京阪電気鉄道
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| 種類 | 株式会社 | ||||||
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| 市場情報 |
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| 略称 | 京阪、京阪電鉄 | ||||||
| 本社所在地 | 〒540-6591 大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 OMMビル9・10階 |
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| 電話番号 | 06-6944-2521 | ||||||
| 設立 | 1949年(昭和24年)12月1日(※1) | ||||||
| 業種 | 陸運業 | ||||||
| 事業内容 | 旅客鉄道事業 ほか | ||||||
| 代表者 | 代表取締役CEO兼取締役会議長 佐藤茂雄 代表取締役社長COO兼執行役員社長 上田成之助 |
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| 資本金 | 514億6,641万6,776円 | ||||||
| 売上高 | 連結:2,619億52百万円 単独:735億01百万円 (2008年3月期) |
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| 総資産 | 連結:5,713億03百万円 単独:4,578億88百万円 (2008年3月31日現在) |
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| 従業員数 | 連結:7,485人 単独:1,747人 (2008年3月31日現在) |
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| 決算期 | 3月31日 | ||||||
| 主要株主 | 中央三井信託銀行(株) 3.99% 日本生命保険相互会社 3.58% (株)三井住友銀行 2.60% (2008年3月31日現在) |
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| 主要子会社 | (株)京阪百貨店 100% 京阪電鉄不動産(株) 100% (株)ホテル京阪 75.0% |
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| 関係する人物 | 渋沢栄一 岡崎邦輔 太田光凞 佐藤一男 村岡四郎 |
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| 外部リンク | www.keihan.co.jp | ||||||
| 特記事項: 登記上の本店所在地:大阪府枚方市岡東町173番地の1 ※1:京阪神急行電鉄から分離。なお、(旧)京阪電気鉄道の設立日は1906年(明治39年)11月19日。 |
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京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英称:Keihan Electric Railway Co., Ltd.)は、大阪府・京都府・滋賀県に路線網を持つ日本の大手私鉄。略称は京阪(京阪電鉄、京阪電車とも呼ばれる)。登記上の本店は大阪府枚方市岡東町173番地の1。本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル内。営業キロ程は91.1km(2008年10月19日現在)。
京阪電気鉄道と、その子会社75社(有価証券報告書への記載義務のある連結子会社および有価証券報告書への記載義務のない非連結子会社を合わせた全子会社数)、および持分法適用関連会社3社から構成されている京阪グループの中核企業である。
目次 |
[編集] 概要
スローガンは「こころまち つくろう KEIHAN」である。2008年4月15日までの京阪グループ共通スローガンは「街をつなぐ、心をむすぶ KEIHAN GROUP」であった。
テレビCMではこれまで全国的に知名度の高いタレントを起用してきたが、2000年12月からは「京阪のる人、おけいはん。」をキャッチフレーズに各種キャンペーンを展開している(→歴代CM出演者・おけいはん)。
大阪証券取引所第一部に単独で株式を上場していたが、2006年3月22日には東京証券取引所第一部にも上場した。また、同年11月13日に開業100周年を迎える2010年を目処に純粋持株会社へ移行することが発表され(仮称:京阪ホールディングス)、その傘下に置かれる運輸業・不動産業・流通業・レジャーサービス業の各事業を統括する形態になると説明されている。
スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKHである。
[編集] 歴史
大阪と京都の間には1876年(明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道が引かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。そこで左岸(東側)の京街道ぞいに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。両派は競願のムダを避けて話し合いの末に一本化し「畿内電気鉄道株式会社」として設立。1903年(明治36年)11月9日改めて畿内電気鉄道として軌道条例による路線特許が申請された。その後1905年(明治38年)8月30日の発起人会・設立委員会で京都 - 大阪を結ぶ鉄道ということをあらわす「京阪電気鉄道株式会社」に名称変更すること、運輸だけでなく電力供給事業・同関連事業を兼業することがに決められた。1906年(明治39年)8月25日に軌道敷設の特許がおり、同年11月19日に東京商業会議所で創立総会を開催し京阪電気鉄道株式会社が設立された。
建設に当たり用地買収と路線の実測を開始すると大阪市の行政指導(市営モンロー主義)や淀川沿いの軟弱地盤・用地買収の遅れ・疎水堤防上へ変更などで10数か所にわたりルートの変更を余儀なくされ1908年(明治41年)9月にようやく全路線の青写真が出来上がり、同年10月より4工区に分割され建設工事が開始された。そして1910年3月に軌道の敷設は完了した。
1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として大阪・天満橋 - 京都・五条(現・清水五条)間が開業した。阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、それを克服するため様々な技術開発が行われた。また集客策として10月から12月にかけて香里園で『菊人形展』を開催、1912年からは枚方市に隣接する1万m²を買収(後の枚方パーク)して10月6日から11月25日にかけて菊人形展が開催された。
1911年10月には森小路 - 香里(現・香里園)間の沿線で電灯電力供給事業を開始。翌1912年には摂津電気を買収し淀川右岸への電力供給事業を手に入れ、1921年には和歌山水力電気を合併する。
1922年頃より営業エリアを滋賀県琵琶湖周辺への拡大を狙い京津電気軌道との合併交渉を開始するが、一部京津電気の役員が京都電燈との合併を望み、話し合いの結果、電力供給は京都電燈へ売却、軌道部門は京阪電鉄に合併されることが決まり、1925年2月に京津電気軌道を合併。続けて湖南汽船から増資の引き受け1926年7月に湖南汽船を子会社化した。これに対抗して大津電車軌道・湖南鉄道・太湖汽船は合併して琵琶湖鉄道汽船を設立。しかしこうした争いは双方にマイナスになると湖南汽船の社長の仲介により琵琶湖鉄道汽船との合併交渉が進められ、鉄道部門の大津電車軌道部分を京阪へ、湖南鉄道部分は別会社の八日市鉄道(後に近江鉄道に合併)として独立、船舶部門は湖南汽船に譲渡して(新)太湖汽船(後の琵琶湖汽船)となった。これにより琵琶湖を自社の営業エリアに収めた(京阪の社史では「湖上制覇」と表現している)。
また、並行線を他社によって敷設されることを阻止する企業防衛のための新京阪鉄道(現・阪急京都本線)建設や奈良電気鉄道(奈良電、現・近鉄京都線)・阪和電気鉄道(現・JR西日本阪和線)への関与、さらには和歌山(阪和と和歌山軌道線)への進出など積極的な拡張策を展開した。しかし、投資が回収できないうちに昭和恐慌に見舞われ、逼塞を余儀なくされる。
1941年8月発布の配電統制令により発電送電事業を関西配電(後の関西電力)に現物出資の形で失い、太平洋戦争中には陸上交通事業調整法に基づき阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)となる。
戦後・京阪神急行電鉄から分離するが、この時新京阪線は阪急に残ることとなり、淀川左岸の路線での再発足となった。 また近畿日本鉄道との間で奈良電気鉄道をめぐって株式の争奪戦をしたが、1962年に関西電力の仲介より京阪の持つ奈良電気鉄道の株式を近鉄に譲渡、奈良電は近鉄に合併され、近鉄京都線となった。
これらの経験が、他の関西大手私鉄と比べて事業の多角化に慎重で、本業を重視する傾向につながったともいわれる。しかし、少子・高齢化により鉄道事業のみでは今後の発展は望めないとして、創業100年を機にエリア外(特に関東地方)での事業多角化を進めることを明らかにしている。すでに関東に進出しているジューススタンドに加え、「ホテル京阪」や流通事業の全国進出が検討され、すでに北海道札幌市内に「ホテル京阪札幌」を、東京都台東区内に「ホテル京阪浅草」を建設することが決定した(ジューススタンドと京阪交通社を除けば京阪グループの全国展開第1号である)。
[編集] 年表
- 1903年(明治36年)11月19日 - 社名を「畿内電気鉄道」として軌道条例による電気鉄道敷設の特許を申請。
- 1905年(明治38年)8月30日 - 発起人会を開き設立委員を選定、設立委員会が社名を「京阪電気鉄道」へ変更を決定。
- 1906年(明治39年)8月25日 - 鉄道敷設の特許を得る。
- 1906年(明治39年)11月19日 - (旧)京阪電気鉄道株式会社設立。資本金700万円(現在の貨幣価値に換算して約189億4,500万円)。
- 1910年(明治43年)4月15日 - 大阪・天満橋 - 京都・五条(現・清水五条)間開業。
- 1910年(明治43年)10月15日 - 第1回菊人形を香里園で開催(1912年3月に香里遊園地、廃止)。
- 1911年(明治44年)10月13日 - 大阪地区で電気供給事業開始。
- 1913年(大正2年)6月1日 - 宇治線、中書島 - 宇治間開業。
- 1913年(大正2年)10月1日 - 摂津電気を合併。
- 1914年(大正3年)5月15日 - 日本初の電車による「急行」運転を天満橋 - 五条間で開始。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 日本で初めて色灯三位式自動閉塞信号機の使用を開始。
- 1915年(大正4年)10月27日 - 京阪本線の五条 - 三条間が延伸開業。
- 1917年(大正6年)1月17日 - 京阪本線・深草車庫で火災、車両19両焼失。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 安威川水力電気を合併。
- 1922年(大正11年)6月28日 - 淀川西岸の高速新線建設のため新京阪鉄道株式会社を設立。
- 1922年(大正11年)7月1日 - 和歌山水力電気株式会社を合併。和歌山地区の電気供給事業と軌道事業を継承。
- 1925年(大正14年)2月1日 - 京津電気軌道株式会社を合併し、京津線とする。
- 1925年(大正14年)5月5日 - 京津電気軌道から継承した京津線の札ノ辻 - 浜大津間を延伸開業。
- 1926年(大正15年)3月1日 - 日高川水力電気を合併。
- 1926年(大正15年)9月1日 - 京津線沿線の電気供給事業を京都電燈に譲渡。
- 1927年(昭和2年)8月31日 - 日本初の全鋼製ロマンスカー(1550形)を新造。
- 1928年(昭和3年)3月1日 - 京阪土地(元の北大阪電気鉄道)を合併。
- 1929年(昭和4年)4月11日 - 琵琶湖鉄道汽船株式会社を合併。船舶部門(旧太湖汽船)は湖南汽船に譲渡。鉄軌道路線のうち石山 - 浜大津 - 坂本間を京阪に編入するが、それ以外は八日市鉄道に売却。
- 1930年(昭和5年)5月10日 - 合同電気株式会社に和歌山地区の電気供給事業と軌道事業を譲渡。
- 1930年(昭和5年)9月15日 - 新京阪鉄道株式会社を合併し、天神橋 - 西院間の路線を新京阪線、十三 - 淡路間の路線を十三線、淡路 - 千里山間の路線を千里山線、桂 - 嵐山間の路線を嵐山線とする。
- 1931年(昭和6年)3月31日 - 新京阪鉄道からの継承事業であった新京阪線の西院 - 京阪京都を延伸開業(関西初の地下鉄道)。
- 1931年(昭和6年)10月14日 - 京阪本線の蒲生信号所 - 守口(現在の守口市)間の併用軌道(通称「野江の七曲り」)を廃止。同区間の線路を移設の上立体交差化。
- 1933年(昭和8年)2月1日 - 日本初のコンパウンドモーターによる回生ブレーキ付き車両50形4両を新造(末尾55-58)。
- 1933年(昭和8年)12月29日 - 京阪本線の蒲生信号所 - 守口(現在の守口市)間を複々線化。
- 1934年(昭和9年)3月19日 - 日本初の連接車「びわこ号」60形竣工。
- 1934年(昭和9年)4月2日 - 三条(三条大橋)経由、天満橋(京阪本線) - 浜大津(京津線)間直通の特急「びわこ号」の営業運転を開始(戦時中に一時休止)。
- 1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風が関西を来襲。守口車庫半壊をはじめ全線で大きな被害を受ける。
- 1935年(昭和10年)6月29日 - 鴨川大水害。三条 - 七条間で浸水、路盤倒壊など大きな被害を受ける。鴨川の河川改修(鴨川の掘り下げと拡幅)に合わせて京阪線を地下化する計画が策定される。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 電力統合政策により電気供給事業を関西配電(関西電力の前身)に現物出資。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)による政府からの勧奨を受け、阪神急行電鉄株式会社と合併し、京阪神急行電鉄株式会社(現在の阪急電鉄株式会社。法人格としては現在の阪急阪神ホールディングス株式会社)が発足(書類上の存続会社は阪神急行電鉄株式会社)。
- 1945年(昭和20年)1月25日 - 近江神宮での『大化の改新1300年祭』に天満橋駅から京阪線・京津線を経由、石山坂本線の近江神宮駅へ直通列車が運転される(60形63号)。
- 1945年(昭和20年)5月1日 - 交野電気鉄道株式会社の事業を譲り受け、交野線とする。
- 1945年(昭和20年)12月21日 - 奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)が京阪本線の丹波橋 - 三条間に乗り入れ開始。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 京阪線の電車が奈良電気鉄道の丹波橋 - 京都間に乗り入れ開始。
- 1949年(昭和24年)8月7日 - 京津線四宮車庫で火災。車庫・変電設備と車両22両を焼失。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 京阪神急行電鉄から京阪本線、交野線、宇治線、京津線、石山坂本線が分離譲渡される形で、日本で14番目の大手私鉄となる(新)京阪電気鉄道株式会社が発足。
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 京阪本線の天満橋 - 三条間に特急の運行を開始、天満橋 - 三条間を53分で結ぶ。
- 1950年(昭和25年)10月11日 - 宇治川の志津川発電所への資材運搬軽便鉄道を利用して天ヶ瀬 - 大峯間3.2kmに「おとぎ電車」が開業(遊戯施設の扱い)。
- 1951年(昭和26年)3月30日 - 特急専用車1700系10両を新造。特急電車の「マンダリン・オレンジ」と「カーマイン・レッド」のツートンカラーがこの電車から始まる。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 日本初の「スーパーマーケット」となる京阪スーパーマーケットを京阪本線の旧京橋駅構内に開店。
- 1952年(昭和27年)7月17日 - 特急列車の先頭エンブレム(鳩マーク)の使用を開始。
- 1953年(昭和28年)7月22日 - 1800系特急用電車2両を新造。
- 1953年(昭和28年)9月25日 - 台風13号で京都府南部に被災。宇治川の堤防決壊・山科川への逆流などで京阪線・宇治線・おとぎ電車で浸水・築堤倒壊・路盤流失など大きな被害を受けた(京阪線同年10月1日復旧・おとぎ電車翌年3月復旧)。
- 1954年(昭和29年)9月3日 - 京阪線の特急でテレビを設置したテレビカーの運行を開始。
- 1955年(昭和30年)6月25日 - 京阪線天満橋 - 塩小路間の貨物営業を廃止、塩小路貨物駅廃止。
- 1955年(昭和30年)12月3日 - 鋼索線、八幡市 - 男山山上間開業。
- 1956年(昭和31年)1月10日 - 線路名称制定。
- 1957年(昭和32年)3月9日 - 日本初の空気バネ台車「KS-50」取り付け車両の使用を開始(現在は寝屋川車庫と大阪市弁天町の交通科学博物館に1台ずつ保存・展示されている)。
- 1958年(昭和33年)12月1日 - 寝屋川車庫の使用を開始し、守口車庫を廃止。
- 1959年(昭和34年)8月6日 - 日本初の平坦線回生ブレーキを常用した2000系電車が使用を開始。
- 1960年(昭和35年)5月31日 - 「おとぎ電車」休止、廃線跡のほとんどは大峰ダムと共に天ヶ瀬ダム湖に沈む。
- 1961年(昭和36年)8月12日 - 京津線で各停用回生ブレーキ車80形が使用を開始。
- 1962年(昭和37年)12月22日 - 京阪最初の自動券売機を京橋・天満橋の両駅に設置。
- 1963年(昭和38年)4月15日 - 京阪本線の淀屋橋 - 天満橋間の地下新線が延伸開業。
- 1963年(昭和38年)11月29日 - 京阪淀屋橋ビル竣工(京阪初の不動産賃貸ビル)。
- 1964年(昭和39年)7月7日 - 日本初の駅冷房を京阪本線の淀屋橋駅で開始。
- 1966年(昭和41年)8月3日 - 蒲生信号所前で列車追突事故が発生。これをきっかけにATS導入が決まる。
- 1967年(昭和42年)6月15日 - 日本初の官民一体型のニュータウン「くずはローズタウン」造成工事起工式。
- 1967年(昭和42年)8月1日 - 淀屋橋 - 大和田間(複々線区間の緩行線を除く)にATSの地上設備を設置完了、特急列車のATS使用開始。関西私鉄初ATS設置運用開始。以後9月28日にまでに京阪本線の全区間にATSの地上設備の設置を完了した。
- 1968年(昭和43年)1月29日 - 宇治線ATS使用開始。
- 1968年(昭和43年)7月16日 - 交野線ATS使用開始。
- 1968年(昭和43年)9月12日 - 京阪本線全列車にATS車上装置を搭載完了。
- 1968年(昭和43年)12月20日 - 近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)との相互乗り入れを廃止。
- 1969年(昭和44年)11月30日 - 京橋駅が移転高架化。
- 1970年(昭和45年)4月15日 - 京橋駅ビルに京阪ショッピングモール(現在の京阪モール)が開業。
- 1970年(昭和45年)5月15日 - 通勤冷房車(2400系)の営業運転での冷房装置使用開始。
- 1970年(昭和45年)11月1日 - 京阪本線の天満橋 - 野江間を複々線化。
- 1970年(昭和45年)12月22日 - 日本初の5ドア車両5000系が竣工。京阪電鉄初のアルミ車両。
- 1971年(昭和46年)7月1日 - 京阪初の冷房付き特急専用車3000系(初代)が運用を開始。
- 1972年(昭和47年)2月2日 - 寝屋川車両工場竣工。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 樟葉駅前にくずはモール街が開業。
- 1972年(昭和47年)7月1日 - 鴨川電気鉄道株式会社設立。
- 1974年(昭和49年)7月26日 - びわこローズタウンの第一期分譲を開始。
- 1975年(昭和50年)7月1日 - 社員に対して週休2日制を実施。
- 1975年(昭和50年)11月15日 - 全車両に「優先座席」を設定。
- 1976年(昭和51年)9月12日 - 京阪本線の守口市 - 門真市間高架複々線化。
- 1976年(昭和51年)11月20日 - 京阪で初めて駅に点字ブロックを設置(香里園駅)。以後順次各駅に設置へ。
- 1978年(昭和53年)3月30日 - 京阪電鉄、初の分譲マンション「ローズマンション藤森」が竣工。
- 1978年(昭和53年)7月30日 - 京阪本線の門真市 - 寝屋川信号所間の高架複線を使用開始。
- 1978年(昭和53年)8月8日 - 2600系電車が運用を開始。
- 1978年(昭和53年)9月1日 - 社員に対して給与振り込み制度を実施。
- 1979年(昭和54年)1月20日 - 主要12駅に点字運賃表を新設(京阪初の点字運賃表)。
- 1980年(昭和55年)2月20日 - 磯島曲線(枚方市 - 御殿山間)で京都行急行列車が置石による脱線転覆事故発生。
- 1980年(昭和55年)3月16日 - 京阪本線の土居 - 寝屋川信号所間が高架複々線化。京阪本線の天満橋 - 寝屋川信号所間12.6kmが私鉄最長(当時)の複々線区間となる。
- 1980年(昭和55年)3月23日 - ダイヤ改正で「土曜ダイヤ」導入(日本初)。
- 1980年(昭和55年)5月28日 - 最初の「京阪時刻表」を刊行。
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 京阪本線の土居 - 寝屋川信号所間が高架複々線化工事竣工。守口市(下り線)仮駅横に残っていた踏切がなくなり淀屋橋 - 寝屋川信号所間14.1kmの立体交差化が完了。
- 1983年(昭和58年)3月17日 - 6000系電車が運用を開始。
- 1983年(昭和58年)12月4日 - 京阪線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧。
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 京津線ATS設置完了。
- 1984年(昭和59年)6月27日 - 京阪線で弱冷房車を導入。
- 1984年(昭和59年)7月29日 - 6000系が鉄道友の会より「ローレル賞」を京阪電鉄で初めて受賞。
- 1985年(昭和60年)10月12日 - 守口市駅前(旧守口車庫跡地)に京阪百貨店が開業。
- 1986年(昭和61年)12月1日 - 全駅で朝夕のラッシュ時に「禁煙タイム」を実施。
- 1987年(昭和62年)5月24日 - 京阪本線の東福寺 - 三条間が地下化。
- 1987年(昭和62年)12月10日 - 京阪線で自律分散式列車運行管理システム (ADEC) の使用を全面的に開始。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 京阪社員へ完全週休2日制を実施。
- 1988年(昭和63年)9月1日 - 地下線の7駅が終日禁煙化される。
- 1989年(平成元年)4月1日 - 鴨川電気鉄道株式会社を合併。京阪線の車両冷房化率100%達成。
- 1989年(平成元年)7月4日 - 電力指令所の更新工事が竣工。
- 1989年(平成元年)9月27日 - 鴨東線完成に併せたダイヤ改正で京阪線の特急がすべて7両編成化(3000系の一部の6両編成に新特急車8000系中間車を組み込む)。
- 1989年(平成元年)10月1日 - プリペイドカード「Kカード」の発売を開始。
- 1989年(平成元年)10月5日 - 鴨川電気鉄道からの継承事業であった鴨東線の三条 - 出町柳間開業。8000系特急用電車運用開始。
- 1990年(平成2年)6月20日 - 回数乗車券を磁気カード化した「Kカード回数券」発売。
- 1991年(平成3年)11月29日 - 京福電気鉄道の100%出資子会社であった叡山電鉄の増資分を出資。株式の60%を取得し筆頭株主となる。
- 1992年(平成4年)5月12日 - 京阪東ローズタウン街開き。
- 1993年(平成5年)7月1日 - 会社組織改変「運輸・まちづくり・流通・ビジター」の4つの事業本部制を導入。
- 1994年(平成6年)5月1日 - 京阪のすべての駅で喫煙所を除き、全面禁煙化。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災が発生。これを契機に様々な地震対策や設備の耐震補強が行われる。
- 1995年(平成7年)9月1日 - 時差割引回数券(オフピークチケット)と土曜休日割引回数券(サンキューチケット)の発売開始。
- 1995年(平成7年)11月1日 - Kカード回数券で自動改札を利用可能にすると同時に指定駅のみに認められていた途中下車制度を廃止。
- 1995年(平成7年)12月25日 - 京阪線の特急専用車に2階建車両を連結開始。
- 1996年(平成8年)3月28日 - 京阪線に地震計測・制御システム導入。
- 1997年(平成9年)4月1日 - 京阪線の駅構内でワゴン販売「プラットボーイ」を開始(同年10月1日グッドデザイン賞に選定)。
- 1997年(平成9年)4月21日 - コンビニエンスストア「アンスリー」の1号店が樟葉駅構内に開業。
- 1997年(平成9年)9月30日 - 石山坂本線の穴太 - 坂本間が複線化され、鋼索線を除く鉄・軌道線全線の複線化を達成(一部複々線)。
- 1997年(平成9年)10月12日 - 京都市営地下鉄東西線の開通に伴い京津線の京津三条 - 御陵間を廃止。京都市営地下鉄東西線御陵 - 京都市役所前間に乗り入れ開始。それに伴い乗り入れ対応車800系電車の運行開始。大津線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧。「京阪電車の冷房車率100%」と「大津線電車の回生ブレーキ車率100%」を達成。
- 1998年(平成10年)4月29日 - 京阪線の特急専用車への2階建車両連結と8両編成化を完了。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 京阪線(鴨東線・宇治線・交野線も含む)でスルッとKANSAI共通磁気カードシステムを導入し、「スルッとKANSAI Kカード」の発売を開始。
- 1999年(平成11年)10月23日 - けいはんな公園都市の街開き。
- 2000年(平成12年)10月1日 - 「まちづくり事業本部」を京阪電鉄不動産株式会社へ移管。
- 2001年(平成13年)8月31日 - 個人向け社債(愛称:「おけいはんボンド」)100億円を発行。
- 2002年(平成14年)2月19日 - 「京阪グループ新生計画Re Born21」を発表。同年7月1日計画推進のために組織改正して事業本部制を廃止。
- 2002年(平成14年)3月1日 - 京津線にも「スルッとKANSAI」システムを導入。
- 2002年(平成14年)3月29日 - 京福電気鉄道より叡山電鉄の全株式を取得。完全子会社とする。
- 2002年(平成14年)4月15日 - 交野線・宇治線で10000系電車が運用を開始。
- 2002年(平成14年)6月15日 - 使用済み乗車券をリサイクルして作ったお香「チケット セラピー」発売。
- 2002年(平成14年)11月30日 - 京津線全列車ワンマン運転化。
- 2003年(平成15年)5月28日 - 中之島新線起工式。
- 2003年(平成15年)10月4日 - 石山坂本線全列車ワンマン運転化。
- 2004年(平成16年)3月15日 - 鉄道会社では日本初となる「ISO14001」認証を会社全体で取得。
- 2004年(平成16年)8月1日 - スルッとKANSAI共通ICカードシステムPiTaPa導入(ただしこの時点では大津線には導入されず。また鋼索線は導入対象外)し、「e-kenet PiTaPa」発行。
- 2005年(平成17年)12月4日 - ひらかた大菊人形の歴史に幕が下りる。
- 2006年(平成18年)1月21日 - JR西日本のICカードICOCAの利用が可能に(他のPiTaPa導入各社も同時実施)。
- 2006年(平成18年)3月22日 - 東京証券取引所第一部に上場。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 大津線にもPiTaPaが導入(乗り入れ先の京都市交通局の地下鉄路線も同時導入)され、鋼索線を除く京阪全線でPiTaPaの使用が可能となった。
- 2007年(平成19年)6月16日 - 全線に「早期地震警報システム」導入。
- 2007年(平成19年)6月17日 - 京阪線の「列車運行管理システム (ADEC)」を更新。
- 2007年(平成19年)9月22日 - 交野線でワンマン運転開始。
- 2008年(平成20年)1月16日 - 京都市営地下鉄東西線の路線延長により京津線の乗り入れ区間を京都市役所前から太秦天神川まで延長。
- 2008年(平成20年)4月15日 - 新シンボルマークとスローガンを導入。
- 2008年(平成20年)10月1日 - 子会社 株式会社京阪タクシーシステムズを吸収合併。
- 2008年(平成20年)10月19日 - 中之島線、中之島 - 天満橋間が開業。3000系電車(2代)が運用を開始。
[編集] 路線
一般に京阪本線・中之島線・鴨東線・交野線・宇治線・鋼索線(男山ケーブル)を京阪線、京津線と石山坂本線の両線を大津線と総称している。決算資料などによると、京阪線の運輸収入が500億円弱、大津線が17億円前後と、大きな開きがある。1997年に京津線の一部を廃止するまでは関西の大手私鉄では唯一廃止区間(線路の付替を除く)を持たない会社であった。
[編集] 営業区間
- 京阪線
- 大津線
[編集] 廃止区間
[編集] 未成区間
新京阪線の未成区間(西向日町 - 馬場間)については新京阪鉄道を参照。
[編集] 他社への譲渡路線
京阪子会社の新京阪鉄道が経営していた路線を1930年に同社の合併で直営としたものである。戦中の1943年に京阪が阪神急行電鉄(阪急)と統合されたことで京阪神急行電鉄の路線となり、戦後京阪が再分離する際に阪急側に残存した。なお、京阪本線・宇治線・京津線・石山坂本線とは異なり、当初から軌道ではなく地方鉄道法による鉄道路線となっていた。
1922年に和歌山水力電気を買収したことで直営路線(京阪和歌山支社)となったものである。事業整理の一環で1930年には合同電気へ譲渡された。なお、この路線はその後も変遷を遂げ、南海電気鉄道の路線(和歌山軌道線)となった後、1971年までに廃止された。
[編集] 他社線との直通運転
京阪電鉄自身は京都市営地下鉄東西線に直通運転しているが、関西大手5私鉄の中で唯一他社からの直通運転がない(他地方の大手私鉄では相模鉄道と西日本鉄道があるが、両鉄道とも乗り入れ計画がある)。ただし、過去には京阪線で近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)と相互直通運転を行っていた。
- 京都市交通局 - 1997年10月12日より京阪の車両にて片乗り入れを開始。当初は御陵駅から京都市役所前駅までの乗り入れだったが、2008年1月16日より一部の列車の乗り入れ区間を太秦天神川駅まで拡大した。これは烏丸御池駅や二条駅などにおける他路線との連絡の強化および嵐山 - 大津間の利便性の向上を目的としている。
[編集] 過去の事例
- 近畿日本鉄道 - 京阪本線・宇治線が丹波橋駅で近鉄京都線と相互直通運転を行っていた(1968年12月まで。詳細は奈良電気鉄道を参照)。
- 江若鉄道 - 石山坂本線の浜大津 - 膳所間で1947年1月25日から1965年6月10日まで江若鉄道の気動車が乗り入れていた(国鉄貨物支線との二重線籍区間であり、厳密には京阪への乗り入れとみなさない)。
[編集] 路線の形成過程
[編集] 現有路線の免許(特許)・開業日
| 開業区間 | キロ程 | 特許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 天満橋 - 五条間 | 46.2km | 1906年8月25日 | 1910年4月25日 | 1931年10月13日まで蒲生(現在の京橋付近) - 守口(現在の守口市)間は併用軌道区間 五条は現在の清水五条 |
| 五条 - 三条間 | 1.5km | 1913年5月29日 | 1915年10月27日 | 京都市が所有する特許線を租借 五条は現在の清水五条 |
| 中書島 - 宇治間 | 7.8km | 1907年1月26日 | 1913年6月1日 | |
| 京阪神急行電鉄と改称 | … | … | 1943年10月1日 | 阪神急行電鉄との合併による社名変更(書類上京阪電気鉄道は一旦消滅) |
| 京阪神急行電鉄から分離 | … | … | 1949年12月1日 | (新)京阪電気鉄道設立 |
| 地方鉄道線への変更 | … | … | 1978年3月10日 | 東福寺 - 三条間は除く |
| 開業区間 | キロ程 | 特許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 古川町 - 札ノ辻間 | 10.0km | 1907年1月24日 | 1912年8月15日 | 古川町は後の東山三条 札ノ辻は現在の上栄町 - 浜大津間にあった駅 |
| 古川町 - 三条大橋間 | 0.6km | 1912年12月13日 | 1923年2月20日 | 三条大橋は後の京津三条 |
| 札ノ辻 - 浜大津間 | 0.4km | 1924年5月8日 | 1925年5月5日 | |
| 浜大津 - 湊町間 | … | … | 1928年9月11日 | |
| 京阪電気鉄道に吸収合併 | … | … | 1924年2月1日 |
| 開業区間 | キロ程 | 特許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 大津 - 膳所間 | 3.0km | 1907年9月21日 | 1913年3月1日 | 大津は現在の浜大津。膳所は現在の膳所本町 1965年までは国鉄東海道本線貨物支線との二重線籍 |
| 石山駅 - 粟津間 | 0.9km | 1907年9月21日 | 1914年1月12日 | 石山駅は現在の京阪石山 |
| 石山駅 - 唐橋前間 | 0.7km | 1907年9月21日 | 1914年1月17日 | |
| 唐橋前 - 蛍谷間 | 0.8km | 1907年9月21日 | 1914年2月15日 | 蛍谷は現在の石山寺 |
| 1914年6月4日 | ||||
| 膳所 - 粟津間 | 1.4km | 1907年9月21日 | 1914年5月1日 | |
| 浜大津 - 三井寺間 | 0.4km | 1907年9月21日 | 1922年5月7日 | |
| 三井寺 - 兵営前間 | 0.6km | 1907年9月21日 | 1927年5月15日 | 兵営前は現在の別所 |
| 兵営前 - 山上間 | 0.4km | 1907年9月21日 | 1927年9月10日 | |
| 山上 - 松ノ馬場間 | 5.3km | 1907年9月21日 | 1927年5月15日 | |
| 松ノ馬場 - 坂本間 | 0.6km | 1907年9月21日 | 1927年8月13日 | |
| 琵琶湖鉄道汽船に改称 | … | … | 1927年1月21日 | |
| 京阪電気鉄道に吸収合併 | … | … | 1927年4月11日 |
| 開業区間 | キロ程 | 免許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 私市 - 枚方東口間 | 6.9km | 1920年9月27日 | 1929年7月10日 | 枚方東口は現在の枚方市 1931年7月以降京阪電気鉄道に経営委託 |
| (旧)交野電気鉄道に譲渡 | … | … | 1939年5月1日 | |
| 京阪神急行電鉄に譲渡 | … | … | 1945年5月1日 |
| 開業区間 | キロ程 | 特許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 淀屋橋 - 天満橋間 | 1.3km | 1959年2月23日 | 1963年4月16日 | 全区間地下線 |
| 地方鉄道線への変更 | … | … | 1978年3月10日 |
| 開業区間 | キロ程 | 免許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 八幡町 - 男山山上間 | 0.4km | 1955年4月8日 | 1955年12月3日 | (旧)男山鉄道の路盤を転用 |
| 開業区間 | キロ程 | 免許・許可年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 三条 - 出町柳間 | 2.3km | 1974年2月25日 | 1989年10月5日 | 子会社の鴨川電気鉄道が取得。1989年4月1日合併。 この区間は京都電燈(京福電気鉄道の前身)が1924年に免許を取得していたが、1974年2月20日に失効させた。 全区間地下線 |
| 中之島 - 天満橋間 | 2.3km | 2001年11月7日 | 2008年10月19日 | 京阪電気鉄道は第二種鉄道事業者。 中之島高速鉄道が第三種鉄道事業者(許可日同じ)。 |
2001年の鉄道事業法改正で免許制から許可制に変更。
[編集] 過去の運営路線の免許(特許)・開業日
| 開業区間 | キロ程 | 特許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 和歌山 - 県庁前間 | 4.7km | 1904年12月14日 | 1909年1月23日 | |
| 県庁前 - 和歌山市間 | 2.0km | 1904年12月14日 | 1909年2月12日 | |
| 和歌浦 - 紀三井寺間 | 1.5km | 1904年12月14日 | 1909年11月25日 | |
| 紀三井寺 - 琴ノ浦間 | 3.0km | 1904年12月14日 | 1911年11月3日 | |
| 琴ノ浦 - 黒江間 | 0.6km | 1904年12月14日 | 1912年4月17日 | |
| 和歌浦 - 新和歌浦間 | 1.2km | 1904年12月14日 | 1913年9月30日 | |
| 1914年9月7日 | ||||
| 黒江 - 日方口間 | 0.9km | 1904年12月14日 | 1918年6月21日 | |
| 日方 - 海南駅前間 | 0.7km | 1916年10月7日 | 1929年6月1日 | |
| 京阪電気鉄道に吸収合併 | … | … | 1922年7月1日 | |
| 合同電気に譲渡 | … | … | 1930年5月10日 | 東邦電力、和歌山電気軌道を経て南海電気鉄道和歌山軌道線となり、1971年4月1日に全線廃止。 |
| 開業区間 | キロ程 | 免許年月日 | 開業年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 十三 - 淡路間 | 4.2km | 1919年9月12日 | 1921年4月1日 | 路盤の一部は官営鉄道東海道本線の旧線跡を転用 |
| 淡路 - 千里山間 | 5.1km | 1916年9月1日 | 1921年10月26日 | 路盤の一部は官営鉄道東海道本線の旧線跡を転用 |
| 天神橋 - 淡路間 | 3.3km | 1916年9月1日 | 1915年10月15日 | 免許は北大阪電気鉄道が取得 |
| 淡路 - 上新庄間 | 1.9km | 1923年6月18日 | 1928年1月16日 | |
| 上新庄 - 高槻町間 | 14.4km | 1922年4月24日 | 1928年1月16日 | 免許は京阪電気鉄道が取得 高槻町は現在の高槻市 |
| 高槻 - 西院(仮駅)間 | 21.4km | 1922年4月24日 | 1928年11月1日 | |
| 桂 - 嵐山間 | 4.1km | 1924年5月13日 | 1928年11月9日 | 免許は京都電燈(京福電気鉄道の前身)が取得 |
| 西院(仮駅) - 京阪京都間 | 1.4km | 1922年4月24日 | 1931年3月31日 | 全線地下線で関西初の地下鉄道線 京阪京都は現在の大宮 |
| 新京阪鉄道に譲渡 | … | … | 1923年4月1日 | |
| 京阪電気鉄道に吸収合併 | … | … | 1930年9月15日 | |
| 京阪神急行電鉄に吸収合併 | … | … | 1943年10月1日 | 1949年12月1日の(新)京阪電気鉄道設立以降も京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に所属 |
[編集] 営業廃止日
| 開業区間 | キロ程 | 許可年月日 | 廃止年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 京津三条 - 御陵間 | 3.9km | 1997年9月10日 | 1997年10月12日 |
[編集] 未成区間の免許(特許)・失効日
経由地の地名は免特許取得時のもの。郡は省略。
| 区間 | キロ程 | 特許年月日 | 失効年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 大阪市北区空心町 - 同市東野田町間 | 1.5km | 1910年9月15日 | 1919年1月21日 | |
| 大阪府清水村 - 城北村友淵間 | 2.9km | 1910年5月16日 | 1942年9月26日 | |
| 大阪府城北村友淵 - 豊崎村北長柄間 | 0.8km | 1919年12月20日 | 1942年9月26日 | |
| 豊崎村北長柄 - 大阪市北区川崎町間 | 0.4km | 1919年12月20日 | 1926年10月27日 | |
| 野江 - 京都府大山崎村 - 淀間 | 30.4km | 1919年7月21日 | 1922年度 | 新京阪線の原型 |
| 京都府大山崎村 - 四条大宮間 | 15.1km | 1919年7月21日 | 1922年度 | 新京阪線の原型 |
| 六地蔵 - 醍醐 - 大津市馬場間 | 12.5km | 1927年10月26日 | 1937年2月26日 | |
| 滋賀県大津市地内 | 1.7km | 1922年5月25日 | 1930年6月25日 | 大津電車軌道が取得 石山坂本線三井寺付近から大津駅前への支線 |
| 滋賀県大津市地内 | 0.4km | 1926年5月5日 | 1930年6月25日 | 大津電車軌道が取得 石山坂本線坂本駅からの延長線 |
| 区間 | キロ程 | 免許年月日 | 失効年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 上新庄 - 城北村赤川間 | 3.2km | 1922年4月24日 | 1942年9月25日 | 新京阪線の残存 |
| 連絡線 | 0.6km | 1922年4月24日 | 1942年9月25日 | 城北線と梅田線の赤川付近での連絡線 |
| 城北村赤川 - 大阪市北区中野町間 | 2.4km | 1922年4月24日 | 1942年9月25日 | 大阪市北区中野町は現・都島区で桜ノ宮駅付近 |
| 大阪市北区中野町 - 同区葉村町 | 1.5km | 1922年4月24日 | 1942年9月25日 | |
| 大阪市北区葉村町 - 同区角田町 | 0.8km | 1928年8月7日 | 1942年9月25日 | |
| 長岡天神 - 柳谷観音間 | 2.1km | 1924年5月13日 | 1930年2月27日 | 京阪電気鉄道合併前に失効 |
| 京阪京都 - 河原町間 | 2.0km | 1927年10月18日 | … | 全区間地下線 京阪京都は現在の大宮 1949年12月1日の(新)京阪電気鉄道設立以降も京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に所属 1963年6月17日に京阪神急行電鉄によって開業 |
| 西向日町 - 山科間 | 12.1km | 1928年11月6日 | 1937年9月28日 | 路盤の一部は官営鉄道東海道本線の旧線跡を転用 |
| 区間 | キロ程 | 免許年月日 | 失効年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 千里山 - 大阪府山田村 | 2.3km | 1931年12月23日 | 1936年12月2日 | 千里山線の延長 |
[編集] 車両
京阪線用車両においては、車体製造後35年以上を経過した車両が全体の約半数を数える状態であるが、車両の保守技術には定評があり、大きなトラブルもなく運用されている。1810系から編入された1900系の一部車両は製造から半世紀が経過し、さすがに寄る年波には勝てず、2006年3月 - 5月に大半が廃車され、2008年でも2編成が残存されて運用されていたが、中之島線開業前日の10月18日でついに全編成が定期運用を離脱した。また、製造から45年を経過している2000系の生まれ変わり車である2600系0番台も多数が現役であり、製造から40年を経過した2200系に至っては今でも主力として広く運用されている。
日本でも希少のテレビカーやダブルデッカーを連結した京阪特急専用車をはじめ、日本初の多扉車となった5000系、ホームドア付き地下鉄区間から急勾配急カーブの連続の山岳区間に大津市内の併用軌道と言った極端に性格の異なる区間に対応して設計された800系など、個性的な車両が多い関西私鉄の象徴的存在として知られる。
車体は、以前は日本車輌、ナニワ工機(昭和45年にアルナ工機に名を変え、現在は路面電車を主に輸入製造する「アルナ車両」)、帝國車輛工業(現・東急車輌)、田中車両(およびその後身の近畿車輛、戦後は大津線区のみ)、日立製作所(初代鋼索客車・大津線の260形の一部)製もあったが、2400系以降の新系列車は川崎重工業製である。電装品は一部の例外を除き東洋電機製造製が一貫して用いられているが、これは同社が京阪出身者などによって創設されたという経緯によるものである(戦後高性能車の一部には三菱電機製WNカルダンを使用した時期もあり、1900系の一部において使用されていた。なお同社は現在はクーラーと換気扇で採用している)。加えて、阪急京都本線の車両が東洋電機製造の電装品を用いているのもこれに由来する。台車は川崎重工業と住友金属工業から供給を受けている。川崎重工業とは吸収合併された汽車製造会社の時代から共同で台車の研究を続けており、日本最初の空気バネ台車もそこから誕生した。
6000系以降は編成の両端に動力車が来るようにしているが、同系列と8000系・10000系は編成の両端に固めている一方で、7000系・7200系・9000系・2代目3000系は京浜急行電鉄と同様に編成の両端と中央に配置している。
パンタグラフは京阪線・大津線ともに東洋電機製造製で、1900系と2400系の一部に菱形の「PT-4202C」、2代目3000系にシングルアーム型の「PT-7163A」、それ以外は下枠交差形の「PT-4805A」と、その改良型(1000系と2600系は4805A-M、6000系から4805B-M、7000系以降は4805C-M、10000系と2400系の一部では廃車になった2600系のパンタグラフを改造したPT-4805A-M改)が使われている。大津線系統では、京都市営地下鉄に乗り入れる800系に「PT-7201」シングルアーム形を、それ以外は「PT-4303A」を採用している。
車掌スイッチは乗務員が乗り込む扉の上部に設置されている。スイッチは握った手が滑り落ちないよう「逆T字型」になっていて、客用扉を開扉するときはスイッチを上から下へ引き出す。閉扉するときはスイッチを下から上へ押し戻す。この形の車掌スイッチは関東の大手私鉄では採用されていない[1]。ただしワンマン改造がされた大津線の600形、700形はスイッチの形・設置場所が異なる。
京阪本線沿線に成田山大阪別院明王院(香里園駅から1km)があるため、全車両に成田山の御守が飾られている(同別院は京阪が勧請して建てられた)。京阪本線の車両の先頭と後方を北と南にすると、御守は北東と南西の方向に設置されている。これは鬼門と裏鬼門から遮断するために設置されたという一説もある。ただし、鋼索線には石清水八幡宮の御守が飾られているが、これは鋼索線のある男山の山頂に石清水八幡宮が鎮座することによる。
2007年4月11日、京阪電鉄は中之島線開業用および1900系・2600系・2200系の置き換え目的の新型車両を投入することを発表し、翌2008年4月15日にその形式が3000系であることが発表された(従来の3000系は8000系に編入)。3000系は6編成48両(1編成8両)が新造され、主に中之島線における優等種別となる快速急行向けで、1列+2列のクロスシートと両端部ロングシートを構成するセミクロスシート(ただし運転台後部は2列+2列のクロスシート)となり、水都、大阪・中之島をイメージした、上部に紺色(エレガント・ブルー)、下部に白色(アーバン・ホワイト)のツートンカラーに銀色(スマート・シルバー)のラインの入ったカラーリングとなる[2]。
同時に京阪線全車両の塗装変更も発表された。#車両カラーの項を参照されたい。
[編集] 現有車両
下記のうち1900系・2600系0番台が老朽化により、また2200系についても余剰車の一部を皮切りに廃車が開始されている。