甲府市

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甲府市
こうふし
日章旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
関東地方
都道府県 山梨県 
団体コード 19201-5
面積 212.41km²
総人口 198,633
推計人口、2008年11月1日)
人口密度 935人/km²
隣接自治体 山梨県甲斐市
山梨市
笛吹市
北杜市
中央市
中巨摩郡昭和町
西八代郡市川三郷町
南都留郡富士河口湖町
身延町
長野県南佐久郡川上村
市の木 カシ
市の花 ナデシコ
市の鳥 カワセミ
甲府市役所
所在地 〒400-8585 山梨県
甲府市丸の内一丁目18番1号
甲府市役所
電話番号 055-237-1161
外部リンク 甲府市ホームページ

甲府市位置図(山梨県)

:市 / :町・村
テンプレート (ノート 解説) 日本の市町村PJ
甲府市
甲府城より北側を撮影
甲府城より南側を撮影

甲府市(こうふし)は、山梨県中部に位置する都市で同県の県庁所在地特例市である。

目次

[編集] 概要

市域は山梨県の中央を三日月形に南北に縦断しており、中心部は甲府盆地の中央北寄りに位置する。中央本線で新宿駅から約125km(特急約1時間30分)、中央自動車道高井戸ICまで約110kmなど、東京との間では北関東の各県庁所在地と似た距離感に位置する。そのため東の関東地方への志向性が強い。山梨県は首都圏整備法上の首都圏に属する県であり、関東各都県の県庁所在地と同様に扱われる事もある。

2000年11月1日に特例市に指定された。近年では、宝石産業の街としても有名である。

甲府という名称は、1519年永正16年)に武田信虎が居館を石和(現在の笛吹市石和町)、次いで川田(現在の甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(現在の武田神社・甲府市古府中町)へ移した際に、甲斐国府中という意味から甲府と命名したことに始まる。戦国時代には大名領国を形成した武田氏の本拠地となり、武田氏滅亡後は徳川氏や豊臣系大名浅野氏の甲斐国経営の中心となり、国中地域や甲斐国の政治的中心地と位置付けられる。江戸時代には江戸の西方の守りの要として重要視され、また甲州街道宿場町としても盛えた。

[編集] 地理

甲府盆地の中央部を南北に縦断する形で位置する。1939年の一時期、市内に住んだ太宰治は、著書「新樹の言葉」の中でその地形を「シルクハツトを倒(さか)さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。」と評した。

[編集]

金峰山、愛宕山

[編集] 河川

笛吹川、荒川、貢川、相川、濁川

[編集] 湖沼

千代田湖、能泉湖

[編集] 景勝地

昇仙峡甲斐風土記の丘

[編集] 隣接自治体

北西: 北杜市 北: 長野県南佐久郡川上村 北東: 山梨市
西: 甲斐市
中巨摩郡昭和町
甲府市 東: 笛吹市
南西: 中央市
西八代郡市川三郷町
南: 南都留郡富士河口湖町 南東:笛吹市
南都留郡富士河口湖町

[編集] 歴史

市域に旧石器時代の遺跡は見られないが[1]縄文時代の遺跡が北部山間地から中部の沖積低地にかけて散在する。山間部では縄文早期からの遺跡がみられるが、いずれも一次的な狩猟採集の拠点となったもので、縄文後期初頭には消失している。盆地低部では上石田の上石田遺跡で定住の痕跡が見られ、生産活動も開始された。

弥生文化は東海系や北陸系などの特色をもった土器が発見されていることから複数経路で導入されたと考えられているが、河川の氾濫原に位置するため遺跡は後期集落跡の見られる千塚の榎田遺跡など自然堤防上や微高地上にわずかにあり、増坪遺跡から炭化米が発見されているのみで市域では水田跡は見られない。

甲府盆地での古墳の築造は4世紀にはじまり、旧中道町域の曽根丘陵では畿内色の大型古墳が築造されているが、6世紀には盆地周縁に広まり、被葬者層も拡大する。市域では6世紀後半から7世紀前半を中心に200基以上の古墳が分布し、特に東部の里垣・甲運地区や西部の湯村・千塚など山麓地域に多い。湯村山周辺には、6世紀前半の横穴式石室を持つ万寿森古墳や加牟那塚古墳など盆地北西部勢力の大型古墳があり、横根町から桜井町にけての横根・桜井積石塚古墳群は、渡来人集団の工人が被葬者であるとも考えられている。

律令制下には巨麻郡山梨郡に属する。古代甲斐国の有力豪族は早くから畿内王権と関わりをもち、甲府盆地東部では仏教文化を導入し、寺本廃寺(笛吹市、旧春日居町)など古代寺院が建立されているが、甲府市域には川田町の川田瓦窯跡や桜井町の上土器遺跡など近隣の森林資源を活かした土器や瓦を生産していた施設があり、甲斐国分寺をはじめ盆地東部の古代寺院へ屋根瓦が供給されていたと考えられている。また、市域にも和戸町の桜井畑遺跡には8~9世紀の小規模寺院跡が発見されており、盆地西部へも仏教文化が浸透していた。また、霊山として知られる市域北端の金峰山には山岳信仰を示す信仰遺跡があり、平安時代中期には末法思想の影響から上積翠寺町の一の森山頂などで経塚造営が行われた。

常陸国から配流された源清光の子孫が甲斐各地に拠り甲斐源氏として発展するが、市域では板垣郷に拠った板垣氏や一条郷に拠った甲斐一条氏や飯田氏、塩辺氏、小松氏らが勢力基盤とした。中世には一条や板垣らが治承4年(1180年)には源頼朝の挙兵に呼応して活躍するが、頼朝によって排斥されて勢力は衰亡し、市域南部の稲積荘には加賀美氏小笠原氏らが進出する。また、中世には市域南部の低湿地の開発が進む。

戦国時代には武田氏が国内統一を進め、武田信昌は市域東部の川田へ居館を構え、石和市部宿と複合城下町を形成した。永正16年(1519年)には武田信虎が古府中に躑躅ケ崎館を築き、家臣団を集住させて新たに城下町が形成された。古府中は信虎、信玄、勝頼と3代にわたり領国拡大を進めた武田氏の本拠地となる。天正9年(1581年)には武田勝頼が韮崎に新府城を築き府中を移転させるが、武田滅亡により新たな城下町の建設は行われず、織田氏徳川氏の統治時代にも府中として機能した。

一条小山の甲府城築城は徳川氏の関東転封に伴い、豊臣氏の大名である加藤氏浅野氏等に引き継がれる。甲府城は慶長5年(1600年)に完成し、城下町も建設されて新府中(下府中)が形成され、内郭部には武家が集住し、外郭部には町人地となる。古府中(上府中、元府中)には商人町や職人町となる。甲府城下町は上府中26町、下府中23町で構成され、中心は人口の集中する下府中であった。町政は町奉行のもと、町人を代評する町年寄にあたる検断が町政運営を担い、各町を代表する長人(名主)がその指揮に従った。

江戸時代には徳川家康の9男徳川義直徳川家光の弟の徳川忠長、家光の三男の徳川綱重、六代将軍となる徳川家宣等徳川氏の一族が領主となった。例外として五代将軍徳川綱吉側用人である柳沢吉保吉里父子が領主となった。甲府は各支配者により整備され城下町として発展するが、享保9年に将軍吉宗の主導する享保の改革の一環として甲斐一国の天領化が実施され、甲府勤番城の守護と城下の政務を担うと、武家人口の低下や在方経済の伸長の影響を受けて、江戸中期には甲府の人口は減少している。

明治には初代公選知事として赴任した藤村紫朗が、殖産興業と並行して甲府市街の開発を行い、勧業製糸場をはじめ「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築で統一された諸施設が整備された。

戦後には市域へも工業団地の造成が進み、高度経済成長期には機械工業都市としても発展する。また、交通機関の整備により観光が主用産業となり、自然や歴史的資源など観光資源に着目した町づくりを行っている。

[編集] 地域

  • 相生
  • 青沼
  • 青葉町
  • 朝気
  • 朝日
  • 愛宕町
  • 荒川
  • 飯田
  • 猪狩町
  • 池田
  • 伊勢
  • 岩窪町
  • 後屋町
  • 右左口町
  • 大里町
  • 太田町
  • 大津町
  • 大手
  • 落合町
  • 音羽町
  • 小曲町
  • 梯町
  • 金竹町
  • 上阿原町
  • 上石田
  • 上今井町
  • 上帯那町
  • 上小河原町
  • 上条新居町
  • 上積翠寺町
  • 上曽根町
  • 上町
  • 上向山町
  • 川窪町
  • 川田町
  • 北口
  • 北新
  • 貢川
  • 貢川本町
  • 国玉町
  • 黒平町
  • 国母
  • 小瀬町
  • 寿町
  • 古府中町
  • 小松町
  • 幸町
  • 酒折
  • 酒折町
  • 桜井町
  • 里吉
  • 里吉町
  • 塩部
  • 下飯田
  • 下石田
  • 下今井町
  • 下帯那町
  • 下鍛冶屋町
  • 下河原町
  • 下小河原町
  • 下積翠寺町
  • 下曽根町
  • 下向山町
  • 白井町
  • 心経寺町
  • 新田町
  • 城東
  • 砂田町
  • 住吉
  • 住吉本町
  • 善光寺
  • 善光寺町
  • 草鹿沢町
  • 高成町
  • 高畑
  • 高町
  • 高室町
  • 武田
  • 竹日向町
  • 大和町
  • 千塚
  • 中央
  • 長松寺町
  • 塚原町
  • 天神町
  • 塔岩町
  • 東光寺
  • 東光寺町
  • 徳行
  • 富竹
  • 中小河原
  • 中小河原町
  • 中町
  • 中畑町
  • 中村町
  • 七沢町
  • 西油川町
  • 西下条町
  • 西高橋町
  • 西田町
  • 羽黒町
  • 東下条町
  • 平瀬町
  • 富士見
  • 古上条町
  • 古関町
  • 堀之内町
  • 増坪町
  • 丸の内
  • 美咲
  • 御岳町
  • 緑が丘
  • 南口町
  • 宮原町
  • 宮前町
  • 向町
  • 元紺屋町
  • 屋形
  • 山宮町
  • 湯田
  • 湯村
  • 横根町
  • 蓬沢
  • 蓬沢町
  • 若松町
  • 和田町
  • 和戸町

[編集] 人口

甲府市と全国の年齢別人口分布図(比較) 甲府市の年齢・男女別人口分布図
紫色は甲府市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 204,654人
1985年 207,695人
1990年 205,896人
1995年 206,393人
2000年 201,710人
2005年 199,749人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 行政機構

  • 市長:宮島雅展(2003年2月3日就任、現在2期目)

[編集] 組織

甲府市役所を参照。

[編集] 市議会

定員は32名。2008年現在の党派別議員数は以下の通り。

[編集] 財政

2006年の甲府市の財政力指数0.781未満であるため地方交付税交付金を受けている一方で、実質公債費比率20.8パーセントと新規公債を自由に発行できる18パーセントを超えているため発行するには山梨県の許可が必要という状況である。

このように甲府市が財政難に陥っている理由として甲府市に本社を置く企業が少ない(2007年現在甲府市に本社を置いている東証一部上場企業は山梨中央銀行のみ)うえに市内の商業施設や工場の閉鎖が相次いだため法人税収入が減少し、また市街地の地価下落が止まらず(1992年以降下降し続けている)固定資産税も減少、さらに人口も減少しているため住民税も減少するという負のスパイラルに陥っているのに対し、雇用対策や人口流出対策、商店街活性化事業などによる各種補助制度の乱発や不況下においても職員の賃金引き上げを行なってきたため財政を圧迫させてしまっている。

[編集] 不祥事

2004年に下水道局の料金徴収担当者が2000年から2002年の3年にわたり新規登録者の登録を怠り、4億5千万円の下水道料金が未徴収であることが発覚した。この作業は担当者が1人で行なっており、担当部長も仕事をしていると思っていたなど管理の甘さが指摘された。職務怠慢の担当者は懲戒免職になったほか、宮島市長や担当部長などが減給などの懲戒処分を受けている。

2007年には観光開発課の担当主任が信玄公祭りなどの公金を着服し、借金返済にまわしていたことが発覚した。公金管理は主任が1人で担当していたため市職員の誰もが着服に気づかず、支払われていないことに疑問を持ったイベント業者の通報によりようやく気づくなど、前回同様管理面で問題が発生している。担当主任は懲戒免職および刑事告発となったほか、宮島市長をはじめとする管理責任者も懲戒処分を受けている。

これ以外にも医療費助成金の二重払いが発生するなど、管理面における不祥事が多発している。

[編集] 経済

[編集] 商業

かつて、甲府市の中心市街地はJR甲府駅を中心に賑わいを見せていた。特に南口にある丸の内地区中央地区山梨県庁甲府市役所といった行政施設をはじめ、百貨店やオフィスビル、多くの商店街が現在も立ち並んでいる。

戦前は「甲府会館」や「岡島百貨店」などの老舗店舗が軒を連ね、戦後は平和通りの整備と共に「甲府西武」や「ダイエー」が進出し、駅北口も丹下健三設計の「山梨文化会館」が開業するなど整備が行なわれていった。中心市街地の全盛期は1980年代であり、「かいじ国体」や「こうふ博'89」開催に関連して甲府駅の改修とあわせて「エクラン」が開業し、「山交百貨店」の移転新築や「パセオ」の開業、「かすがもーる」の整備などバブル景気の波に乗り地価も上昇し、中心部は順調に発展していく。

しかし、バブル景気が終焉を迎えた1990年代に入ると状況は一変する。右肩上がりだった地価は急激に下がり中心街の売上げも急激に落ち込む。また、道路問題や駐車場不足など今まで気づかなかった問題が噴出するものの、財政難であった甲府市は有効な対策を講じることができずにいた。それを横目に道幅が広く駐車場の確保も容易な郊外にショッピングセンターが相次いで開業し、中心街の客足を次々と奪っていったためその影響から中心街に多くある商店街がシャッター通り化した。大型店舗も例外ではなく、1998年には「甲府西武」が、1999年には「ダイエー」から業態転換していた「トポス」が閉鎖した。このように目に見える衰退が続いたことから2000年PHP研究所が発行するTHE21の特集「全国自治体ランキング」において最下位の評価を受けるなど経済界からも見放される結果となった。

これに対し、商店街はやまなし映画祭甲府城イルミネーション風林火山博などのイベントで集客を図ろうとするが歯止めがかかっていない。その一方で甲府市中心市街地活性化基本計画による再開発が本格化しており、中心街の復興はこれらにかかっているといえよう。

[編集] 商業施設

岡島百貨店
百貨店
大型商業施設

[編集] 商店街

  • 朝日通り
  • エル西銀座
  • オリオン通り
  • 春日あべにゅう
  • かすがもーる
  • 甲府銀座
  • コリドー通り
  • 桜通り
  • 春桜会通り
  • ベルメ桜町通り
  • 弁天通り

[編集] 伝統工芸

伝統工芸では宝石研磨や印鑑彫刻、印伝が主なもので、特に宝石産業は甲府の半独占産業でもある。また、水晶細工と印伝は、経済産業省の伝統的工芸品に指定されている。

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 日本国内

[編集] 日本国外

[編集] 教育

[編集] 学校教育

[編集] 大学・短期大学

[編集] 高等学校

公立

私立

[編集] 中学校

国公立

私立

[編集] 小学校

国公立

  • 甲府市立甲運小学校
  • 甲府市立国母小学校
  • 甲府市立里垣小学校
  • 甲府市立新紺屋小学校
  • 甲府市立新田小学校
  • 甲府市立琢美小学校
  • 甲府市立玉諸小学校
  • 甲府市立千塚小学校
  • 甲府市立千代田小学校
  • 甲府市立中道北小学校
  • 甲府市立中道南小学校
  • 甲府市立羽黒小学校
  • 甲府市立東小学校
  • 甲府市立富士川小学校
  • 甲府市立北新小学校
  • 甲府市立舞鶴小学校
  • 甲府市立山城小学校
  • 甲府市立湯田小学校

私立

  • 駿台甲府小学校
  • 山梨学院大学附属小学校

[編集] 社会教育

[編集] 公園

山梨県立美術館

[編集] 博物館

[編集] 図書館

[編集] スポーツ

[編集] スポーツ施設

[編集] プロスポーツチーム

[編集] 交通

[編集] 交通史

※ 旧静岡市との交流関係については「静岡市」を参照のこと。

江戸時代には甲州街道宿場町として、江戸京都を結ぶ内陸ルートの幹線の一角であった。又、富士山南麓に当たる駿河国への交通路としては駿州往還(身延街道、河内路)や中道往還若彦路が、信濃国への街道は隣の韮崎市から佐久往還諏訪往還が分岐していた。

[編集] 鉄道

甲府駅(エクラン)
中心駅
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
広範囲連絡(甲府駅基準、およその時間)

[編集] バス

路線バス

系統や行先などについては甲府駅バスターミナルを参照。

高速バス

運行会社や本数などについては当該項目を参照。

[編集] 道路

[編集] 空港

山梨県内には空港がないので、現状では甲府市との往来に定期航空便を利用する場合は近隣都県にある以下の空港を利用することが多いが、公共交通機関を用いた場合、甲府駅から定期航空便のある空港までの所用時間は最短の信州まつもと空港でも片道1時間30分近くを要する[2]

空港名 所在地 直線距離 所要時間
信州まつもと空港[3] 長野県松本市 約80km あずさ+空港連絡バスで1時間半
羽田空港 東京都大田区 約110km あずさ+山手線京急で2時間半
リムジンバスで3時間
成田空港 千葉県成田市 約165km あずさ+成田エクスプレスで3時間
リムジンバスで3時間40分
富士山静岡空港
(2009年開港予定)
静岡県島田市牧之原市 約102km ふじかわ+バスで3時間

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] 自然景観

[編集] 寺社・歴史的建築物

甲府市域には、寺社は武田氏により保護され、城下町整備において計画的に創建や移転が行われたため数多くの寺社が分布しており、現在では武田氏に関係する歴史的観光資源としても機能している。代表的なものでは、浄土宗甲斐善光寺、時宗寺院の一蓮寺臨済宗寺院の円光院長禅寺東光寺法泉寺曹洞宗寺院の、大泉寺や恵雲院、日蓮宗寺院の信立寺がある。

[編集] 観光

[編集] 祭事・催事

[編集] 出身有名人

[編集] その他

[編集] 市外局番

  • 固定電話の市外局番は古関町と梯町(いずれも上九一色北部地区)を除く全域が055(200~216・218~309)で甲府MAに、古関町と梯町は0555(20~99)で吉田MAにそれぞれ属する。
  • 甲府MA(市外局番055)のうち、古関町と梯町を除く甲府市内では、市内局番は220~255・266・287が使用されている。(266は笛吹市境川町と共有)なお、笛吹市(石和町・八代町・御坂町・境川町・芦川町のみ)、甲斐市(竜王地区・敷島地区のみ)、中央市(全域)、南アルプス市(全域)、中巨摩郡昭和町(全域)、西八代郡市川三郷町(市川大門地区・三珠地区のみ)と同一MAである。
  • 吉田MA(市外局番0555)のうち、古関町と梯町では、市内局番は88が使用されている。なお、富士吉田市南都留郡富士河口湖町西桂町忍野村鳴沢村と同一MAである。
  • 1998年12月31日までは甲府MAの市外局番は0552(20~99)だったが、番号枯渇対策を行うため、1999年1月1日から市外局番が1桁ずらされ、現在の055(200~309※現在は217を除く)になった。
  • 市外局番055は沼津MA(静岡県沼津市三島市など)でも使用されているが、単位料金区域(MA)が異なるため、相互間の通話は市外通話となる。(沼津MAの市内局番は700~709・790~799・900~916・918~999)市外通話であるので、市外局番からダイヤルしなければならない。
  • 天気予報の番号は0552-177である。(市外局番変更の際、一旦は055-177に変更されたが、静岡県東部の天気予報の所在地である沼津MAの市外局番を055にした際、市外局番が重複するため、沼津MAの市外局番変更当日の2002年2月2日に現在の番号に戻された。なお、静岡県東部の天気予報は0559-177である。)この変更については市外局番の項目も参照。この変更に伴い、市内局番217が割り当て市内局番から除外された。
  • なお、古関町と梯町の市外局番を055に変更する(所属MAを甲府MAに変更する)計画は現時点で公表されていない。しかし甲府MAは市内局番に余裕があるため、0555-88-FGHJだけを055-2DE-FGHJなどに移すか、055-588-FGHJに変更することで解決可能である。

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、合併した旧中道町域には立石遺跡など旧石器時代の遺跡が見られる。
  2. ^ Yahoo!路線情報にて検証(但し松本バスターミナルの待ち時間に余裕を持たせすぎのためその分を短縮)
  3. ^ 信州まつもと空港の路線は伊丹新千歳福岡の3路線のみであり、また機材もプロペラ機のみである。更に新千歳・福岡は飛行しない日もある。詳細は信州まつもと空港ホームページを参照。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ