フォークダンスDE成子坂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フォークダンスDE成子坂(-デ・なるこざか)は桶田敬太郎と村田渚で構成されていたお笑いコンビ。ホリプロ所属。
目次 |
[編集] 概要
三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)立関中学校の同級生同士で組まれたお笑いコンビ。
何かするようで何もしない、わざとハズしにかかるシュールな芸風と、桶田の特異な発言、村田の鋭いツッコミが特徴。「お笑い第四世代」に属していた。
コンビ名は、所属事務所ホリプロの当時の社員が、名優ロバート・デ・ニーロから取った名前にしようと試行錯誤した末に、「DE」(デ)だけを残して決定したといわれている。本人達は、この名前を気に入っておらず、常に改名しようとしていたが、改名前にテレビで名前が売れてしまったがために、改名はできなかった。略称はフォーク、フォークダンス、成子、成子坂、FDN。『タモリのボキャブラ天国』などに出演した。
[編集] 来歴
村田渚が大阪から三重県鈴鹿郡関町に引っ越し、町立関中学校の同級生として、二人が出会う。
- 1985年高校在学中に、村田の誘いでコンビ結成
- 高校卒業と同時に三重のホリプロの研究生となり、新幹線で月1回東京に通い、力をつけていく。
- 1991年3月、ホリプロのお笑い芸人としてデビュー
- 1993年、GAHAHAキングで第二代目チャンピオンになる
- 1994年、『タモリのボキャブラ天国』にレギュラー出演
- 1998年、単独イベント「自縛」を開催
- 10ヵ月で5回、全10公演。「全コントが新作または旧作をリメイク」というハードな条件であった。
- 1999年12月、解散を発表
[編集] メンバー
- ボケ担当。三重県出身。三重県私立高田高等学校卒。血液型A型。
- 解散後は、バンド活動後、裏方としてお笑いに復帰。現在はコアラ(現ハッピハッピー。)が経営している事務所で、お笑い塾の講師をしている。また2005年12月よりますだおかだのイベントにおいて、コントの裏方および構成として参加している。
- ツッコミ担当。三重県出身。三重県立上野高等学校卒。血液型O型。
- 解散後は、ピン芸人として活動した後、元坂道コロンブス(坂道コロコロ)の松丘慎吾と「鼻エンジン」を結成。2005年のM-1グランプリにて、初出場ながら準決勝に進出した。
- 2006年11月11日未明、自宅のマンションにてクモ膜下出血により急逝。
[編集] 出演番組
- 新しい波(フジテレビ)
- GAHAHAキング(テレビ朝日)
- 電波結社バババ団(中京テレビ)
- うるとら7:00(日本テレビ)
- タモリのボキャブラ天国(キャッチコピーはコギャル殺し→戦慄の不協和音)(フジテレビ)
- 爆笑オンエアバトル(NHK)
- 今田耕司のシブヤ系うらりんご(フジテレビ)
- ユメディア号こども塾(NHK教育)
- お笑いダンクシュート(NHK)
[編集] ビデオ
- 1998年に行われた、全5回の単独ライブを収めた作品
- 自縛1
- 自縛2
- 自縛3
- 自縛4
- 自縛5
- 自縛蔵出し(1~5でカットされたコント作品を収録したもの)
- 以上の作品は、JIC VIDEOから、定価で購入が可能。
- ボキャブラ天国 公式ビデオ Vol.1~3
- ホリプロお笑いライブ 芸腕グランプリ1・2
- ギャグ・ウォーズ(2)
[編集] エピソード
- 「ボキャブラ天国」シリーズには、「ヒットパレード」時代のコーナー第1回から出演しており、第2回では1位に輝いた。番組内の企画として行われた最強王座決定戦では、30組中12位。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を題材にした「あんた、あの子のなんなのさ」ネタが代表作(意表をついて「ちょっと前ならえ」でいきなりネタにしたこともあった)。
- しかし『超ボキャブラ天国』になって芸人がスタジオに登場するようになると、ネプチューンなど他の芸人に比べてビジュアルやパフォーマンスでインパクトが薄く、「地味」キャラが定着してしまった。そのため登場するとパネラーから毎回「地味! 地味!」と言われ、これに対して村田は「地味じゃないの。シック」と弁解していた。
- ボキャブラのネタはほとんど村田が考えていたが、トークでの桶田のボケのセンスが光っていたため、桶田が作っているとよく勘違いされていた。(コントでも、桶田と村田が二人で話し合って作る場合が多かった)
- 村田の死去後、爆笑問題の太田光は「あいつらは天才過ぎた。天才過ぎた故に売れなかった」とラジオ番組で語った。
「ガキの使いやあらへんで!」オープニングの「真剣白刃取り」で、松本人志がこのコンビ名を口にして笑わせたことがあった。

