一橋大学
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| 一橋大学 | |
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兼松講堂
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| 大学設置 | 1949年 |
| 創立 | 1875年 |
| 学校種別 | 国立 |
| 設置者 | 国立大学法人一橋大学 |
| 本部所在地 | 東京都国立市中2丁目1番地 |
| キャンパス | 国立(東京都国立市) 神田(東京都千代田区) 小平国際(東京都小平市) |
| 学部 | 商学部 経済学部 法学部 社会学部 |
| 研究科 | 商学研究科 経済学研究科 法学研究科 社会学研究科 言語社会研究科 国際企業戦略研究科 |
| ウェブサイト | 一橋大学公式サイト |
一橋大学(ひとつばしだいがく、英語: Hitotsubashi University)は、東京都国立市中2丁目1番地に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は一橋大(ひとつばしだい)または一橋(ひとつばし)。
目次 |
[編集] 概観
[編集] 大学全体
一橋大学は森有礼が1875年に開いた私塾である商法講習所を源流とする大学である。第二次世界大戦前には商学専門の官立大学(旧制東京商科大学)として開設されていた。
[編集] 建学の精神(校訓・理念・学是)
産業界の指導者を育成するという建学理念をもち、「キャプテンズ・オブ・インダストリー」[1]というキャッチフレーズは一橋大学における事実上の校是となっている。
[編集] 教育および研究
一橋大学では「少人数教育を重視している」[2]としており、特に必修のゼミナール制度はベビーブームの時代にも教員一人に対して10人前後の学生という形態を変更しなかった。またこのゼミナールでは、「学問だけでなく全人的指導をおこなっている」のも特徴であるとしている[3]。一般の授業については、戦前は東京商科大学という単科大学であったこともあって学部間の壁があまりなく、他学部の科目を原則自由に履修することができる他、他学部の専攻を副専攻とすることができる副専攻プログラムもある。
戦前の学生数は大学全体で700人から1000人程度であった[4][5]。戦後は付属大学予科や付属専門部を吸収して拡張したがそれでも1学年440名(1959年)から490名(1963年)程度であった[6][7]。 しかし他の国立大学文系学部と同様に団塊世代が大学に進学する1965年以降大幅に定員が増え、現在では学部生1学年約1000人程度である[8]。
戦前から外国人教師を任用するなど国際色ある教育が伝統[9]で、現在500名を超える留学生が在籍しており、文部科学省の大学国際戦略本部強化事業にも採択されている。
[編集] 学風および特色
産業界の指導者を育成するという建学理念があり、また実際卒業生の多くが産業界で活躍し、従来官界、法曹界に進むものは少なかったため、卒業生は「官僚養成を目的に設立された旧帝国大学とは違う」という考え方を持っている[10]。ただ、現在では法曹界や官界に進む卒業生も増えてきている[10]。特に法科大学院ができてからは大学の公式のプログラムにより法曹養成が行われている。
現在の大学の名称が学生の投票により決められ、また学長選において学生の投票を最後まで認めていた大学であるという事実等から関係者は「学生の自由を重んじる校風をもっている」と考えており[要出典]、現在でも学長選・副学長選では学生による参考投票がおこなわれている[11]。
大学院重点化は2000年に完了している。学部定員は1学年1000人弱[12]で、比較的小さな大学であるといえる[13]。これと対応して1875年開設以来の卒業生の数も7万人程度と少ない[14]。
[編集] 沿革
旧制時代については東京商科大学 (旧制)も参照のこと。
[編集] 年表
- 1875年 森有礼が東京銀座尾張町に私塾商法講習所を開設。
- 1884年 農商務省の直轄となり、東京商業学校に改称。
- 1885年 文部省の直轄となる。東京外国語学校と合併して同校の所在地である神田一ツ橋に移転。
- 1886年 外国語コース(東京外国語学校)廃止。
- 1887年 高等商業学校に改称。
- 1897年 高等商業学校附属外国語学校を設置。
- 1899年 高等商業学校附属外国語学校を東京外国語学校として分離(現東京外国語大学)。
- 1902年 神戸高等商業学校(現神戸大学)の設置に伴い、東京高等商業学校に改称。
- 1909年 専攻部廃止の文部省令に対し全学生・同窓会が抗議、学生総退学決議(申酉事件)。
- 1912年 文部省令により専攻部存続となる。
- 1920年 大学令による東京商科大学に昇格。
- 1927年 関東大震災の被災の影響により、国立と小平に移転。
- 1931年 文部省の予科および専門部廃止案を受け教授会が反対決議、学生は籠城闘争を決行(籠城事件)。
- 1944年 文部省の指導により東京産業大学へ改称。
- 1947年 名称を東京商科大学へ戻す。
- 1949年 学制改革に伴い、新制大学へ移行。新制大学移行に伴い、名称を学生の投票によって一橋大学と改称。商学部、経済学部、法学社会学部を設置。
- 1951年 法学社会学部を法学部と社会学部に分離。
- 1996年 大学院言語社会研究科を設置。
- 1998年 経済学研究科を大学院重点化。国際企業戦略研究科を設置。
- 1999年 法学研究科を大学院重点化。
- 2000年 商学研究科および社会学研究科を大学院重点化。全部局の大学院重点化が完了。
- 2004年 法科大学院開設。
- 2005年 公共政策大学院開設。
[編集] 基礎データ
[編集] 所在地
[編集] 教育および研究
[編集] 組織
[編集] 学部
- 入学定員:275名[15]
- 入学定員:275名[16]
- 入学定員:170名[17]
- 入学定員:235名[18]
[編集] 大学院
[編集] 附属機関
- 経済研究所
- イノベーション研究センター
- 社会科学統計情報研究センター
- 社会科学古典資料センター
- 日本企業研究センター
- 経済制度研究センター
- 金融工学教育センター
- 世代間問題研究機構
- 総合法政策実務提携センター
- 日本法国際研究教育センター
- 平和と和解の研究センター
- 広島市への原子爆弾投下や長崎市への原子爆弾投下による被爆者約2万の証言記録のデジタルアーカイブ化作業をし、2010年程度を目処にインターネット上での公開を予定している[21]。これが2008年3月EMCコーポレーションによる「世界情報遺産保護プロジェクト」において、申請34カ国325件・受賞7件の中、受賞し資金援助を受けた[22]。
- フェアレイバー教育研究センター
- ジェンダー社会科学研究センター
- 大学教育研究開発センター
- 国際共同研究センター
- 附属図書館
- 総合情報処理センター
- 留学生センター
- 保健管理センター
- 学生支援センター
- 北京事務所
- 妙高町田山寮(新潟県妙高市)
- 宿泊施設。妙高山 (新潟県妙高市)等に囲まれた高原にある。付近は紅葉、スキー、温泉で有名で、施設内にも温泉が引き込まれている。町田實秀名誉教授による寄贈。
- 相模湖合宿所(神奈川県相模原市)
- 宿泊施設。相模湖を眼下に見渡せる丘の上にある。
- 戸田艇庫(埼玉県戸田市)
- ボート部の合宿施設。付近に戸田漕艇場がある。
- 如水スポーツプラザ(東京都小平市)
- 体育施設。アリーナ、クライミングウォール室、温水プール、ジャグジー、アスレチックジム、スタジオ、サウナが設置されている。社団法人如水会による寄贈。
- 仙石寮(神奈川県足柄下郡箱根町)
- 教員の学外研究室。付近は温泉地帯として有名な地域。
[編集] 附属図書館
一橋大学附属図書館は文部科学省から人文・社会科学系外国雑誌センターの指定を受けている。またEU資料センターにもなっている。
[編集] 研究
[編集] 21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、4件のプロジェクトが採択されている。
- 2003年
- 社会科学
- 知識・企業・イノベーションのダイナミクス
- 現代経済システムの規範的評価と社会的選択
- 社会科学の統計分析拠点構築
- 2004年
- 革新的な学術分野
- ヨーロッパの革新的研究拠点
[編集] グローバルCOEプログラム
グローバルCOEプログラムとして、2件のプロジェクトが採択されている。
- 2008年
- 社会科学
- 日本企業のイノベーション
- 社会科学の高度統計・実証分析拠点構築
[編集] その他
文部科学省の大学国際戦略本部強化事業に採択されている。
EUインスティテュート・イン・ジャパンにて、日本の研究教育拠点校として指定されている。
以下のプログラムの採択もある。
- 文部科学省中核的研究拠点形成プログラム(COE)
- アジア長期経済統計プロジェクト
- 世代間利害調整プロジェクト
- 日本学術振興会アジア研究教育拠点事業
- 東アジアにおける法の継受と創造-東アジア共通法の基盤形成に向けて
- 文部科学省世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業
- アジアのなかの中東:経済と法を中心に
- 文部科学省近未来の課題解決を目指した実証的社会科学研究推進事業
- 高質の住宅ストックを生み出し支える社会システムの設計
- 持続的成長を可能にする産業・金融ネットワークの設計
[編集] 教育
関係者は「伝統的に国際色ある教育が特色」と考えている。世界各国の40以上の大学等と間で大学間協定の締結がなされ、社団法人如水会や卒業生が起業した企業等からの支援を受け授業料・旅費・生活費が全額給付される毎年40名を超える一橋大学海外留学奨学金制度がある他、文部科学省よる大学国際戦略本部強化事業への採択や、EUインスティテュート・イン・ジャパンによる日本の研究教育拠点校の指定がなされている。授業の一環としてカリフォルニア大学デービス校付属外国語学校またはスタンフォード大学の短期語学研修プログラムに夏休みの期間に参加する、「海外語学研修@UC Davis」及び「海外語学研修@Stanford」も開講されており、一橋基金からこの研修の経費の一部につき援助がある。
2007年度から一橋大学学業優秀学生奨学金制度という給付奨学金制度がスタートした。学生の経済状況に関わらず優秀な者を表彰し、さらに学習に励んでもらうことを目的としている。学部在学生及び卒業生を対象としており、年間96万円支給されている。また、他の奨学金との併用も認められている。ただし、大学院生は受給対象外である[23]。この他、経済的事情で授業料を払えない場合、授業料が免除されることがある授業料免除制度等もある。
四大学連合により、東京医科歯科大学や東京工業大学で医学、理工学等の授業を履修、単位取得することができる他、編入学、複数学士号の取得も可能である。この他、商学研究科、経済学研究科、法学研究科には、大学院に飛び級して入学し修士号や専門職学位を取得できる制度がある。
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム
- 同窓会と連携する先駆的キャリア教育モデル
- 特色ある大学教育支援プログラム
- 人間環境キーステーションとまちづくり授業
- 大学教育の国際化推進プログラム
- 一橋大学長期海外留学プログラム
- 日英文章力開発クラス設置と上級TAの養成
- 日本法国際化のための共同研究の推進(3件)
- 「魅力ある大学院教育」イニシアティブ
- 日欧交信型法学研究者養成プログラム
- 社会科学の先端的研究者養成プログラム
- 大学院教育改革支援プログラム
- 文系修士課程における金融工学教育モデル
- ディベート教育による新時代のリーダー育成
- キャリアデザインの場としての大学院
- 法科大学院等専門職大学院教育推進プログラム
- 科目横断的法曹倫理教育の開発プロジェクト
- 実務基礎教育の在り方に関する調査研究
- 日本発ビジネス・ケースの作成と配信
- 日本発のケースによる高度専門職業人の養成
[編集] 学生生活
[編集] 部活動・クラブ活動・サークル活動
2004年から文部科学省特色ある大学教育支援プログラム事業の大学対抗交渉コンペティションに、法学部及び法学研究科の学生を中心としたグループで参加しており、数度入賞した実績を持っている。
[編集] 学園祭
- KODAIRA祭
KODAIRA祭(コダイラサイ)は国立キャンパス東地区で毎年6月に開かれる、新入生のための大学祭。4月から開催される様々な新歓イベントの集大成として位置づけられている。一橋大学の学部1年生と2年生で組織される、KODAIRA祭実行委員会により運営・実行されている。もともとは小平キャンパスにて「小平祭」として開催されていたが、一橋大学小平分校(教養課程)の廃止にともない、国立キャンパスでの開催となり、名称も「KODAIRA祭」へと変わった。
- 一橋祭(いっきょうさい)
一橋祭は11月はじめに開催されている。国立市商工会青年部が主催する天下市および国立市が主催するくにたち秋の市民まつりとともに国立市では中核イベントとして位置づけられており、これら三つのイベントが連携して開催されている[24]。学内向けイベントや一橋大学OB向けの企画の他に一般市民向けのイベントも開催される[24]。模擬店数は100以上。学部生だけでなく、院生や大学職員も模擬店や屋内企画などで参加する。ミスコンはマスコミにもとりあげられたことがある。
[編集] スポーツ
- 硬式野球部は東京商科大学時代から東都大学野球連盟に加盟している。東京商科大学の加盟が五大学野球連盟から現在の名称である東都大学野球連盟へと改称するきっかけとなった。2008年8月現在、4部リーグである。
- アメリカンフットボール部は関東学生アメリカンフットボール連盟に加盟しており、かつての首都六大学リーグでは優勝した実績を持っている。
[編集] 商東戦 (東商戦)
東京大学との対抗戦は一橋大学の前身である東京商科大学時代から続いており、端艇部(ボート部)、陸上競技部、ゴルフ部、ホッケー部など様々な運動部で開催されている。両大学では東京大学の「東」と一橋大学の旧称である東京商科大学の「商」を取って、商東戦(東商戦)と呼ぶ。また、単に相手校の名を冠して東大戦(商大戦・一橋戦)と呼ぶこともある。特に端艇部(ボート部)の東京大学一橋大学対校競漕大会は体育会以外の学生や出身者も観戦に訪れるため、他の同対抗戦と比べて盛大である。
[編集] 大学関係者と組織
[編集] 大学関係者組織
一橋大学の同窓組織は社団法人如水会といい、文部科学省所管の公益法人となっている。もともとは東京高等商業学校同窓会であったが、1909年に発生した申酉事件を契機に同窓組織の強化が唱えられ、1914年に母校防衛を基本理念とする如水会として改組された。如水会館は如水会のクラブ会館として建設された建物で、運営は東京會舘が行っているものの土地建物は如水会の所有となっている。
- 財団法人一橋大学後援会は文部科学省所管特定公益増進法人で、如水会を母体に一橋大学と在学生及び、教職員への財政支援を行うための組織となっている。
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 施設
[編集] キャンパス
[編集] 国立キャンパス
国立キャンパスは大学通りを境に西地区と東地区に分かれている。
[編集] 西地区
- 西守衛所
- 車庫
- 法人本部棟
- 別館
- 保健管理センター
- 職員集会所
- 兼松講堂
- 本館
- 第1講義棟
- 第2講義棟
- 附属図書館
- 社会科学古典資料センター
- 経済研究所
- 社会科学統計情報研究センター
- 第1研究館
- 西プラザ
- 磯野研究館
- 第2研究館
- イノベーション研究センター
- 総合情報処理センター
- 情報教育棟
- 国際交流会館
- 佐野書院
- 1929年に初代学長である佐野善作が寄贈した。1994年社団法人如水会の資金援助を得て改築。
- 課外活動共用施設
- 合宿所
[編集] 東地区
- 東守衛所
- 東本館
- 東1号館
- 大学教育研究開発センター
- 東2号館
- 東プラザ
- 体育館・武道場
- 国際研究館
- マーキュリータワー
- 如水ゲストハウス
- 1992年社団法人如水会寄贈。
[編集] 文化財
国立キャンパスには古い建物が多く、以下の建物が国登録有形文化財となっている。
[編集] 講堂
兼松講堂は1927年に兼松により寄贈された。国登録有形文化財である。 音響に優れており[25][26]、クラシック音楽のコンサートに利用されることも多い。これまで、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ウラディーミル・アシュケナージ指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ラドゥ・ルプーなどのコンサートが開催されたことがある[27]。 1982年に日本建築学会により、建築学的に貴重な建物2000棟を集めた『日本近代建築総覧』に掲載された[28]。1990年には東京都により都市景観上重要な歴史的建造物150棟の1つに選定され、建造物の保存への配慮要請を受けた[28]。
富山県小矢部市の小矢部市立蟹谷小学校の体育館は、兼松講堂をモデル[29]にして作られている。
[編集] その他
国立キャンパスは、武蔵野の原生林を残している。2006年には、「国立キャンパス100年の森プロジェクト」が文部科学省全国国立大学施設管理運営に関する先進事例11例に選ばれた[30]他、国立キャンパス西地区中央の庭園計画が評価され、緑のデザイン賞・国土交通大臣賞を受賞、資金助成を受けた[31]。
映画『男はつらいよ 寅次郎夢枕』[32]、映画『容疑者Xの献身』[33]、ドラマ『エジソンの母』、ドラマ『ガリレオ』[34]などの撮影ロケ地として使用されたことがある。また旧西本館(現本館)や東本館は漫画『魔法先生ネギま!』の「麻帆良学園」のモデルの1つになっている[35]。
[編集] 神田キャンパス
学術総合センタービルを指す。国立情報学研究所が入居していることから学術総合センタービル自体は同研究所の所有と見られることが多いが、実際には一橋大学の所有である[36]。一橋講堂(1932年竣工) の跡地。
[編集] 小平国際キャンパス
- 使用学部:なし
- 使用研究科:なし
- 使用附属施設:国際共同研究センター、小平図書収蔵庫、如水スポーツプラザ、体育館、プール、国際学生宿舎(一橋寮(単身棟)、A棟(単身棟)、B棟(単身棟)、C棟(単身棟)、D棟(夫婦・家族棟)、E棟(単身棟)、国際交流プラザ、食堂、小平国際ゲストハウス)[37]
- 最寄り駅:西武多摩湖線一橋学園駅
- 放送大学東京多摩学習センターが小平国際キャンパス内に設置されている。
かつての東京商科大学予科およびその後の一橋大学小平分校(教養課程)が設置されていたキャンパス。1996年春に小平分校が廃止され、その後1年間一部の授業が行われた後、一旦閉鎖されたものの申酉事件を想起する如水会員からの懸念表明もあり、国際交流を主体とした施設を置くキャンパスとして再度開設された。
[編集] サテライトキャンパス
[編集] 対外関係
[編集] 他大学との協定
- 第二次世界大戦前の旧制商科大学からの流れを汲む神戸大学(旧制神戸商業大学)と大阪市立大学(旧制大阪商科大学)の間では毎年体育会系部活動や文科系ゼミの交流が行われている。 これらの交流会やスポーツ対戦はいずれも「旧三商大柔道大会」などのように「旧三商大」という名称が使用されている。
- 2005年から言語社会研究科と国立国語研究所との間で連携大学院プログラムが実施されている。
- 2008年慶應義塾大学との連携事業「世界最高水準のEU高度教育研究共同大学院の設置を先端的事業とする大学連携」が文部科学省戦略的大学連携支援事業に採択された[38]。
[編集] 海外協定機関
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[編集] 社会との関わり
[編集] 申酉事件
申酉[39]事件(しんゆうじけん、辛酉事件とも表記する)とは、文部省が東京高等商業学校の専攻科を廃止して東京帝国大学へ統合する省令を発令したことに対する東京高等商業学校側の反対運動を総じて指し示す際に使われる言葉である。申年の1908年から酉年の1909年にかけての事件なので「申酉事件」という。
1900年頃、東京高等商業学校は、渋沢栄一を中心に帝国大学とは別に商科大学という制度を設け、東京高等商業学校の専攻科を商科大学へ昇格させるように陳情活動を実施していた。これに対して、当時の文部省は「大学は帝国大学のみでよい」という考えをもっており、1907年に商科大学という制度を設けることにしたものの帝国大学に設置する考えを改めなかった。1909年5月6日には東京高等商業学校専攻科を東京帝国大学法科大学の商科として東京帝国大学へ移管、同専攻科を廃止する省令を発令した。
この文部省令に対して、東京高等商業学校に在学していた約1500人の全生徒および同窓会が猛反発、臨時学生大会において総退学を決議し、抗議の姿勢を表した。
東京高等商業学校側の姿勢に対しては当時の財界人の支持があり、新聞各紙の論調も東京高等商業学校に同情的であった。この結果、文部省側が折れることとなり、1912年には東京高等商業学校専攻科を存続させる文部省令が発令され、東京高等商業学校はそのまま残存することとなった。
この事件は東京高等商業学校のみならず多くの官立大学、そして私立学校が大学への昇格を求めるきっかけとなった。さらにその後大学令が制定され、旧制専門学校が旧制大学へ昇格する端緒となった。
[編集] 脚注
- ^ 一橋大学 大学案内 大学プロフィール Captains of Industry
- ^ 「一橋大学の特色」一橋大学。
- ^ 一橋大学学長メッセージ: 平成20年度学部入学式における式辞一橋大学、2008年4月3日。
- ^ 一橋大学学園史刊行委員会編 『一橋大学百二十年史』 一橋大学学園史刊行委員会、1995年、266頁-275頁。
- ^ 川崎操編 『一橋大学年譜 第一』 一橋大学、1976年。
- ^ 『朝日新聞』1958年2月11日。
- ^ 『朝日新聞』1963年2月1日。
- ^ 一橋大学学園史刊行委員会編 『一橋大学年譜 第二』 一橋大学学園史刊行委員会、2004年。
- ^ 一橋大学 「改革が必然の流れなら、 全学を挙げて取り組まねば意味がないでしょう」
- ^ a b 石弘光 「学長あいさつ」『一橋大学案内2001』 一橋大学、2000年。
- ^ 「学長候補者除斥投票=7/23~7/31」 一橋新聞 On-Line、2008年7月11日。
- ^ 「入学者選抜要項/平成21年度一橋大学入学者選抜の実施教科・科目等について」 一橋大学、2008年。
- ^ 「国立大学定員数」埼玉大学。
- ^ 「一橋大学 | 一橋大学で学びたい方へ: 一橋大学の特色」 一橋大学。
- ^ 入学者選抜要項/入学定員
- ^ 入学者選抜要項/入学定員
- ^ 入学者選抜要項/入学定員
- ^ 入学者選抜要項/入学定員
- ^ 専門職大学院一覧(平成20年4月現在)-文部科学省
- ^ a b 竹内弘高 「一橋大学における日本初の専門大学院の挑戦」『大学と学生』443号、58-59頁、国立情報学研究所、2001年。
- ^ 『朝日新聞』2008年7月5日朝刊。
- ^ 「EMC、一橋大学に世界情報遺産保護プロジェクト賞を授与 | 経営 |」マイコミジャーナル、2008年5月14日。
- ^ 『産経新聞』2007年11月25日。
- ^ a b 国立市産業振興課
- ^ 兼松株式会社|環境への取り組み・社会貢献兼松株式会社。
- ^ 福地智子「兼松講堂の美しい響きは近代的な音響理論を超えたところにある。」『HQ』(一橋大学)第2号、2003年12月。
- ^ 佐藤正治「国立キャンパスの環境全体が、兼松講堂の魅力を高めているんです。」『HQ』(一橋大学)第2号、2003年12月。
- ^ a b 兼松講堂と改修計画社団法人如水会。
- ^ 小矢部市立蟹谷小学校 学校の概要
- ^ 一橋植樹会・一橋大学 「5月22日レスター・ブラウン氏の一橋大学来学に際しての一橋植樹会関連企画」 一橋植樹会、2006年4月21日。
- ^ 「NEWS11. 「緑のデザイン賞」 国土交通大臣賞を受賞」一橋大学、2006年、『産経新聞』2006年11月16日。
- ^ 山田洋次 『男はつらいよ. 4』立風書房(立風寅さん文庫), 1977年2月、山田洋次原作・監督、渥美清、倍賞千恵子、八千草薫主演 『男はつらいよ : 寅次郎夢枕(寅さん大全集 ; 第10作 )』パイオニアLDC、1972年参照。
- ^ 「Campus Information」『HQ』20号、一橋大学、2008年、56頁。
- ^ 「本学キャンパスが、TBSドラマ「エジソンの母」の撮影ロケ地として使用されました」『HQ』19号、一橋大学、2008年、56頁。
- ^ 赤松健 『魔法先生ネギま [第一巻]』(講談社)(講談社コミックス)、2008年等参照。
- ^ [1]において、ビルの敷地および延べ床面積が一橋大学の財産として掲示されていることからこのように表記した
- ^ 小平国際キャンパス案内図
- ^ 「平成20年度「戦略的大学連携支援事業」の選定状況について 平成20年度「戦略的大学連携支援事業」選定状況」 文部科学省、2008年8月19日、『朝日新聞』2008年8月25朝刊。
- ^ 十二支のうちの二つ。1909年の干支は己酉なので、辛酉は何かの誤りと考えられるが、