シルビア・ファリナ・エリア
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シルビア・ファリナ・エリア |
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|---|---|---|
| 基本情報 | ||
| ラテン文字名 | Silvia Farina Elia | |
| 国籍 | ||
| 出身地 | 同・ミラノ | |
| 生年月日 | 1972年4月27日(36歳) | |
| 身長 | 172cm | |
| 体重 | 62kg | |
| 利き手 | 右 | |
| バックハンド | 片手打ち | |
| ツアー経歴 | ||
| デビュー年 | 1988年 | |
| 引退年 | 2005年 | |
| ツアー通算 | 12勝 | |
| シングルス | 3勝 | |
| ダブルス | 9勝 | |
| 生涯通算成績 | 738勝625敗 | |
| シングルス | 469勝370敗 | |
| ダブルス | 269勝255敗 | |
| 4大大会最高成績・シングルス | ||
| 全豪 | 4回戦(2004・05) | |
| 全仏 | 4回戦(2001・02) | |
| 全英 | ベスト8(2003) | |
| 全米 | 4回戦(2002) | |
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||
| 全豪 | 3回戦(1997) | |
| 全仏 | ベスト8(1994・98・2004) | |
| 全英 | ベスト8(1998・99) | |
| 全米 | 3回戦(1994・99・2005) | |
| キャリア自己最高ランキング | ||
| シングルス | 11位 | |
| ダブルス | 24位 | |
シルビア・ファリナ・エリア(Silvia Farina Elia, 1972年4月27日 - )は、イタリア・ミラノ出身の元女子プロテニス選手。長年にわたり、イタリアの女子テニス界を代表してきた選手である。既婚選手として、自分の姓「ファリナ」(Farina)と夫の姓「エリア」(Elia)を併用している。自己最高ランキングはシングルス11位、ダブルス24位。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス9勝を挙げた。「大器晩成」の最たる例のような選手だった。
シルビア・ファリナの両親は保険外交員で、彼女は母親の勧めで10歳からテニスを始めた。1988年にプロ入り。1993年から女子国別対抗戦・フェドカップのイタリア代表選手となる。1999年9月22日にコーチのフランチェスコ・エリア(Francesco Elia)と結婚。2001年5月にフランス・ストラスブールの大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で、プロ入り13年目にして初のシングルス優勝を成し遂げた。それまでの間、彼女は7度もWTAツアー決勝戦で厚い壁に阻まれ続け、1998年には4度も準優勝止まりがあった。2001年1月にもオーストラリア・ゴールドコーストの大会の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに敗れ、シングルスのキャリアで7度目の準優勝の苦杯をなめていた。それだけに、ストラスブールの大会の決勝戦でドイツのアンケ・フーバーを 7-5, 0-6, 6-4 で破り、29歳にしてシングルス初優勝を果たしたファリナ・エリアの感慨は特別なものがあった。
この初優勝で波に乗った彼女は、続く全仏オープンでも自身初の4大大会4回戦進出を果たした。この大会では3人のイタリア人選手が女子シングルスの4回戦に勝ち残り、ファリナ・エリアとリタ・グランデ、フランチェスカ・スキアボーネが勝ち進んだが、これはイタリアのテニス界を通じて史上初の偉業だった。それから2003年まで、ファリナ・エリアはストラスブールの大会で3連覇を達成した。
ファリナ・エリアの4大大会自己最高成績は、2003年のウィンブルドンベスト8進出である。この準々決勝ではキム・クライシュテルスに 7-5, 0-6, 1-6 の逆転で敗れた。2004年度のツアーでは2度の準優勝がある。
ファリナ・エリアはオリンピックのイタリア代表選手としても、1996年アトランタ五輪・2000年シドニー五輪・2004年アテネ五輪の3度出場を果たしている。3大会とも女子シングルス・女子ダブルスの両方にエントリーし、最高成績は2000年シドニー五輪の女子シングルス3回戦進出だった。フェドカップのイタリア・チームでも、彼女は通算勝利数(23勝11敗)とシングルス通算勝利数(21勝8敗)でチーム歴代1位記録保持者になった。
晩成型の選手だったシルビア・ファリナ・エリアもついに力尽きる時が訪れ、2005年10月に33歳で正式に現役引退を表明した。
[編集] 外部リンク
- シルビア・ファリナ・エリア - WTAツアーのプロフィール(英語)
- フェドカップ成績表 (参考:イタリア・チームの歴史)

