西ノ島町
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西ノ島町(にしのしまちょう)は島根県隠岐郡の町。隠岐諸島の西ノ島に所在する。面積56.04平方キロメートル、人口3,379人(平成20年10月1日現在)。面積、人口ともに隠岐郡内では隠岐の島町に次ぐ2番目に大きな町である。
目次 |
[編集] 地理
隠岐島前の西ノ島・中ノ島・知夫里島の3島の地質の大部分は600万年前の火山であると言われている。カルデラ部分が海中に没して、外輪山と中央火口丘が島となって海上に姿を現している。
地勢は、高低起伏が激しく、島の東西を走る200mから300mの山脈により、内海側と外海側とに分かれている。
内海側は3島に囲まれ、穏やかな良港が多い。外海側は荒海であるが、良漁場である。
1915年(大正4年)島中央部に船引運河が開削され、島南部の港から北部の漁場へ簡単に行けるようになった。浦郷港は隠岐最大の漁業基地となっている。
河川は地形が急峻なため発達する余地が無く、ほとんどが谷間の小流。
急峻な山裾がそのまま海に接する地形上平坦地は少なく、美田地区にわずかに田地を有する程度でほとんどが丘陵地帯の段々畑となっている。
[編集] 気候
対馬暖流の影響を受けて、日間気温差は比較的少なく、年間平均気温は14.0度と比較的温暖で降水量は年間総雨量1750ミリ、最大積雪量は22センチと山陰地方では極端に少ない。冬期は北西の季節風が強くなるが、200~300mの山脈を背に内湾に面する大部分の集落はしのぎやすくなっている。
[編集] 人口
| 西ノ島町と全国の年齢別人口分布図(比較) | 西ノ島町の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は西ノ島町
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 歴史
縄文早期や前期に、既に人々が住みつき、本土と活発な交流があった跡が石器や土器に現れている
古代には隠岐諸島をもって隠岐国が置かれていた
知夫里島及び西ノ島は 知夫郡 宇良(うら)郷、由良(ゆら)郷、三田(みた)郷
967(康保4) 年延喜式によると隠岐では十五社(十六座)があげられている
うち、由良比女神社・大山神社・海神社(二座)・真気命神社・比奈麻治姫命神社の五社(六座)が西ノ島の神社
1332(元弘 2年) 後醍醐天皇は都を追われ、隠岐の黒木に御到着(島後国分寺説もある)
1333(元弘 3年) 後醍醐天皇、隠岐から脱出
1582(天正10年) 隠岐氏が滅亡し、隠岐は毛利領となる
1600(慶長5年) 堀尾吉晴が出雲・隠岐の国主となる。
1634(寛永11年) 国主 京極忠高
1638(寛永15年) 松平直政が出雲に入り、以後隠岐は松江藩の預かり地となる
1687(貞享4年) 松江藩主は老中の秘密命令により隠岐を幕府に返還。隠岐は幕府直轄石州大森代官所管
1720(享保5年) 隠岐国は大森代官所管から松江藩所管に変更
1720(享保5年) 隠岐は再び松江藩の預かりとなり明治に至る
1868(明治元年) 隠岐騒動 正義党が松江藩隠岐郡代を追放 隠岐は朝廷御料になったと宣言し自治を行う
1868(明治元年) 松江藩は隠岐に出兵 再び隠岐を一時奪回
1868(明治元年) 鳥取藩が仲介し松江藩兵撤退、自治復活。明治新政府は一時隠岐を鳥取藩に
1868(明治元年) 隠岐騒動後世情混沌 11月松江藩の取締は解かれ知県事が置かれ翌年2月まで鳥取藩に
1869(明治2年) 2月から8月まで隠岐国に隠岐県を設置して独立(太政官達)
1869(明治2年) 隠岐県廃止 石見銀山領を前身とする大森県に統合
1870(明治3年) 大森県を浜田に移し 浜田県と改称(県下布達)
1871(明治4年) 廃藩置県により隠岐は出雲各県と合併して島根県と定まったが反対運動が起きる
1872(明治5年) 隠岐は島根県から鳥取県に
1876(明治9年) 鳥取県は島根県に併合 再び島根県に
1884(明治17年) 郡区改正が行われ、(浦郷・美田・別府・宇賀)は、美田村外三村(浦郷・別府・宇賀)に
1891(明治24年) 浦郷村は分離独立し、浦郷村・別府村外二村(美田・宇賀)に
1904(明治37年) 町村制施行により美田・別府・宇賀村が合併され黒木村に 知夫郡浦郷村・知夫郡黒木村
1946(昭和21年) 浦郷村が町制施行して知夫郡浦郷町に
1957(昭和32年) 2月11日 浦郷町と黒木村が合併して知夫郡西ノ島町が誕生
1969(昭和44年) 4月1日 周吉郡、穏地郡、海士郡、知夫郡と合併して隠岐郡西ノ島町に
隠岐の歴史 参照
[編集] 行政
町長: 扇谷 豪 副町長: 原 仁朗
町の行政機関
- 西ノ島町役場
- 別府支所
- 隠岐島消防署島前分署
県の行政機関
[編集] 立法
町政
- 町議会議員: 定数は10議席
間靖雄・家中隆和・角市正人・角市吉史・口村光房・竹谷実・冨谷修司・長府吉信・仲吉正・仁井敏弘
議長: 仲吉正 副議長: 家中隆和
県政
- 島根県議会議員隠岐選挙区: 定数は 1議席
門脇誠三
国政
- 衆議院議員島根県第1区: 定数は 1議席
- 参議院議員島根県選挙区: 定数は 2議席(改選1)
[編集] 姉妹都市・提携都市
国内
[編集] 産業
漁業、観光、畜産の3つを大きな柱としている。
- 漁業
- 回遊魚を主体とした巻き網漁業を始め、定置網、一本釣り、採貝、採藻の漁業が中心。漁船は5t未満の小型のものが多い。近年水揚げはやや低迷気味で、今後の漁業を考える上で、重要な栽培漁業の発展を促すために国、県、町、漁協が一体となり、マダイ・ヒラメ等の放流事業も行っている。 また、海洋牧場は海洋資源を育む力を増進させ、豊かな海を島前湾全域につくっていこうとするもので、稚魚の栽培、放流、魚礁の設置、稚貝の放流、音響馴致システムの設置などを行い、魚を増やし、海面漁業の振興を図ると共に、関連加工業を開発し、総合的な水産業振興をめざしている。
- 観光業
- 隠岐島を代表する景勝地『国賀海岸(くにがかいがん)』は玄武岩の溶岩が荒波と潮風に浸食されてそそり立つ大断崖や奇岩怪礁、洞窟が延々と続き、自然の造形美の局地を堪能することができる。海岸の荒々しさとは対照的に断崖の上は雄大な草原。牛や馬がのんびりと草をはむ牧歌的な風景が見える。島全体がプレイゾーンとなっており、船釣り、磯釣り、フィッシングデッキ、岸壁釣り等、大物相手に豪快なフィッシングはもちろん、ダイビング・バナナボートなどのマリンスポーツにも絶好のロケーションである。どこでも泳げるが、海水浴場としては外浜海水浴場、耳浦キャンプ場の2箇所。キャンプ場は耳浦キャンプ場とマリンパーク弁天の2箇所。現在耳浦キャンプ場は災害復旧工事のため使用禁止となっており、外浜海水浴場が臨時キャンプ場となっている。
- 畜産業
- 交通手段の発達していなかった時代、自立経済依存の余儀ない立場にあり、食糧自給の合理的手段として、先祖が考案したのが牧畑(まきはた)と呼ばれる輪転式農業だった。その起源は明らかではないが、慶長12年の検地帳にその記録があることから400年以上の歴史をもつものと思われる。 牧畑は全国的にみても類例が無く、隠岐島内でも島前にのみ存続した特殊な農業経営方式。 その形態を簡単に説明すれば、島を4つの地域に区分し、その区分された地区である季節は麦・大豆等の作物を栽培し、そしてある時期に至れば牛馬を放牧するといった輪転を行う。牛馬の放牧により雑草の駆除を行い、併せてふん尿により地力を回復し、作付けする作物を時期により変えることにより、連作障害をも防ぐことができるというメリットをもっている。昭和25年頃までは盛んであった牧畑だが、農業人口の減少によって、現在では耕作は行われなくなったが、地区の住民であれば土地の所有に関係なく誰でも平等に牛馬を放牧できるという牧畑特有の形態は今でも受け継がれ、広大な牧野を利用した畜産が盛んに行われている。
[編集] 教育
2008.4.2 現在
- 西ノ島町立
黒木小学校 昭和27年落成 木造 築56年
美田小学校 大正14年落成 木造 築85年
浦郷小学校 昭和27年落成 木造 築56年
西ノ島中学校 昭和45年落成 鉄筋コンクリ築38年
[編集] 道路
平成16年(2004)
別府~美田~摩天崖~国賀遊歩道~国賀浜~浦郷(隠岐3dayウォーキング西ノ島コース20km)が
美しい日本の歩きたくなるみちに、 「とって隠岐・西ノ島探勝のみち」として認定。
[編集] トンネル
耳浦トンネル
瀬戸山トンネル(2005~)
日の出トンネル(2009~予定 工事中)
国賀とんねる(1962~) 全長:8.2m 幅員:5.0m
[編集] 港湾・漁港
- 第4種漁港
- 第1種漁港
[編集] 交通
- フェリー『フェリーくにが』『フェリーおき』『フェリーしらしま』: 別府港と隠岐諸島各港、七類港、境港を結ぶ。
- 超高速船『レインボーⅡ』: 別府港と隠岐諸島各港と七類港、境港を結ぶ。3~11月運航。
- 隠岐汽船(株)
[編集] 文化財
- 牧畑 (まきはた)
1960年頃まで営まれていた放牧と畑作を4年で輪作する、世界的にもユニークな農法。始まった時期は不明だが、鎌倉時代の史書「吾妻鏡」(1188年)で紹介されている。高さ1~1.5メートルの石垣で「牧」と呼ばれる4つの区域に分け、それぞれに麦、大豆、小豆、粟などを一年ごとに栽培、4年目に牛を放牧して一巡。牛のふんを肥料にし、同じ作物を2年連続で耕作しないことで、土地がやせるのを防ぐ。中世のヨーロッパの「三圃式農法」よりも高度で、海外の研究者からの評価も高い。世界でも例のない隠岐の輪転式牧畑農法は、究極の有機農法。
牧畑 参照
- 海神社古墳 (かいじんじゃこふん)
黒木御所の西側にある、海神社の裏の丘の上にある古墳。丘の上はなだらかで、1.5mほど盛り上がった高まりがすぐわかる。直径15mほどの古墳と考えられ、古墳の上には石が見られる。境内にも板状の石があることから石棺などがあったものと考えられるがハッキリはしていない。
- 黒木御所 (くろぎごしょ)
別府湾に面した小高い丘、天皇山の上にあり、1332年元弘2年後醍醐天皇が配流になり、約1年間住まわれたといわれる伝承の地。丘の上には御所の史跡の他、天皇をまつる黒木神社がある。昭和33年県史跡に指定。昔から島を代表する史跡となっている。御所境内には資料館として碧風館(へきふうかん)がある。関連する古文書も保管されており、史跡としても、別府に後醍醐天皇の寵姫の阿野廉子の三位の局館跡、判官屋敷跡、千福寺御座所跡、監視を行っていた見付島、美田小向に御腰掛けの石、赤ノ江に赤崎などがある。 一方国分寺の存在した西郷町も後醍醐天皇の在所であったという説も伝えられている。
平成三年NHKの「太平記」が始まり、脚光をあびた。
黒木御所跡の名称を持つ場所は他に、佐渡(順徳天皇)、硫黄島(安徳天皇)、十津川(護良親王)にもある。
別府地区黒木御所近く。6つある横穴墓(7世紀末~8世紀初頭のもの)の1基から、銀製の和同開珎が1枚が2008年に発見された。和同開珎は和銅元年(708年)に銀製・銅製の製造が始まったが、銀銭は翌年に廃止された。製作期間が短かったことから、銅銭よりも希少価値が高いとされる。銅銭は全国で4800点以上が出土しているが、銀銭の出土例は全国で46枚。離島では初めてで、近畿より西での出土は松江市の出雲国府跡に続く2枚目。当時の隠岐は朝廷に食材を献上した御食国(みけつくに)として知られ、平城京周辺では隠岐から運んだアワビやイカなどの荷札として使った木簡が出土している。
- 美田八幡宮 (みたはちまんぐう)
本殿は町指定文化財で装飾性豊かな流れ造り。ここで行なわれる田楽は国指定の重要無形民俗文化財。この田楽は2時間近く費やす本格的なもので、衣装も美しく、全国的に見ても屈指の田楽芸能である。西暦奇数年の9月の例祭で奉納され、境内には土俵では、奉納相撲大会も行なわれる。
- 美田尻古墳 (みたじりこふん)
美田八幡宮の裏、別府港を見下ろす小高い丘の上にある古墳。全体がこんもり丸い円墳で直径およそ20mと大型古墳。古墳の斜面には石が見られ、もとは古墳を石で飾っていたものと思われている。
- 焼火神社 (たくひじんじゃ)
焼火山の中腹にあり、明治以前には焼火山・雲上寺と称していた。一般的には焼火権現として知られている。平安中期の創建といわれ、社殿は大岩窟の中からせり出すように建てられている。平安時代から全国に海上安全の神として知られ、歌川広重・二代歌川広重・葛飾北斎も「諸国名所絵」で焼火権現を描いている。後鳥羽上皇が海で遭難しかけたとき神火を放って船を導いたという説があり、以来海上の守護神として崇敬されており、現在でも旧正月中には「初参り」といい島前の島人がこの神社にお参りする風習が続いている。本殿・通殿・拝殿は国の重要文化財。焼火神社保存のトモドは国の重要有形民俗文化財。神社所蔵の銅鐘は県の有形文化財、また参道周辺の植物群は焼火神社神域植物群として県指定の天然記念物となっている。
焼火神社にある文化財一覧
重要文化財(国指定) 焼火神社本殿・通殿・拝殿
重要有形民俗文化財(国指定) ともど舟
県指定有形文化財 銅鐘
県指定天然記念物 焼火神社神域植物群
町村指定 (史跡) 焼火神社社務所石垣
町村指定 (有古) 紙本墨書焼火神社縁起書
町村指定 (有古) 紙本墨書沙門良源勧進帖
町村指定 (天記) カラスバト繁殖地
町村指定 (天記) カゴの木
- 文覚窟 (もんがくいわや)
焼火山の麓に文覚上人伝承の地が残っている。文覚上人は鎌倉の武士で遠藤盛遠のこと。人妻に恋をして 誤って殺害し、出家。「平家物語」「源平盛衰記」などに登場する。源頼朝の知遇を得て活躍したが、お上に楯突き、伊豆、佐渡など流罪になること幾多。承久3年(1221年)に隠岐に流され波澗万丈の人生を終えたと伝えられている。遺体は同志であった知夫の安藤帯刀が持ち帰って弔ったといわれ墓所は知夫にある。隠州視聴合紀や増補隠州記にも記されているところを見ると江戸時代からそのような伝承があったようである。洞窟は上下に二つあり、下の洞窟だけに祠があった。洞窟には寄進の札があげられているが、古いものでは天明年間のものが確認されている。島では文覚さんと呼んでいる。波止と大山の中間にあり、交通手段もなく観光コースにも入っていないため、船のチャーター以外は行く事は出来ない。
- 兵庫古墳 (へいごこふん)
「あたごさん」と呼ばれる形のよい山の麓にある、古墳時代のお祭りの遺跡。大量のお祭りの土器や玉類などとともに、魚の骨や歯が多く出土した。なかでもコブダイが多かったようだ。
- 外浜貝塚 (そとはまかいづか)
外浜海水浴場に接する道路の脇の崖を見ると砂丘の中に黒い層が含まれるところがある。これが中世の人々が捨てた貝殻が溜まった貝塚。アワビやサザエ、牡蠣などがあり、海に面した人々の暮らしをしのばせる遺跡。
- 隠岐海底遺跡 の謎 (おきかいていいせきのなぞ)
地元発見者がコンタクトをとっている専門調査グループは、他の地域の調査を優先しており、未だ謎のまま調査も解明もされてはいないが、一般人が見れば石の割れ口などは人工的加工物と思えるものである。
- 船引運河 (ふなひきうんが)
西ノ島町の中央部美田船越地区の細くくびれたわずか300mの幅の地点に開削された運河。昔は船を陸上に引っ張り上げ外海に船を出したので「船引」という名が着いたという。この運河は大正3年(1914)から翌年にかけて総工費17,000円をかけて完成したもの。大正3年の黒木村の歳出決算は18,705円との記録が残っており、村始まって以来の一大プロジェクトであったといえる。延長は340m、幅3.3mの運河は内海の美田湾と外海とを最短距離で結ぶ画期的な事業で、漁業はもとより観光など多方面に利用されている。昭和39年(1964)の改修で12mに拡幅され、現在に至っている。島の内海が綺麗なのもこの運河のおかげである。
- 来居横穴墓群 (くるいよこあなぼぐん)
美田船越地区。見た湾に面した海辺の斜面に造られた横穴暮群。発掘調査で8穴の横穴墓が発見され、そのうち1穴は今でも入ることが出来る。かなり規模が大きく、整備な横穴暮。
- 由良比女神社とイカ寄せの浜 (ゆらひめじんじゃといかよせのはま)
浦郷由良地区。延喜式神名帳に見える古社で漁業神、海上守護神として島内の信仰を集めている。鳥居が海中に立ち、その入江にイカの大群が押し寄せることで知られており、昔、神社の前の海岸には毎年12月から正月にかけてイカの大群が押し寄せた。現在でも数年に一度押し寄せることもある。神社には祭神由良姫命とイカにまつわる彫物や伝承が多く残されている。島後の水若酢神社と共に隠岐一宮とされている。
- 聖ヶ岩遺跡 (ひじりがいわいせき)
鬼舞の先の丘陵斜面に露出した大岩に岩穴が開いている。ここから勾玉が3個出土しており、古墳時代の祭りの遺跡と考えられている。古代の祭りを考えるうえで貴重な遺跡。案内人がいないとわかりにくい。前には海が開け、正面には焼火山や中ノ島が望める。
[編集] 資料館・施設等
- 西ノ島ふるさと館 (にしのしまふるさとかん)
別府地区。1階は、事務所、口ビー、隣は食堂で、2階が展示場になっている。口ビーでは、漁業や伝統芸能、年中行事のビデオが見られ、また、アワビ、サザエ、ヒオウギ貝の成長過程標本も見られる。2階の展示場は(海のゾーン)(山のゾーン)(遺跡コーナー)(木村コレクション)と四つの部屋からなっている。
(海のゾーン) 西ノ島の代表的な漁業であるイカ捕りをはじめとする昔からのさまざまな漁具。また、夏の風物詩としてよく紹介される西の島の名物「シヤーラ船」や今では見られなくなった「トモド船」の模型を展示。
(山のゾーン) この島独特の「牧畑」を中心とした農耕の道具類や生活用品。国の重要無形文化財に指定された田楽舞「十方拝礼」(しゆうはいら)の装束や持ち物なども展示。
(遺跡コーナー) 町内の遺跡から発掘された数多くの出土品の中から「物井の横穴古墳」の遺物をパネル写真とともに展示。
(木村コレクション) 美田出身の故木村康信先生が長年にわたって収集された貴重な動物標本と隠岐の植物のパネルなどを展示。これら合わせて2800点あまりの展示物の申にはこの島にしかない物も多く民俗と自然を調べる際の大切な資料である。
入館料 大人300円 小人150円
- 碧風館 (へきふうかん)
別府港北側の森は天皇山と呼ばれ、その山の一番奥に後醍醐天皇の行在所だったといわれる黒木御所跡がある。この御所跡に、明治、大正、昭和3代にわたる皇太子殿下の行啓を記念して西ノ島町が建設した碧風館。主な展示物は、後醍醐天皇画像、愛染明王懸仏、天皇の守本尊毘沙門天絵像、中世の笠置家などの関係文書等の資料が展示されている。
拝観料/大人300円・小人100円 開館時間/8時30分~17時30分 * 11月1日~3月31日は閉館
- 西ノ島観光交流センター (にしのしまかんこうこうりゅうせんたー)
浦郷地区。旧隠岐汽船浦郷港待合所跡を改装。観光拠点となっており、活イカをメインに観光客と島民とが交流できるスペースになって2008年9月にオープンした。 日本海活魚倶楽部の活イカ活魚水槽、JFしまね浦郷直売所とびっこ、土産軽食喫茶めるへん、貝細工体験コーナーじょんじょん、エコショップはっぴぃ、観光船・観光バス切符売り場、レンタサイクル受付、音楽交流スペース(スタジオ・カラオケ)などが並ぶ。月2回土曜よろず朝市も開催。コインロッカー、トイレ完備。2階部分は西ノ島町中央公民館、講義室、図書室、和室、ノアホール。
観光交流センターの2階部分。ホ-ル(固定席182席 最大600名)・講義室(50~60名)・研修室(和室)・控室(和室)・図書室
西ノ島町役場別府支所の2階部分。会議室(30~50名)・会議室(10~20名)・和室(15名)・図書室
浦郷地区旧本郷小学校跡地。自称若者であれば利用可能。合宿利用とかに最適。集会室・調理室・和室(8畳×2)・研修和室(18畳×2)・シャワ-室(男女各2室)・男女トイレ
[編集] 伝統行事・祭り・イベント
- 隠岐の田楽と庭の舞 平成4年に国の重要無形民俗文化財に指定。
美田八幡宮の田楽 十方拝礼 (しゅうはいら)
西暦奇数年9月11日 美田八幡宮境内(美田尻地区) 美田八幡宮で西暦奇数年の9月の例祭で奉納される。祭礼は「神の相撲」「獅子舞」「田楽」の3部で構成され、このうち芸能として特徴をよく残している田楽は地元では「十方拝礼(しゅうはいら)」と呼ばれ、全国的に見ても屈指の芸能であるとして平成4年に国の重要無形民俗文化財に指定された。田楽は田の諸霊を鎮めるために始まった芸能で、平安時代後期から地方へ伝搬したといわれている。美田八幡宮に田楽が奉納されたという記録は天正18年(1590)が最も古いが、口伝によると後白河法王時代に島に入ってきたともいわれている。2時間近く要する本格的な田楽芸で、衣装など色彩的にも美しく、しっかりとした伝統が中世の世界を彷彿とさせる。
西暦偶数年10月 日吉神社境内(浦郷地区) 日吉神社で西暦偶数年の10月に奉納される祭礼で「庭の舞」「神の相撲」「田楽」の3部で構成される。この庭の舞は今から800年前に近江国甲賀郡真野庄の領主であった真野宗源が戦乱を避けて、隠岐に逃れた際に伝わったものといわれている。庭の舞と呼ばれる芸能は他の地域にはあまりなく、その歌詞から「東遊(あずまあそび:東国の風俗歌にあわせて舞う上代の歌舞、現在でも宮中の皇霊祭などに奉される)」に倭舞の要素が混入して固定したものといわれている。
- 隠岐西ノ島のシャーラブネ (精霊船)
町内の美田・浦郷地区に残る送り盆行事で毎年8月16日の早朝に行われる。今から100~150年ほど前に船越の堂(ダー)の住職がこれを公案し、集落共同で大型の藁と小麦藁で仏を送るのが発端であるとされている。この方式は波止・市部・大津・小向・浦郷・珍崎・三度にも伝播し今に至っている。地区により大小あるが、5~15人乗れるような大型の精霊船で、竹や木を骨組みに、麦わらを船体にし、帆柱を立て、帆には色紙で作られた無数の盆旗を結びつけている。その姿は素朴だが、人目を引きつける華麗さを持っている。供え物を乗せた精霊船は、盆歌・ご詠歌に送られながら青い海を滑るように引かれていくその光景、それを見送る島人の姿は、島の夏の風物詩として多くの人に親しまれている。
県の無形文化財
- 隠岐島前神楽 (おきどうぜんかぐら)
西ノ島では7月になると各地区で夏祭りが催されているが、その時奉納されるのが島前神楽。 神途舞(かんどまい)幣帛舞(ぬさまい)先祓(さきばらい)随神(ずいじん)恵比須(えびす)切部(きりべ)八重垣(やえがき)舞い児(まいこ)神戻し(かんもどし)全番組だと数時間かかる。 楽だけで、御輿に供奉する事を「道中神楽」といい、島の例大祭には欠かすことの出来ない音の祭気分を盛り上げている。島前各地区での同好会ごとの発表会も行なわれており見学も可能。
祭礼・行事
隔年(西暦奇数年)の7月最終の土日に行われる由良比女神社の大祭で数多くある島の祭の中で最大規模。初日は朝から式典と相撲が奉納され夕方から御輿が繰り出され、神船のつながれている港まで練り歩く。御輿が船に乗ると見物客なども乗り込み、湾内を1時間程度かけて巡航、船内では島前神楽も行なわれる。船が海上にある頃、花火大会が催される。翌日は還幸式で前日の夜に御仮屋に納められた御輿を再び神社に担いで若者達の練り歩きが遅くまで続く。 開催時期:西暦奇数年7月最終土曜日曜 開催場所:由良比女神社周辺(浦郷)
- その他の祭礼・イベント等
各地区氏神さんの大祭・でやんな祭・国賀祭り・外浜まつり・帝祭・水産祭り・産業文化祭・伝説のイカ祭り・ちびっ子土曜祭り・とっておきスリーディウォーク・撮らぁ~や島前フォトコンテスト・「はがき絵」コンテスト・観光トライアル大会・グレ磯釣り大会・ビッグ・キャッチ・フィッシング大会・観光エギング大会・土曜よろず朝市・島前スポーツフェスティバル・西中OBマラソン野球大会・江府町との親善テニス大会・江府町小学校との臨海学校交流・大阪晴美台こども会交流・ライブバンザイクリスマスパーティ・民謡の夕べ・隠岐de DokiDoki いい出逢い など
[編集] 景勝地
国賀海岸 (くにがかいがん) 参照
- 赤尾展望台 (あかおてんぼうだい)
まず、展望台駐車場の手前の木のベンチが置いてある場所があり、そこから隠岐を代表する世界一級の景勝地、国賀海岸を一望にのぞむことができる。駐車場から展望台まではわずかで、正面には見渡す限りの水平線。草を食む放牧の牛や馬がのどかな情景を描き出し、心を癒してくれる。観光バスコース。駐車場・トイレあり。夕日鑑賞スポット。
- 鬼舞展望所 (おにまいてんぼうしょ)
映画版『未来日記』ヒメひまわりの丘で有名。ここ数年はヒメひまわりの群生は見られていない。『私は貝になりたい』の撮影行なわれた。残念ながら観光バスコースには組み込まれていない。夕日鑑賞スポット。
- くるみの丘展望所 (くるみのおかてんぼうしょ)
正式名ではないが、鬼舞展望所の南側の丘を上がったところに新しく出来た展望所。少し先へ進めば、世界でも珍しい海に浮かぶカルデラの確認ができる。西ノ島、中ノ島、知夫里島が噴火口の中心部・焼火山囲む形となっている。島前三島と島後、日本海を同時に見渡せ、その絶妙な自然景観は多くの方に好評を得ている。条件が良ければ、遠くに本土の大山(だいせん)が望める。朝日・夕日・漁火鑑賞スポット。
スカイラインといっても牧畑を管理する牧道。島の稜線を走り、眺望が開けていることからスカイラインといわれている。牧道であるため、牛馬が道で休んでいることもあり、運転には注意が必要。
- 東国賀海岸 (ひがしくにがかいがん)
外浜海岸から東より。耳浦海岸を中心とした東西の海岸一帯を東国賀と呼んでいるが、東側の国賀ということで観光のために付けられた名称。秋には紅葉、岩場には緑も見られ、風光明媚な海岸で玄武岩が連なる国賀海岸の景観とは対照的なものがある。冠島、星ノ神島、ねずみ男岩、帽子岩、ツバメ御殿、龍天道 (五つ洞門)、三枚屏風ヶ崖など。三枚屏風は摩天崖よりも低いが、海面から垂直になっているため摩天崖よりも迫力がある。光と影の境界線も幻想的である。別府港発の観光船東コース一日2便程度の運行。シーカヤックのコースとしても人気がある。
古くは雨乞いの島として信仰を集めた島。オオミズナギドリ繁殖地として国指定の天然記念物として保護されている。その星神島に、境港市出身の漫画家水木しげるさんの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する「ねずみ男」のような岩がある、また周りの岩も一反木綿や砂かけ婆に似た岩も存在する。2008年から定期観光船が立ち寄るようになった。
- 三郎岩と朝日 (さぶろういわとあさひ)
島の最東にある集落、宇賀地区から4月初旬と9月上旬に、海士町の三郎岩という奇岩から朝日が顔を出すシーンを眺めることが出来る。その時期以外の朝日、朝焼けも美しい。
- 亀島と夕日 (かめじまとゆうひ)
展望台等施設も無く、あまり知られていないポイントだが、黒木林道を外浜から入り、仁具(ニグ)牧までの道で、何箇所かで眺めることが出来る。仁具(にぐ)の浜まで降りても良い風景が広がる。夕日が亀島右手の水平線に沈む期間は4月~9月に限られているが、ここもまた絶景である。
黒木林道は、現在災害工事中
島前湾から眺める焼火山の紅葉は特に夕方が美しい。晩秋の時期、島は観光シーズンとして扱っていないため、観光案内等で見たことがないが、船釣りのあと等、海から紅葉を眺めるのは格別で同時に赤灘の夕日鑑賞も出来る。内航船や本土行きのフェリーでも眺めることが出来る。
- 焼火山 (たくひさん)
西ノ島そして島前の最高峰(452m)。島前カルデラ地形の中央火口丘が焼火山。県指定 鳥獣特別保護地区にもなっている。大山・別府地区から焼火林道でぐるりとまわることも可能だが、途中ダートコースが4、5キロある。美田・波止地区から焼火神社登山口までは舗装されており、焼火神社そして山頂への登山が容易になった。山頂付近の展望台からの景色や、焼火神社の社殿・社務所・石垣・老杉らも秘境ムード満点。境内からの知夫里・赤灘・桂島・小桂島・鬼舞の夕やけも美しい。
- 高崎山 (たかさきやま)
焼火山に次いで島で2番目に高い山(434m)。高崎山神社(通称ばぁのかんさん)や旧日本軍の監視所跡などがあり、頂上付近の断崖の崩れ落ちそうな岩が印象に残る。天狗の話も伝えられているほどの秘境は、南方系、北方系、大陸系植物が入り混じる希少植物の宝庫。昔は船越地区から一日がかりの登山だったが、黒木林道が完成し、林道の頂上あたりからなら、尾根沿い往復3~4時間のトレッキングが可能となった。
黒木林道は、現在災害工事中
浦郷由良地区の島根鼻という小さな半島に山桜が密集している。新たに漁民の森づくり事業で、ヤマザクラ400本等植樹も行なっている。現在、浦郷小若地区から道路延長工事中。
[編集] レジャー等
- 耳浦キャンプ場 (みみうらきゃんぷじょう)
別府地区。東国賀海岸のほぼ中央に位置する耳浦にあるキャンプ場。テントサイト、炊事場、トイレ、シャワー施設を完備。キャンプ場前は海水浴場となっており、夏を中心に訪れる観光客に人気を集めています。
現在、豪雨災害の影響により利用不可となっており、平成20年の利用はできない状況。
- 外浜海水浴場 (そとはまかいすいよくじょう)
美田船越地区。船引運河を通り抜けると右手に白と黒の砂浜が広がり国賀規光の入口となってい る。隠岐では数少ない砂浜であり海水浴場として脚光を浴びるようになった。ここの砂は、貝の小粒にけずられ寄り集って出来た砂浜で、非常にきめが細かい。砂浜と岩場両方楽しめ、多種類の魚(特に幼魚)が数多く生息している。夏には海水浴客・体験ダイビング・マリンスポーツ、春・秋には釣り、冬には海苔摘み等でそれぞれ賑わってはいるが、年々利用者は減少している。
- 西ノ島海洋センター (にしのしまかいようせんたー)
美田小向地区。B&G財団によって建設された青少年育成の為のマリンスポーツ施設。OPヨット、カヌー、ローボート、ウィンドサーフィンなどが楽しめ、地元の青少年だけでなく修学旅行、―般観光客にも開放されている。近年、スキューバダイビング・シーカヤック・バナナボート・ウェイクボード・スモウチューブなど提供する民間業者も隣接し、総合マリンスポーツ地域となり賑わっている。
美田小向地区。島の地形が入り組んでいるため、台風直撃以外はどこかのポイントでダイビングが可能。夏季には水温も透明度も高くなり、全国初の集魚灯ナイトダイビングも人気(6月~8月)。地形派・洞窟派・ワイド派・マクロ派・ナイト派どのタイプの人にも対応している。地元漁協と島民が株主となり発足した、(株)クラブノア隠岐が地域密着型のダイビングサービスを行なっている。
- 西ノ島総合公園 (にしのしまそうごうこうえん)
美田市部地区。野球、その他のスポーツの出来る多目的運動場、テニスコート、体育館、25m×6コースのメインプール、幼児用プール、サウナ、アスレチックルーム、各広場等が整備された総合運動公園。テニスコートはナイターも可。 合宿施設として3日以上利用する場合は町民料金と同一になる。なお、公園内には宿泊施設はない。
美田大津地区美田ダムの上流付近。ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルの3種類のホタルが生息しており、ホタル研究第一人者と呼ばれる横須賀市立自然博物館の大場信義博士いわく「ヒメボタルがこれほど群生している所は日本でも稀であり、又ゲンジボタルとヘイケボタルとの三種が一同に光を放ち合う場所も他に例がない」と、自然環境の良さを評価されている。
- マリンパーク弁天 (まりんぱーくべんてん)
美田波止地区弁天鼻周辺のアウトドアレクリエーション地帯。遊歩道、展望所、口グハウス、テントサイト、フイッシングデッキ等が整備されている。
[編集] 釣り
対馬暖流の影響を色濃く受け、魚種、魚介類がとにかく豊富で年中楽しめる。
磯釣り、船釣り、浮き桟橋、堤防、岸壁まで、あらゆる場所で魚釣りが出来る。
初心者や家族でも安心して楽しめるフィッシングデッキも人気。
浦郷岸壁では1mオーバーのヒラメが2枚つれ
- 渡船
三力丸・第8松尾丸・第11松尾丸
- 遊漁船
海鳥丸・福宝丸・幸丸・広栄丸・三力丸・春光丸
- フィッシングデッキ
JFしまね浦郷支所直営。荒天で外海へ出れない時、船酔いのひどい方、家族連れ等に最適。
4月末から10月まで(夜間は休場)定休日は毎週火曜日。7月~8月は毎日営業。
波止地区から徒歩叉は浦郷漁港より連絡船(有料)も運行。
3名以上で申込めば、営業時間や船の発着時間の相談も可能。
- 浮き桟橋
浦郷 浮き桟橋 1~7
由良 浮き桟橋 1~3
[編集] 特産・名物料理等
海の幸
- 活イカ・するめイカ・一夜干・魚各種・活サザエ・活アワビ・隠岐もずく・隠岐ワカメ・岩海苔・岩牡蠣・ヒオウギ貝・養殖メジロ・アジ味醂干・丸干し・サザエの缶詰 他
山の幸
- 椿油(純度100%)・干ししいたけ・生しいたけ 他
酒類
- 隠岐誉・御所・藻塩の舞・海藻焼酎いそっ子・わだつみの精・どっさり 他
菓子類
- 牛君のうれし涙
陶器
- 焼火窯
小物・アクセサリー
- ヒオウギ貝・サザエ殻・あわび殻のアクセサリー・貝細工工芸品 他いろいろ
名物料理等
- サザエの壷焼き(なめ味噌)・サザエご飯・アワビご飯・ウニ丼・ウニ飯・岩牡蠣料理各種・ヒオウギ貝料理・えり焼き鍋・やなかけ・あごの天ぷら・あご団子汁・活けイカ刺身・イカの麹漬・白イカの沖漬け・イカのしょうが焼き・イカ飯・シーシブ・ニーナ・亀の手・亀の手味噌汁・ヤキメシ・ヤキメシ茶漬け・もぐり丼・岩海苔おにぎり・岩海苔の雑煮・ジンバ漬け・刺身ワカメ・メカブ・なめ味噌・煮しめ・
[編集] 観光船 観光バス 観光タクシー
- 隠岐観光(株) (浦郷港発 浦郷港着)
- 国賀海岸観光
- 隠岐観光(株) (別府港発 浦郷港着)
- 東国賀海岸・国賀海岸観光
【3月下旬~11月下旬】運航 上記の期間・時間以外にも貸切対応あり。
- つる丸汽船観光(有) (ホテル発 菱浦港経由 浦郷港等着)
- 海士・東国賀海岸・国賀海岸
【5月1日~8月31日】3名以上にて運航
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- つる丸汽船観光(有)
要予約
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- 隠岐観光(別府発・浦郷着)
- 黒木御所・赤尾展望台・摩天崖又は国賀浜・由良比女神社
- 隠岐観光(浦郷発・浦郷着)
- 赤尾展望台・摩天崖又は国賀浜・由良比女神社
いずれも3月下旬~11月下旬運航 上記の期間・時間以外にも貸切対応あり。
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- 原タクシー・鏡谷タクシー
- 多彩なコース設定が可能
[編集] レンタカー レンタサイクル
- くにがレンタカー(要予約)
- 隠岐観光(株)(浦郷券売所からのみの貸し出し)
[編集] 出身者
[編集] 映画ロケ
国賀海岸を中心に多くの映画の舞台・ロケ地となっている。
タイトル 年 製作 監督 出演
- 砂の小船 1980年 丹波企画 丹波哲郎/原田雄一 丹波哲郎 津奈美里ん 林田昭彦
- 悪霊島 1981年 東映 篠田正浩 鹿賀丈史 古尾谷雅人 岩下志麻
- 夢千代日記 1985年 東映 浦山桐郎 吉永小百合 名取裕子 樹木希林
- 釣りバカ日誌スペシャル 1994年 松竹 森崎 東 西田敏行 三國連太郎 石田えり
- 未来日記 2000年 松竹・TBS 杉本 達 三島邦起 柳沢慎吾 山田花子
- 青の瞬間 2001年 パル企画 草野陽花 世良公則 岸部一徳 涼風真世
- 私は貝になりたい 2008年 東宝 福澤克雄 中居正広 仲間由紀恵 石坂浩二
テレビドラマ等でも、多くのロケが行なわれている。
[編集] 文献
西ノ島文献目録より、隠岐関連のみの書物を抽出
発行年 発行所 著者・編者 タイトル
1967年 淡交新社 奈良本辰也・植田正治 『隠岐 人と歴史』
1978年 大浜一義 西ノ島町 『運河のある町 隠岐西ノ島のアルバム』
1979年 山陰中央新報社 近藤泰成編 『隠岐・流人秘帳』
1979年 古今書院 田中豊治 『隠岐島の歴史地理学的研究』
1980年 隠岐観光協会 藤嶽彰英 『しょうえいの…隠岐探訪』
1983年 西ノ島中学校 西ノ島中学校編 『郷土西ノ島』
1984年 くもん出版 大石芳野 『隠岐の国』
1993年 ハーベスト出版 佐々木典政 『続・隠岐の記憶 1990.4-1993.3』
1995年 西ノ島町 西ノ島町 『隠岐西ノ島の今昔』
1995年 日本写真出版 野津龍 『隠岐島の伝説』
1998年 ハーベスト出版 隠岐歴史民俗研究会編 「西ノ島町編」『隠岐の国散歩』
2001年 東洋出版 大西正矩・智恵・俊輝 『隠岐は絵の島歌の島』
2002年 御茶の水書房 小坂勝昭編著 『離島「隠岐」の社会変動と文化 学際的研究』
2003年 新風舎 林吉男 『隠岐・島前の旅 昔日の日本の風景を求めて』
[編集] 市外局番
市外局番は08514(2~9)となっている。