大和村 (山梨県)

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旧・大和村のデータ
廃止日 2005年11月1日廃止
廃止理由 新設合併
 大和村塩山市勝沼町甲州市
現在の自治体 甲州市
廃止時点のデータ
日章旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
関東地方
都道府県 山梨県 
東山梨郡 
団体コード 19305-4 
面積 43.03km²
※境界未定部分あり
総人口 1,495
(2003年)
隣接自治体 塩山市大月市笛吹市東山梨郡勝沼町
村の木  
村の花  
 
大和村役場
所在地 〒409-1203  山梨県
 東山梨郡大和村初鹿野1693-1
電話番号 0553-48-2111 
外部リンク 村の公式サイト 
位置 東経138度46分53秒
北緯35度38分10秒
テンプレート (ノート 解説) 日本の市町村PJ

大和村(やまとむら)は、かつて山梨県に存在したである。

郡境合併で誕生し、「大いに和する」の願意を込めて大和村と名付けた。2005年11月1日、隣接する塩山市及び勝沼町と新設合併して甲州市となり消滅した。

目次

[編集] 地理・歴史

県中東部、郡南西端、甲府盆地の最東端に位置。日川流域の山村で、国中郡内の中間に位置する。

室町時代の応永23年(1416年)には、鎌倉で起こった上杉禅秀の乱に荷担した武田信満が、都留郡で上杉憲宗勢に敗退し、木賊山で自害している。また、戦国時代の天正3年(1575年)には織田・徳川連合軍の侵攻に備えた武田勝頼新府城韮崎市)から郡内領主小山田氏の居城である岩殿城へ退く途中の駒飼にいおいて小山田信茂の離反を知り、日川渓谷沿いに天目山へ逃れ田野郷で敗死(天目山の戦い)。後に甲斐を領した徳川家康による追福のため景徳院が建立され、初鹿野山が寄進され田野郷を寺領に与えられた。

江戸時代には日川両岸に村落が成立し、右岸に初鹿野、鶴瀬の2村が成立し山梨郡栗原筋に属し、左岸には日影、田野、木賊の3村が成立し八代郡石和筋に属した。山間部で水田は少ないため、生業は僅かな畑作のほか養蚕煙草など商品作物の栽培のほか、林業や製炭などの山稼ぎ、甲州道中沿いの駒飼宿や鶴瀬宿での駄賃稼ぎが行われた。

また、九州のキリシタン大名有馬晴信の配所としても知られる。

近代には中央本線の開通などで宿場が廃れたため出稼ぎが行われるようになり、戦後には過疎化が進む。近年は果樹栽培、灯篭飛石に使われる甲州鞍馬石の生産、日川渓谷や武田家終焉の地であることを活かした観光に力を入れている。

[編集] 行政区域の変遷

[編集] 地理

[編集] 名勝・旧跡

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] その他

[編集] 関連項目


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