中山太郎
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中山 太郎(なかやま たろう)
- 民俗学者(1876年 - 1947年)。著書に『日本若者史』『売笑三千年史』など。
/政治家(1924年 -)。本項において記述。
| 衆議院議員 中山太郎 | |||
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| 生年月日 | 1924年8月27日(84歳) | ||
| 出生地 | 大阪府堺市 | ||
| 出身校 | 旧制大阪高等医学専門学校 (現大阪医科大学) |
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| 学位・資格 | 医学博士(大阪医科大学) | ||
| 前職 | 大阪医科大学小児科教室助手 | ||
| 所属委員会 内閣役職 |
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| 世襲 | 2世 父・中山福蔵(参議院議員) 母・中山マサ(衆議院議員) |
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| 選出選挙区 | 大阪府第18区 | ||
| 当選回数 | 衆7回、参3回 | ||
| 所属党派 | 自由民主党(無派閥) | ||
| 党役職 | 党総務 | ||
| 会館部屋番号 | 衆・第1議員会館516号室 | ||
| 衆議院中山太郎オフィシャルホームページ~ | |||
中山 太郎(なかやま たろう、1924年8月27日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員で元参議院議員。大阪府出身。勲等は勲一等。学位は医学博士(大阪医科大学)。主な役職は総理府総務長官、外務大臣、衆議院憲法調査会会長。衆議院永年勤続議員表彰。現在唯一の大正生まれの最年長衆議院議員である。独特の外見から、「お茶の水博士」の愛称がある。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 医師
元参議院議員の中山福蔵を父に、元衆議院議員で女性初の閣僚となった中山マサ元厚生大臣を母に持つ。1952年に旧制大阪高等医学専門学校(現大阪医科大学)を卒業し、大阪医科大学の小児科教室助手になる。
[編集] 政界へ
その後1955年に大阪府議会議員に初当選し、政治の道へ進む。1968年に参議院議員に初当選。1980年に鈴木善幸内閣で総理府総務長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。参議院議員を3期務めた後、1986年衆議院議員へと転身し、以降連続7回当選。海部俊樹内閣では3期にわたり外務大臣を務めた。
地元選挙区に位置する関西国際空港の建設を推進したこともあり、現在は、関西国際空港整備促進議員連盟会長を務め、近年では同空港の2期工事の開始を推進するなど、同空港の開発推進に力を入れている。
[編集] 憲法調査会
古くから憲法改正に積極的で、2000年1月20日に衆議院に設置された衆議院憲法調査会の設置に貢献したことから、設置時より会長を務めてきた。同調査会再編に伴い、2005年9月22日に設置された衆議院日本国憲法に関する調査特別委員会でも、設置時より委員長を務める。通例1~2年で委員長及び調査会長が交代する国会の人事にあって、同種の役職を7年間もの長期間務めた例は他にない。なお、調査活動にあたっては、「人権の尊重」、「主権在民」及び「再び侵略国家とはならない」との3つの理念の堅持をモットーとしており、世界各国の憲法に関する調査のための衆議院代表団を率いて毎年海外を訪問し、精力的に調査活動を行ってきた。
[編集] 外交
元外務大臣であり、現在、日韓議員連盟顧問、日本・欧州評議会友好議員連盟会長、日本アメリカ友好議員連盟会長、日本オランダ友好議員連盟会長、日本インド友好議員連盟会長、日本イラン友好議員連盟会長、日本スウェーデン友好議員連盟会長、日本フィリピン友好議員連盟会長、アジア・エネルギー共同体推進議員連盟会長などの外交関連の議員連盟の会長を務めるなど、自民党きっての外交通として内外に知られている。
また、元ソビエト連邦外務大臣で、元グルジア大統領のエドゥアルド・シェワルナゼと仲がよく、グルジアではソビエト崩壊で苦境に陥ったエドゥアルド・シェワルナゼを助けた盟友として知られている。
[編集] 派閥
派閥は参議院初当選から一貫して清和会(福田派→安倍派→三塚派)に属し、安倍晋太郎会長下で加藤六月、塩川正十郎、森喜朗、三塚博が「安倍派四天王」と称されると、これに続く「安倍派第5の男」と呼ばれた。1998年、三塚派内で森ラインと亀井静香ラインの対立が激化すると、亀井、平沼赳夫らと清和会を脱退し、「中山 ・亀井グループ」を結成。しかし、翌年の志帥会結成には参加せず、以来無派閥を貫く。
[編集] 人物
日韓議員連盟顧問。
消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けている[1] 。
暴力団が経営に関与しているとされる企業から、中山が代表を務めている自民党選挙支部へ献金が行われていることが報道されている[2]。
[編集] 略歴
- 1952年 旧制大阪高等医学専門学校(現大阪医大)卒業
- 1954年 大阪医科大学小児科教室助手
- 1955年 大阪府議会議員初当選(大阪生野区)
- 1960年 医学博士号取得(小児麻痺研究・大阪医科大学)
- 1968年 参議院議員初当選(大阪地方区)
- 1971年 労働政務次官
- 1976年 参議院内閣委員長
- 1980年 総理府総務長官・沖縄開発庁長官(鈴木内閣)
- 1983年 参議院自民党幹事長
- 1986年 衆議院議員初当選
- 1989年 外務大臣(第1次海部内閣)
- 1990年 外務大臣(第2次海部内閣・第2次海部改造内閣)
- 2000年 衆議院憲法調査会会長
- 2005年 衆議院日本国憲法に関する調査特別委員長
[編集] 叙勲歴
[編集] 選挙区
[編集] 家族
父は元参議院議員の中山福蔵、母は厚生大臣を務めた中山マサ。弟は元建設大臣、元郵政大臣で衆議院議員を務めた中山正暉、甥は衆議院議員の中山泰秀。
[編集] 関連人物
- 野田義和 東大阪市長
[編集] 脚註
- ^ 「パーティ券リストの面々」『しんぶん赤旗』2003年9月12日
- ^ 『毎日新聞』2004年2月11日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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