出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 秋田 豊 |
| 名前 |
| 愛称 |
アキ |
| カタカナ |
アキタ ユタカ |
| ラテン文字 |
AKITA Yutaka |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1970年8月6日(38歳) |
| 出身地 |
愛知県名古屋市 |
| 身長 |
180cm |
| 体重 |
78kg |
| 血液型 |
B型 |
| 選手情報 |
| ポジション |
DF |
| 利き足 |
右足 |
| クラブチーム1 |
| 年 |
クラブ |
App (G) |
1993-2003
2004-2006
2007 |
鹿島アントラーズ
名古屋グランパスエイト
京都サンガF.C. |
334(20)
57(3)
14(0) |
| 代表歴2 |
| 1995-2003 |
日本 |
44(4)
|
|
1国内リーグ戦に限る。2008年1月12日現在 22008年1月12日現在
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
|
秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は名古屋市中村区出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF、おもにセンターバックを務め、鹿島アントラーズ時代には守備で9冠に貢献した。現在は、京都サンガF.Cのコーチを務めている。
[編集] プレースタイル
- 1対1での強さ、ハイボールへの強さを持つJ屈指のセンターバック。
- 攻撃時のセットプレーでの強烈なヘディングシュートは、チームにとって大きな武器である。相手に当たり負けしない強靭なフィジカル、絶妙なポジショニング、打点の高さ、ボールをミートした瞬間の強さ。秋田のヘディングは、見る者に強烈なインパクトを残し、”走る畳”の異名を持つ。
- 鹿島入団当初は不動の右サイドバックとして活躍し、積極的なオーバーラップからのクロスで多くの得点を演出した。
- 古賀正紘(現・柏レイソル)、角田誠(現・京都サンガF.C.)などが揃った名古屋グランパスエイトでは、チームが4バックを敷く場合、センターバックとしては控えに回ることが多く、秋田といえどもレギュラーを奪取するのは簡単ではなかった。しかし、チームが3バックの場合には、秋田がスイーパーを務めることがあった。ハイボールをヘッドではじき返す高さは有名で”走る畳”とまで言われている。また経験に裏打ちされた深い読みとカバーリングでも、チームの失点を防ぐことに貢献していた。
[編集] 来歴
- 愛知高校、愛知学院大学卒業後、鹿島アントラーズに入団。長く鹿島の「不動のセンターバック」として、チームの9冠に大きく貢献した。その間日本代表にも選出され、1998年フランス大会、2002年日韓共催大会の2回のワールドカップを経験している。
- 1997年に開催されたW杯アジア地区最終予選では、途中からレギュラーのストッパーとして起用され、得意のヘディングで制空権を掌握するだけでなく、アジアのスピードのあるFWを封じ込めた。またセットプレーからヘディングで2得点(対カザフスタン戦、アウェイ・ホームで各1点ずつ)を挙げ「W杯初出場のMVP」と賞賛された。
- 2003年のリーグ終了後、鹿島から戦力外通告を受け、名古屋グランパスに移籍。
- 2006年末に名古屋から戦力外通告を受けたが、J2落ちした京都サンガF.C.が獲得を発表した。
- 2007年シーズンをもって、引退を表明。
- 現役ラストシーズン、所属していた京都サンガF.C.がリーグ戦を終え3位だった為、入れ替え戦に進出。秋田は2戦ともベンチ入りし、2戦目にはこのまま引き分けなら昇格という場面で後半ロスタイムに出場。見事に守りきりに成功し現役ラストシーズンを京都を昇格させるという最高の形で終えた。試合終了のホイッスルがなると一番先に共に戦ってきた森岡隆三と抱き合った。
- 2007年12月 JFL・FC琉球の総監督に就任した元日本代表監督フィリップ・トルシエが現役引退した秋田に獲得オファーを出すという報道があった。
- 2008年シーズンより京都サンガF.C.のコーチに就任する。
- 2009年2月1日、カシマサッカースタジアムにて鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田を対戦カードとして引退試合が行われる。
[編集] 人柄など
- とにかく練習熱心。また日常生活でも「プロ選手」としての心がけを決して忘れず、体調管理・栄養管理などにも細心の注意を払う。
- そうした秋田の姿勢は、クラブチームにおいても日本代表チームにおいても高く評価されてきた。代表では加茂・岡田・トルシエ・ジーコという4人の監督によってメンバーに選ばれており、人を選ばないその信頼の高さが窺えよう。
- 鹿島在籍時、全治3週間のケガを3日で治し、試合に出たことがある。
- 鹿島からの戦力外通告は、本人にとっても、そしてチームメートやサポーターにとっても大きなショックであった。まだまだ現役続行を希望していた秋田を欲しがるクラブは複数あったが、秋田は移籍先として地元である名古屋グランパスエイトを選んだ。息子から「(アントラーズと同じ)赤いユニフォームが良い」と言われた事も、名古屋への移籍を決めた理由と言われている。
- 腕立て伏せが得意で、200回以上できるらしい。
- 休日は海へ行き、サーフィンをして過ごす日もある。
- 鹿島在籍時、チームスポンサーでもあるトステムのCMで菊池桃子と共演。「優しい夫」役でピッチ上とは違った一面を見せた。
- 鹿島には秋田自慢のヘッド強化アイテムがあるが愛弟子の岩政しかあまり使わない。
- フランスW杯で当時、世界屈指のストライカーだったアルゼンチンのバティストゥータをマーク。だが大会後、「(前年Jリーグで活躍した)エムボマのほうが凄かった」と語っている。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1993 |
鹿島 |
2 |
J |
35 |
0 |
5 |
1 |
5 |
2 |
45 |
3 |
| 1994 |
鹿島 |
2 |
J |
38 |
4 |
1 |
0 |
0 |
0 |
39 |
4 |
| 1995 |
鹿島 |
3 |
J |
50 |
0 |
- |
4 |
0 |
54 |
0 |
| 1996 |
鹿島 |
3 |
J |
16 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
23 |
0 |
| 1997 |
鹿島 |
3 |
J |
21 |
3 |
2 |
2 |
5 |
1 |
28 |
6 |
| 1998 |
鹿島 |
3 |
J |
32 |
3 |
1 |
0 |
4 |
0 |
37 |
3 |
| 1999 |
鹿島 |
3 |
J1 |
28 |
2 |
6 |
1 |
2 |
0 |
36 |
3 |
| 2000 |
鹿島 |
3 |
J1 |
28 |
1 |
7 |
0 |
4 |
1 |
39 |
2 |
| 2001 |
鹿島 |
3 |
J1 |
29 |
2 |
6 |
1 |
2 |
0 |
37 |
3 |
| 2002 |
鹿島 |
3 |
J1 |
29 |
4 |
8 |
0 |
5 |
1 |
42 |
5 |
| 2003 |
鹿島 |
3 |
J1 |
28 |
1 |
5 |
0 |
4 |
1 |
37 |
2 |
| 2004 |
名古屋 |
2 |
J1 |
26 |
0 |
7 |
0 |
2 |
0 |
35 |
0 |
| 2005 |
名古屋 |
2 |
J1 |
19 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
21 |
1 |
| 2006 |
名古屋 |
2 |
J1 |
12 |
2 |
3 |
0 |
1 |
0 |
16 |
2 |
| 2007 |
京都 |
2 |
J2 |
14 |
0 |
- |
0 |
0 |
14 |
0 |
| 通算 |
日本 |
J1 |
391 |
23 |
55 |
5 |
43 |
6 |
489 |
34 |
| 日本 |
J2 |
14 |
0 |
- |
0 |
0 |
14 |
0 |
| 総通算 |
405 |
23 |
55 |
5 |
43 |
6 |
493 |
34 |
| 国際大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
出場 |
得点 |
| AFC |
ACL |
| 2002-03 |
鹿島 |
3 |
3 |
0 |
| 通算 |
AFC |
3 |
0 |
[編集] 経歴
- 1993年J1第1S第1節 名古屋戦でリーグデビュー(5月16日)
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 44試合 4得点(1995-2003)
| 日本代表 |
国際Aマッチ |
| 年 |
出場 |
得点 |
| 1995 |
2 |
1 |
| 1996 |
2 |
0 |
| 1997 |
16 |
2 |
| 1998 |
10 |
0 |
| 1999 |
7 |
0 |
| 2000 |
0 |
0 |
| 2001 |
0 |
0 |
| 2002 |
3 |
0 |
| 2003 |
4 |
1 |
| 通算 |
44 |
4 |
[編集] 関連項目
[編集] 獲得タイトル
[編集] クラブ
- Jリーグ年間王者 4回(1996年、1998年、2000年、2001年)
- Jリーグ1st優勝 2回(1993年、1997年)
- Jリーグ2nd優勝 3回(1998年、2000年、2001年)
- 天皇杯優勝 2回(1997年、2000年)
- リーグカップ優勝 3回(1997年、2000年、2002年)
- スーパーカップ優勝 3回(1997年、1998年、1999年)
- A3チャンピオンズカップ優勝 1回(2003年)
- A3チャンピオンズカップMVP(2003年)
※すべて鹿島在籍時での獲得タイトル
[編集] 個人
- Jリーグベストイレブン 4回(1997年、1998年、2000年、2001年)