那覇市
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那覇市(なはし、琉球方言:ナーファ)は、沖縄本島南部の都市で、沖縄県の県庁所在地である。
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[編集] 概要
沖縄県の政治・経済・文化の中心都市であり、また、国際空港である那覇空港や、県外や周辺離島とを結ぶ那覇港を擁することから沖縄県の玄関口としての役割も担う。
面積は日本の全道府県庁所在都市の中で新宿区を除いて最も小さく、人口密度は首都圏と近畿圏を除いた地域としては全国で最も高い。また、那覇空港が市域面積の8%以上を占め、自衛隊や在日米軍の施設や那覇港の港湾施設の分も考慮に入れると、実際の都市活動に使用できる面積は限られる。さらに、那覇空港の制限表面により、市街地の多くは超高層ビルや超高層マンションを建てることが出来ない[1]。そのため、都市化に伴って周辺自治体のベッドタウン化が進み、那覇市を中心市とする那覇都市圏の人口は約75万人(都市雇用圏-2000年)となっている。なお、地方での人口減少が深刻な問題になっている今日においても那覇市及び那覇市周辺では人口増加が著しく2008年現在の都市雇用圏人口は79万人を超えている。
市の中心部は国場川(漫湖)、及び安里川に囲まれた平地地帯に広がり、那覇市、及び沖縄県の主要施設の多くがそこに立地している。近年では1987年に米軍の牧港住宅地区が全面返還されたことにより、那覇新都心として開発が進み、中心地に置かれていた企業本社などの一部が移転しており、新たな中心部となっている。
また、中心部周囲の丘陵地はほぼ全て市街化(主に住宅地)され、元々の地形の高低から立体的な都市景観を見せる。一時は琉球王国時代の首都でもあった首里地区は海抜100メートル程度の高台の上に位置し、場所によっては那覇市全域を見渡すことも可能である。
観光面では、市の中心部の国際通り、市東部の高台にある首里地区の首里城(琉球王国の王府)が中心であったが、近年、前述の在日米軍住宅地の跡地が那覇新都心として開発が進んでおり、2004年12月に世界最大規模の免税店であるDFSギャラリア・沖縄がオープンした。海に面しているが、那覇空港や那覇港などの施設が海岸線のほとんどを占めているため、海水浴場は平成3年に供用開始された波の上ビーチ(人工海浜)のみとなっている。名産品として壺屋焼や泡盛などがある。
[編集] 地理
沖縄県最大の島、沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。市中央部がほぼ平坦で、周辺部に小高い丘陵地帯が取り巻くように展開し、市内を東から西に国場川や安里川が流れ、東シナ海に注いでいる。豊見城市との市境にある漫湖はラムサール条約に登録されている。 2001年8月9日の最高気温が35.6度となり、都道府県庁所在地の最高気温記録中の最低記録である。(2008年8月現在)
[編集] 人口
| 那覇市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 那覇市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は那覇市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 歴史
那覇は国場川が海に注ぐところにある河口の港で、安里川河口の泊(とまり、現在は那覇市の一部)の港とともに、古くから沖縄の貿易港として、琉球王国の首都・首里の外港として、東アジアや東南アジア一帯の中継貿易拠点として栄えてきた。
かつて那覇は国場川・安里川の河口の湾に散在する島の一つであり浮島と呼ばれていた。尚巴志王によって整備され、小さな港であったが、尚金福王が1451年に明からの冊封使を迎えるため、中国人の懐機に命じて「長虹堤」と呼ばれる長さ1km に及ぶ堤道を建設させて沖縄本島の安里川側と繋いだ。陸路交通が整備されたことから港としての発展が始まり、那覇四町と呼ばれる市街地が形成された。
近くの久米村には中国・福建省などからの「閩(びん)人三十六姓」と呼ばれる移民が住み、これら三十六姓の末裔は、進貢使・通訳・造船など琉球の貿易と外交を支える仕事に従事してきた。
また倭寇などの襲撃からの防御のため、那覇港沖の海上にある島に城壁を築いて堤道を作り、国場川河口の那覇港の南北に防御用の砲台「三重城」(みえぐすく)「屋良座森城」(やらざもりぐすく)が完成した。同時に、那覇港の中央の島には御物城と呼ばれる貿易用倉庫が造られている。さらに那覇港の対岸にあたる南側の垣花などにも市街地や港湾が広がった。(那覇港の南岸は第二次大戦後更地になり、米軍の那覇軍港となっている。)
久米村、長虹堤、三重城など那覇の名所は中国人により「球陽八景」と謳われ、葛飾北斎の浮世絵「琉球八景」にも描かれているが、島だった那覇は土砂の堆積により琉球王国末期には本島につながっている。
- 1879年(明治12年): 沖縄県庁を設置。以降沖縄の行政の中心に。また、それまで那覇四町と呼ばれていた西・東・若狭・泉崎へ、新たに泊・久米・久茂地を編入。
- 1896年(明治29年): 沖縄県区制の施行により、那覇区となる。
- 1903年(明治36年): 島尻郡真和志間切から牧志村、小禄間切から垣花地区(湖城村と儀間村の一部)を編入。
- 1908年(明治41年)4月1日: 島嶼町村制施行に伴い、周辺の各間切が町村に。
- 1914年(大正3年): 島尻郡真和志村から壺屋、新規埋立地を旭町と命名し編入。
- 1921年(大正10年)5月20日: 特別区制を廃止し、市制を施行して那覇市となる。
- 1945年(昭和20年): 太平洋戦争での空襲および陸上戦(沖縄戦)により街が壊滅。首里城も破壊された。米軍の全面占領下となり、立入禁止に。
- 第二次大戦後
近代以後も沖縄県の物資集積地、商業都市として繁栄し、海が埋め立てられ那覇は完全に地続きとなった。だが、1944年10月10日の十・十空襲と、1945年4月から始まる沖縄戦により市街地は完全に破壊された。
戦後は、旧那覇市中心部は米軍の管理下に置かれ、軍施設から1マイル以内は立ち入りが許されず、住民の多くは県北部の収容所に移されていた。生活物資不足の解消のため、1945年11月、那覇市壷屋地区の窯業関係者たちがまず帰郷を許され、103人の職人が入市。さらに12月には牧志地区の瓦職人ら136人が入市した。続いて家族や親類縁者が移り住み、これにまぎれて許可のない住民も次々と那覇に住み着いたため、壷屋から新県道(現在の国際通り)の一帯に次々と集落が生まれ、闇市も自然発生的に拡大した。
こうした中、住民の高良一が米軍と直接交渉し、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地(現在のてんぶす那覇あたり)に1948年1月ごろ、映画館「アーニー・パイル国際劇場」を開館させた。以後、周辺は商業地として急速に発展し、新県道は「国際通り」として「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになる。
- 1945年(昭和20年)11月: 産業復興を名目として陶器製造産業先遺隊が壺屋へ入る。
- 1946年(昭和21年)1月3日: 糸満地区管内壺屋区役所が設置され、復興が本格化。その後、民政府などの中央機関が那覇へ移転。
- 1949年(昭和24年)12月9日: 米軍政官が「那覇を沖縄の首都とする」と発表。
- 1950年(昭和25年)8月1日: 島尻郡みなと村を編入。
- 1954年(昭和29年)9月1日: 首里市及び島尻郡小禄村を編入。
- 1956年(昭和31年): 立法院で首都建設法が制定され、琉球政府・沖縄の首都としての整備が開始される。
- 1957年(昭和32年)12月17日: 真和志市を編入。
- 1972年(昭和47年)5月15日: 沖縄返還により本土復帰。自衛隊員の家族の住民票拒否など憲法違反の行動を取り、問題となった。
- 1975年(昭和50年)4月1日: 中頭郡西原町の一部を編入。
- 2003年(平成15年): 沖縄における戦後初の軌道法による鉄道、沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開通。
[編集] 行政
[編集] 行政区画
市域面積の39.23km²に対して、人口密度は8,005.79人/km²で、都道府県庁所在地では東京特別区(13,196人/km²。2000年国勢調査)、大阪市(11,745人/km²。2000年国勢調査)、横浜市(8,129.03人/km²。2006年現在)に次いで第四番目に高い。
[編集] 市町村合併
ほか、南風原町・渡嘉敷村・座間味村・渡名喜村・粟国村・南大東村・北大東村との、周辺離島をも含んだ合併が計画されていたが、白紙撤回される。
[編集] 那覇市議会
議員定数44 現議員数43 欠員1
- 議長:久高将光(自民・無所属連合)
- 副議長:松田義之(公明党)
- 会派別構成
[編集] 警察
[編集] 国の行政機関
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 海外
ホノルル(アメリカ合衆国ハワイ州)- 1961年(昭和36年)1月10日締結
サンビセンテ(ブラジル連邦共和国サンパウロ州)- 1978年(昭和53年)10月23日締結
福州(中華人民共和国福建省)- 1981年(昭和56年)5月20日締結
[編集] 経済
[編集] 産業
第三次産業の割合が高い。その中でも小売業の床面積は、347,672m²と規模が大きい。また、市内に那覇空港があることから、ビジネス客や観光客の多くが那覇を訪れている。1998年に沖縄県を訪れた観光客412万人のうち、那覇の宿泊施設を利用した観光客は多かった。、中心市街地の国際通りは、従来は地元の人を対象として店が多かったが、観光客の増加により観光客相手の土産品店が立ち並ぶ店が増え、現在では常時観光客で賑わいを見せている。
[編集] 本社を置く主な企業
- 公共交通の便がよく、政治・文化の中心地であることから多くの本社が存在するが、都市化により広い土地を得るのが難しく、周辺市町村より地価も高いため、広大な土地が必要な企業の本社は、郊外(那覇市外)に立地することが多い。
[編集] 金融機関
- 日本銀行那覇支店
- 琉球銀行
- 沖縄銀行
- 沖縄海邦銀行
- 沖縄県労働金庫
- JAおきなわ
- コザ信用金庫(本店・沖縄市)那覇支店・開南支店・安里支店・小禄支店
- みずほ銀行(本店・東京都)那覇支店
- 商工組合中央金庫(本店・東京都)那覇支店
[編集] 地域
- 市役所本庁舎以外に、1954年と1957年に2市1村を併合する前の旧市村ごとに、那覇市役所真和志支所、同首里支所、同小禄支所の3支所を設置している。基本的に那覇市はその4地区に区分できるが、那覇新都心が開発されてからは同地区も含めて5つの地域に区分できる。
那覇市内の地名は以下の通り。(★印は住居表示実施地区。△印は無住地域。)
[編集] 本庁管内
大部分は1954年以前から那覇市であった地域。その後埋め立てにより区域が拡大。
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- 安謝(あじゃ)1~2丁目★
- 天久(あめく)1~2丁目★
- 上之屋(うえのや)1丁目★
- おもろまち1~4丁目★(おもろ町と表記するものがあるが正式にはすべて平仮名表記)
- 銘苅(めかる)1~3丁目★
[編集] 真和志(まわし)支所管内
旧真和志市。戦後、不規則な宅地化が進んだ。
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[編集] 首里(しゅり)支所管内
旧首里市(1921年、那覇市と共に市制施行)。那覇市との合併時から、古都・首里の名を残そうという地元住民の強い願いがあったため、この地域の町名の頭には現在も「首里」の名を冠する。なおここでは「首里」の振り仮名を省略する。
なお、全域住居表示が実施されていない地域である。
[編集] 小禄(おろく)支所管内
旧小禄村
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[編集] 健康
平均年齢:39.1歳
[編集] 医療
与儀にあった沖縄県立那覇病院は南風原町に新設された沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに統合され、泉崎にあった泉崎病院はおもろまちメディカルセンターとして上之屋(那覇新都心)に移転した。沖縄県立那覇病院の跡地には現在古波蔵にある沖縄赤十字病院が移転する予定である。
- 那覇市立病院(古島2-31-1)
- 日本赤十字社 沖縄赤十字病院(古波蔵4-11-1)
- 特定医療法人葦の会 オリブ山病院(首里石嶺町4-356)
- 医療法人天仁会 天久台病院(字天久1123)
- 医療法人禄寿会 小禄病院(字小禄547-1)
- 医療法人社団輔仁会 田崎病院(字松川319)
- 医療法人新西会 西武門病院(東町5-22)
- 医療法人おもと会 大浜第一病院(安里1-7-3)
- 医療法人寿仁会 沖縄セントラル病院(与儀1-26-6)
- 医療法人祥杏会 おもろまちメディカルセンター(上之屋1-3-1)
- 医療法人陽心会 大道中央病院(字大道127)・大道リハビリテーション病院(安里1-468-59)
- 医療法人はごろも会 仲本病院(古島1-22-1)
[編集] 福祉
- 社会福祉法人沖縄県社会福祉協議会 沖縄県総合福祉センター(首里石嶺町4-373-1)
- 社会福祉法人那覇市社会福祉協議会 那覇市総合福祉センター(金城3-5-4)
[編集] 保健
[編集] 衛生
- 那覇市・南風原町環境施設組合(市に隣接する南風原町新川にごみ処理施設等がある)
[編集] 学校
[編集] 小学校
[編集] 中学校
[編集] 高等学校
- 公立
- 私立
- 沖縄女子短期大学附属高等学校(在校生徒がいない為、事実上閉校。但し、廃校とはなっていない。)
- 沖縄尚学高等学校
- 興南高等学校
[編集] 大学・短期大学
[編集] 交通
中心市街地では、戦後スプロール現象によって十分な都市基盤整備がされないまま無秩序な市街化が進んだ為、ほとんどの道路が幅員12m以下であり、慢性的な交通渋滞を起こしている。特に、国際通りやその他幹線道路の機能を補完する道路がほとんど無く、あるいは幅員が狭い区間が多い為、国際通りやその他幹線街路に余計に負担が掛かっている。
これらの渋滞を解決すべく沖縄都市モノレール線ゆいレールが開設された。また、中心市街地における駐車場の小規模さも課題の一つであり、改善が急がれている。
なお、沖縄県における県外交通の要所であり、国内でも有数の国際空港である那覇空港と、県内外への海路が集中している那覇港がある。
[編集] バス
沖縄都市モノレール線が開通した現在でも、主な公共交通機関はバスに偏っている。特に中心市街地に於けるバス交通量は非常に多い。 1997年の交通センサスによると、国際通り周辺は1日1500~1600台のバスが通過しており、交通渋滞の一因ともなっているが、それが国際通りを訪れる観光客の後押しをしているともいえる。近年では、国際通りの西側にある国道58号を経由する路線へ変更、または那覇新都心に新設された駅前広場などを起点とする路線へ変更したりとして、当時よりも約2割ほど減っている。 なお、現在は後述の4つの民営企業がバス運行を行っている。
[編集] 鉄道
大正時代は沖縄県営鉄道の与那原線、嘉手納線、糸満線と沖縄電気の路面電車が市内を走り、沖縄軌道と糸満馬車軌道も市内に乗り入れていたが、昭和に入ると沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道がバスとの競争に敗れて廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も第二次世界大戦末期に運用を停止。その後の沖縄戦で破壊されてしまい、戦後もアメリカ軍統治下の沖縄で再び敷設されることはなかった。
しかし2003年8月10日に、戦後初の鉄道である沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開通し、沖縄に再び軌道交通が蘇った。今後は渋滞解消の切り札として注目されている。
[編集] 道路
[編集] 高速道路
- 市内に所在するのは、これに接続する一般道である沖縄県道82号那覇糸満線の那覇IC交差点付近のみで、料金所は南風原町にある。那覇都心部からは西原ICを利用した方が便利な場合もある。また那覇市は全国の県庁所在地で唯一高速道路の本線車道が通っていない都市。
- 那覇空港自動車道(国道506号小禄道路・予定線。現在のところ工事すら行われておらず、開通時期等は不明)
- 那覇インターアクセス道路(地域高規格道路・計画中)
- 那覇西道路(那覇港海底(沈埋)トンネル)
[編集] 国道
[編集] 県道
- 一般県道
- 沖縄県道236号玉城那覇自転車道線(「沖縄のみち自転車道」・予定)
[編集] 空港
[編集] 港湾
[編集] 文化・観光
[編集] メディア
[編集] 新聞
- 那覇と全国紙
朝日新聞や読売新聞などの全国紙は、輸送事情により、朝刊配達が午後に行われる。そのため那覇市は元より、沖縄県内では殆ど販売されていない。このため、全国紙は、那覇には「那覇支局」ではなく、「政治部那覇駐在」などとする扱いが多い。
なお、2008年11月1日より、日本経済新聞が琉球新報社による委託印刷を開始(全国紙初)。朝夕刊共、地方紙と同時に配達を開始する予定(2008年6月20日付日本経済新聞朝刊より)。
[編集] 放送局
[編集] スポーツ
- 奥武山公園
[編集] 観光
- 首里城
- 国際通り
- 波上宮
- 平和通り - 元闇市で、自然発生的に形成された一大アーケード街
- 識名園
- 玉陵(たまうどぅん)
- 園比屋武御嶽
- 那覇市歴史資料室 - 琉球国王尚家関係資料(国宝)(2006年3月現在答申中を所蔵