学校法人桐蔭学園

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桐蔭学園
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国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人桐蔭学園
設立年月日 1964年(昭和39年)
創立者 柴田周吉
所在地 225-8502
神奈川県横浜市青葉区鉄町1614番地
電話番号 045-971-1411
外部リンク 公式サイト
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学校法人桐蔭学園(がっこうほうじんとういんがくえん)は、1964年昭和39年)に「真のエリートの育成」を目指し創立された、幼稚園から大学院を擁する学校法人である。横浜市青葉区鉄町に広大な敷地のキャンパスを所有し、ドイツにはドイツ桐蔭学園を所有している。また、関連法人として横浜総合病院(総合病院)も有している。

目次

[編集] 概要

  • 幼稚部(2年保育)・小学部・中学校・高等学校・中等教育学校・桐蔭横浜大学法学部、及び法科大学院、医用工学部などを設置)が設置されている。中学校および高等学校は男女別学制、中等教育学校は男子校、幼稚部・小学部・大学・法科大学院は男女共学制を敷いている。なお、かつて存在していた桐蔭学園工業高等専門学校は男子校であった。
  • 学園創立者・初代理事長は、茗渓会会長、茗渓学園理事長、科学技術学園理事長なども務めた柴田周吉。柴田周吉理事長のもとで桐蔭学園の理事会の監事をしていた長男・柴田矩雄が1977年3月に死去し、後任監事として次男の柴田紘次が就任したが、1982年10月2日に柴田周吉理事長が亡くなった後、鵜川昇が学園創立以来の理事を一掃し、理事長と校長の両ポストに就いて学園長と称するようになり権力の集中を図った。また鵜川は後に、柴田と同様、茗渓会会長、茗渓学園理事長にも就任している。鵜川には、「一流校合格への父親学」など、いくつかの著書がある。2007年11月27日、多臓器不全のため横浜総合病院にて逝去。
  • 12月8日の理事会で第3代の理事長には学園創立以来の教諭で、1971年に硬式野球部が全国優勝したときの責任教諭であった榊原滋が就任、中学・高校・中等教育学校の校長も兼ねる。

[編集] 幼稚部

[編集] 小学部

  • 過去に東急田園都市線の江田駅において、本校児童の死亡事故が起こり江田駅のホームに安全対策として柵が設置。さらに教諭陣によるホームでの乗り降りの指導及び監視が行われるようになった。

[編集] 中学校・高等学校・中等教育学校

  • 中高一貫校として、桐蔭学園中学校/高等学校男子部桐蔭学園中学校/高等学校女子部と、男子校である桐蔭学園中等教育学校が存在する。なお、女子部には女子中等教育コース(※中等教育学校とは別である)と従来型の女子中学/高校コースがある。そして、高等学校男子部には普通科理数科の二つの学科が、同女子部には普通科のみの中で普通コース理数コースの二つのコースが設置されている。入学偏差値は、男子部中学校、女子部中学コースよりも、中等教育学校、中等教育コースの方が高い。
  • 中学校・高等学校には男子部と女子部があり、校舎などエリアが分かれている男女別学である。しかし、高校3年ではコース別編成を採るため、授業のみ男女共学となる。
  • 高等学校男子部には、一学年に理数科6クラス・普通科12クラスが設置されており、生徒数では国内有数となっている(ちなみに生徒数最多の高校は作新学院高等学校)。
  • 原則として能力別の授業編成を行っており、年に4回(前期中間、前期期末、後期中間、後期期末)、それぞれの定期考査の成績によりレッスンルーム(能力別に編成された授業集団。通称、レッスン/LR)の入れ替えが行われる。(ただし、次学年への進級に伴うレッスン移動では校内実力テストの成績も加味することがある。)HRは三年間同じである。
  • 夏期研修期間(実質夏休み)の直後に夏期研修課題確認テストが行われる。このテストは9月に行われる前期期末考査の一部となっており、前期期末考査一科目100点満点中15点が割り当てられる。そのため、定期考査や実力テストなどの中で唯一前期期末考査だけは一科目85点満点となっている。
  • 服装や頭髪などの指導が厳しく、定期的に検査などもしている。
  • 開校当初は生徒集めに苦労し、現在の学園幹部が周辺地域への戸別訪問を繰り返したこともあったという。その後野球部が甲子園で優勝したことを契機に学校宣伝を積極的に行い、生徒を集めた。
  • いわゆる自宅外生の受け入れも行なっており、鉄町の学園敷地内と学園の近隣数ヶ所に生徒寮を有している。

[編集] 大学・法科大学院

[編集] 大学合格実績

  • 90年代前半には東京大学の合格者が100名を超え、部活動でも好成績を残すなど文武両面で好イメージを広めることに成功したが、東大合格者数は中等教育学校も含めた総数で2007年33名、2008年26名と漸減傾向にあり、他の難関大学に対しても同様のため、合格実績の立て直しが急務となっている。


[編集] 部活動

[編集] 学園祭(ポロニア祭)

  • 鵬翔祭(ほうしょうさい)
    • 男子の高校、中学、中等教育学校ともにこの名称を用いている。中等はそれぞれ前期課程は中学と、後期課程は高校と一体化している。特に高校は予算が1千万円規模で運営され、近年では総合学習を中心とした発表が行われている。[要出典]そのため、模擬店などの出し物はあまりない。[要出典]また、高校2年理数科及び中等教育5年は課題研究の発表を行っている。
  • 鸞鳳祭(らんほうさい)
    • 女子の高校、中学ともにこの名称を用いている。毎年クラブごとの模擬店や、縁日のようなイベントなどを行っている。しかしメインはあくまでも学習発表である。[要出典]またバザーも開催され、こちらの方は父母、地元住民に好評を得ている。学園長の死去の影響もあり、2008年から雰囲気をかえ、学習発表でなく祭り気分を出させるため生徒のやりたい企画を行うようになった。
  • 男女での比較
    • 男子部は装飾などは少ないがイベントや、有志によるライブなどに力を入れている。
    • 女子部は複数のクラスを装飾に当てるなど校内装飾に力を入れている。
  • 燦爛祭(さんらんさい)
    • 大学の学園祭。学生による飲食販売の模擬店が残されている。

[編集] 沿革

  • 1964年4月:学校法人桐蔭学園設立。桐蔭学園高等学校開設。
  • 1965年4月:桐蔭学園工業高等専門学校開設(機械工学科・電気工学科・工業科学科)。
  • 1966年4月:桐蔭学園中学校開設。
  • 1967年4月:桐蔭学園小学校(現桐蔭学園小学部)開設。
  • 1969年4月:桐蔭学園幼稚園(現桐蔭学園幼稚部)開設。
  • 1971年4月:桐蔭学園高等学校に理数科を開設。
  • 1981年4月:桐蔭学園中学校・高等学校に女子部を開設(女子部は普通科のみ)。
  • 1988年4月:桐蔭学園横浜大学(現桐蔭横浜大学)工学部開設。桐蔭学園工業高等専門学校の学生募集を中止。
  • 1991年11月:桐蔭学園工業高等専門学校廃止。
  • 1992年4月:ドイツ桐蔭学園(中等部・高等部)開設。桐蔭学園横浜大学大学院工学研究科修士課程開設。
  • 1993年4月:桐蔭学園横浜大学(現桐蔭横浜大学)法学部開設。
  • 1994年4月:桐蔭学園横浜大学大学院工学研究科博士後期課程開設。
  • 1997年4月:桐蔭学園横浜大学を桐蔭横浜大学に改称。同大大学院法学研究科修士課程開設。
  • 1999年4月:桐蔭横浜大学大学院法学研究科博士後期課程開設。
  • 2001年4月:桐蔭学園中等教育学校開設。
  • 2004年4月:桐蔭横浜大学法科大学院を開設。
  • 2005年4月:桐蔭横浜大学医用工学部開設。
  • 2008年4月:桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部開設。

[編集] 学園歌

  • 学園内のそれぞれの学校の校歌は学園歌としている。学園開校から7年目の1970年に制定された。ちなみに校歌には学校名が入っていない。

[編集] 主な出身者

[編集] サッカー

[編集] 野球

[編集] その他スポーツ

[編集] 芸能人

[編集] マスコミ

[編集] 学究

[編集] その他

[編集] アクセス

[編集] キャンパス

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注