福山市
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福山市(ふくやまし)は、広島県東端に位置する都市で政令中核市。広島県東南部(備後地方)から岡山県西南部におよぶ福山都市圏の中心都市であり、非県都の中では有力都市に数えられる。
目次 |
[編集] 地理概要
- 中国地方の中南部・広島県南東端に位置し、岡山県に接する。以前より中国・四国地方では広島市・岡山市・松山市・倉敷市に次ぐ5番目の人口規模である。平成の大合併で隣接のベッドタウン4町を編入した結果、人口は約46万人(推計人口)となった。
- 福山市役所から各市市役所までの高速道路を利用した道程は、大阪府大阪市まで236km、山口県下関市まで302km、広島県広島市まで107km、岡山県岡山市まで70km、愛媛県松山市まで116km、香川県高松市まで114km、島根県松江市まで217kmとなっている(MapFan webによる数値より)。
- 市域は全域が旧備後国に属し、三原市北部の大和町を源とする芦田川の河口に広がる福山平野に市の中心地がある。市の南端は瀬戸内海に面し、北部山岳地帯は概ね標高400~500メートルの吉備高原西南端部にある通称「神石高原」南端から形成される。ここは倉敷市へ注ぐ高梁川支流小田川流域である。そして市街地は概ね、旧福山市街・東部(蔵王・春日)地区・松永(旧松永市)地区・北部(神辺・駅家・加茂)地区に大別されるが各地域とのアクセスも決して良好とは言えず、市民性も地域により若干異なる傾向がある。
- 福山都市圏は岡山県の南西部の笠岡市や井原市にも及び、県境を越えた連携が政経民間で様々見られる。福山市を中心とする都市群は備後都市圏とも呼ばれる。
- 福山市(旧備後国地域)は、広島県下にありながら、地理的背景・交通環境・歴史的経緯から、広島都市圏(旧安芸国)よりも、現在の岡山県南部地域(旧備中国・旧備前国地域)と風土や方言などが似通っており、旧吉備国としての一体性が見られる。
[編集] 交通環境
- 鉄道(JR西日本)については、中心駅の福山駅からは山陽本線の岡山方面へは日中、在来線各駅停車が毎時4本に加え、快速(サンライナー)が毎時2本運行されており、快速での所要時間は笠岡駅まで13分、新倉敷駅まで25分、倉敷駅まで約33分、岡山駅まで45分である。一方、広島方面へは寝台特急以外の在来線の優等列車の設定はないため(1975年3月改正以前は存在)、普通列車(各駅停車)のみの運行で日中、毎時3~4本程度運行されていて尾道駅まで18分、三原駅までは33分、西条駅までは69分、広島駅までは100分の所要時間。そのため西条駅以遠へはもっぱら新幹線利用が便利であり主流となっている。また福山駅を起点とし、内陸の府中市や三次市を結ぶ福塩線や、井原市や総社市とを結ぶ井原鉄道井原線も一日の3本のみ神辺駅を経由し福山駅に直通乗り入れしている。
- 山陽新幹線は東京、新大阪方面には日中毎時4~5本、博多方面は4~6本停車する。ひかりレールスターやのぞみでは岡山駅までも最短16分、広島駅まで最短24分、新大阪駅や小倉駅へも最短約1時間で到着する事から山陽地方主要都市や関西圏、九州北部へのアクセスも良く、また東京駅へも、のぞみ利用で約3時間40分で到着する。
- 空路は広島県三原市にある広島空港まで福山駅前より空港リムジンバスで約1時間30分である。
- 山陽自動車道や国道2号線といった基幹交通網もほぼJR山陽本線沿いに走っており、福山市を中心とする備後都市圏と岡山市・倉敷市を中心とする岡山・倉敷都市圏は交通、地理面からほぼ連続している。また四国とを結ぶ2つの本州四国連絡橋(瀬戸中央自動車道・瀬戸内しまなみ海道)の本州側起点の中間に位置している為、香川県・愛媛県といった四国北部方面へのアクセスも良好。また一日16往復運行されている愛媛県今治市行きの高速バスしまなみライナーは西瀬戸自動車道(しまなみ海道)経由で所要時間約1時間強。
- 高速バスは中国バスがメインとなって福山駅前からのローズライナー・福山市北部を始発とするリードライナーと、広島市とを結ぶ路線が2路線開設されている。
[編集] インフラ整備環境
- 上水道は市内ほぼ全域を福山市水道局が供給。主要な浄水場は千田、中津原、箕島にある。また特に神辺地域では地下水が豊富。
- 下水道は普及率65.5パーセント(神辺町域を合併以前の普及率)市街地ではほとんどが公共下水道へ放流可能。主要な下水処理場は芦田川浄化センター(箕沖町)、新浜処理場、松永処理場がある。
- 電力は中国電力において供給。供給源としては市内に瀬戸内共同火力 福山共同発電所と福山RDF火力発電所がある。
- 都市ガスは福山ガスによって旧市内ほとんどで利用可能。
[編集] 自然環境
- 福山市は瀬戸内海式気候に属し広島県内でも降水量が少なく(年間約1200mm)河川の流量が少ないのが特徴である。そのため市街化の進んだ地域を中心に河川の汚濁が顕著で下水道事業などによって改善されたところもあるものの、多くの場所で水質が問題となっている。市内を南北に流れる芦田川は中下流の汚濁が激しく、中国地方の一級河川での水質は34年間ワースト1(2006年現在)を続けている。
- 市域の北半分および芦田川より西部は中国山地に連なる山地となっている。植生は平野部に近いほどアカマツが多く、単調な傾向にある。山並みは風化・侵食を受けやすい花崗岩が多いため起伏が激しく、川沿いを中心に多くの谷が形成されている。標高はそれほど高くなく吉備高原南端の市内最高峰の京ノ上山でも611m、二位の蛇円山で546m、三位の笠木山は513mであるが福山市中心部から北部の神辺地区に行っただけでも冬季の積雪量が違うケースもある。北部の山野町付近には部分的に石灰岩質の地質もあり、特に高梁川支流の小田川渓谷を作り上げている猿鳴峡は見事で、近くには県天然記念物の”矢川のクリッペ”や”上原谷石灰岩巨大礫”という石灰岩に纏わる名勝も存在する。また隣接する井原市には石灰岩の採石場(芳井鉱業所)もある。
- 南側は瀬戸内海(備後灘)が広がり多くの島が点在しているが、福山市に属する島はあまり多くない。福山市沖は閉鎖的な瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、満干差は非常に大きく平均で2mを超え、海流の速度は部分的に非常に速い。波は穏やかで湖のように無いときもあり、波高は通常で50cm未満、荒れても2m程度である。津波の心配はほぼなく被害を受けた記録は存在しない(ただし、明治17年(1884年)の台風による高波では大きな被害が発生している)。市で最大の島は田島で本土(沼隈半島)とは橋が架けられている。海底面は起伏があまりなく水深は深くとも30m程度である。かつての福山市沖は干潟が多く存在し豊かな自然に恵まれていたが、その大半は江戸時代からの干拓や日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール)建設の埋め立てなどにより消滅している。現在は家庭・工業廃水などの影響により福山港周辺の汚濁が深刻で特に夏期には海水が茶色あるいは乳白色に染まることもしばしばである。また、鞆の浦など湾岸沿いの大部分も透明度は高くないが陸から5km程度沖合に出れば(瀬戸内海としては)非常に綺麗である。
[編集] 気候
- 福山市は典型的な瀬戸内海式気候だが広島県内でも温暖で晴天日も多いので過ごしやすい。風水害は降水量が少ないため比較的少ないが、降雨は梅雨期と台風時に集中することが多く市内の大半が低地だが河川整備により川の氾濫による被害が出るケースはごく稀である。雪は殆ど積もらないが年に何度か降り希には積もることもある。地震は大きな活断層も発見されておらず歴史上は大きな震災に見舞われたことはない。台風の被害は福山を通過する前に九州や四国で緩和されるため比較的少ない。ちなみに、テレビの天気予報で「広島」あるいは「広島南部」とされる場合は100km以上離れた広島市の気象データが用いられているので、「岡山県南部」の予報を見た方が精度が高い。また、福山市の気象観測所は尾道市との市境まで約1kmの松永町にあり、かつ海岸に間近であるため、気象庁の「福山の気候」と市中心部の気候とは異なる場合が多く注意が必要である。
[編集] 主要な山岳・河川・島嶼部
- 主な山岳:京ノ上山(611m・市内最高峰・福山市新市町藤尾)、蛇円山(546m・福山市駅家町)、熊ヶ峰 (438m・福山市熊野町)
- 主な河川:一級河川芦田川、芦田川支流瀬戸川、神谷川、加茂川、高屋川、一級河川高梁川支流小田川
- 主な島嶼:走島、宇治島、田島、横島、仙酔島、弁天島、皇后島 (※箕島は戦前までは島であった)
[編集] 隣接する自治体
[編集] 人口
| 福山市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 福山市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は福山市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 特色
福山市は備後都市圏の中心都市として、都市銀行、証券会社などの大手企業の営業拠点や国・県の出先機関が多く存在し、なおかつ自動車のナンバープレートの“福山”、市外局番“084”、郵便番号”720”が付与されている。このように、県庁所在地並みあるいは県単位の扱いを受けているのは中四国地方では福山市のみである。
いわゆるオンリーワン、ナンバーワン企業が多くモノづくりが盛んである。また福山市を本社としている企業も人口規模から考慮すると多い。
都市規模の割に、他の同規模の都市に比べて全国的な知名度が低いと言われる。原因としては、「広島県」といえば県名と同じで知名度の高い広島市のイメージが先行してしまうことや、全国に似たような地名(福知山市、岡山市、福島市など)があり混同されやすいなどが考えられる。また、当の福山市民もその知名度の低さから「広島(県)」出身と名乗ってしまうが、相手に広島=広島市と解釈されてしまうこともよくある。他にも中四国以外の他県出身者からよく言われるのが、たとえば、“広島風お好み焼は好きか?”だとか“カープファンか?”という質問である。実際のところ、お好み焼は元来関西風が基本であり、阪神タイガースファンも多いなど福山地方は関西や岡山に近い文化を持っている。ただし、近年は県単位で統合されたマスコミや高速交通網の整備により広島都市圏の影響も強く受け始め、熱狂的なカープファンも多く高速バスを使って広島市までショッピングや野球観戦に出かける市民も増えている。
とはいえ、同じ県内で県庁所在地の広島市に対しての抵抗感は年配の市民を中心に根強いものがあり、地理的・文化的な違いに加え、歴史的には、広島県編入時に確執があったと言われている。福山地方が岡山県から広島県に編入された1870年代には、ちょうど地租改正が行われていた。福山地方の窪田次郎(医師・思想家)らは小田県、岡山県時代から各田畑への「目的額」強要に抵抗していたが、広島県編入により広島県令藤井勉三へと嘆願書を提出することになった。しかし、この時の県令の対応が極めて強圧的で岡山県時代の事情には一切関知しない姿勢であったとされる。また、広島県行政やマスメディアの広島県内における広島市とその周辺への偏重方針は現在も続いている。ただ、近年中国新聞がようやく備後版を発行するなど、是正される傾向もうかがえる。
近隣の類似の都市としては、岡山県倉敷市の他にも兵庫県姫路市が挙げられる。共にその所属県の第二の都市であり、県庁所在地とは別の都市圏を形成し、江戸時代以後の歴史的背景、人口規模(50万人前後)、産業形態も非常によく似ている。ただし、県庁所在地との隔絶や知名度の低さは福山市が際だっている。
[編集] 政治
[編集] 市長・助役・市議会議長、副議長・議員定数
- 市長 羽田皓 (第十二代)1期目・2004年9月~
- 副市長 岡崎忞
- 副市長 開原算彦
- 議長 蔵本久
- 副議長 桑原正和
- 会派
- 水曜会 15人
- 公明党 6人
- 市民連合 6人
- 明政会 6人
- 共産党市議団 5人
- 新政クラブ 5人
- 誠友会 3人
- 市議会議員定数 46名
[編集] その他
2006年6月に発覚した下水道工事不正発注事件によって、市役所や一部の地元土建業者との癒着が表面化し、市長や一部議員への辞任要求が市民の間から出た。また市職員による不祥事も相次ぎ、市政への批判が強まった。
2007年から2008年にかけて福山駅前整備工事に伴い出土した福山城外堀遺構の保存是非について市民グループが10万人分の署名を集め、文化庁にその保存意義を訴えて市当局も文化庁との協議を行ったもののそのやり取りの文章を黒塗りで発表するなど市民の市行政への不信感は高まりつつある。
[編集] 歴代の福山市長
- 第一代 阿武信一 1916年~
- 第二代 中野有光 1927年~
- 第三代 小林壽夫 1938年~
- 第四代 三谷一二 1944年~
- 第五代 小林和一 1946年~
- 第六代 藤井正男 1947年~
- 第七代 徳永豊 1955年~
- 第八代 立石定夫 1970年~
- 第九代 中川 弘 1979年~
- 第十代 牧本幹男 1983年~
- 第十一代 三好 章 1991年~
[編集] 市章
市章は、コウモリを「山」の字にデザイン化したもの。また市章旗は黄地に黒で描かれている。これは1917年に市制施行時に福山出身の有名建築家の武田五一に依頼され彼がかかわったもの。由来については福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、「蝠」は福に通じることと初代藩主水野勝成が「福山」と名づけたとする地名由来説があることからモチーフに選ばれた。事実、明治時代初期の函館戦争時に福山藩はこのコウモリの旗印を掲げて参戦している。
[編集] 歴史
[編集] 古代
古代における現在の福山市街の中心地はほぼ全域が干潟や海であった。近年までは現在の神辺平野も海となっていて「穴の海」と呼ばれたといわれていたが、これは遺跡の分布や地層の調査から現在では否定されており、この呼称があったとすれば現在の福山市街を示していた可能性が高いようである。古代における備後地方の中心地は備後国国府のあった現在の府中市一帯でこれに至る旧山陽道が中国地方の重要な幹線道となっていた。その名残が市北部地区の駅家町の地名で文字通り山陽道の駅家(宿駅)であったことを示している。現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断するように通され、この周辺は備後で最も栄えた地域となっていた。また、この地方はヤマト王権と吉備との勢力争いの最前線であったため古くからヤマト王権の重要拠点ともなっており、“二子塚古墳”のような大規模な前方後円墳や畿内以外では珍しい横口式石槨を持つ古墳が残り全国でも有数の古墳集積地となっている。備後南部に港が多く点在し、津ノ郷、深津、吉津、など港を意味する地名が今日も残されている。また、鞆の浦は万葉集にも詠まれるように風待ち、潮待ちの港として古代より独自の地位を築いていた。
[編集] 中世
中世には長年の芦田川の堆積作用により現在の福山市街は次第に陸地へと姿を変えていき、本庄、木ノ庄といった荘園が形成され現在の草戸町には草戸と呼ばれる港湾都市が栄えるようになった。しかし、この町は芦田川の堆積作用により港湾施設の使用が難くなり衰退したと考えられている(遺跡は芦田川の浚渫により消滅)。平安時代には鞆町(鞆の浦)に最澄により静観寺、空海により医王寺が創建されるなどそれぞれの西日本の布教拠点となったが、南北朝時代には北朝と南朝の間で幾度も戦闘があり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。戦国時代になると備後地方は毛利氏勢と尼子氏勢との拠点争いの地となり多くの城が築かれた。
[編集] 近世
安土桃山時代になると備後国は概ね毛利氏の所領となり、鞆の浦には毛利氏の擁護の元、室町幕府15代将軍足利義昭が滞在した(備後国を参照のこと)。関ヶ原の戦い以後は福島氏の所領となり、神辺と鞆の浦に支城が置かれた。1619年、福島氏の改易により徳川家康の従兄弟である水野勝成が西日本の有力外様大名への幕府方の楔として備後国東南部・備中国西南部の10万石を与えられ、福山藩が成立する。勝成は当時干潟であった臨海部の深津郡野上村に新たな城(福山城)と城下町を建設し、この町を福山と名づけた。このため、今日に至る福山の歴史は元和8年(1622年)から始まったといえる。なお、当初の構成領地は備後国の深津郡、安那郡、沼隈郡 神石郡 品治郡 葦田郡、備中国の小田郡、後月郡のそれぞれ大半であった。その後、1698年に5代藩主水野勝岑の死去で無嗣除封となり、一時的に福山藩領全域が天領(幕府直轄領)とされるが、1699年に松平忠雅が転封する。しかし、松平忠雅はわずか10年後の1710年に伊勢国桑名藩に移封して、替わりに1710年に阿部正邦が福山に転封した。以後、阿部氏が明治維新まで続くことになった(詳しくは備後福山藩を参照のこと)。
[編集] 近代
1871年、明治維新の廃藩置県により備後国旧福山藩領と神石郡、甲奴郡の半分、備中国小田郡、後月郡の大半を持って福山県が設立し県庁所在地は福山町に定められた。しかし、これから行政区分はめまぐるしく変わり、1871年に福山県は深津県へ名称が変更され、翌年(1872年)には深津県と倉敷県が統合され小田県が設立、県庁は小田郡笠岡町に移転された。そして、1875年には小田県が岡山県へ編入され、この翌年(1876年)に岡山県から旧備後国である沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡が広島県に移管される(福山町は深津郡に含まれる)。こうした中、1891年、9月11日に山陽鉄道笠岡~福山間が開業し、同年11月3日には福山~尾道までが開業すると福山町は工業都市へと姿を変えていった。1898年10月1日、芦田・品治両郡、深津・安那両郡はそれぞれ統合され、芦品郡、深安郡が成立する。その後、1908年に陸軍41連隊が福山町(深安郡)に設置されると町の経済は発展を遂げ、1913年4月1日には福山町が野上・三吉両村を編入し、同年12月21日に鞆軽便鉄道(福山~鞆)が開業して、翌年(1914年)7月21日には両備軽便鉄道(両備福山(1935年廃止)~府中町)が開業するなど交通機関も整備されていき、1916年に福山町は廃され、福山市が誕生することになった。
[編集] 市制施行後
福山市は大正5年(1916年)7月1日に全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次ぐ市として誕生した。市制施行当時の人口は32,356人であったとされる。 しかし、発足後の道程は平坦ではなく、市制施行間もなくの大正7年(1918年)には米騒動、その翌年の大正8年(1919年)には大水害に見舞われ、大正末期には陸軍41連隊が廃止の計画が持ち上がった。41連隊の廃止は市の財政破綻にも繋がりかねなかったが、これは市の陳情により回避されることになった。
その後、福山市は順調な発展や周囲の村を吸収合併して市域を広げたことなどから、平野部が少なく開発の余地がない尾道市に替わって広島県東部の中心都市となっていった。しかし、昭和20年(1945年)の福山大空襲により市街地は壊滅的な打撃を受けた。それでも戦後の高度経済成長の波に乗り復興を遂げていき、中でも日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発が進んで人口が増加していった。昭和後期になると高度経済成長時代の終焉や鉄鋼不況などにより人口は約37万人程度で頭打ちとなったが、この頃には製鉄所の町から県東部の中心地へと脱却していった。そして、平成の大合併により市域は更に拡大し、ほぼ旧福山藩領であった地区になり人口は約45万人に達するが、近年の実質的な人口増加率は停滞傾向にある。
[編集] 年表
- 1916年7月1日、深安郡福山町が市制施行し福山市(初代)が発足。人口32,356人。
- 1933年1月1日、深安郡川口・手城・深津・奈良津・吉津・木之庄・本庄各村、沼隈郡神島・佐波・草戸各村の10ヶ村を編入。
- 1942年7月1日、沼隈郡山手、郷分各村を編入。
- 1943年3月1日、深安郡大津野村(現福山市大門町)に福山海軍航空隊開隊。
- 1945年8月8日、福山大空襲により国宝福山城天守閣、国宝伏見御殿御湯殿、市街地の大半が焼失。
- 1954年3月31日、沼隈郡松永町および柳津・金江・藤江・東・本郷・神各村をが合併し松永市市制施行。
- 1956年9月30日、深安郡引野・市・千田・御幸各村、沼隈郡鞆・水呑両町および津之郷・赤坂・瀬戸・熊野各村を編入。
- 1962年1月1日、深安郡深安町を編入。
- 1966年5月1日、福山市(初代)・松永市の2市が対等合併し、福山市(2代)となる(中国地方初の市同士の合併)。
- 1966年11月15日、福山城天守閣・伏見御殿御湯殿・月見櫓の再建が完成する。
- 1967年6月1日、自動車のナンバープレートに福山ナンバー登場。
- 1974年4月1日、芦品郡芦田町を編入。
- 1975年2月1日、深安郡加茂町・芦品郡駅家町を編入。
- 1975年3月10日、JR山陽新幹線開業。JR福山駅付近は新幹線が3階、在来線が2階の世界初の二重構造高架となる。
- 1988年3月1日、山陽自動車道早島IC~福山東IC間開通。
- 1998年4月1日、中核市に昇格。
- 2002年2月2日、一部地区(新市町全域および芦田町福田・高西町南・山野町山野の各一部)を除き市内局番が3ケタ化される。
- 2003年2月3日、沼隈郡内海町・芦品郡新市町を編入。芦品郡消滅。
- 2005年2月1日、沼隈郡沼隈町を編入。沼隈郡消滅。
- 2006年3月1日、深安郡神辺町を編入。深安郡消滅。
[編集] 行政・出先機関
[編集] 国の機関
- 防衛省
- 自衛隊広島地方協力本部福山地域事務所
- 法務省
- 財務省
- 神戸税関福山税関支署
- 国税庁
- 広島国税局福山税務署
- 府中税務署(所在地は府中市・福山市北西部を管轄)
- 国土交通省
- 海上保安庁
- 第六管区海上保安本部尾道海上保安部 福山海上保安署
- 厚生労働省
- 農林水産省
[編集] 独立行政法人の研究所
[編集] 広島県の機関
- 広島県福山地域事務所
- 広島県福山旅券センター
- 広島県福山児童相談所
- 広島県福山教育事務所
- 広島県自動車運転免許 福山試験場(東部県民免許センターに改変予定)
- 広島県東部県民文化センター(エストパルク)
- 広島県立東部工業技術センター
- 広島県立福山高等技術専門校
- 広島県立福山少年自然の家
- 広島県立歴史博物館
- 広島県立ふくやま産業交流館(ビッグ・ローズ)
[編集] 福山市の機関
- 福山市役所本所
- 西部市民センター(松永支所)
- 東部市民センター(東部支所)
- 北部市民センター(北部支所)
- 沼隈支所
- 内海支所
- 新市支所
- 神辺支所
- 加茂支所
- 芦田支所
- 福山市水道局本所
- 東部支所
- 西部支所
- 福山市保健所
- 福山市競馬事務局
[編集] 環境への取組み
- 第6回持続可能な地域社会をつくる日本の環境首都コンテストに参加。
[編集] 警察
- 福山東警察署(所在地は三吉町南二丁目・芦田川以東の地域 市中心部・東部を管轄)
- 福山西警察署(所在地は神村町・芦田川以西の地域、旧松永市地域や鞆町・沼隈町・内海町・尾道市浦崎町などを管轄)
- 福山北警察署(所在地は神辺町新道上三丁目 新市町・御幸町・神辺町・加茂町・山野町と神石郡神石高原町を管轄)
- 広島県東部免許センター(津之郷町・2010年開設予定)
- 交通機動隊・自動車警ら隊東部分駐所(大門町1丁目)
- 高速道路交通警察隊福山分駐隊(蔵王町5丁目)
- 市内に交番は25箇所 駐在所は14箇所ある。
[編集] 消防・救急
福山地区消防組合消防局( 福山市・府中市・神石高原町の2市1町で組織され、消防・救急業務を運用中。) 1消防局、8署、1分署、6出張所
- 消防局(福山市沖野上町5丁目)
- 南消防署(福山市沖野上町5丁目)、鞆出張所(福山市鞆町鞆字関町)、瀬戸出張所(福山市瀬戸町)
- 北消防署(福山市奈良津町2丁目)、駅家分署(福山市駅家町万能倉)
- 東消防署(福山市引野町北4丁目)
- 西消防署(福山市松永町3丁目)、今津出張所(福山市今津町字安毛の下)、沼隈内海出張所(福山市沼隈町常石)
- 水上消防署(福山市箕沖町)
- 芦品消防署(福山市新市町戸手)
- 深安消防署(福山市神辺町川北)、安田出張所(神石高原町安田)
- 府中消防署(府中市府中町)、小塚出張所(府中市上下町小塚)
[編集] マスメディア
[編集] テレビ・ラジオ
- エフエムふくやま(コミュニティーFM局)本社
- NHK広島放送局 福山支局
- 中国放送(RCC:東京放送系列。中国新聞傘下)福山放送局
- テレビ新広島(TSS:フジテレビ系列)福山支社
- 広島テレビ放送(HTV:日本テレビ系列)福山支社
- 広島ホームテレビ(HOME:テレビ朝日系列)福山支社
- オプティキャスト中国営業所(光ファイバーCATV)
- 井原放送(CATV・神辺町上御領の一部のみ)
- ケーブル・ジョイ(CATV・新市地域の一部のみ)
※以前は広島エフエム放送も支社を設置していたが、合理化により2006年(詳細な時期は不明)に廃止された。
※その他、市内各所で岡山金甲山本局や笠岡局からの放送波、瀬戸内海沿岸部地域では対岸の愛媛県の放送波も受信可能である。なお福山市内ではテレビ電波は蔵王山の福山局を主に受信している世帯が多いが、地区によっては彦山の福山西局(デジタルでは福山局)や高見山の尾道局を受信していたりなど様々である。混信も多い。
[編集] 新聞
[編集] 地域紙
- 経済リポート(当地域一の経済誌で購読者数も一位)
- 中国ビジネス情報
- びんご経済レポート(本社は尾道市)
- ウィンク(タウン情報誌)
- タウン情報ふくやま(タウン情報誌)※2006年10月号をもって休刊。
- 福山リビング新聞(無料誌)
- プレスシード(無料誌)
[編集] 物流・基幹産業・地域産業
[編集] 物流拠点としての福山を中心とした備後都市圏
重要湾港福山港は港湾設備整備が進むにつれ、毎年20パーセント以上の割合で輸出入量・額が伸びており、中四国地方では倉敷市の水島港に次ぐ規模となっている。2005年3月には福山国際コンテナ港もオープンし、さらなる需要の増加が期待されている。
また、瀬戸中央自動車道と西瀬戸自動車道という2つの四国への連絡橋の中間に位置し更に現在建設中の中国横断自動車道尾道・松江線が全通するとよりいっそう備後都市圏が中四国地方内の各主要都市への所要時間、輸送コストの面で最も優位となることから、企業の進出が増加している。
[編集] 工業
福山市の製造品出荷額は約1兆5000億円で広島市と同規模で中四国地方でも倉敷市に次ぐ2番目の規模。特に昭和36年に立地したJFEスチール西日本製鉄所福山地区(旧日本鋼管福山製鉄所)は、同社最大の製造拠点であるのみならず世界最大規模の製鉄所でもあり、鉄鋼業の活況と伴にフル操業中で福山市の製造品出荷額の大半を占める。
シャープ電子デバイス事業本部福山工場はCCDセンサー、液晶ドライバーなどの生産拠点。
三菱電機福山製作所は分電盤、ブレーカーの製造拠点。
地場業業では繊維・電子機器・ポンプ・クレーン・機械検査機器・食品トレー・ゴム製造業などの一大製造拠点になっていて、また上場企業やその業種のオンリーワン企業が都市規模の割合に比較しても非常に多く、国内地方都市では静岡県浜松地区に次ぐ上場・トップシェア企業の多い地域である。