森岡隆三

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森岡 隆三
名前
愛称 モリ
カタカナ モリオカ リュウゾウ
ラテン文字 MORIOKA Ryuzoh
基本情報
国籍 日本
生年月日 1975年10月7日(33歳)
出身地 横浜市青葉区
身長 180cm
体重 71kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム 京都サンガF.C.
ポジション DF
背番号 6
利き足 右足
代表歴
1999-2003 日本 38 (0)


Template(ノート 解説)サッカー選手pj

森岡 隆三(もりおか りゅうぞう、1975年10月7日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身で京都サンガF.C.所属のサッカー選手。ポジションはディフェンダーセンターバック)。元日本代表

目次

[編集] 人物・プレースタイル

高いフィード能力と、クレバーなラインコントロールが持ち味のDF。

一般受験で桐蔭学園中学に入学したが、中学時代は無名の存在であった(ポジションはMF)。だが高校時代に当時監督の李国秀に見出されDFにコンバート。それが現在のサッカー選手としての成功の礎となった。

フィリップ・トルシエ監督時代の日本代表では3-5-2システムのフラット3中心選手。2002年、怪我による離脱をするがトルシエ監督の森岡への信頼は絶大で、ケガの完治と同時に代表に復帰し、レギュラーを奪回した。しかし、2002年日韓W杯ではグループリーグ第1戦のベルギー戦にて相手との接触プレーから負傷し、それ以降出場できなかった。またアゴカルテット(森岡隆三、秋田豊楢崎正剛曽ヶ端準の4人)として「六月の勝利の歌を忘れない」を盛り上げた。ジーコ体制下では序盤こそレギュラーを務めるが2003年6月8日キリンカップアルゼンチン戦での4失点により名良橋晃、秋田豊、服部年宏らと共に代表から遠ざかることとなる。

2005年8月28日大宮アルディージャ戦/熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)、試合終了後に競技場内のトイレの壁を蹴って破損、3試合の出場停止処分を受けた。その事件以降、レギュラーを剥奪される。

2006年は若手の台頭により出場機会が激減。本人の意向により12月5日に移籍リストに登録されることが発表され、約11年間所属した清水エスパルスを退団。同月28日に京都サンガF.C.への移籍が発表された。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1994 鹿島 - J 1 0 0 0 0 0 1 0
1995 鹿島 - J 0 0 - - 0 0
1995 清水 - J 25 1 - 0 0 25 1
1996 清水 - J 23 0 16 1 3 0 42 1
1997 清水 11 J 30 1 6 0 3 0 39 1
1998 清水 11 J 26 0 3 0 5 0 34 0
1999 清水 11 J1 26 1 4 0 0 0 30 1
2000 清水 11 J1 27 0 2 0 5 0 34 0
2001 清水 11 J1 30 1 1 0 5 2 36 3
2002 清水 11 J1 3 1 2 0 1 0 6 1
2003 清水 11 J1 25 3 4 1 4 1 33 5
2004 清水 11 J1 29 0 6 1 1 0 36 1
2005 清水 11 J1 23 1 6 0 5 0 34 1
2006 清水 11 J1 10 0 1 0 0 0 11 0
2007 京都 6 J2 22 1 - 0 0 22 1
2008 京都 6 J1
通算 日本 J1 278 9 51 3 32 3 361 15
日本 J2 22 1 - 0 0 22 1
総通算 300 10 51 3 32 3 383 16
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2002-03 清水 11 3 0
通算 AFC 3 0

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 38試合 0得点(1999-2003)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1999 7 0
2000 14 0
2001 11 0
2002 2 0
2003 4 0
通算 38 0

[編集] 個人タイトル

[編集] その他

  • ORANGE RANGEと親交があり、自身のホームページに一緒に写っている写真が掲載されている。ただしこの頃のORANGE RANGEはブレイク前であり、現在も親交があるかどうかは定かでない。
  • 清水では1997年からJリーグが固定背番号制になるに当たり「前年のレギュラーが一番つけていた背番号を優先的に与える」という基準で背番号を与えた。このため前年、たまたま空いていたことから11番をつけることが多くなった森岡の背番号は11となり、その後10年の長きに渡りDFとしては珍しい背番号を背負って清水でプレイした。
  • 猪木信者としても有名で、自身の猪木のモノマネが原因で、離婚危機になった事もある。
  • 一時期、三宿で洋服屋を経営していた。

[編集] 外部リンク