花田勝

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若乃花 勝
四股名 若乃花 勝
本名 花田 勝
愛称 お兄ちゃん
生年月日 1971年1月20日(37歳)
出身 東京都中野区(出生地・東京都杉並区
身長 180cm
体重 134kg
所属部屋 藤島部屋→二子山部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 第66代横綱
生涯戦歴 573勝286敗124休(73場所)
幕内戦歴 487勝250敗124休(58場所)
優勝 幕内優勝5回
十両優勝1回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞3回、技能賞6回
データ
初土俵 1988年3月場所
入幕 1990年9月場所
引退 2000年3月場所
引退後 タレント
アメリカンフットボール選手
実業家
備考
金星2個(旭富士
2008年7月9日現在
  

花田 勝(はなだ まさる、1971年1月20日 - )は、東京都中野区(出生地は杉並区)出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士、第66代横綱若乃花 勝(わかのはな まさる)。父は元大関貴ノ花、母は元女優藤田憲子、弟は第65代横綱・貴乃花、叔父は第45代横綱・若乃花

実業家タレントスポーツキャスター、元アメリカンフットボール選手。得意料理はナス浅漬け、血液型はB型。既婚(再婚)

目次

[編集] 来歴

上背はなかったものの、強靭で巧みな足さばきを生かして多彩な技を繰り出し、技能派の名人力士として知られた。また人当たりのよい性格で話術にも長け、力士時代から「お兄ちゃん」の愛称で親しまれる。容姿や相撲の内容は実父・貴ノ花健士よりも伯父の初代・若乃花を彷佛とさせた。左の股関節が弱かった。

[編集] 初土俵~関脇時代

1988年3月場所初土俵。弟の貴花田光司(貴乃花)と共に順調に出世し、1990年3月場所新十両。同年9月には新入幕を果たした。入幕して最初の頃は天性の勝負勘と強靭な足腰で相手の攻撃を凌いで技を繰り出して勝つという勝ち方が多かったが、1992年後半頃からおっつけに磨きがかかるようになり、成績も伸びていった。1991年9月場所2日目には横綱旭富士を右上手投げで破り、初金星を挙げた。

そして1993年3月場所に小結で初優勝。同年7月場所には13勝2敗で、貴乃花と共に優勝決定巴戦に出場。優勝は逃したものの、場所後大関に昇進。増位山太志郎、弟貴乃花に次ぐ親子大関、伯父・実父に次ぐ兄弟大関となる。

[編集] 大関時代

大関昇進後も順調に土俵を務めていたが、1994年11月場所前に右腰を痛めてからしばらく低迷する事になる。この間曙を倒して弟貴乃花の優勝の援護射撃をするという場面は見られたものの、自身が優勝を果たすまでにはいかなかった。1995年11月場所に弟貴乃花との優勝決定戦を制して漸く2回目の優勝を果たすが、翌場所は不調で一つも勝てずに途中休場してしまい、周囲をヤキモキさせた。

しかし1996年中盤頃から復調の兆しが見え、1997年1月場所は初日から完璧な相撲で14連勝して14日目に3回目の優勝を決めた。千秋楽は惜しいところで武蔵丸に敗れて全勝優勝はならなかったものの、若乃花の土俵人生の中で最高の相撲を見せた場所となった(余談だが現役時代は武蔵丸とは相性が悪く、初優勝の場所での1敗も武蔵丸によるものであった)。綱取りが大いに期待され、その期待に応えるように翌3月場所も絶好調だった。しかし3日目の旭鷲山戦で右大腿二頭筋を断裂し、途中休場で綱取りは全くの白紙となってしまった。しかも全治3か月の重傷で、7月場所に復帰したものの、序盤に3連敗する等、絶不調で引退を囁かれるまでになってしまった。

この場所は何とか勝ち越して引退の危機は乗り切ったが、怪我の箇所を考えると「もう上は望めないのではないか」と言われるまでになってしまった。しかし、1998年3月場所、突如爆発するかのように、初日から完璧な相撲を取り、14勝1敗で4回目の優勝。翌5月場所も中盤苦戦したものの、千秋楽に武蔵丸を破って何とか連続優勝を果たし、横綱昇進を決めた。12勝という低いレベルでの優勝だった為、「もう一場所見るべきではないか」という声もあったが、横綱審議委員会で反対論は全く出ずに、あっさり史上初の兄弟横綱が誕生した。

[編集] 横綱時代

横綱土俵入りではあえて「短命」のジンクスと言われる不知火型を選択。隆の里が中心となって、琴櫻や初代若乃花までが登場して土俵入りを指導した。若乃花らしい切れのあるきびきびとした土俵入りであった(当初は弟貴乃花が土俵入りを指導するものと思われていたが、貴乃花は姿を見せなかった。そしてこの頃から二人の確執が噂されるようになり、これが明らかになるのは1998年9月場所前の事である)。

史上初の兄弟横綱として多くのファンに活躍を期待されたが、一方で約5年間の大関在位で多くの怪我に苦しんだ事も有り、また不知火型のジンクス通りに、横綱の在位は短命になるのではないかという懸念の声も聞かれ、その悪い予想は的中してしまう事になる。1998年9月場所と1999年1月場所は最後まで優勝を争ったが、それ以外の場所は故障等で1999年3月場所以降3場所連続休場する事になる。

復帰した1999年9月場所は、序盤で2連敗を喫しながらもその後白星を重ねたが、10日目に左足の肉離れを起こしてしまう。それから周囲の休場勧告を無視して強行出場、結局7勝3敗から終盤5連敗して負け越した。横綱の皆勤負け越しは15日制が定着してからは史上2人目(大乃国以来10年ぶり)の不名誉な記録で、この場所限りでの引退を勧告する声もあったが、本人は現役続行を志願し、翌場所から2場所連続休場して再起を図った。そして2000年3月場所に復帰したものの、満足な相撲が取れず、5日目に栃東に敗れたのを最後に、遂に引退を発表となる。横綱在位は11場所、その内皆勤したのはわずか5場所であった。

横綱時代は休場の方が多く、かつ横綱の地位で一度も優勝出来なかったため、十分にその役目を果たせなかった。それでも大関時代は大型力士が台頭する中で、小兵の若乃花は下手をすると大負けしかねない状況だったが、休場明け等の場所を除いた場所では概ね二桁以上の成績を上げており、大関としては強かったと言える。その為に一部で「横綱に上がらなければ名大関として名を残せた」という声もある。また、力士生命にとって致命的になった足の怪我の容態は引退後も回復しておらず、後にテレビ番組において「将来、車椅子の生活になる事は避けられない」と医師から告げられた事を告白している。また、長男誕生直後に出演した『おしゃれカンケイ』(日本テレビ系)の中で、産まれて間もない長男とゲスト出演し「息子はお相撲さんには絶対させません」と笑っていたが、目は真剣そのものだった。

この若乃花の昇進を最後に、日本生まれの横綱はまだ誕生していない。この間魁皇千代大海・栃東が綱取りに挑戦しているが、いずれも失敗している。横綱昇進後は実弟・貴乃花光司との不仲や離婚問題等ワイドショーを賑わす騒動に巻き込まれることが多かったが、本人によると「(ワイドショーで)騒がれた場所ほどかえって相撲に集中出来た」らしく、実際に騒がれた場所は好成績を残している(1998年9月場所12勝3敗・準優勝、1999年1月場所13勝2敗・優勝同点)。

[編集] 引退後

年寄藤島を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年12月18日に突如日本相撲協会を退職した。

その後はタレントに転身。スポーツキャスターとして活動するとともに、運営母体ドリームアーク社の代表取締役として、全国に店舗展開する「Chanko Dining 若」、「うどんダイニング若」さらに、「&kitchen」、「Onii Chan and Kitchen(おにいちゃん&キッチン)」、またフードコート業態「わかどん」、「ちゃんこうどん」をプロデュースし、実業家として成功を収めている。

[編集] プロフィール

  • 東京文化小学校卒。1988年3月 - 明治大学付属中野高等学校を中退し、藤島部屋(のちの二子山部屋、現在の貴乃花部屋)に弟の光司と同期入門、四股名は若花田 勝(わかはなだ まさる)。ほかに同期の力士は魁皇らがおり「花の六三組」と言われた。名前は父で師匠の藤島親方が兄の勝治(伯父)にちなんで「勝」と名づけた。
  • 1990年3月 - 十両昇進
  • 1990年9月 - 幕内昇進
  • 1991年11月 - 小結昇進
  • 1993年1月 - 初の幕内最高優勝
  • 1993年5月 - 関脇昇進、四股名を若ノ花 勝(わかのはな - )に改める。
  • 1993年9月 - 大関昇進、伝達式口上で「一意専心の気持ちを忘れず相撲道に精進する」と述べる。
  • 1994年6月2日 - 元ファッションモデル日本航空客室乗務員栗尾美恵子結婚ホテルニューオータニサントリー会長佐治敬三夫妻の媒酌で披露宴を開催。
  • 1994年11月 - 四股名を若乃花 勝(わかのはな - )に改める。
  • 1995年11月26日 - 十一月場所千秋楽、史上初の兄弟による優勝決定戦で、弟貴乃花を破り幕内最高優勝を果たす。
  • 1998年7月 - 横綱に昇進、史上初の兄弟同時横綱が実現する。横綱土俵入りは不知火型を選択。伝達式口上で「堅忍不抜の精神で精進していく」と述べる(この際、綱取りのかかった場所で12勝3敗という成績が昇進に値するかどうかで議論され、「全勝優勝を求めるべし」と昇進を見送る意見もあった)。
  • 1999年1月 - 千秋楽まで単独首位であったが、本割と優勝決定戦で関脇・千代大海に敗れ、横綱初優勝ならず。
  • 1999年9月 - 十日目の闘牙戦で、左太腿の肉離れを起こしながらも取り直しで勝利する。しかしそのケガが響いて十一日目から連敗が続き、協会からの休場勧告を無視して千秋楽まで出場するも、7勝8敗で負け越し(横綱が皆勤しての負け越しは史上4人目(5例目)、15日制が定着してからは大乃国に次いで2人目)。
  • 2000年3月16日 - 三月場所5日目に現役引退を表明、年寄藤島を襲名する。最後の対戦相手は、奇しくも明大中野高校の後輩でもある、関脇(当時・のち大関)の栃東大裕だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。実際、現役最後の白星となった4日目玉春日戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、女将(当時)で実母の憲子から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。しかし、この電話で二人は「栃東戦が最後の相撲」と、通じ合っていたという。
  • 2000年9月23日 - 断髪式。若乃花最後の横綱土俵入りには太刀持ちに曙、露払いに貴乃花と両横綱が務めた。日本テレビ系列での中継は関東地区22.6%、関西地区25.6%(ビデオリサーチ調べ)の高視聴率を記録する。実弟、光司が鋏を入れた後、そっと勝の肩に手を掛けるシーンが涙を誘う。
  • 2000年12月- 成城の新居を巡って、周辺住民から日照権侵害を理由に提訴される。
  • 2000年12月18日- 東京・元麻布のクラブで“雇われママ”をしていたと主張する女性に「藤島親方の無謀なクラブ開店計画で多大な金銭的損害を被った」として、1000万円の損害賠償を求める民事裁判を東京地裁に提訴される。 日本相撲協会を退職。
  • 以降、NFL選手を目指し渡米、帰国後、本名の花田 勝タレント・スポーツキャスターとして活動を行う。
  • 2001年-Xリーグオンワードスカイラークスにラインバッカーとして入部。キッキングチームなどで計3試合に数プレー出場。
  • 2002年-アリーナフットボールリーグ(AFL)1部アリゾナ・ラトラーズ入りを目指すも、就労ビザを取得できず断念。
  • 2005年5月30日 - 実父で師匠の二子山親方花田満、元大関貴ノ花)死去。この頃、弟の貴乃花親方との確執が再び明らかとなった。貴乃花親方は「年寄株や登記書などの父の遺産が行方不明になっており、兄に『年寄株を買い取れ』などと要求された」などと話していたが、花田本人は一切反論しなかった。この件に関してのマスコミの取材も一切受けず、唯一のレギュラー番組だったスポーツうるぐすも降板し、その際「今後は一切TVに出演する事は無い」との花田のファックスが番組内で紹介された。後に父の遺産放棄を宣言、遺産放棄の理由は明らかにされていない。
  • 現在は東京都、大阪府愛知県などでちゃんこ料理屋「Chanko Dining 若」を経営し、大相撲の本場所では懸賞の提供企業にもなっている。このちゃんこ屋は2006年8月現在兵庫県姫路市岡山県京都府神奈川県、韓国にも出店し店舗数は30店舗。
  • 2007年10月2日 美恵子夫人と5年間の別居を経て離婚[1]。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。一方、美恵子元夫人は『女性セブン』(2007年10月18日号)にて「夫の度重なる浮気が主原因」と離婚に至る経過を語っている。なお4人の子供の親権は美恵子元夫人が持つこととなった。ただし、他方では、美恵子元夫人の不倫行為[2]が離婚の大きな要因になった可能性を示唆する報道も存在している[3]
  • 2008年6月15日放送分より、関西ローカルウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW上沼恵美子のアシスタントとしてして登場。母・藤田憲子明石家さんま曙太郎からそれぞれVTRで祝福のコメントを受けた。その後、現在の相撲界では数々の不祥事が続いており、そのネタが毎回取り上げられる度に、当の本人は困惑した表情を浮かべている。
  • 2008年12月12日に9歳下の一般女性と再婚した。

[編集] 幕内での場所別成績

若乃花勝
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1990年
(平成2年)
x x x x 西 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #5
6–9
 
1991年
(平成3年)
東 前頭 #10
7–8
 
東 前頭 #12
9–6
 
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #2
7–8
 
西 前頭 #3
11–4[4]
東 小結
7–8
 
1992年
(平成4年)
西 前頭 #1
10–5[4]
西 小結
0–10–5
 
西 前頭 #7
11–4
東 前頭 #1
4–9–2[5]
 
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #4
9–6
 
1993年
(平成5年)
東 前頭 #3
10–5
東 小結
14–1
西 関脇
10–5
東 関脇
13–2[6]
西 大関
9–6
 
西 大関
12–3
 
1994年
(平成6年)
東 大関
11–4
 
西 大関
3–4–8[5]
 
休場 西 大関
14–1[7]
 
西 大関
12–3
 
西 大関
8–7
 
1995年
(平成7年)
東 大関
12–3
 
西 大関
12–3
 
西 大関
9–6
 
西 大関
11–4
 
西 大関
10–5
 
西 大関
12–3[8]
 
1996年
(平成8年)
東 大関
0–4–11[5]
 
東 大関
12–3[7]
 
東 大関
12–3
 
東 大関
10–5
 
西 大関
11–4
 
西 大関
11–4[9]
 
1997年
(平成9年)
東 大関
14–1
 
東 大関
3–1–11[5]
 
休場 東 大関
8–7[7]
 
東 大関
12–3
 
東 大関
10–5
 
1998年
(平成10年)
東 大関
10–5
 
東 大関
14–1
 
東 大関
12–3
 
東 横綱
10–5
 
西 横綱
12–3
 
西 横綱
9–6
 
1999年
(平成11年)
西 横綱
13–2[10]
 
東 横綱
5–5–5[5]
 
西 横綱
3–5–7[5]
 
休場 西 横綱
7–8[11]
 
休場
2000年
(平成12年)
休場 西 横綱
引退
2–4–9
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

[編集] 家系図

       ┌───┐
       ○   ○
       │   │
       ○   ○
       │ ┌─┴─┐
     男┬女 吉崎  武ノ里
   ┌──┼─┬─────┐
  貴ノ花 若緑 女─大豪 若乃花(初代)
 ┌─┴─┐        │
貴乃花 若乃花(3代)   女─若乃花(2代)
              (離婚)

[編集] 主な成績

  • 通算成績:573勝286敗124休 勝率.667
  • 幕内成績:487勝250敗124休 勝率.661
  • 横綱成績:61勝38敗57休 勝率.616
  • 幕内在位:58場所
  • 三役在位:5場所(関脇2場所、小結3場所)
  • 大関在位:29場所
  • 横綱在位:11場所
  • 年間最多勝:1998年(67勝23敗)

[編集] 各段優勝

  • 幕内最高優勝:5回(1993年3月場所、1995年11月場所、1997年1月場所、1998年3月場所、1998年5月場所)
  • 十両優勝:1回(1990年7月場所)
  • 三段目優勝:1回(1988年11月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(1988年5月場所)

[編集] 三賞・金星

  • 三賞:9回
  • 殊勲賞:3回(1991年9月場所、1993年3月場所、1993年5月場所)
  • 技能賞:6回(1991年9月場所、1992年1月場所、1992年5月場所、1993年1月場所、1993年3月場所、1993年7月場所)
  • 金星:2個(旭富士2個)

[編集] 改名歴

  • 若花田 勝(わかはなだ まさる)1988年3月場所-1993年3月場所
  • 若ノ花 勝(わかのはな - )1993年5月場所-1994年9月場所
  • 若乃花 勝(わかのはな - )1994年11月場所-2000年3月場所

[編集] 年寄変遷

  • 藤島 勝(ふじしま まさる)2000年3月-2000年12月

[編集] パチスロ

江戸時代の中期の力士雷電爲右エ門を平成の横綱「花田勝」が演じている。

[編集] テレビ番組

[編集] 文献

[編集] 著書

[編集] 関連文献

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 花田勝氏 別居5年“仮面夫婦”終止符 2007年10月4日スポニチ閲覧(結婚当時の写真も)
  2. ^ 美恵子元夫人の不倫行為の相手として報じられたのは俳優の青木堅治
  3. ^ 美恵子さん11歳年下俳優と不倫していた 2007年10月22日日刊スポーツ閲覧
  4. ^ a b旭富士戦で金星。
  5. ^ a b c d e f 途中休場
  6. ^ 貴ノ花(のち貴乃花)と優勝決定戦
  7. ^ a b c 大関角番(全3回)
  8. ^ 貴乃花と優勝決定戦
  9. ^ 曙・武蔵丸貴ノ浪魁皇と優勝決定戦
  10. ^ 千代大海と優勝決定戦
  11. ^ 横綱皆勤負越

[編集] 外部リンク

先代:
貴乃花光司
大関
(在位:1993年9月 - 1998年5月)
次代:
貴ノ浪貞博
武蔵丸光洋
先代:
貴乃花光司
第66代横綱
(在位: 1998年7月 - 2000年3月)
次代:
武蔵丸光洋