遠藤保仁

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遠藤 保仁
名前
愛称 ヤット
カタカナ エンドウ ヤスヒト
ラテン文字 ENDO Yasuhito
基本情報
国籍 日本
生年月日 1980年1月28日(28歳)
出身地 鹿児島県鹿児島市
身長 178cm
体重 75kg
血液型 AB型
選手情報
在籍チーム ガンバ大阪
ポジション MF
背番号 7
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1998
1999-2000
2001-
横浜フリューゲルス
京都パープルサンガ
ガンバ大阪
16(01)
53(09)
176(41)
代表歴2
2002- 日本 71 (7)0


1国内リーグ戦に限る。2006年12月2日現在 22008年9月6日現在
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遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )は、日本プロサッカー選手ガンバ大阪所属。鹿児島県鹿児島市出身。ポジションはMFボランチトップ下)。元サッカー選手の遠藤彰弘は実兄。ニックネームはヤット。

目次

[編集] 来歴

[編集] 高校時代

鹿児島実業高校時代1995年に高校選手権優勝。1996年高円宮杯優勝、U-16日本代表に選抜された。1997年には全国高校選手権優秀選手に選ばれ、U-18日本代表に選抜された。

[編集] Jリーグ

1998年鹿児島実業高校卒業後横浜フリューゲルスに入団。開幕戦で先発出場するなど、順調な滑り出しを果たした。ところが、同年限りでクラブが消滅する。

1999年京都パープルサンガに移籍。しかし、2000年に京都がJ2に降格したため、ガンバ大阪へ移籍する。

2003年Jリーグアウォーズの年間ベストイレブンに初選出され、2005年にはクラブ初のリーグタイトルを獲得した。

2006年10月、日本代表遠征中に発熱。後にウイルス性肝炎と判明し、シーズン終盤に離脱を余儀なくされる。12月2日に行われた浦和レッドダイヤモンズとの最終戦で復帰するも、チームは敗れ優勝を逃すこととなった。

2003年から2007年まで5年連続でJリーグベストイレブンに選ばれる。これは井原正巳小笠原満男と並ぶJリーグタイ記録で、2008年にも受賞する事になると新記録達成である。

[編集] 代表

1999年、U-20日本代表として第10回ワールドユース選手権ナイジェリア大会で先発出場し、大会準優勝に貢献。同年にはシドニー五輪予選のU-22メンバーに選出され、アジア一次予選、最終予選でも先発出場。2000年のシドニー五輪本戦では、予備登録メンバーとして選出されたが、本大会出場はなかった。

2002年、日本代表監督ジーコによってA代表に初招集される。11月20日キリンカップアルゼンチン戦で初出場。

2006年ドイツW杯のメンバーに選出されるも、フィールドプレーヤー(GK以外の選手)で唯一ピッチに立つことがなかった。

ドイツW杯後はイビチャ・オシム岡田武史と代表監督が交代したが、常に日本代表の中心選手として代表入りしている。

[編集] プレースタイル

ボールキープが巧みで、長短正確なパスを散らすゲームメイカー。味方の足元へピタリとあわせるパスは日本でも屈指の精度を誇る。PKFKなどのプレースキックが得意。運動量も豊富で、攻守において貢献度が高い選手である。スピードを生かしたプレーや突破は得意ではないが、その代わりに距離があってもしっかりとゴールマウスをとらえられるミドルシュートを持つため得点力もある。また、テクニックタイプの割にはボディーコンタクトが強くボールを失いにくい。

PKのキックが非常に独特で、ゆっくりとした助走から入り、ボールは全く見ず、相手GKの動きだけを見ながら(本人は足のすねの辺りを見ていると語っている)GKの動いた方向の逆へ蹴るのが特徴。遅めの球速でピッチを転がすように蹴るため、コロコロPKと称されている。一見楽に止められそうに見えるが、助走がボールに近づくにつれて減速し間が空くため、大抵のGKは我慢できず動いてしまう。もし動かない場合には、サイドネットを狙って強いボールを蹴る。プロになってから公式戦でPKを失敗したのは3回で、その内2回はジェフ千葉立石智紀によって止められている。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

[編集] タイトル

鹿児島実業高校
横浜フリューゲルス
ガンバ大阪

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1997 鹿児島実高 - - - 1 0 1 0
1998 横浜F 27 J 16 1 4 0 0 0 20 1
1999 京都 14 J1 24 4 2 0 2 0 28 4
2000 京都 14 J1 29 5 6 1 1 0 36 6
2001 G大阪 19 J1 29 4 4 0 3 1 36 5
2002 G大阪 30 J1 30 5 8 1 1 0 39 6
2003 G大阪 7 J1 30 4 6 0 2 0 38 4
2004 G大阪 7 J1 29 9 0 0 3 0 32 9
2005 G大阪 7 J1 33 10 4 0 2 0 39 10
2006 G大阪 7 J1 25 9 0 0 4 1 29 10
2007 G大阪 7 J1 34 8 8 1 4 0 46 9
2008 G大阪 7 J1
通算 日本 J1 279 59 42 3 22 2 343 63
日本 - - 1 0 1 0
総通算 279 59 42 3 23 2 344 63
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2006 G大阪 7 5 3 -
2008 G大阪 7 10 3
通算 AFC 15 6

[編集] 経歴

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 73試合 7得点(2002年 -)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2002 1 0
2003 11 1
2004 16 2
2005 8 0
2006 8 0
2007 13 1
2008 16 3
通算 73 7

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2003年、8月20日 日本 ナイジェリア ○3-0 親善試合
2. 2004年、2月7日 日本 マレーシア ○4-0 親善試合
3. 2004年、7月7日 日本 セルビア・モンテネグロ ○1-0 親善試合
4. 2007年、7月16日 ベトナム ベトナム ○4-1 AFCアジアカップ2007
5. 2008年、2月6日 日本 タイ ○4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選
6. 2008年、6月7日 オマーン オマーン △1-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選
7. 2008年、9月6日 バーレーン バーレーン ○3-2 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選

[編集] 個人タイトル

[編集] 人物

  • 容姿が似ているため「ガチャピン」と呼ばれることがある。2005年9月24日放送のフジテレビポンキッキーズ」に出演した際、本物のガチャピンと共演し、「僕に似てるって言われるでしょ」と質問をされ、「昔は良く似てるって言われてました」と答えた。
  • 性格はマイペースで、親友の中村俊輔いわく「プレッシャーをかけてもゆっくり」とのこと。
  • 本人は「緊張はしないし、慌てたりすることもない。ストレスは感じない方。人の話をあまり話を聞いてないところが欠点」と自己分析。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク