福山市

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福山市
ふくやまし
日章旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 広島県 
団体コード 34207-6
面積 518.07km²
総人口 461,211
推計人口、2008年10月1日)
人口密度 890人/km²
隣接自治体 広島県:尾道市府中市
神石郡神石高原町
岡山県:笠岡市井原市
以下は海を介して隣接
香川県:三豊市観音寺市
仲多度郡多度津町
愛媛県:今治市新居浜市
四国中央市西条市
越智郡上島町
市の木 センダンモクセイクスノキ
市の花 バラキク
他のシンボル
福山市役所
所在地 〒720-8501 広島県
福山市東桜町3番5号
福山市役所本庁舎
電話番号 084-921-2111(代表)
外部リンク 福山市ホームページ

福山市位置図(広島県)

:政令指定都市 / :市 / :町
テンプレート (ノート 解説) 日本の市町村PJ

福山市(ふくやまし)は、広島県東端に位置する都市で政令中核市。広島県東南部(備後地方)から岡山県西南部におよぶ福山都市圏の中心都市であり、非県都の中では有力都市に数えられる。

目次

[編集] 地理概要

JR福山駅南口
福山市街遠景

[編集] 交通環境

[編集] インフラ整備環境

  • 上水道は市内ほぼ全域を福山市水道局が供給。主要な浄水場は千田、中津原、箕島にある。また特に神辺地域では地下水が豊富。
  • 下水道は普及率65.5パーセント(神辺町域を合併以前の普及率)市街地ではほとんどが公共下水道へ放流可能。主要な下水処理場は芦田川浄化センター(箕沖町)、新浜処理場、松永処理場がある。
  • 電力は中国電力において供給。供給源としては市内に瀬戸内共同火力 福山共同発電所と福山RDF火力発電所がある。
  • 都市ガス福山ガスによって旧市内ほとんどで利用可能。

[編集] 自然環境

  • 福山市は瀬戸内海式気候に属し広島県内でも降水量が少なく(年間約1200mm)河川の流量が少ないのが特徴である。そのため市街化の進んだ地域を中心に河川の汚濁が顕著で下水道事業などによって改善されたところもあるものの、多くの場所で水質が問題となっている。市内を南北に流れる芦田川は中下流の汚濁が激しく、中国地方の一級河川での水質は34年間ワースト1(2006年現在)を続けている。
  • 市域の北半分および芦田川より西部は中国山地に連なる山地となっている。植生は平野部に近いほどアカマツが多く、単調な傾向にある。山並みは風化・侵食を受けやすい花崗岩が多いため起伏が激しく、川沿いを中心に多くの谷が形成されている。標高はそれほど高くなく吉備高原南端の市内最高峰の京ノ上山でも611m、二位の蛇円山で546m、三位の笠木山は513mであるが福山市中心部から北部の神辺地区に行っただけでも冬季の積雪量が違うケースもある。北部の山野町付近には部分的に石灰岩質の地質もあり、特に高梁川支流の小田川渓谷を作り上げている猿鳴峡は見事で、近くには県天然記念物の”矢川のクリッペ”や”上原谷石灰岩巨大礫”という石灰岩に纏わる名勝も存在する。また隣接する井原市には石灰岩の採石場(芳井鉱業所)もある。
  • 南側は瀬戸内海備後灘)が広がり多くの島が点在しているが、福山市に属する島はあまり多くない。福山市沖は閉鎖的な瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、満干差は非常に大きく平均で2mを超え、海流の速度は部分的に非常に速い。波は穏やかで湖のように無いときもあり、波高は通常で50cm未満、荒れても2m程度である。津波の心配はほぼなく被害を受けた記録は存在しない(ただし、明治17年(1884年)の台風による高波では大きな被害が発生している)。市で最大の島は田島で本土(沼隈半島)とは橋が架けられている。海底面は起伏があまりなく水深は深くとも30m程度である。かつての福山市沖は干潟が多く存在し豊かな自然に恵まれていたが、その大半は江戸時代からの干拓や日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール)建設の埋め立てなどにより消滅している。現在は家庭・工業廃水などの影響により福山港周辺の汚濁が深刻で特に夏期には海水が茶色あるいは乳白色に染まることもしばしばである。また、鞆の浦など湾岸沿いの大部分も透明度は高くないが陸から5km程度沖合に出れば(瀬戸内海としては)非常に綺麗である。

[編集] 気候

  • 福山市は典型的な瀬戸内海式気候だが広島県内でも温暖で晴天日も多いので過ごしやすい。風水害は降水量が少ないため比較的少ないが、降雨は梅雨期と台風時に集中することが多く市内の大半が低地だが河川整備により川の氾濫による被害が出るケースはごく稀である。雪は殆ど積もらないが年に何度か降り希には積もることもある。地震は大きな活断層も発見されておらず歴史上は大きな震災に見舞われたことはない。台風の被害は福山を通過する前に九州や四国で緩和されるため比較的少ない。ちなみに、テレビの天気予報で「広島」あるいは「広島南部」とされる場合は100km以上離れた広島市の気象データが用いられているので、「岡山県南部」の予報を見た方が精度が高い。また、福山市の気象観測所は尾道市との市境まで約1kmの松永町にあり、かつ海岸に間近であるため、気象庁の「福山の気候」と市中心部の気候とは異なる場合が多く注意が必要である。
熊ヶ峰からの福山市街

[編集] 主要な山岳・河川・島嶼部

[編集] 隣接する自治体

[編集] 人口

福山市と全国の年齢別人口分布図(比較) 福山市の年齢・男女別人口分布図
紫色は福山市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 425,675人
1985年 441,502人
1990年 445,403人
1995年 453,791人
2000年 456,908人
2005年 459,087人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 特色

福山市は備後都市圏の中心都市として、都市銀行証券会社などの大手企業の営業拠点や国・県の出先機関が多く存在し、なおかつ自動車のナンバープレートの“福山”、市外局番“084”、郵便番号”720”が付与されている。このように、県庁所在地並みあるいは県単位の扱いを受けているのは中四国地方では福山市のみである。

いわゆるオンリーワン、ナンバーワン企業が多くモノづくりが盛んである。また福山市を本社としている企業も人口規模から考慮すると多い。

都市規模の割に、他の同規模の都市に比べて全国的な知名度が低いと言われる。原因としては、「広島県」といえば県名と同じで知名度の高い広島市のイメージが先行してしまうことや、全国に似たような地名(福知山市岡山市福島市など)があり混同されやすいなどが考えられる。また、当の福山市民もその知名度の低さから「広島(県)」出身と名乗ってしまうが、相手に広島=広島市と解釈されてしまうこともよくある。他にも中四国以外の他県出身者からよく言われるのが、たとえば、“広島風お好み焼は好きか?”だとか“カープファンか?”という質問である。実際のところ、お好み焼は元来関西風が基本であり、阪神タイガースファンも多いなど福山地方は関西や岡山に近い文化を持っている。ただし、近年は県単位で統合されたマスコミや高速交通網の整備により広島都市圏の影響も強く受け始め、熱狂的なカープファンも多く高速バスを使って広島市までショッピングや野球観戦に出かける市民も増えている。

とはいえ、同じ県内で県庁所在地の広島市に対しての抵抗感は年配の市民を中心に根強いものがあり、地理的・文化的な違いに加え、歴史的には、広島県編入時に確執があったと言われている。福山地方が岡山県から広島県に編入された1870年代には、ちょうど地租改正が行われていた。福山地方の窪田次郎(医師・思想家)らは小田県岡山県時代から各田畑への「目的額」強要に抵抗していたが、広島県編入により広島県令藤井勉三へと嘆願書を提出することになった。しかし、この時の県令の対応が極めて強圧的で岡山県時代の事情には一切関知しない姿勢であったとされる。また、広島県行政やマスメディアの広島県内における広島市とその周辺への偏重方針は現在も続いている。ただ、近年中国新聞がようやく備後版を発行するなど、是正される傾向もうかがえる。

近隣の類似の都市としては、岡山県倉敷市の他にも兵庫県姫路市が挙げられる。共にその所属県の第二の都市であり、県庁所在地とは別の都市圏を形成し、江戸時代以後の歴史的背景、人口規模(50万人前後)、産業形態も非常によく似ている。ただし、県庁所在地との隔絶や知名度の低さは福山市が際だっている。

  • 市内には、美容院理容店薬局が多い
  • 松浜、入船地区の旧赤線地帯の性風俗街は全国的に有名であるが取締の強化などにより衰えつつある。

[編集] 政治

[編集] 市長・助役・市議会議長、副議長・議員定数

  • 市長 羽田皓 (第十二代)1期目・2004年9月~
  • 副市長 岡崎忞
  • 副市長 開原算彦
  • 議長 蔵本久
  • 副議長 桑原正和
  • 会派
    • 水曜会 15人
    • 公明党 6人
    • 市民連合 6人
    • 明政会 6人
    • 共産党市議団 5人
    • 新政クラブ 5人
    • 誠友会 3人
  • 市議会議員定数 46名

[編集] その他

2006年6月に発覚した下水道工事不正発注事件によって、市役所や一部の地元土建業者との癒着が表面化し、市長や一部議員への辞任要求が市民の間から出た。また市職員による不祥事も相次ぎ、市政への批判が強まった。

2007年から2008年にかけて福山駅前整備工事に伴い出土した福山城外堀遺構の保存是非について市民グループが10万人分の署名を集め、文化庁にその保存意義を訴えて市当局も文化庁との協議を行ったもののそのやり取りの文章を黒塗りで発表するなど市民の市行政への不信感は高まりつつある。

[編集] 歴代の福山市長

[編集] 市章

市章を描いた市の旗

市章は、コウモリを「山」の字にデザイン化したもの。また市章旗は黄地に黒で描かれている。これは1917年に市制施行時に福山出身の有名建築家の武田五一に依頼され彼がかかわったもの。由来については福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、「蝠」は福に通じることと初代藩主水野勝成が「福山」と名づけたとする地名由来説があることからモチーフに選ばれた。事実、明治時代初期の函館戦争時に福山藩はこのコウモリの旗印を掲げて参戦している。

[編集] 歴史

福山城
草戸稲荷神社
鞆の浦(1939年発行の郵便切手)

[編集] 古代

古代における現在の福山市街の中心地はほぼ全域が干潟や海であった。近年までは現在の神辺平野も海となっていて「穴の海」と呼ばれたといわれていたが、これは遺跡の分布や地層の調査から現在では否定されており、この呼称があったとすれば現在の福山市街を示していた可能性が高いようである。古代における備後地方の中心地は備後国国府のあった現在の府中市一帯でこれに至る旧山陽道が中国地方の重要な幹線道となっていた。その名残が市北部地区の駅家町の地名で文字通り山陽道の駅家(宿駅)であったことを示している。現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断するように通され、この周辺は備後で最も栄えた地域となっていた。また、この地方はヤマト王権吉備との勢力争いの最前線であったため古くからヤマト王権の重要拠点ともなっており、“二子塚古墳”のような大規模な前方後円墳や畿内以外では珍しい横口式石槨を持つ古墳が残り全国でも有数の古墳集積地となっている。備後南部に港が多く点在し、津ノ郷、深津、吉津、など港を意味する地名が今日も残されている。また、鞆の浦万葉集にも詠まれるように風待ち、潮待ちの港として古代より独自の地位を築いていた。

[編集] 中世

中世には長年の芦田川の堆積作用により現在の福山市街は次第に陸地へと姿を変えていき、本庄、木ノ庄といった荘園が形成され現在の草戸町には草戸と呼ばれる港湾都市が栄えるようになった。しかし、この町は芦田川の堆積作用により港湾施設の使用が難くなり衰退したと考えられている(遺跡は芦田川の浚渫により消滅)。平安時代には鞆町(鞆の浦)に最澄により静観寺、空海により医王寺が創建されるなどそれぞれの西日本の布教拠点となったが、南北朝時代には北朝と南朝の間で幾度も戦闘があり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。戦国時代になると備後地方は毛利氏勢と尼子氏勢との拠点争いの地となり多くの城が築かれた。

[編集] 近世

安土桃山時代になると備後国は概ね毛利氏の所領となり、鞆の浦には毛利氏の擁護の元、室町幕府15代将軍足利義昭が滞在した(備後国を参照のこと)。関ヶ原の戦い以後は福島氏の所領となり、神辺鞆の浦に支城が置かれた。1619年、福島氏の改易により徳川家康の従兄弟である水野勝成が西日本の有力外様大名への幕府方の楔として備後国東南部・備中国西南部の10万石を与えられ、福山藩が成立する。勝成は当時干潟であった臨海部の深津郡野上村に新たな城(福山城)と城下町を建設し、この町を福山と名づけた。このため、今日に至る福山の歴史は元和8年(1622年)から始まったといえる。なお、当初の構成領地は備後国深津郡安那郡沼隈郡 神石郡 品治郡 葦田郡備中国小田郡後月郡のそれぞれ大半であった。その後、1698年に5代藩主水野勝岑の死去で無嗣除封となり、一時的に福山藩領全域が天領(幕府直轄領)とされるが、1699年松平忠雅が転封する。しかし、松平忠雅はわずか10年後の1710年伊勢国桑名藩に移封して、替わりに1710年阿部正邦が福山に転封した。以後、阿部氏が明治維新まで続くことになった(詳しくは備後福山藩を参照のこと)。

[編集] 近代

1871年明治維新廃藩置県により備後国旧福山藩領と神石郡甲奴郡の半分、備中国小田郡後月郡の大半を持って福山県が設立し県庁所在地は福山町に定められた。しかし、これから行政区分はめまぐるしく変わり、1871年福山県深津県へ名称が変更され、翌年(1872年)には深津県倉敷県が統合され小田県が設立、県庁は小田郡笠岡町に移転された。そして、1875年には小田県岡山県へ編入され、この翌年(1876年)に岡山県から旧備後国である沼隈深津安那品治芦田、神石の6郡が広島県に移管される(福山町は深津郡に含まれる)。こうした中、1891年9月11日山陽鉄道笠岡福山間が開業し、同年11月3日には福山~尾道までが開業すると福山町は工業都市へと姿を変えていった。1898年10月1日、芦田・品治両郡、深津・安那両郡はそれぞれ統合され、芦品郡深安郡が成立する。その後、1908年に陸軍41連隊が福山町(深安郡)に設置されると町の経済は発展を遂げ、1913年4月1日には福山町が野上・三吉両村を編入し、同年12月21日に鞆軽便鉄道(福山~鞆)が開業して、翌年(1914年7月21日には両備軽便鉄道(両備福山(1935年廃止)~府中町)が開業するなど交通機関も整備されていき、1916年に福山町は廃され、福山市が誕生することになった。

[編集] 市制施行後

福山市は大正5年(1916年)7月1日に全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次ぐ市として誕生した。市制施行当時の人口は32,356人であったとされる。 しかし、発足後の道程は平坦ではなく、市制施行間もなくの大正7年(1918年)には米騒動、その翌年の大正8年(1919年)には大水害に見舞われ、大正末期には陸軍41連隊が廃止の計画が持ち上がった。41連隊の廃止は市の財政破綻にも繋がりかねなかったが、これは市の陳情により回避されることになった。

その後、福山市は順調な発展や周囲の村を吸収合併して市域を広げたことなどから、平野部が少なく開発の余地がない尾道市に替わって広島県東部の中心都市となっていった。しかし、昭和20年(1945年)の福山大空襲により市街地は壊滅的な打撃を受けた。それでも戦後の高度経済成長の波に乗り復興を遂げていき、中でも日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発が進んで人口が増加していった。昭和後期になると高度経済成長時代の終焉や鉄鋼不況などにより人口は約37万人程度で頭打ちとなったが、この頃には製鉄所の町から県東部の中心地へと脱却していった。そして、平成の大合併により市域は更に拡大し、ほぼ旧福山藩領であった地区になり人口は約45万人に達するが、近年の実質的な人口増加率は停滞傾向にある。

[編集] 年表

[編集] 行政・出先機関

[編集] 国の機関

[編集] 独立行政法人の研究所

[編集] 広島県の機関

  • 広島県福山地域事務所
  • 広島県福山旅券センター
  • 広島県福山児童相談所
  • 広島県福山教育事務所
  • 広島県自動車運転免許 福山試験場(東部県民免許センターに改変予定)
  • 広島県東部県民文化センター(エストパルク)
  • 広島県立東部工業技術センター
  • 広島県立福山高等技術専門校
  • 広島県立福山少年自然の家
  • 広島県立歴史博物館
  • 広島県立ふくやま産業交流館(ビッグ・ローズ)

[編集] 福山市の機関

  • 福山市役所本所
    • 西部市民センター(松永支所)
    • 東部市民センター(東部支所)
    • 北部市民センター(北部支所)
    • 沼隈支所
    • 内海支所
    • 新市支所
    • 神辺支所
    • 加茂支所
    • 芦田支所
  • 福山市水道局本所
    • 東部支所
    • 西部支所
  • 福山市保健所
  • 福山市競馬事務局

[編集] 環境への取組み


[編集] 警察

福山東警察署

広島県警察

  • 福山東警察署(所在地は三吉町南二丁目・芦田川以東の地域 市中心部・東部を管轄)
  • 福山西警察署(所在地は神村町・芦田川以西の地域、旧松永市地域や鞆町・沼隈町・内海町・尾道市浦崎町などを管轄)
  • 福山北警察署(所在地は神辺町新道上三丁目 新市町・御幸町・神辺町・加茂町・山野町と神石郡神石高原町を管轄)
  • 広島県東部免許センター(津之郷町・2010年開設予定)
  • 交通機動隊自動車警ら隊東部分駐所(大門町1丁目)
  • 高速道路交通警察隊福山分駐隊(蔵王町5丁目)
  • 市内に交番は25箇所 駐在所は14箇所ある。

[編集] 消防・救急

福山地区消防組合消防局( 福山市・府中市・神石高原町の2市1町で組織され、消防・救急業務を運用中。) 1消防局、8署、1分署、6出張所

  • 消防局(福山市沖野上町5丁目)
  • 南消防署(福山市沖野上町5丁目)、鞆出張所(福山市鞆町鞆字関町)、瀬戸出張所(福山市瀬戸町)
  • 北消防署(福山市奈良津町2丁目)、駅家分署(福山市駅家町万能倉)
  • 東消防署(福山市引野町北4丁目)
  • 西消防署(福山市松永町3丁目)、今津出張所(福山市今津町字安毛の下)、沼隈内海出張所(福山市沼隈町常石)
  • 水上消防署(福山市箕沖町)
  • 芦品消防署(福山市新市町戸手)
  • 深安消防署(福山市神辺町川北)、安田出張所(神石高原町安田)
  • 府中消防署(府中市府中町)、小塚出張所(府中市上下町小塚)

[編集] マスメディア

[編集] テレビ・ラジオ

※以前は広島エフエム放送も支社を設置していたが、合理化により2006年(詳細な時期は不明)に廃止された。
※その他、市内各所で岡山金甲山本局や笠岡局からの放送波、瀬戸内海沿岸部地域では対岸の愛媛県の放送波も受信可能である。なお福山市内ではテレビ電波は蔵王山の福山局を主に受信している世帯が多いが、地区によっては彦山の福山西局(デジタルでは福山局)や高見山の尾道局を受信していたりなど様々である。混信も多い。

[編集] 新聞

[編集] 地域紙

  • 経済リポート(当地域一の経済誌で購読者数も一位)
  • 中国ビジネス情報
  • びんご経済レポート(本社は尾道市)
  • ウィンク(タウン情報誌)
  • タウン情報ふくやま(タウン情報誌)※2006年10月号をもって休刊。
  • 福山リビング新聞(無料誌)
  • プレスシード(無料誌)

[編集] 物流・基幹産業・地域産業

[編集] 物流拠点としての福山を中心とした備後都市圏

重要湾港福山港は港湾設備整備が進むにつれ、毎年20パーセント以上の割合で輸出入量・額が伸びており、中四国地方では倉敷市水島港に次ぐ規模となっている。2005年3月には福山国際コンテナ港もオープンし、さらなる需要の増加が期待されている。

また、瀬戸中央自動車道西瀬戸自動車道という2つの四国への連絡橋の中間に位置し更に現在建設中の中国横断自動車道尾道・松江線が全通するとよりいっそう備後都市圏が中四国地方内の各主要都市への所要時間、輸送コストの面で最も優位となることから、企業の進出が増加している。

福山港周辺の夜景

[編集] 工業

福山市の製造品出荷額は約1兆5000億円で広島市と同規模で中四国地方でも倉敷市に次ぐ2番目の規模。特に昭和36年に立地したJFEスチール西日本製鉄所福山地区(旧日本鋼管福山製鉄所)は、同社最大の製造拠点であるのみならず世界最大規模の製鉄所でもあり、鉄鋼業の活況と伴にフル操業中で福山市の製造品出荷額の大半を占める。

シャープ電子デバイス事業本部福山工場はCCDセンサー、液晶ドライバーなどの生産拠点。

三菱電機福山製作所は分電盤、ブレーカーの製造拠点。

地場業業では繊維・電子機器・ポンプ・クレーン・機械検査機器・食品トレー・ゴム製造業などの一大製造拠点になっていて、また上場企業やその業種のオンリーワン企業が都市規模の割合に比較しても非常に多く、国内地方都市では静岡県浜松地区に次ぐ上場・トップシェア企業の多い地域である。

福山通運本社