信州新町
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信州新町(しんしゅうしんまち)は、長野県上水内郡にある町である。単に新町(しんまち)と呼ばれることもある。
現在は長野市、中条村との合併協議が続いている。
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[編集] 地理
[編集] 歴史
- 1336年(建武3年)- 1月と6月に、この地の領主香坂氏6代目の香坂心覚が中先代の乱に際して南朝方として牧城に挙兵。北朝方の守護職であった小笠原氏や村上氏、高梨氏、市河氏らと激しく争った。
- 1556年(弘治2年)- 武田信玄の命により馬場信春が牧城に入場。それまでの領主だった香坂宗重は無血開城して信玄に臣従し、埴科郡に移った。
- 1607年(慶長12年)- 「穂刈新町」として九斎市が立てられて以降、現在の中心部が「新町村」と呼ばれるようになった。
- 1832年(天保3年) - 犀川上流の松本との間で犀川通船が運航された。
[編集] 沿革
- 1873年(明治6年)4月 - 水内郡新町村に里穂刈村が合併。
- 1875年(明治8年)9月4日
- 更級郡日名村、大原村が合併して孟津村となる。
- 更級郡南牧村、山和田村、吐唄(とっと)村が合併して弘崎村となる。
- 更級郡牧野島村、下市場村が合併して往平村となる。
- 1876年(明治9年)5月30日 - 水内郡新町村、上条村が合併して信岡村となる。
- 同年6月 - 更級郡本鹿谷村と外鹿谷村が合併して信級村となる。
- 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法により上水内郡・更級郡の所属となる。
- 1880年(明治13年)8月25日 - 孟津村が日名村と大原村に分立。往平村が牧野島村と下市場村に分立。
- 1881年(明治14年)5月12日 - 信岡村が新町村と上条村に分立。
- 1882年(明治15年)6月20日 - 新町村から里穂刈村が分立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。
- 1892年(明治25年)10月14日 - 信級村から日原村が分立。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 上水内郡津和村、水内村が合併して久米路村が発足。
- 同年10月1日 - 久米路村が町制施行、同時に町名を改称し、新町となる。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 上水内郡新町と更級郡信級村、日原村が合併、上水内郡信州新町が発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 更級郡牧郷村の竹房、下市場、牧野島、牧田中地区全域、及び中牧、弘崎地区の一部を編入。(残部は大岡村へ。)
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 北安曇郡八坂村の左右(そう)地区を編入。
[編集] 人口
| 信州新町と全国の年齢別人口分布図(比較) | 信州新町の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は信州新町
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 行政
[編集] 地域
[編集] 教育
[編集] 交通
路線バス
[編集] 名所・旧跡・観光
- 久米路峡
- 牧之島城跡 越後への牽制と更級、水内の山間部の鎮撫を目的に武田信玄の命を受けた馬場信春による1566年の築城と伝えられる。土塁や堀跡などの遺構に甲州流築城術の特徴が良好に保存されている。
- 信州新町青少年旅行村
- 武富佐神社 続日本紀に768年、更科郡の建部大垣が「人となり恭順、親に孝あり」との理由で朝廷から褒美を得た記述がある。その住地の記載はないが建部氏は日本武尊の名代部であり古代大和朝廷から各地に配置された職業的軍事集団でもあったとされる。更科郡下で倭健尊を祭神とする古くからの神社は当社と考えられるので建部大垣はこの周辺の住民であったと推定されている。姨捨山の棄老伝説が大和物語によって広く知られるようになるのは大垣の受賞から180年余も経てのことである。この長い間に大垣受賞の噂話が各地に広まる過程で物知りによって棄老を戒める仏教の説話が付け加えられて定着したものとされている。また当社は建部大垣の古墳上に建立されているのだとも伝説されている。
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 名産物
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