フォークダンスDE成子坂

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フォークダンスDE成子坂(-デ・なるこざか)は桶田敬太郎村田渚で構成されていたお笑いコンビホリプロ所属。

目次

[編集] 概要

三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)立関中学校の同級生同士で組まれたお笑いコンビ
何かするようで何もしない、わざとハズしにかかるシュールな芸風と、桶田の特異な発言、村田の鋭いツッコミが特徴。「お笑い第四世代」に属していた。
コンビ名は、所属事務所ホリプロの当時の社員が、名優ロバート・デ・ニーロから取った名前にしようと試行錯誤した末に、「DE」(デ)だけを残して決定したといわれている。本人達は、この名前を気に入っておらず、常に改名しようとしていたが、改名前にテレビで名前が売れてしまったがために、改名はできなかった。略称はフォークフォークダンス成子成子坂FDN。『タモリのボキャブラ天国』などに出演した。

[編集] 来歴

村田渚が大阪から三重県鈴鹿郡関町に引っ越し、町立関中学校の同級生として、二人が出会う。

  • 1985年高校在学中に、村田の誘いでコンビ結成
高校卒業と同時に三重のホリプロの研究生となり、新幹線で月1回東京に通い、力をつけていく。
  • 1991年3月、ホリプロのお笑い芸人としてデビュー
  • 1993年、GAHAHAキングで第二代目チャンピオンになる
  • 1994年、『タモリのボキャブラ天国』にレギュラー出演
  • 1998年、単独イベント「自縛」を開催
10ヵ月で5回、全10公演。「全コントが新作または旧作をリメイク」というハードな条件であった。

[編集] メンバー

ボケ担当。三重県出身。三重県私立高田高等学校卒。血液型A型。
解散後は、バンド活動後、裏方としてお笑いに復帰。現在はコアラ(現ハッピハッピー。)が経営している事務所で、お笑い塾の講師をしている。また2005年12月よりますだおかだのイベントにおいて、コントの裏方および構成として参加している。
ツッコミ担当。三重県出身。三重県立上野高等学校卒。血液型O型。
解散後は、ピン芸人として活動した後、元坂道コロンブス(坂道コロコロ)の松丘慎吾と「鼻エンジン」を結成。2005年のM-1グランプリにて、初出場ながら準決勝に進出した。
2006年11月11日未明、自宅のマンションにてクモ膜下出血により急逝。

[編集] 出演番組

[編集] ビデオ

  • 1998年に行われた、全5回の単独ライブを収めた作品
    • 自縛1
    • 自縛2
    • 自縛3
    • 自縛4
    • 自縛5
    • 自縛蔵出し(1~5でカットされたコント作品を収録したもの)
以上の作品は、JIC VIDEOから、定価で購入が可能。
  • ボキャブラ天国 公式ビデオ Vol.1~3
  • ホリプロお笑いライブ 芸腕グランプリ1・2
  • ギャグ・ウォーズ(2)

[編集] エピソード

  • 「ボキャブラ天国」シリーズには、「ヒットパレード」時代のコーナー第1回から出演しており、第2回では1位に輝いた。番組内の企画として行われた最強王座決定戦では、30組中12位。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を題材にした「あんた、あの子のなんなのさ」ネタが代表作(意表をついて「ちょっと前ならえ」でいきなりネタにしたこともあった)。
  • しかし『超ボキャブラ天国』になって芸人がスタジオに登場するようになると、ネプチューンなど他の芸人に比べてビジュアルやパフォーマンスでインパクトが薄く、「地味」キャラが定着してしまった。そのため登場するとパネラーから毎回「地味! 地味!」と言われ、これに対して村田は「地味じゃないの。シック」と弁解していた。
  • ボキャブラのネタはほとんど村田が考えていたが、トークでの桶田のボケのセンスが光っていたため、桶田が作っているとよく勘違いされていた。(コントでも、桶田と村田が二人で話し合って作る場合が多かった)
  • 村田の死去後、爆笑問題太田光は「あいつらは天才過ぎた。天才過ぎた故に売れなかった」とラジオ番組で語った。

「ガキの使いやあらへんで!」オープニングの「真剣白刃取り」で、松本人志がこのコンビ名を口にして笑わせたことがあった。