オリバー・カーン
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| オリバー・カーン | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | Oliver Rolf Kahn | |
| 愛称 | オリー、ティターン | |
| ラテン文字 | Oliver KAHN | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1969年6月15日(39歳) | |
| 出身地 | カールスルーエ | |
| 身長 | 188cm | |
| 体重 | 91kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | GK | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1987-1994 1994-2008 |
カールスルーエSC バイエルン・ミュンヘン |
128 (0) 410 (0) |
| 代表歴2 | ||
| 1994-2006 | 86 (0)
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1国内リーグ戦に限る。2007年9月27日現在 22007年8月12日現在 |
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オリバー・カーン(Oliver Kahn、1969年6月15日 - )は、ドイツ・カールスルーエ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
ドイツサッカー界でも最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、同時にドイツ社会で最も発言力があるサッカー選手の一人である。ゼップ・マイヤーやハラルド・シューマッハらと共にドイツサッカー史に残るGKの一人であり、欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、現役のゴールキーパーでは唯一選出された。
目次 |
[編集] プレースタイル
GK大国のドイツの歴史の中でもトップクラスの実力を持つ。ゴールライン上での反射神経、思い切りの良い飛び出しでシュートを未然に防ぐ技術、相手選手との1対1の場面における我慢強さ、そしてミドルシュートへの対応の確実さはベテランとなってなお健在。シュートに対する正確な位置取りに定評があり、「スーパーゴール」として紹介されるような長距離からのシュートを決められることはまず無い。他のゴールキーパーならキャッチを試みるような正面へのシュートでも、多少でも危険があると判断すればパンチングで確実にゴールから遠ざけたりコーナーキックに逃れるなど、常に安全第一を心がけている。そのパンチングは自分の手で投げているかのように正確で、世界でもトップクラス技術である。
圧倒的な威圧感と存在感でゴール前に君臨し、鬼のような形相で怒鳴りつける姿は、敵・味方双方から「闘将」と恐れられ、同僚プレーヤー曰く「この世で怖いものは戦争とオリバー・カーン」。自分だけでなく、仲間の少しのミスも許さない完璧主義者で、ワールドカップ日韓大会、予選リーグ第二戦の対アイルランド戦で、後半ロスタイムに1失点して引き分けた試合後には、ロッカールームでミネラルウォーターのボトルを投げつけ、ディフェンダーに3時間説教したという。また、インタビューにおいても前線でボールをキープせず、不用意にボールを外に出したオリバー・ビアホフを名指しで批判した。
試合に対する集中力は凄まじく、試合後、控え室にて吐き気を催したこともあるという。勝利への執念も人一倍で、コーナーキックの際に相手ゴール前まで駆け上がり、自らの手でパンチングしゴールを決めてしまい退場処分を受けたこともある(詳細は後述)。
[編集] 略歴
[編集] クラブでの活躍
16歳の時には体格不良で、クラブチームの入団試験にことごとく落ちる。カールスルーエSCに入団するまでは筋力トレーニングのなどの雌伏の時期を過ごした。カールスルーエSCでは長い間第2GKのままであったが、数年かかって正GKの座を確保した。
ブンデスリーガやUEFAカップでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。初年度は味方ディフェンダーのクフォーと衝突し膝の十字靱帯を切断、シーズンを棒に振るが、翌年からは期待通りの活躍を見せた。コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。
1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は、大会史上に残る名試合となるが、終了直前の3分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。またドイツサッカー雑誌「キッカー」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年ごろまで各ドイツのテレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。
2000-01シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。2002ワールドカップ後は、私生活の問題もあり、コンディションを落としあまり良いプレーができなかったが、2004-05シーズンには完全復活を印象付けた。
バイエルン・ミュンヘンとの契約が切れた2008年限りで現役を引退。2008年9月2日、ミュンヘンで引退記念試合が行われ21年間の現役生活に終止符を打った。
[編集] 代表での活躍
ドイツ代表では、ワールドカップを4回経験している。しかし、1994年大会にはボド・イルクナー、1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。2006年大会では守備範囲が広くハイボールに強いイェンス・レーマンとの正ゴールキーパーのポジション争いに敗れサブGKとして参加。三位決定戦のみの出場となった。
代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのはEURO2000。しかし、この大会では実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退した。
2002年に日韓で共同開催された2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加した。ドイツは2001年9月1日にミュンヘンで行われた日韓ワールドカップ予選、イングランド戦ではマイケル・オーウェンのハットトリックなどで5失点を喫し1-5で完敗するなど、苦戦の末の本大会出場ということもあって下馬評は思わしくは無かった。
しかし、ワールドカップ本選ではカーンはファインセーブを連発し、グループリーグ・アイルランド戦の1失点と決勝のブラジル戦の2失点に抑える活躍もあって、準優勝の好成績を収めた。自身は決勝戦においてブラジル代表のジウベルト・シウバとの接触プレーにより靭帯損傷の大怪我を負うが、そのままプレーを続行する気迫を見せた。
同大会中のプレーの数々は多くのファンを魅了するとともに、ドイツと対戦する代表チームを応援している人々にとっては悪夢のような存在でもあった。それは、サッカーという競技において確実に得点可能であるとされている局面においても、オリバー・カーンの存在により実を結ばない場面が多々あったからである。その活躍により、日本での知名度もあがった。この活躍により、ワールドカップでゴールキーパーとして初のMVPを獲得した。また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。
カーンにとって実質3度目の国際大会、EURO2004では、本人は実力を発揮したものの、ドイツは2大会連続のグループリーグ敗退となった。
EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマン(アーセナルFC)と正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と以前から公言していたカーンであったが、「冷静に考えてから答えを出す。」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。
なお、代表の主将の座は当時バイエルンのチームメイトであったミヒャエル・バラックに譲っている。
実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなど必死にチームを盛り上げる姿を見せ、ドイツ国内のみならず世界中で大きな感動を呼んだ。そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めるとともに、好セーブを連発してチームの勝利に大きく貢献した。そしてこの試合の後、代表引退を正式に表明し、有終の美を飾った。
ベンチにいても存在感は非常に大きく、決勝トーナメント1回戦のスウェーデン戦後、スウェーデンの正ゴールキーパーのアンドレアス・イサクションは、自分のユニフォームをレーマンではなくカーンのユニフォームと交換した。
[編集] 人物
[編集] 人気
ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オリ カーン)」がある。旧・東ドイツの都市・ライプツィヒ出身の音楽グループのディー・プリンツェン(die Prinzen)によるこの曲は2002 FIFAワールドカップの頃に発売され、ドイツ語版・英語版とともに日本語の歌詞も収録されたことが日本でも話題となり、後に輸入された。
2006年ワールドカップ ドイツ大会ではミュンヘンの高速道路に、横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板(高さ18m、長さ65m)が作られた。これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かえる。このような巨大看板が作られたのはカーンだけである。
ドイツ政府が製作した「私達がドイツ」というCMではオリバー・カーンがドイツ出身スポーツ選手の代表としてコメントを残している。
[編集] 私生活
趣味はゴルフと株式投資、読書。ブラジルの作家パウロ・コエーリョの著作が好きで「パウロ」の通称もある。また愛車はフェラーリで(なお、バイエルン・ミュンヘンのスポンサーはオペル社)、スピード狂で、スピード違反で切符を切られたことが何度かある。また、鉄道模型も趣味としており、W杯での来日時に日本の模型店で新幹線500系電車とJR九州787系電車の模型を購入している。
サッカー選手には珍しく、大学入学資格アビトゥーアの資格を獲得し、大学の通信教育で経済学を専攻していた時期もあり、特に株式に関してかなり深い知識を持つ。ドイツのニュース番組では経済面などを中心にスーツでコメンテーターとして出演することもある。本人曰く「株式はじっくり考え、迅速に投資する」というのがポリシー。2002年10月4日(投資の日)に日本証券協会の投資セミナーで「世界の著名な投資家」として紹介され、ビデオレターも披露された。
尊敬する人はヘルムート・シュミット元ドイツ連邦首相と語る。
[編集] エピソード
- 2001年3月3日のブンデスリーガ・ハンザ・ロストック戦で、2-3でバイエルンが負けているときに、味方のコーナーキックでゴール前まで上がってきて、パンチングでゴールに入れたことがある。実況アナウンサーからは「なんて馬鹿なことをしたのでしょう」と言われ、コーナーキックを蹴ったシュテファン・エッフェンベルクからは「面白かった。笑いを堪えることができなかった退場劇は初めてだよ」と言われた。そのプレーで彼は2枚目のイエローカードで退場になり、バイエルンは交代枠をつかいきっていたため、その結果ミヒャエル・タルナトがGKをやる羽目になった。
- 2002年のブンデスリーガ・対バイエル・レバークーゼン戦では、コーナーキックを渋るトーマス・ブルダリッチに怒り、彼の首根っこをつかみ引きずりまわしたことがある。これでイエローカードをうけた挙句、試合後レバークーゼンファンを名乗る男性から傷害罪でケルン地方検察庁に告発されてしまった(検察庁は告発を不受理)。
- 幼稚園児との交流の一環でサッカーのゴールキーパーを務めたが、生真面目な性格から幼稚園児のシュートでも完全にセーブし無失点に抑えたことがある。なお、この交流会では主催者は幼稚園児がゴールを決めた回数に応じ寄付金を出す予定であった。そのため、カーンの「ファインセーブ」のせいで寄付金は0マルクとなった。カーン曰く、「たとえ相手が誰であろうとゴールを守る」とのこと。ただし、この寄付金の趣旨には賛同しており、ポケットマネーから寄付金を出している。
- ドイツのコメディアン、ハーラルト・シュミットが「カーンの行動はまるでゴリラのようだ!」と発言したことから、試合中に対戦チームのサポーターからゴリラの鳴きまねをされたり、バナナを投げられたことがある。ちなみに、本人はバナナが大嫌いである。
- 2006年3月中央アジアのウズベキスタンに住む熱狂的ファン2人がカーンに会うために首都タシュケントを出発、ドイツまでの6500kmを自転車で走破し、見事W杯前にドイツ・ベルリンに到着した。この話を聞いたカーンは2人に会い、快くサインに応じたという。カーンを前にした2人は号泣し、「これが私達にとって、どれほど名誉なことか」とロシア語で繰り返したそうだ。
- 父ロルフ・カーンも元カールスルーエSCのサッカー選手。
- カーンのその性格容貌は両親兄弟のだれにも似ず、あえていえば祖母に瓜ふたつであるという。
- 引退直前のインタビューで、本人は「一番強いFWはロナウドだが、それ以上に個人的に一番嫌なFWはフィリッポ・インザーギ。あいつには大事なときにいつも決められていた!」と語った。
- ティターン(巨人)、ヴルカーン(火山)のあだ名がある。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 1987-88 | カールスルーエ | 2 | 0 | ||||||||
| 1988-89 | カールスルーエ | 2 | 0 | ||||||||
| 1989-90 | カールスルーエ | 0 | 0 | ||||||||
| 1990-91 | カールスルーエ | 22 | 0 | ||||||||
| 1991-92 | カールスルーエ | 37 | 0 | ||||||||
| 1992-93 | カールスルーエ | 34 | 0 | ||||||||
| 1993-94 | カールスルーエ | 31 | 0 | ||||||||
| 1994-95 | バイエルン | 1 | 23 | 0 | |||||||
| 1995-96 | バイエルン | 1 | 32 | 0 | |||||||
| 1996-97 | バイエルン | 1 | 32 | 0 | |||||||
| 1997-98 | バイエルン | 1 | 34 | 0 | |||||||
| 1998-99 | バイエルン | 1 | 30 | 0 | |||||||
| 1999-00 | バイエルン | 1 | 27 | 0 | |||||||
| 2000-01 | バイエルン | 1 | 32 | 0 | |||||||
| 2001-02 | バイエルン | 1 | 32 | 0 | |||||||
| 2002-03 | バイエルン | 1 | 33 | 0 | |||||||
| 2003-04 | バイエルン | 1 | 33 | 0 | |||||||
| 2004-05 | バイエルン | 1 | 32 | 0 | |||||||
| 2005-06 | バイエルン | 1 | 31 | 0 | |||||||
| 2006-07 | バイエルン | 1 | 31 | 0 | |||||||
| 2007-08 | バイエルン | 1 | 26 | 0 | |||||||
| 通算 | ドイツ | ||||||||||
| 総通算 | |||||||||||
[編集] 獲得タイトル
- ヨーロッパ選手権 EURO1996優勝
- 2006 FIFAワールドカップ3位
- 2002 FIFAワールドカップ準優勝
- トヨタカップ優勝 2001
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 2000/2001
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝 1998/1999
- UEFAカップ優勝 1995/1996
- ブンデスリーガ優勝 7回(1996/1997,1998/1999,1999/2000,2000/2001,2002/2003,2004/2005,2005/2006)
- ドイツカップ優勝 5回(1997/1998,1999/2000,2002/2003,2004/2005,2005/2006)
- ドイツリーグカップ優勝 6回 (1997/1998,1998/1999,1999/2000,2000/2001,2004/2005,2007/2008)
[編集] 個人タイトル
- 2002ワールドカップ最優秀選手
- 2002ワールドカップ最優秀ゴールキーパー
- 世界最優秀ゴールキーパー 1999,2001,2002
- 欧州最優秀ゴールキーパー 1999,2000,2001,2002
- ドイツ最優秀選手 2001,2002
- ドイツ最優秀ゴールキーパー 1994,1997,1999,2000,2001,2002
- FIFAフェアプレー賞 2001
[編集] 日本でのテレビ出演
- テレビ朝日がメディアパートナー契約を結んでいる。
- 2003年には消費者金融のシンキ「ノーローン」や、ブリヂストンのCMに出演した。
- テレビ朝日系『スマステーション』では英語で香取慎吾にビデオレターを送った。
- サッカーマガジンで「オーリに聞け」というコラムを連載したことがある。
[編集] 著書
- 「オリバー・カーン自伝 ナンバーワン」("Nummer Eins" 斎藤孝監訳、三笠書房)ISBN 978-4837956518
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