ以来、史上2人目となるセリエB・セリエA連続得点王の快挙を成し遂げた。また、2008年4月6日のパレルモ戦がユベントスでの553試合目となり、ガエターノ・シレアの持つクラブ歴代最多出場記録を塗り替えた。 2008年11月29日レジーナ戦でユヴェントスでの通算250得点を記録。
[編集] 代表
イタリア代表デビューは1995年3月25日のエストニア戦。イタリア代表通算27得点はバッジョと並んで歴代4位タイ。FIFAワールドカップには1998、2002、2006年と3大会連続、ユーロには1996、2000、2004、2008年と4大会連続で出場している。しかし、大会直前に怪我をしていたり、不慣れなポジション(左サイド等)でのプレーを強いられることが多く、本大会では実力を発揮できているとは言えない(しかし、各大会の予選では活躍を見せている)。
ユーロ1996では、1994年のU-21欧州選手権を制し、アトランタ五輪を控える当時のU-21世代から飛び級のような形で代表に選ばれるも、初戦のロシア戦で怪我を負い、このロシア戦前半のみの出場に終わる。
1998年のフランスワールドカップでは、アッズーリのエースとして大会に臨むも、1997-98チャンピオンズリーグ決勝レアル・マドリード戦で負った怪我の影響から全く見せ場を作れず、主役をバッジョに譲った。
ユーロ2000では、決勝フランス戦でシュートチャンスを外し、戦犯扱いを受けた。また、1998年11月の大怪我から不調に苦しむ間にフランチェスコ・トッティの台頭もあり、2000年代からは背番号「10」をトッティに譲っている。
2002年日韓ワールドカップでは、予選で5得点と良い成績を残したが、本大会前になって監督ジョバンニ・トラパットーニはシステムをより守備的なものに変更、スタメンを外される。それでもグループリーグのメキシコ戦で途中出場ながらワールドカップ初ゴールを決めてこの試合を1-1の引き分けに持ち込み、グループリーグ敗退の危機にあったチームを救った。
ユーロ2004では、予選こそ不振のチームを救うほどの活躍を見せていたが、本大会では不慣れな左サイドというポジションや直前の左大腿部の怪我から思うような活躍をすることはできなかった。
2006年のドイツW杯ではかつてユベントスの監督であった恩師リッピ監督からの信頼が厚く、23人のメンバーに名を連ねる。準決勝のドイツ戦では延長戦から途中出場し、アルベルト・ジラルディーノからのパスを受け、十八番「デル・ピエロ・ゾーン」から2点目となるダメ押しゴールを奪った。
ユーロ2008本戦への招集は危ぶまれていたが、2007-2008シーズンのセリエAでの好調さが認められ4度目のユーロ出場を果たし、グループリーグ第2戦のルーマニア戦ではチームキャプテンとして先発出場した。しかし、監督ロベルト・ドナドーニはデルピエロを重用せず、実力を発揮することはできなかった。
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- セリエA(1994-95、96-97、97-98、2001-02、02-03)
- セリエB(2006-07)
- コッパ・イタリア(1994-95)
- UEFAチャンピオンズリーグ(1995-96)
- トヨタカップ(1996)
[編集] 代表
- FIFAワールドカップ(2006)
[編集] 個人
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王(1997-98)
- セリエA得点王(2007-2008)
- セリエB得点王(2006-2007)
- コッパ・イタリア得点王(2005-06)
- トヨタカップ最優秀選手(1996)
- イタリア最優秀選手(1998)
- ブラヴォー賞(1996)
- ゴールデンフット賞(2007)
- UEFAチャンピオンズリーグ10周年ベストアタッカー(2006)
- FIFA 100(2004)
- 英誌ワールドサッカー選出20世紀の偉大なサッカー選手100人(1999)
- ユベントスクラブ歴代最多得点記録(更新中)
- ユベントスクラブ歴代最多出場記録(更新中)
[編集] 語録
「ユベントスに籍を置くには、高望みをしてはいけない。希望額より少なかろうが、それで満足しなければならない。」
「ゴールが決まると、その度にその時にしか起こりえない不思議な感情が湧くものだ。」[要出典]
[編集] 備考
- 9歳上の兄、ステファノも元サッカー選手でサンプドリアなどに在籍していた。
- 子供の頃に新日本プロレスのイタリア遠征を観戦して以来のプロレスファン。好きな日本のプロレスラーはアントニオ猪木と藤波辰爾で、2005年6月にユベントスの遠征で来日した際にテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」に出演し、憧れの藤波と対面して感激していた。この時に藤波からプレゼントされたタイガーマスクを被ったデル・ピエロの写真がユヴェントスの公式サイトに掲載されている。
- トッティに背番号『10』を譲ってほしいと言われた際も「僕は『7』の方が合っている」と言って快く譲るなど性格、人間性なども優れた人格者でイタリア国内での人気も高い。なお何故7番かといえば「初めてもらった背番号がこれだったから」、とのこと。
- 遠征先などでは、仲間の選手と一緒にテレビゲームをする。好きなゲームはマリオシリーズ。ゲームを通じ、他の選手とのコミュニケーションを取ったり、リラックスを(相互に)したりする。
- 元日本代表の中田英寿と公私に渡って親交がある。2006年7月の中田現役引退のニュースを聞いた際には、ワールドカップの試合前にもかかわらずインタビューで中田に対して、「直接彼に電話をして、思いとどまるように説得する。」とのコメントを残している。
- ユヴェントスが一連のカルチョ・スキャンダルによりセリエBに降格する可能性が取り沙汰される中、マンチェスター・ユナイテッドなどの誘いを断って真っ先に契約を更新。チームに残る決意をした事で、改めてファンの心を掴んだ。
- イギリスのロックバンド、オアシスのファン。また、2006年にミラノで行われたローリング・ストーンズのライブに、マルコ・マテラッツィと共に現れた。
- 日本アニメルパン三世のファン
- アメリカ合衆国にも憧れがあるといい「選手生活を終えたら、まず英語の勉強に取り組むつもりだ」と語る。
- サッカー界のご意見番でカルチョには特に痛烈な批判をするヨハン・クライフもデル・ピエロに対しては「私はどんなイタリアのプレイヤーよりもデル・ピエロを好む。彼のプレーはとてもファンタスティックだ。ただ強いて言うなら彼はイタリアに生まれるべきではなかった。イタリアサッカーは彼がそのプレースタイルのままでいようとすることを許さないだろう。」と賛辞を送ると共に彼のプレースタイルをもっと生かせる国に生まれていたら、というコメントをしている。
- 妻のソニア・アモルーゾはトリノに所属するニコラ・アモルーゾの妹(この噂は根強く囁かれているが、実際には偶然姓が同じというだけの兄妹どころか親戚でもない一般女性である)。控えめなソニア夫人はメディア等による自身への詮索や露出をまったく望んでおらず、デルピエロも夫人の意思を尊重して常にガードしている。
[編集] 選手経歴
| 経歴 | リーグ | 国内カップ戦* | 欧州カップ戦** |
国際カップ戦*** | 合計 | |||||||
| シーズン | クラブ | セリエ | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 |
| 1991-92 | パドヴァ | B | 4 | - | - | - | - | - | - | - | 4 | - |
| 1992-93 | パドヴァ | B | 10 | 1 | - | - | - | - | - | - | 10 | 1 |
| 1993-94 | ユヴェントス | A | 11 | 5 | 1 | - | 2 | - | - | - | 14 | 5 |
| 1994-95 | ユヴェントス | A | 29 | 8 | 10 | 1 | 11 | 1 | - | - | 50 | 10 |
| 1995-96 | ユヴェントス | A | 29 | 6 | 3 | 1 | 11 | 6 | - | - | 43 | 13 |
| 1996-97 | ユヴェントス | A | 22 | 8 | 4 | - | 8 | 6 | 1 | 1 | 35 | 15 |
| 1997-98 | ユヴェントス | A | 32 | 21 | 5 | 1 | 10 | 10 | - | - | 47 | 32 |
| 1998-99 | ユヴェントス | A | 8 | 2 | 2 | 1 | 4 | - | - | - | 14 | 3 |
| 1999-00 | ユヴェントス | A | 34 | 9 | 2 | 1 | 9 | 2 | - | - | 45 | 12 |
| 2000-01 | ユヴェントス | A | 25 | 9 | 2 | - | 6 | - | - | - | 33 | 9 |
| 2001-02 | ユヴェントス | A | 32 | 16 | 4 | 1 | 10 | 4 | - | - | 46 | 21 |
| 2002-03 | ユヴェントス | A | 24 | 16 | 1 | 2 | 13 | 5 | - | - | 38 | 23 |
| 2003-04 | ユヴェントス | A | 22 | 8 | 5 | 3 | 4 | 3 | - | - | 31 | 14 |
| 2004-05 | ユヴェントス | A | 30 | 14 | 1 | - | 10 | 3 | - | - | 41 | 17 |
| 2005-06 | ユヴェントス | A | 33 | 12 | 5 | 5 | 7 | 3 | - | - | 45 | 20 |
| 2006-07 | ユヴェントス | B | 35 | 20 | 2 | 3 | - | - | - | - | 37 | 23 |
| 2007-08 | ユヴェントス | A | 37 | 21 | 4 | 3 | - | - | - | - | 41 | 24 |
| 合計 | 417 | 176 | 51 | 22 | 105 | 43 | 1 | 1 | 574 | 242 | ||
* コッパ・イタリア、イタリア・スーパーカップを指す
** UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAインタートトカップ、UEFAスーパーカップを指す
*** インターコンチネンタルカップ、FIFAクラブワールドカップを指す
[編集] 外部リンク
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| ユヴェントス - 現所属メンバー |
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1 ブッフォン | 3 キエッリーニ | 4 メルベリ | 5 ゼビナ | 6 ザネッティ | 7 サリハミジッチ | 8 アマウリ | 9 イアクインタ | 10 デル・ピエロ | 11 ネドベド | 12 キメンティ | 13 マンニンガー | 14 アンドラーデ | 15 クネゼビッチ | 16 カモラネージ | 17 トレゼゲ | 18 ポウルセン | 19 マルキジオ | 20 ジョビンコ | 21 グリゲラ | 22 シソッコ | 27 エクダル | 28 モリナーロ | 29 デ・チェリエ | 30 チアゴ | 32 マルキオンニ | 33 レグロッターリエ | 監督: ラニエリ |
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