麻績村
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[編集] 地理
長野県の中信地区、北国西街道沿いに位置し、麻績宿が設置されていた。 村内には聖山(ひじりやま)があり、越後の高僧である聖がこの山を修行山としたことが名前の由来であり、その後もいくつかの寺院が建立された。
[編集] 隣接する自治体
[編集] 沿革
- 吾妻鏡文治2年(1186年)3月の項に「麻績御厨(大神宮御領)」との記載が見える。
- 1875年(明治8年)1月20日 - 筑摩郡麻績町村、矢倉村、市野川村、野口村、下井堀村が合併し麻績村となる。同郡上井堀村、桑山村、桑関村、高村が合併し日向村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。麻績村と日向村は合併を伴わずに発足。
- 1956年(昭和33年)9月30日 - 東筑摩郡麻績村、日向村が合併し、新・麻績村が発足。
- 2002年(平成14年)6月6日 - 本城村・坂北村・坂井村と任意合併協議会を設置
- 2003年(平成15年)10月24日 - 本城村・坂北村・坂井村と法定合併協議会を設置
- 2004年(平成16年)9月12日 - 法定合併協議会から離脱し、自立を表明
[編集] 行政
[編集] 所轄広域連合
[編集] 所轄警察署
[編集] 所轄消防署
- 松本広域消防局麻績消防署
[編集] 村政
[編集] 県政
- 長野県議会選挙区 - 東筑摩郡選挙区(定数1)
[編集] 国政
- 衆議院選挙区 - 長野県第2区
[編集] 人口
| 麻績村と全国の年齢別人口分布図(比較) | 麻績村の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は麻績村
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 地域
[編集] 教育
[編集] 小学校
- 麻績村麻績小学校
[編集] 中学校
- 麻績村筑北村学校組合立筑北中学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] バス
[編集] 道路
- 一般国道
- 主要県道
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 合併からの離脱
平成の大合併が日本全国で進む中、麻績村も同郡内の「筑北地方」と呼ばれる本城村・坂北村・坂井村の近隣三村(現:筑北村)との対等合併の協議が進められていた。そして2002年には任意合併協議会が始まり、足掛け2年以上をかけた協議がほぼ終了し、後は調印するだけとなっていた。
ところが調印を翌月に控えた2005年9月12日に麻績村役場で記者会見が開かれ、麻績村長の依田政人氏(当時)により法定協議会からの離脱が表明された。この時の内容については麻績村公式サイト内の「村からのお知らせ」で公開されている。突然の合併離脱の発表に対し、三村だけでなく麻績村内でも大きな波紋が広がり、有志による質問状も出されている。(前述のサイト内で公開)
この決断の背景には、当時県内の市町村で三番目に低い公債費比率(8.6%)と健全な財政を維持していた麻績村と三村での財政格差による合併後の財政面での負担の可能性もさることながら、本城村が事前協議を経ないまま合併前の駆け込み事業を進めてしまったことが合併離脱の決定的要因とされている(読売新聞の記事)。また合併後の町名について、麻績村が望む「聖町」が住民アンケートで「筑北町」に僅かに及ばず、共に過半数に達していないことから二案による再アンケートを求めるも、三村の賛成多数で「筑北町」に決定したことも大きな影響を与えている。
尚、麻績村も含めて四村での合併が成立した場合には「町」として発足する予定だったが、最も人口の多い麻績村(約3千人)の離脱により、町制施行に関する人口要件(長野県の場合、八千人以上)を満たすことが出来なくなり、結局三村合併後(約六千人)も「村」のままとなってしまうことになった。
[編集] 出身有名人
[編集] その他
[編集] 外部リンク
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