東京急行電鉄
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| 種類 | 株式会社 | ||
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| 市場情報 |
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| 略称 | 東急、東京急行、東急電鉄 | ||
| 本社所在地 | 〒150-8511 東京都渋谷区南平台町5番6号 |
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| 電話番号 | 03-3477-6111 | ||
| 設立 | 1922年(大正11年)9月2日 | ||
| 業種 | 陸運業 | ||
| 事業内容 | 旅客鉄道事業・不動産事業 | ||
| 代表者 | 代表取締役会長 上條清文 代表取締役社長 越村敏昭 |
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| 資本金 | 1,217億24百万円 (2008年3月31日現在) |
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| 売上高 | 単体2,561億67百万円 連結1兆3,729億52百万円 (2008年3月期) |
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| 総資産 | 単体1兆4,048億19万円 連結1兆9,435億90万円 (2008年3月期) |
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| 従業員数 | 単体3,403人 連結24,786人 (2008年3月31日現在) |
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| 決算期 | 毎年3月31日 | ||
| 主要株主 | 第一生命保険 6.8% 日本生命保険 6.0% |
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| 主要子会社 | 株式会社東急百貨店100% 株式会社東急ストア40.4% 伊豆急行株式会社100% 東急バス株式会社100% 株式会社東急ホテルズ100% 東急建設株式会社 |
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| 関係する人物 | 渋沢栄一・五島慶太・五島昇・大川博 | ||
| 外部リンク | www.tokyu.co.jp | ||
東京急行電鉄株式会社(とうきょうきゅうこうでんてつ、英称:Tokyu Corporation)は東京都南西部から神奈川県東部に路線を展開して鉄軌道事業などを行う日本の会社である。略称は東急(とうきゅう)。
公式略称は「東京急行」としていたが、2006年(平成18年)1月1日より「東急電鉄」に変更した。それに伴い駅掲出のポスター・チラシ類、公式サイトやパスネットなどにおいて略称表記を順次「東急電鉄」に変更している。かつては英語略称として、T.K.K(Tokyo Kyuko Kabushikigaisha)を使用していた時代もあった。パスネットの符丁はTKだった。
目次 |
[編集] 概要
東急グループの中核企業である東京急行電鉄は、その成り立ちから鉄軌道事業以外の事業割合が大きく、不動産事業、ホテル事業など、鉄軌道事業以外の収益が同事業の収益を上回り、グループ全体の収益は毎年1兆円を超える。単体売上高は近畿日本鉄道に次ぎ、連結売上高は日本1位、利益は連結、単体共に1位である(JRを除く)。グループ企業には、交通関係、開発関係、流通関係、リゾート関係、ホテル関係などに287社9法人が名を連ねる(2007年3月末現在)。
東京急行電鉄は、東急グループ内外を問わず東急グループの事業中核会社として認識されており、「電鉄本社」と表現されることが多い。
1947年から1972年まではプロ野球チームの「東急(急映・東映)フライヤーズ」(後に、日拓ホームフライヤーズ→日本ハムファイターズ→現在の北海道日本ハムファイターズ)を所有した。また、映画製作・配給を手掛ける東映(旧・東横映画)は1964年まで東急グループの傘下であったが、当時東映のオーナーだった大川博と東急側との間に溝ができ、東映側が独立したが、大川の没後東映社長となった東急派の岡田茂が取締役を務める等、東急との関係は部分的に残った。
また、かつてグループ企業に日本エアシステム(JAS、現・日本航空インターナショナル)があったことから、同社の株式移転により設立された株式会社日本航空(JALグループの持株会社)の筆頭株主だった。同社とは2006年春にJALと東急グループが提携クレジットカードを発行した。
[編集] 沿革
東京急行電鉄の歴史は、成城などと並び、高級住宅街と称される田園調布の開発主体であり、渋沢栄一が非営利の事業として設立した田園都市株式会社の鉄道部門を1922年9月に分離した目黒蒲田電鉄(めぐろかまたでんてつ)に始まる。都市開発の一環としての鉄道事業という位置付けはこの当時からのものである。戦後においても、多摩田園都市の開発に伴う田園都市線の延伸などのプロジェクトを行っている。
目黒蒲田電鉄は、田園都市と地権者が共同開発した分譲地と省線(現在のJR線)を結ぶ交通手段として設立された。開業に当たって、田園都市側は大阪の箕面有馬電気軌道(箕電。現在の阪急電鉄)で実績のあった小林一三に白羽の矢を立て、経営に参画するように求めるが、小林は固辞する代わりに鉄道省出身で未開業の武蔵電気鉄道(現在の東横線の母体)に携わっていた五島慶太を推挙した。こうして目蒲入りした五島慶太は陣頭指揮を執って同社を東都最大の私鉄に育成することとなる。
1923年3月に目黒 - 丸子(現在の沼部)間を開業し、11月には目黒 - 蒲田間(目蒲線、現在の目黒線および東急多摩川線)を全通させた。また、1927年から1929年にかけて大井町線大井町 - 二子玉川間を開通させた。また、目黒蒲田電鉄は1934年10月1日に池上電気鉄道(現在の池上線を運営)を、1939年10月1日に(旧)東京横浜電鉄(武蔵電気鉄道の後身。現在の東横線および玉川線を運営)をそれぞれ合併し、10月16日に(新)東京横浜電鉄(とうきょうよこはまでんてつ)と改称した。この時に、現在の東急の基本となる路線がほぼ一元的に運営されるようになっている。
1942年5月26日に陸上交通事業調整法による戦時統制の背景もあり、同じ五島慶太が社長を務める(旧)小田急電鉄と京浜電気鉄道を合併して東京急行電鉄と改称した。1944年5月31日には京王電気軌道を合併した。また、この間の1943年には経営難であった相模鉄道の運営を受託している。さらに1944年2月には五島慶太が運輸通信大臣に就任した。路線延長約320km、北は中央線から南は三浦半島、西は箱根までをテリトリーとするいわゆる「大東急」の時代となる。
戦後は独占禁止法や過度経済力集中排除法が施行され、「大東急」はこれらの法律の適用から除外されたものの、「大東急も当てはまる」と主張する旧小田急電鉄関係者を中心にかつての4社への復元運動が勃発する。これを受けて経営陣は会社経営の民主化に乗り出し、まず1947年相模鉄道や静岡鉄道等傘下会社の持株の大部分をその会社の役職員などに譲渡し放出(相模鉄道の運営受託は持株放出直前の同年5月31日に終了している)。そこへ8月、五島慶太が公職追放に追い込まれる。そして1948年5月に百貨店部門を東横百貨店(現・東急百貨店)に分離し、6月に小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)を分離させ、大東急の「再編成」を行った。
その後、復帰した五島慶太の提唱する多摩田園都市構想に基づき、田園都市線を建設する。同線は1984年に全線開通し、多摩田園都市の基礎的インフラが完成する。1991年にはバス部門を分離し、東急バスとしている。
大東急の名残として、東横目蒲電鉄健康保険組合(1935年4月1日設立)を祖とし、東京急行電鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道、東映、関東バス及び小田急電鉄の母体事業所及び子会社等を含めた健康保険組合である、東京西南私鉄連合健康保険組合(1948年改組)の存在があげられる。近年、小田急グループは分離独立したが、2003年4月1日、東急車輛健康保険組合との合併を経て現在に至っている。また、合併されていた4私鉄は現在でも電動車の形式記号に「モ」ではなく「デ」を使用している。
2000年8月6日、混雑緩和を目的に東横線の多摩川 - 武蔵小杉間が複々線化され、目蒲線が目黒 - 武蔵小杉間の目黒線と多摩川 - 蒲田間の東急多摩川線に分割された。翌9月26日からは目黒線と帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)南北線・東京都交通局(都営地下鉄)三田線との相互直通運転を開始し、翌2001年3月28日からは埼玉高速鉄道線へも相互直通運転を拡大した。
2004年1月31日をもって東横線の横浜 - 桜木町間を廃止し(列車の運転は30日終電まで)、1日置いた2月1日より横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅までの相互直通運転を開始した。
2005年3月20日の運賃改定では、特定都市鉄道整備事業計画の下で行われてきた田園都市線渋谷 - 溝の口間を含む区間に対する10円の加算運賃が廃止された。
[編集] 年表
※前身企業である田園都市(株)、目黒蒲田電鉄、および(旧)東京横浜電鉄から大東急までの各会社の時代の詳細な年表は、それぞれ田園都市(株)、目黒蒲田電鉄、および東京横浜電鉄の各社史年表を、多摩田園都市開発に関しては多摩田園都市開発年表を参照のこと。
[編集] 前史
- 1918年(大正7年)9月2日 田園都市株式会社設立
- 1922年(大正11年)9月2日 目黒蒲田電鉄設立
- 1923年(大正12年)11月1日 目蒲線目黒 - 蒲田間全線開通
- 1924年(大正13年)10月25日 (旧)東京横浜電鉄誕生
- 1928年(昭和3年)5月5日 目黒蒲田電鉄が 田園都市株式会社を合併
- 1929年(昭和4年)12月25日 大井町線大井町 - 二子玉川間全線開通
- 1932年(昭和7年)3月31日 東横線渋谷 - 桜木町間全線開通
- 1934年(昭和9年)10月1日 目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道(池上線)を合併
- 1934年(昭和9年)11月1日 東横百貨店を開業
- 1936年(昭和11年)12月24日 五島慶太が電鉄両社の取締役社長に就任
- 1937年(昭和12年)12月1日 目黒自動車運輸および芝浦自動車を合併
- 1938年(昭和13年)1月 東京タクシーを設立
- 1938年(昭和13年)4月1日 東京横浜電鉄が玉川電気鉄道(玉川線)を合併
- 1938年(昭和13年)10月20日 江ノ島電気鉄道が東京横浜電鉄傘下に入る
- 1939年(昭和14年)10月1日 目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄を合併
- 1939年(昭和14年)10月16日 目黒蒲田電鉄が(新)東京横浜電鉄に商号変更
- 1939年(昭和14年)11月21日 横浜市街自動車を買収
- 1940年(昭和15年)3月30日 東横学園設立
- 1940年(昭和15年)12月23日 横浜市街自動車は東横タクシーに商号変更
[編集] (旧)東京急行電鉄、「大東急」の時代
- 1942年(昭和17年)5月 強羅ホテルを買収
- 1942年(昭和17年)5月1日 京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併、(旧)東京急行電鉄に商号変更
- 1943年(昭和18年)7月1日 大井町線列車が溝の口まで乗り入れ開始
- 1944年(昭和19年)2月19日 五島慶太が運輸通信大臣就任に伴い、社長を辞任
- 1944年(昭和19年)2月24日 篠原三千郎が取締役社長に就任
- 1944年(昭和19年)5月31日 京王電気軌道を合併
- 1944年(昭和19年)9月14日 戦時統合により横浜川崎地区のタクシー事業者21社を東横タクシーに統合
- 1945年(昭和20年)1月16日 戦時統合により東京都内のタクシー事業者を4社に統合するため、日東自動車と東京タクシーを中心に11社1個人の経営統合が決定
- 1945年(昭和20年)3月12日 平山孝が取締役社長に就任
- 1945年(昭和20年)8月20日 小宮次郎が取締役社長に就任
- 1945年(昭和20年)9月26日 大川博の命名により東横タクシーが神奈川都市交通に商号変更
- 1945年(昭和20年)12月1日 経営統合した東京都内のタクシー事業者が日本自動車交通を設立
- 1945年(昭和20年)12月29日 日本自動車交通が日本交通に商号変更
- 1946年(昭和21年)3月1日 小林中が取締役社長に就任
- 1947年(昭和22年)3月15日 江ノ島電気鉄道が東急グループから離脱。
- 1947年(昭和22年)3月25日 神奈川都市交通、伊藤福一ら東急出身経営陣が東急の持株を譲受し、東急グループから離脱
- 1947年(昭和22年)6月 神中鉄道(現:相模鉄道)を分離。
- 1947年(昭和22年)8月 五島慶太が東条内閣に属していたため、公職追放の指定を受ける
- 1947年(昭和22年)10月16日 井田正一が取締役社長に就任
- 1948年(昭和23年)5月1日 会社再編成に伴い百貨店業を分離、東横百貨店(現:東急百貨店)を設立
- 1948年(昭和23年)6月1日 京王帝都電鉄(現:京王電鉄)、小田急電鉄、京浜急行電鉄を分離
- 1948年(昭和23年)6月1日 東京急行電鉄の第二会社として京浜急行電鉄株式会社が設立。東京急行電鉄から現在の当社線を譲り受けて営業開始。
[編集] 東京急行電鉄 再発足以後
- 1948年(昭和23年)8月23日 東急横浜製作所(現:東急車輛製造)を設立
- 1948年(昭和23年)12月27日 鈴木幸七が取締役社長に就任
- 1949年(昭和24年)5月16日 東京急行電鉄、東京証券取引所に再上場
- 1950年(昭和25年)8月1日 東横線に急行列車が復活
- 1950年(昭和25年)10月2日 旧本社社屋竣工(渋谷区桜丘町)
- 1951年(昭和26年)6月30日 日本交通の東急系持株(約5割超)のほとんどを日東自動車の創業家の川鍋家に譲渡
- 1951年(昭和26年)8月6日 五島慶太が公職追放を解除
- 1952年(昭和27年)5月6日 五島慶太が取締役会長に就任
- 1953年(昭和28年)1月19日 城西南地区(現:多摩田園都市)開発構想を発表
- 1953年(昭和28年)7月1日 東急病院開業
- 1953年(昭和28年)12月17日 東急不動産を設立
- 1953年(昭和28年)12月31日 新日本興業(現:東急レクリエーション)がグループ入り
- 1954年(昭和29年)5月6日 五島昇が取締役社長に就任
- 1954年(昭和29年)10月16日 東横線に5000系(旧型)車両を導入
- 1955年(昭和30年)4月1日 五島育英会を設立
- 1956年(昭和31年)1月31日 東急観光を設立
- 1956年(昭和31年)10月10日 東横興業(現:東急ストア)を設立
- 1956年(昭和31年)12月1日 東京渋谷に東急文化会館を開館
- 1957年(昭和32年)4月1日 天文博物館五島プラネタリウムを開館(2001年3月閉館)
- 1959年(昭和34年)4月11日 伊東下田電気鉄道(現:伊豆急行)を設立
- 1959年(昭和34年)8月14日 五島慶太会長が死去
- 1959年(昭和34年)11月11日 東急建設を設立
- 1960年(昭和35年)4月1日 東横線に6000系を導入
- 1960年(昭和35年)4月18日 五島美術館開館
- 1961年(昭和36年)3月1日 東急エージェンシーを設立
- 1961年(昭和36年)12月10日 伊豆急行、伊東 - 伊豆急下田間が開通
- 1962年(昭和37年)1月27日 東横線にオールステンレスカー7000系を導入
- 1962年(昭和37年)3月20日 多摩田園都市、最初の区画整理事業として野川第一地区が完成
- 1962年(昭和37年)7月21日 茅ヶ崎市にスリーハンドレッドクラブを開場
- 1963年(昭和38年)10月11日 大井町線を田園都市線と名称変更
- 1964年(昭和39年)8月29日 日吉 - 北千住間(東横線 - 営団(現:東京メトロ)日比谷線)、直通運転開始
- 1964年(昭和39年)12月15日 白木金属工業(現:シロキ工業)が東急グループ入り
- 1965年(昭和40年)7月23日 箱根ターンパイク開業
- 1966年(昭和41年)4月1日 田園都市線溝の口 - 長津田間が開通
- 1967年(昭和42年)4月28日 こどもの国線長津田 - こどもの国間が開通
- 1967年(昭和42年)11月1日 東急百貨店本店が開店
- 1968年(昭和43年)4月1日 東横線でATS(自動列車停止装置)の使用開始
- 1968年(昭和43年)4月1日 田園都市線長津田 - つくし野間が開通
- 1968年(昭和43年)6月1日 東急ホテルチェーンを設立
- 1969年(昭和44年)5月10日 玉川線(渋谷 - 二子玉川園間)と砧線(二子玉川園 - 砧本村間)を廃止
- 1969年(昭和44年)5月10日 玉川線(三軒茶屋 - 下高井戸間)を世田谷線と名称変更
- 1969年(昭和44年)11月30日 東横線に8000系を導入
- 1970年(昭和45年)3月1日 池上線にATS(自動列車停止装置)を設置、鉄道全線にATS設置完了
- 1971年(昭和46年)2月20日 祐天寺、学芸大学、桜木町の3駅が自動化駅に。祐天寺、学芸大学にオープンカウンターを開設
- 1972年(昭和47年)4月1日 東急広報委員会を設立
- 1972年(昭和47年)4月1日 田園都市線つくし野 - すずかけ台間が開通
- 1972年(昭和47年)4月28日 第1回苗木プレゼント(東急グリーニング運動)実施
- 1972年(昭和47年)7月12日 東急グループのスローガンを人間の豊かさを求める - ヒューマナイザー東急グループと決定
- 1972年(昭和47年)9月1日 東京急行電鉄、創立50周年式典を挙行
- 1972年(昭和47年)10月5日 長津田車両工場を竣工
- 1973年(昭和48年)11月1日 イン事業の直営第1号店として京都東急インを開業
- 1974年(昭和49年)8月28日 とうきゅう環境浄化財団を設立
- 1975年(昭和50年)10月23日 とうきゅう外来留学生奨学財団を設立
- 1976年(昭和51年)10月15日 田園都市線すずかけ台 - つきみ野間が開通
- 1977年(昭和52年)4月7日 新玉川線渋谷 - 二子玉川園間が開通
- 1978年(昭和53年)11月16日 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線渋谷 - 二子玉川)が直通快速列車を運転開始(1996年4月、すべての快速列車を急行列車に変更)
- 1979年(昭和54年)4月1日 東横線にTTC(列車運行総合制御装置)を導入
- 1979年(昭和54年)8月12日 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線) - 営団(現:東京メトロ)半蔵門線の全列車直通運転開始
- 1980年(昭和55年)9月2日 各地域における東急グループの組織である「東急会」の再編および「東急会連合会」の発足
- 1980年(昭和55年)12月27日 東横線に軽量ステンレスカー8090系を導入
- 1981年(昭和56年)7月29日 マウナ ラニ リゾートにゴルフ場が完成
- 1982年(昭和57年)4月3日 田園都市線高津駅高架下に電車とバスの博物館をオープン
- 1982年(昭和57年)5月16日 田園都市線・新玉川線にTTC(列車運行総合制御装置)を導入
- 1982年(昭和57年)10月2日 たまプラーザ東急SCを開業
- 1983年(昭和58年)2月14日 マウナ ラニ ベイ ホテル(現:マウナ ラニ ベイ ホテル アンド バンガローズ)をオープン
- 1983年(昭和58年)3月2日 東急有線テレビ(現:イッツ・コミュニケーションズ)を設立
- 1983年(昭和58年)10月3日 カルチャースクール 東急クリエイティブライフセミナー渋谷BEを開設
- 1983年(昭和58年)11月30日 クレジット・イチマルキュウ(現:東急カード)を設立
- 1984年(昭和59年)1月1日 東急ホテルチェーン(現・東急ホテルズ)が東京ヒルトンとの契約完了、キャピトル東急ホテルとして営業開始
- 1984年(昭和59年)4月9日 つきみ野 - 中央林間間が開通、田園都市線が全線開通
- 1984年(昭和59年)5月11日 五島昇社長が日本商工会議所の会頭に就任
- 1985年(昭和60年)9月20日 香林坊第一開発ビル(金沢東急ホテル(現:金沢エクセルホテル東急)、KOHRINBO 109)がグランドオープン
- 1986年(昭和61年)2月5日 ニューステーションプラン1号店として、自由が丘駅総合サービスセンター(現:テコプラザ)開業
- 1986年(昭和61年)3月9日 東横線に新型車両9000系を導入
- 1986年(昭和61年)10月1日 東急グループのスローガンを21世紀へ豊かさを深める - とうきゅうグループと制定
- 1986年(昭和61年)11月21日 東急総合研究所を設立
- 1987年(昭和62年)8月14日 軽井沢72女子オープンゴルフトーナメントを開催( - 1991年)
- 1987年(昭和62年)10月2日 東急ケーブルテレビジョン(現:イッツコミュニケーションズ)が開局、渋谷区と横浜市緑区で営業放送を開始
- 1987年(昭和62年)12月25日 横田二郎副社長が取締役社長に、五島昇社長が会長に就任
- 1988年(昭和63年)3月11日 東横線複々線化工事および目蒲線改良工事の最初の工事として日吉駅改良工事に着手
- 1988年(昭和63年)4月12日 多摩田園都市が日本建築学会賞を受賞
- 1988年(昭和63年)12月26日 日比谷線乗り入れ車両として新型車両1000系を導入
- 1989年(平成元年)1月26日 こどもの国線ワンマン化
- 1989年(平成元年)3月19日 3000系車両(旧型)が営業運転終了、鉄道の全車両がステンレス車体になる
- 1989年(平成元年)3月19日 池上線旗の台 - 戸越銀座間の連続立体交差化工事が完了、13か所の踏切を解消
- 1989年(平成元年)3月20日 五島昇会長が死去
- 1989年(平成元年)9月3日 東京渋谷に複合文化施設Bunkamuraを開業
- 1989年(平成元年)10月26日 多摩田園都市が緑の都市賞で内閣総理大臣賞を受賞
- 1989年(平成元年)11月4日 田奈一号踏切道を廃止、田園都市線は踏切ゼロの路線になる
- 1990年(平成2年)3月16日 五島記念文化財団を設立
- 1990年(平成2年)4月18日 東急アクションプラン21を発表
- 1991年(平成3年)3月16日 田園都市線・新玉川線(現:田園都市線)に新型ATC(自動列車制御装置)を導入
- 1991年(平成3年)5月21日 東急バスを設立
- 1991年(平成3年)5月29日 池上線の連続立体交差化工事が土木学会技術開発賞を受賞
- 1991年(平成3年)10月1日 自動車事業を分離独立、東急バスが営業開始
- 1992年(平成4年)3月19日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)の新ブランドエクセルホテル東急の1号店として、富山エクセルホテル東急を開業
- 1992年(平成4年)3月31日 田園都市線・新玉川線に新型車両2000系を導入
- 1992年(平成4年)7月14日 東急南平台町ビル(旧本社ビル)が竣工
- 1992年(平成4年)11月1日 鉄道現業部門の制服を一新
- 1992年(平成4年)12月18日 福島県裏磐梯にグランデコ ホテル&スキーリゾートをオープン
- 1993年(平成5年)3月18日 横浜市営地下鉄線新横浜 - あざみ野間が開通し、田園都市線と接続
- 1993年(平成5年)4月21日 東急青葉台ビルが竣工
- 1993年(平成5年)11月1日 東急不動産との共同開発ビル世田谷ビジネススクエア (SBS) が竣工
- 1994年(平成6年)2月7日 MM21地区・24街区プロジェクト(クイーンズスクエア横浜)に着手
- 1994年(平成6年)4月29日 田園都市線田奈駅に「多摩田園都市まちづくり館」をオープン
- 1994年(平成6年)10月1日 フィットネス&アクアアトリオあざみ野をオープン
- 1994年(平成6年)10月1日 第1回 とうきゅう Thanks Daysを開催
- 1994年(平成6年)10月4日 世田谷ビジネススクエアが都市景観大賞を受賞
- 1995年(平成7年)2月16日 お客様の総合窓口「東急109(トーク)センター」を開設
- 1995年(平成7年)4月28日 清水仁専務が取締役社長に就任
- 1995年(平成7年)6月26日 海外ホテルの新運営会社 パン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ プライベート リミテッドを設立
- 1995年(平成7年)12月31日 第1回東急ジルベスターコンサートをBunkamuraオーチャードホールで開催
- 1996年(平成8年)2月1日 インターネット上にホームページを開設
- 1996年(平成8年)3月12日 田園調布 - 多摩川園間改良工事地下化完成
- 1996年(平成8年)4月26日 田園都市線・新玉川線、大井町線でダイヤ改正(日中時間帯、急行列車を中央林間まで延長)
- 1996年(平成8年)6月1日 横浜市青葉区の社有地で定期借地権事業(事業用)に参入
- 1996年(平成8年)10月1日 東急車輛製造の 東急インテリジェント・パーキング (TIP) システム一号機が上大岡で稼働
- 1996年(平成8年)11月18日 三軒茶屋・太子堂四丁目地区市街地再開発事業が竣工、キャロットタワーが開業
- 1997年(平成9年)2月27日 八王子駅北口地区市街地再開発事業が竣工(3月14日に商業施設 八王子東急スクエアが開業)
- 1997年(平成9年)3月20日 東横線渋谷 - 菊名間にATC(自動列車制御装置)を導入
- 1997年(平成9年)4月1日 会員制インターネットサービス 246-netがサービス開始、プロバイダ事業に参入
- 1997年(平成9年)7月18日 MM21・24街区 クイーンズスクエア横浜が街びらき(7月18日に専門店街アット!が、8月7日にパン パシフィック ホテル横浜が、9月5日に百貨店クイーンズ イーストがそれぞれ開業)
- 1997年(平成9年)9月1日 次の時代に向けた東急グループ理念体系を決定、新スローガン 美しい時代へ - 東急グループを制定
- 1998年(平成10年)3月16日 池上線でワンマン運転を開始
- 1998年(平成10年)4月1日 東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)がCATV網を活用した超高速インターネット接続サービスを開始
- 1998年(平成10年)6月1日 東急アニバーサリービデオ事業が始動
- 1998年(平成10年)7月1日 環境活動を全社的な統一テーマとして取り組むために 環境活動推進委員会を設置
- 1999年(平成11年)1月25日 タイムシェアリゾート事業に進出(商品名:ビッグウィーク)
- 1999年(平成11年)1月31日 東急百貨店日本橋店閉店
- 1999年(平成11年)3月19日 長津田車両工場が民鉄の鉄道車両整備工場としては初めて、環境管理の国際規格ISO 14001の認証を取得
- 1999年(平成11年)4月16日 東横線に新形式車両3000系を導入(現在は目黒線で運用)
- 1999年(平成11年)5月15日 環境共生型住宅 市が尾邸宅を販売開始
- 1999年(平成11年)6月24日 クイーンズスクエア横浜が建設大臣賞受賞
- 1999年(平成11年)7月2日 タイムシェアリゾート事業・利用権交換システム会社として東急ビッグウィークステーションを設立
- 1999年(平成11年)7月11日 世田谷線に更新車両300系を導入
- 1999年(平成11年)10月1日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)インターネットリアルタイム予約システムを導入
- 2000年(平成12年)1月7日 東急百貨店日本橋店跡地の再開発計画、計画促進を東京急行、三井不動産で合意
- 2000年(平成12年)1月15日 田園調布駅旧駅舎を復元
- 2000年(平成12年)2月12日 田中勇相談役が死去
- 2000年(平成12年)3月1日 東急インチェーン・東急ホテルチェーンの宿泊予約サイト 東急チェックインドットコムを開設
- 2000年(平成12年)3月29日 こどもの国線通勤線化、中間駅として恩田駅を開業
- 2000年(平成12年)4月7日 東京急行、トヨタが共同で、広帯域・インターネット・アプリケーションサービスを提供するために AII企画株式会社(現:AII株式会社)を設立
- 2000年(平成12年)4月7日 東京急行、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)、京王電鉄の3社共同プロジェクト 渋谷マークシティが開業。ホテル棟に 渋谷エクセルホテル東急がオープン
- 2000年(平成12年)4月10日 東京急行、小田急電鉄、相模鉄道、東武鉄道の4社が発起人となって、CATVのデジタル化のための 日本デジタル配信株式会社を設立
- 2000年(平成12年)4月18日 東急グループ経営方針を発表
- 2000年(平成12年)4月21日 田園都市線・南町田駅前にオープンモール型ショッピングセンター グランベリーモールを開業
- 2000年(平成12年)6月30日 東京急行、ソニー、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)の3社で、ブロードバンド・ネットワーク事業で戦略的に提携していくことで合意
- 2000年(平成12年)8月6日 目蒲線の運行系統を目黒 - 武蔵小杉間の目黒線と多摩川 - 蒲田間の東急多摩川線の2系統に変更。田園都市線・新玉川線を田園都市線に統一。多摩川園駅を多摩川駅に、二子玉川園駅を二子玉川駅に駅名変更
- 2000年(平成12年)8月15日 東急ファンのための専用サイト レールファン東急を開設
- 2000年(平成12年)9月26日 目黒線と営団(現:東京メトロ)南北線・都営三田線との相互直通運転を開始
- 2000年(平成12年)9月26日 自動改札機でお客様の乗降を確認する フェアスルーシステムを導入
- 2000年(平成12年)10月14日 首都圏の20鉄道事業者で共通乗車カードシステム パスネットを導入
- 2000年(平成12年)10月16日 携帯電話電源OFF車両(列車の偶数車両)を全国で初めて設置
- 2000年(平成12年)11月29日 本社部門でISO14001の認証取得
- 2001年(平成13年)1月9日 東急ホテルマネジメント設立
- 2001年(平成13年)1月15日 東急沿線の生活サイト「salus(サルース)」開設
- 2001年(平成13年)2月11日 世田谷線がノンステップ化、新型300系車両への置き換え完了
- 2001年(平成13年)3月11日 天文博物館五島プラネタリウム閉館
- 2001年(平成13年)3月23日 目黒線が埼玉高速鉄道と相互直通運転を開始
- 2001年(平成13年)3月28日 東横線に特急を新設
- 2001年(平成13年)3月30日 ソニー、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)と次世代型CATVインターネットサービス提供開始で合意
- 2001年(平成13年)3月31日 石油販売事業の営業を終了
- 2001年(平成13年)4月1日 東急沿線の情報誌salus(サルース)創刊
- 2001年(平成13年)4月20日 東横線複々線化事業が平成12年度土木学会賞技術賞を受賞
- 2001年(平成13年)5月24日 セルリアンタワーグランドオープン
- 2001年(平成13年)6月27日 東急リアル・エステート・インベストメント・マネジメントを設立
- 2001年(平成13年)6月28日 清水仁社長が会長に、上條清文副社長が社長に就任
- 2001年(平成13年)7月11日 日本橋一丁目計画着工
- 2001年(平成13年)7月17日 株式交換により東急ホテルチェーンを完全子会社化
- 2001年(平成13年)7月23日 東急ホテルズ予約センターを開設
- 2001年(平成13年)7月29日 渋谷駅構内に新業態店舗ranKing ranQueen(ランキンランキン)開業
- 2001年(平成13年)8月1日 東急ケーブルテレビジョンが、イッツ・コミュニケーションズに社名変更
- 2002年(平成14年)1月4日 東急グループコンプライアンス指針を制定
- 2002年(平成14年)1月29日 東横線と営団13号線(現:東京メトロ副都心線)の相互直通運転実施(2012年度)を決定
- 2002年(平成14年)3月1日 青葉台東急スクエアがグランドオープン
- 2002年(平成14年)3月23日 乗車券を2枚同時投入できる自動改札機を導入
- 2002年(平成14年)3月28日 田園都市線、大井町線ダイヤ改正、あざみ野駅を急行停車駅に変更
- 2002年(平成14年)3月29日 平塚市五領ケ台特定土地区画整理事業(湘南めぐみが丘)が完成
- 2002年(平成14年)4月1日 東急ホテルチェーンと東急インチェーンのホテルチェーン名を 東急ホテルズに統一
- 2002年(平成14年)4月1日 東急運輸、東京通運の2社経営を相鉄運輸に統合(新社名:東急ロジスティック)
- 2002年(平成14年)4月1日 東急保険コンサルティングの営業を開始
- 2002年(平成14年)4月1日 246-netの営業をイッツ・コミュニケーションズに譲渡
- 2002年(平成14年)4月1日 JR東急目黒ビル、グランドオープン
- 2002年(平成14年)5月2日 田園都市線に新形式車両5000系を導入
- 2002年(平成14年)5月27日 国内ホテル経営機能の集約(ホテル事業を東急ホテルチェーンに譲渡)を発表
- 2002年(平成14年)5月28日 東急文化会館の閉鎖、解体(2003年6月)を決定
- 2002年(平成14年)6月27日 インターネットによる株主総会の議決権行使、決算公告に代えて、ホームページによる貸借対照表および損益計算書の開示を導入
- 2002年(平成14年)7月1日 東急サービスと東急管財が合併(会社名:東急ファシリティサービス)
- 2002年(平成14年)7月7日 世田谷線にICカード乗車券 せたまるを導入
- 2002年(平成14年)8月1日 携帯端末向け列車運行情報提供サービスを開始
- 2002年(平成14年)10月1日 株式交換により、東急車輛製造を完全子会社化
- 2002年(平成14年)10月20日 横浜市青葉区で市内初のコミュニティ放送FMサルースを開局
- 2002年(平成14年)12月27日 固定資産の信託設定ならびに信託受益権の譲渡を発表(東急南平台町ビル、東急桜丘町ビル、第2東急鷺沼ビル)
- 2003年(平成15年)3月15日 東急109センターの名称を「東急お客さまセンター」に改称、営業時間拡大、土日の営業を開始
- 2003年(平成15年)3月19日 営団地下鉄(現:東京メトロ)半蔵門線 - 東武伊勢崎線・日光線との相互乗り入れを開始
- 2003年(平成15年)3月19日 東急線ダイヤ改正(世田谷線を除く)、東横線に通勤特急を新設
- 2003年(平成15年)3月20日 電車とバスの博物館が宮崎台駅に移転、リニューアルオープン
- 2003年(平成15年)3月26日 東京急行電鉄中期2カ年経営計画を策定
- 2003年(平成15年)4月1日 事業持株会社化に向けた機構改革を実施、事業部門を鉄道事業、都市生活事業の2本部体制に
- 2003年(平成15年)4月1日 ホテル事業を東急ホテルチェーンに営業譲渡
- 2003年(平成15年)5月1日 全駅を終日禁煙化
- 2003年(平成15年)5月1日 映像制作支援事業 tokyu C&C(トーキュウシーアンドシー)が本営業を開始
- 2003年(平成15年)6月30日 東急文化会館閉館
- 2003年(平成15年)9月10日 東急リアル・エステート投資法人が東京証券取引所に上場
- 2003年(平成15年)9月15日 電車内における携帯電話マナーのご案内を、関東17の鉄道事業者で統一
- 2003年(平成15年)9月26日 株式交換による東急観光の完全子会社化(2004年1月1日)を決定
- 2003年(平成15年)10月1日 東急建設が建設事業と不動産事業に会社を分割、建設事業を継承するTCホールディングスが商号を東急建設に変更し、東証一部に再上場
- 2004年(平成16年)1月1日 株式交換により東急観光を完全子会社化
- 2004年(平成16年)1月30日 東横線横浜 - 桜木町間の営業を終了
- 2004年(平成16年)2月1日 みなとみらい線開業、東横線が相互直通運転を開始
- 2004年(平成16年)3月1日 箱根ターンパイク(自動車道事業)を豪マッコーリーグループに営業譲渡
- 2004年(平成16年)3月31日 東急観光株式の約85%をアクティブ・インベストメント・パートナーズに譲渡
- 2004年(平成16年)4月1日 障害者の雇用促進を目的とした会社 東急ウィルを設立
- 2004年(平成16年)4月7日 あざみ野に遊水池の上部空間を利用した商業施設 悠・粋・知 三規庭が開業
- 2004年(平成16年)6月26日 横田二郎相談役(元社長)が死去
- 2004年(平成16年)9月27日 株式交換により東急百貨店を完全子会社化することを発表
- 2004年(平成16年)10月1日 株式交換により伊豆急行を完全子会社化
- 2004年(平成16年)12月1日 東急セキュリティが本格営業を開始
- 2004年(平成16年)12月15日 東急エアカーゴ株式の当社保有分をバンテックホールディングスツーに譲渡
- 2005年(平成17年)2月10日 東横線渋谷 - 横浜駅間改良工事が特定都市鉄道整備事業計画として認定
- 2005年(平成17年)3月4日 二子玉川東地区再開発組合の設立が認可
- 2005年(平成17年)3月28日 東京急行電鉄中期3カ年経営計画を発表
- 2005年(平成17年)4月1日 執行役員制度導入と機構改革実施
- 2005年(平成17年)4月1日 株式交換により東急百貨店を完全子会社化
- 2005年(平成17年)5月9日 田園都市線に女性専用車両を導入
- 2005年(平成17年)6月15日 東急ロジスティック株式の当社保有分をエスビーエスに譲渡
- 2005年(平成17年)6月29日 上條清文社長が会長、越村敏昭専務が社長に就任
- 2005年(平成17年)7月25日 東横線に女性専用車両を導入
- 2007年(平成19年)3月18日 共通ICカード乗車券PASMOを導入
- 2007年(平成19年)12月25日 池上線・東急多摩川線に新型車両7000系(2代)を導入
- 2008年(平成20年)3月28日 大井町線に新型車両6000系(2代)を導入し、同時に急行運転開始
- 2008年(平成20年)4月1日 駅係員、乗務員の制服をリニューアル。創立70周年の1992年以来となる
- 2008年(平成20年)5月7日 同社が川崎市から購入した同市宮前区内の土地の土壌汚染に関して、同市が搬入した焼却灰に原因があると訴えていた件に関し、公害等調整委員会は、川崎市に損害賠償の支払いを命じる。
- 2008年(平成20年)7月1日 東急ストアを株式交換により完全子会社化
- 2008年(平成20年)10月11日 鉄道線自動改札の半数以上を、ICカード専用化
[編集] 鉄・軌道事業
[編集] 路線
鉄道97.9km(第1種鉄道事業94.5km(東横線と目黒線の並行部分もそれぞれ計上)、第2種鉄道事業3.4km)と軌道線5.0kmの計102.9kmの路線を保有する。■の色はラインカラーである。各線の沿革、列車の運行(相互直通運転)などについてはそれぞれの記事を参照されたい。
- 鉄道線
- 軌道線
一般的に鉄道路線はその正式名称や運行区間を変えることはあまりなく、運行形態が変わった場合は正式名称とは別に愛称などを用いる場合が多いが、東急は正式名称や区間の変更を度々行ってきた。近年では、2000年8月に目黒線と営団地下鉄南北線、都営地下鉄三田線との相互直通運転開始に関連して大幅な整理、変更を行っている。変遷については路線名称変更・区間変更を参照。
[編集] 乗り入れ路線
- 東横線→横浜高速みなとみらい線:横浜 - 元町・中華街
- 東横線→東京メトロ日比谷線:中目黒 - 北千住
- 東横線(予定)東京メトロ副都心線:渋谷 - 和光市・小竹向原経由西武有楽町線(現在)経由西武池袋線小竹向原 - 飯能・和光市経由東武東上線 - 森林公園
- 目黒線→東京メトロ南北線経由埼玉高速鉄道線:目黒 - 赤羽岩淵 - 浦和美園
- 目黒線→都営三田線:目黒 - 西高島平
- 田園都市線→東京メトロ半蔵門線経由東武伊勢崎線・日光線:渋谷 - 押上 - 南栗橋・久喜
- ※日比谷線には東武伊勢崎線車両も乗り入れるが、東横線には乗り入れない。逆に東横線の車両も東武に乗り入れない。
- ※目黒線は、南北線直通と三田線直通が交互に走り、南北線直通列車は白金高輪駅で三田線列車に連絡し、三田線直通列車は白金高輪駅で南北線列車に連絡する。ともに一部列車では連絡していない。
- ※なお、中目黒駅・横浜駅・目黒駅・田園都市線渋谷駅は他社接続の共同使用駅であるが、すべて東急が管理している。また、田園都市線渋谷駅と同一構内で接続する東京メトロ副都心線渋谷駅も東急が管理することとなった。
[編集] 廃止路線
部分廃止や前身会社の路線も含む。特記がない路線は地方鉄道法・鉄道事業法による鉄道。廃止日は最終営業日の翌日。
- 玉川線(軌道):渋谷 - 二子玉川園(現・二子玉川駅)(9.1km) - 1969年5月11日廃止
- 新奥沢線:雪ヶ谷(現・雪が谷大塚) - 新奥沢(1.4km) - 1935年11月1日廃止
- 東横線:横浜 - 桜木町(2.0km) - 2004年1月31日廃止
[編集] 未成路線
- 新宿線:渋谷 - 新宿(計画中止)
- 池上線(泉岳寺線):桐ヶ谷(戸越銀座 - 大崎広小路間) - 泉岳寺(計画中止)
- 新奥沢線:新奥沢 - 国分寺(計画中止)
- 成城学園線:自由が丘 - 成城学園前(計画中止)
[編集] 路線名称変更・区間変更
廃止日は最終営業日の翌日。
- 1963年10月11日 大井町線を田園都市線に改称。
- 1969年5月10日 玉川線のうち渋谷 - 二子玉川園(現・二子玉川)間を廃止、残存区間である三軒茶屋 - 下高井戸間を世田谷線に改称。
- 1979年8月12日 新玉川線の営団半蔵門線との相互直通運転開始に伴い、田園都市線と新玉川線の相互直通運転開始。同時に、田園都市線から旧・大井町線区間を大井町線として再分割。
- 2000年8月6日 目蒲線の営団南北線・都営三田線との相互直通運転の開始(9月26日)および多摩川 - 武蔵小杉間複々線化に伴い、目蒲線を目黒線(目黒 - 多摩川 - 武蔵小杉)と東急多摩川線(多摩川 - 蒲田)に分割。同時に相互直通運転を行っていた田園都市線と新玉川線を田園都市線に名称統合。
- 2004年1月31日 横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転開始に伴い、東横線のうち横浜 - 桜木町間を廃止。
- 2008年6月22日 東横線の武蔵小杉 - 日吉間複々線化工事完成に伴い、目黒線を武蔵小杉から日吉間まで延伸。
[編集] 事業中の区間
[編集] 構想中の区間
大倉山駅付近から新横浜駅を経由して東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道貨物線の横浜羽沢駅までの新線を建設し、西谷駅からの新線を建設する相模鉄道との相互乗り入れを行う構想が2006年5月25日に発表された。詳細は未定だが、日吉駅からの延伸扱いとなることから目黒線の延伸が有力視されている。当初は大倉山から新横浜、鶴ヶ峰を通って二俣川に至る計画だった。
[編集] 車両
2006年5月24日現在、鉄道線用1,041両と軌道線用20両の計1,061両を保有する(緊急予備車・休止車両・保留車・横浜高速鉄道所有車両を除く)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。
制御装置は主に日立製作所製で、他には東洋電機製造(東急または東洋電機初のIGBT素子を用いたVVVFインバータを採用した7700系7915編成を最後に採用されていないがモーターは以後も2代目5000系などで見られる)・東芝(2代目3000系で番号の末尾が偶数の編成・5080系・2代目6000系・2代目7000系)三菱電機(デハ300形のみ)製がある。
東急の形式記号は制御電動車および電動車を「デ」、制御車を「ク」、付随車を「サ」、次の桁に普通車を「ハ」、事業用車を「ヤ」、有蓋貨車と荷物電車を「ワ」、無蓋貨車を「ト」、電気機関車を「キ」とし、3000から付番している。これは大東急時代に小田急・帝都(現京王井の頭線)の車両を1000、京王の車両を2000としたためである。余談だが京浜には5000が与えられていた。現在は貨物、荷物輸送を廃止し、「ワ」、「ト」、「キ」が形式消滅したため使用されていない。 その後大東急分離後も東急は3000系はそのままとし、4000を飛ばして5000、6000と付番していった。9000の次は1000から再度付番し、現在7000までが与えられている。ちなみにこのときも4000を飛ばしている。
編成の組み方については原則として固定編成とし、分割・併結は行わない。また、異系列との併結も行わないが、例外として5200系に初代5000系、8500系に8000系が併結されていた実績があった。その他、現在のところ付随車が電動車を上回る構成の編成はない。
[編集] 鉄道線用
[編集] 現有形式
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