加藤和彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 加藤和彦 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 別名 | トノバン |
| 出生日・地 | 1947年3月21日 |
| 学歴 | 龍谷大学(中退) |
| 出身地 | |
| ジャンル | 現代音楽 |
| 職業 | 作曲家、音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | 撥弦楽器全般、鍵盤楽器全般 |
| 活動期間 | 1965年 - |
| 共同作業者 | ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンド、松山猛、北山修、安井かずみ、クリス・トーマス、ブライアン・フェリー、ニック・デ・カロ、マーク・ゴールデンバーグ、カルロ・サビーナ、市川猿之助、井筒和幸 |
| 影響 | ワールドミュージック、ボブ・ディラン、ヘミングウェイ、レイ・ブラッドベリ |
加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - )は京都市伏見区出身の音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト、歌手。かつてドノヴァンと交友があった[要出典]ことから、音楽業界では「トノバン」と呼ばれている。1960年代後半にフォークグループザ・フォーク・クルセダーズ、1970年代初頭から中盤にかけてロックバンドサディスティック・ミカ・バンドを率いる。
フォークル解散後の1969年にソロ活動を始め、この時期の主要作品に「家をつくるなら」(1971年)がある。ミカバンド解散後、1977年、作詞家の安井かずみと再婚し、公私ともにパートナーとなる。彼女が病に倒れる1990年代初頭まで「作詞・安井かずみ/作曲・加藤和彦」で、三部作[1]『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』(1979年-1981年)などのソロ作品の他、数々の作品を他ミュージシャンに提供した。また、1980年代から映画音楽、1990年代後半からはスーパー歌舞伎の音楽なども幅広く手掛ける。
目次 |
[編集] 略歴
ボブ・ディランのDon't Think Twice, It's All Right を聞いた影響でギターを始める。
東京都立竹台高等学校卒業後、仏師だった祖父の後を継ぐつもりで伏見区の実家に戻り、歩いて10分のところに位置していた仏教系大学龍谷大学に入学。アマチュアフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の解散記念に制作したインディーズアルバム『ハレンチ・ザ・フォーク・クルセダーズ』中のオリジナル曲『帰って来たヨッパライ』に対するリクエストがラジオ局に殺到し、プロデビューの話が持ち込まれる。加藤は難色を示したが、毎朝説得に来ていた[2]北山修の説得により1年かぎりとの約束でプロの世界に入る。
シングル2作目に予定していた『イムジン河』が、政治的配慮から発売禁止にされた。これに憤慨し、イムジン河のメロディを逆回転させて作った曲が『悲しくてやりきれない』であるとする説もある。[3]
フォーク・クルセダーズ解散後、愛称「トノバン」に現されるように、ドノヴァンの影響を色濃く漂わせたソロ楽曲も垣間見える(初期のソロ活動では、イベントで当時はおろか20年近く日本で未発売だったドノヴァンのアルバム"H.M.S. Donovan"中の曲をカヴァーしたりもしていた)など、あらゆるジャンルを吸収。当時流行のFifth Dimensionばりのソフトロック風アレンジなどもさりげなく導入するなど先鋭的な曲作りを行っていた。このことからも加藤はフォーク、ロック、J-POPといったひとつのカテゴライズされた見方には収まりきらないミュージシャンであるともいえよう。
1971年には『あの素晴しい愛をもう一度』を、作詞を担当した北山との連名で発売した。
その後、当時の妻・福井ミカをボーカルにしたサディスティック・ミカ・バンドを結成。ロックバンドによくあるグループ編成の形態ではあるが、そのサウンドもロンドンポップ、グラムからワールド・ミュージックの導入など、実験精神に溢れたもので加藤の先取の気質がよく顕われている。中でも琉球音階を取り入れるなど時代を二十年も先取りしていた。日本のバンドとして初めてロキシー・ミュージックのオープニング・アクト(前座)としてイギリスツアーを敢行するも、福井ミカとの離婚をきっかけに解散(ちなみにミカ・バンドは、1989年に、新ヴォーカリストに桐島かれんを迎え、解散コンサートを行った)。
その後、安井かずみとの作詞作曲コンビで数多くの作品を発表した。1980年代はリゾートサウンド全盛期であり、ポストモダンの時代性もあり、ノスタルジックでモダン、なおかつ近未来志向も漂わせた「あの頃、マリー・ローランサン」などを発表。「シンガプーラ」は歌詞を全面的に変え、『愛のハーモニー(アグネス・チャン歌)』というタイトルでフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』のテーマ・ソングともなった。
1990年代からは歌舞伎音楽を手がける。この縁から、後のフォーク・クルセダーズ再結成コンサートでは、市川猿之助 (3代目)と共に歌舞伎の口上で幕を開けた。
1996年、フジテレビ系『ポンキッキーズ』挿入歌として西田ひかるとのデュエット曲『メロディー』を発表。
『イムジン河』を日本で初めて歌った人物としても有名である。『イムジン河』が初めて日の目を見た2002年には、フォーク・クルセダーズを半年間限定で新結成(他のメンバーはきたやまおさむと坂崎幸之助で、はしだのりひこは不参加)した。映画『パッチギ』にて、第60回毎日映画コンクール音楽賞受賞。
2005年発売のプレイステーション2用ゲームソフト「天外魔境III NAMIDA」の音楽を担当。
2007年に坂崎とのユニット、和幸(かずこう)を結成。アルバムリリース、ライブを予定している。
「同じ事は二度とやらない」をモットーとしており、サディスティックミカバンドやフォークルを新結成することがあっても過去とは全く異なるアプローチで臨んでいる(フォークルは「再結成」ではなく、「新結成」であると加藤は語っている)。また、サディスティック・ユーミン・バンドなる企画もあった。
[編集] 受賞歴
- 1968年 第10回日本レコード大賞特別賞 - フォークル
- 1984年 第7回日本アカデミー賞優秀音楽賞 『だいじょうぶマイフレンド』『探偵物語』
- 1987年 第10回日本アカデミー賞優秀音楽賞 『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』『野蛮人のように』
- 1991年 ベストドレッサー賞特別賞
- 1991年 AVAマルチメディアグランプリ通産大臣賞 マッキントッシュ用CD-ROM 『ALICE』
- 2004年 第60回毎日映画コンクール音楽賞 『パッチギ!』
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- ぼくのそばにおいでよ (1969年)
- スーパー・ガス (1971年)
- それから先のことは (1976年)
- ガーディニア (1978年)
- パパ・ヘミングウェイ (1979年)
- うたかたのオペラ (1980年)
- ベル・エキセントリック (1981年)
- あの頃、マリー・ローランサン (1983年)
- ヴェネチア (1984年)
- マルタの鷹 (1987年)
- ボレロ・カリフォルニア (1991年)
[編集] シングル
- 僕のおもちゃ箱/明日晴れるか(1969年4月)
- ネズミ・チュウ・チュウ・ネコ・ニャン・ニャン/日本の幸福(1969年9月)
- カフェ・ルモンドのメニュー(1969年11月)※チッチとサリー名義(チッチ役は翁玖美子)
- おいでよ僕のベッドに/アーサーのブティック
- あの素晴しい愛をもう一度/僕を呼ぶ故郷(1971年4月) - 「加藤和彦と北山修」名義
- シンガプーラ/キッチン&ベッド(1976年)
- おかえりなさい秋のテーマ 絹のシャツを着た女/サン.サルヴァドール(1980年)
- ソルティ・ドッグ/レイジーガール(1980年)
- ルムバ・アメリカン/パリはもう誰も愛さない(1980年)
- だいじょうぶマイ・フレンド (1983年)
- 純情/5月の風(1993年12月)※吉田拓郎&加藤和彦 名義
[編集] その他
- YOKOHAMAスーパーオペラ『海光』
- 天外魔境III NAMIDA
[編集] 楽曲提供抜粋
- 井上陽水(アンドレ・カンドレ)「花にさえ鳥にさえ」(作曲)
- ジ・オフコース(その後オフコース)「夜明けを告げに」(作曲)
- ベッツィ & クリス「白い色は恋人の色」(プロデュース・作曲・アレンジ)
- 森山良子「遠い遠いあの野原」(プロデュース・作曲・アレンジ)
- トワ・エ・モワ「初恋の人に似ている」(作曲)
- チッチとサリー「チッチとサリー」(プロデュース・作曲。サリー役でデュエット。チッチ役は一般公募で選ばれた翁玖美子)
- 小野和子「不思議な日」(作曲)
- アグネス・チャン「妖精の詩」(作曲)
- かまやつひろし「サンフランシスコ」(作曲)
- 吉田拓郎「結婚しようよ」(プロデュース・アレンジ)
- 泉谷しげる「春夏秋冬」(プロデュース・アレンジ)
- 竹内まりや「戻っておいで私の時間」(作曲)
- 竹内まりや「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風」(作曲)[4]
- 竹内まりや「不思議なピーチパイ」(プロデュース・作曲・アレンジ)
- 森進一「夢・ステファニー」(作曲・アレンジ)
- 中山ラビ『甘い薬を口に含んで』(プロデュース・作曲・アレンジ)
- 伊藤つかさ「夕暮れ物語」(作曲)
- 岡崎友紀「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」(プロデュース・作曲・アレンジ)
- 沢田聖子「卒業」(作曲)
- 沢田聖子「あなたへのバースディ・カード」(作曲)
- 飯島真理「愛・おぼえていますか」(作曲)
- いとうゆうこ「がんじがらめ」(プロデュース・作曲・アレンジ)
- いとうゆうこ「フォークソング」(プロデュース・作曲・アレンジ)
- Wink「いつまでも好きでいたくて」(作曲)
- J-FRIENDS「届くといいね just wishing」(作曲)
その他、作曲のみに限定して約3,000曲(2008年6月現在)
[編集] CM
- 富士ゼロックス(1970年)「モーレツからビューティフルへ」のキャッチコピーで有名。
- トヨタ自動車・コロナ(8代目・T150系)(1983年 - 1987年)
- オリンパス・BRAVE CIRCLE 大腸がん撲滅キャンペーン (2007年 - )
- 東急建設 安井かずみと共演。
[編集] ラジオ
- YKK SOUND GALLERY 'AZ' (J-WAVE、1990年 - 1998年)
- BRAVE CIRCLE presents CIRCLE of FRIENDS (TOKYO FM、2007年 - )
[編集] 脚注
- ^ 通称・ヨーロッパ三部作。『ヴェネツィア』(1984年)を含めて四部作とする場合も多い。
- ^ 北山修著『くたばれ芸能野郎』
- ^ これについて端田宣彦は「加藤は逆回転させようと言った。確かに逆で聴いても良い曲だった」と1994年放送のABCテレビ『驚きももの木20世紀』で証言している。加藤本人は「ホテルの一室に三時間ばかり閉じ込められ、残り一時間になった時、イムジン河の音符を逆さからたどっていったメロディ-をもとに曲を書いた。実質、十五分くらいでかけた」といっている。実際のところ楽理上から言うと、単純に旋律を逆にたどる、あるいはコードを逆にするだけで「イムジン河」から「悲しくてやりきれない」を生み出すのは不可能であり、相当以上のイマジネーションが必要だったはずであるとする意見もある。
- ^ シングルversionは盗作疑惑が起こりリリース後にそのことを知らされたスタッフ一同が激怒したため、CD復刻の可能性は永久にないといわれる。

