ローター・マテウス

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ローター・マテウス
名前
本名 ローター・ヘルベルト・マテウス
愛称 鉄人、ドイツの闘将
ラテン文字 Lothar Herbert Matthäus
基本情報
国籍 ドイツ(旧西ドイツ
生年月日 1961年3月21日(47歳)
出身地 エルランゲン
身長 173cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF/DF
利き足 右足
代表歴
1980-2000 ドイツ 150 (23)


Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ローター・マテウスLothar Matthäus1961年3月21日 - )は、ドイツ出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者ドイツ代表として歴代最多の150試合出場、5度のワールドカップ出場、ワールドカップ最多出場記録(25試合)を達成する等、20年間に渡り第一線で現役を続けた、1980年代から1990年代のドイツを代表する選手である。

目次

[編集] 略歴

[編集] 選手時代

若い頃はその強靭な肉体と豊富な運動量を生かした守備的MFであった。またベッケンバウアー二世とも評された。1979年にボルシアMGで選手キャリアをスタートさせると、翌年には早くも西ドイツ代表に選出され、同年4月26日のオランダ戦で代表デビューを飾った。1986年のメキシコW杯決勝ではアルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナのマンマークを担当、この試合においてマラドーナを封じる事には成功したが、試合そのものには敗れ去った。

1988年にセリエAインテル・ミラノに移籍し、センターハーフとしての才能に開花。守備だけでなくパスセンスや得点能力にも磨きをかけ、プレーの幅、安定感を伸ばし、強烈なキャプテンシーでクラブを8年ぶりのスクデット獲得に導いた。また、西ドイツ代表としても1990年イタリアW杯決勝戦においてアルゼンチンに対し前回大会の雪辱を果たし優勝した。

1991年のアキレス腱断裂による選手生命の危機を経て、1992年のバイエルン・ミュンヘン復帰後よりリベロへコンバート。スピードや運動量は衰えたものの、最終ラインからの正確なフィードでマテウス・スタイルとも呼べるプレーを確立した。これにより選手寿命を更に延ばし、2001年に40歳で現役引退するまでプレーを続け、ドイツ代表では歴代最多となる150試合出場、5度のワールドカップ出場、ワールドカップ最多出場記録(25試合)を達成する金字塔を打ち立てた。

現役時代は数々のタイトルを手にしてきたが、UEFAチャンピオンズリーグのタイトルだけには縁が無く、1986-87シーズンにはFCポルト、1998-99シーズンにはマンチェスター・ユナイテッドの前に決勝で涙を飲んだ。

[編集] 監督時代

現役を引退した後、2001年9月にオーストリア・ブンデスリーガラピード・ウィーンで監督としてのキャリアをスタート。しかしクラブの歴史上最も酷い8位という結果に終わり解任された。

その後はパルチザン・ベオグラードハンガリー代表等で指揮を執った。ハンガリー代表監督を辞任した後、ブラジルのクラブであるアトレチコ・パラナエンセを指揮したが、生活環境の不一致ですぐに帰国した。しかし、これは表向きの報道であり、実際には報道陣とトラブルを起こしサッカー協会より1か月の出場停止処分をくらい、それに嫌気がさして出て行ったようである[要出典]

2006年6月よりオーストリア・ブンデスリーガレッドブル・ザルツブルクのヘッドコーチを務めていたが、クラブ内で多くの問題を起こし2007年6月12日に解任された。

2008年7月よりイスラエル・プレミアリーグマッカビ・ネタニヤの監督に就任した。

[編集] 評価

同じようなポジションの変遷を辿っている皇帝フランツ・ベッケンバウアーや、同世代のマラドーナらの偉人達と比較される事もあるが、タイトル獲得の実績に遜色はない。天才と呼ばれ華やかな活躍をした彼らとは対照的に、こつこつと実力を伸ばしていった後に栄光を勝ち取った努力型の選手と言える。 MF・DFのほぼ全てのポジションをこなし、運動量や体力を前面に出したサッカーが主流となった現代において20年間近くに渡り第一線で活躍するなど現代サッカーに最も適した選手との評価もある[要出典]

[編集] エピソード

  • 1996年の欧州選手権において、当時のドイツ代表の中心選手ユルゲン・クリンスマンと意見の相違から対立し、代表から外される。クリンスマンとはその後も犬猿の仲とされる。
  • リトバルスキーは、自伝の中で90年W杯の時のチームメイトとの写真を使用した際に金銭を要求されたと書いている。

[編集] 所属クラブ

[編集] 経歴・獲得タイトル

[編集] 代表

  • ドイツ代表として150試合出場(ドイツ代表最多記録)
  • W杯通算25試合出場(世界最多記録)

[編集] 選手

[編集] 個人タイトル

[編集] 指導歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
1979-80 ボルシアMG ブンデス1部 28 4
1980-81 ボルシアMG ブンデス1部 33 10
1981-82 ボルシアMG ブンデス1部 33 3
1982-83 ボルシアMG ブンデス1部 34 8
1983-84 ボルシアMG ブンデス1部 34 11
1984-85 バイエルン ブンデス1部 33 16
1985-86 バイエルン ブンデス1部 23 10
1986-87 バイエルン ブンデス1部 31 14
1987-88 バイエルン ブンデス1部 26 17
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
1988-89 インテル セリエA 32 9
1989-90 インテル セリエA 25 11
1990-91 インテル セリエA 31 19
1991-92 インテル セリエA 27 1
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
1992-93 バイエルン ブンデス1部 28 8
1993-94 バイエルン ブンデス1部 33 8
1994-95 バイエルン ブンデス1部 16 5
1995-96 バイエルン ブンデス1部 19 1
1996-97 バイエルン ブンデス1部 28 1
1997-98 バイエルン ブンデス1部 25 3
1998-99 バイエルン ブンデス1部 25 1
1999-00 バイエルン ブンデス1部 15 1
アメリカ/アメリカ リーグ戦 リーグ杯 USオープン杯 期間通算
2000 メトロスターズ MLS 16 0
2001 メトロスターズ MLS 0 0
通算 ドイツ ブンデス1部 464 121
イタリア セリエA 115 40
アメリカ MLS 16 0
総通算 595 161

[編集] 外部リンク

先代:
マルコ・ファン・バステン
欧州年間最優秀選手
1990
次代:
ジャン・ピエール・パパン
先代:
-
FIFA最優秀選手
1991
次代:
マルコ・ファン・バステン