ディディエ・ドログバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ディディエ・ドログバ
名前
本名 ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー
愛称 ティト
カタカナ ディディエ・ドログバ
ラテン文字 Didier DROGBA
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
生年月日 1978年3月11日(30歳)
出身地 アビジャン
身長 189cm
体重 91kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 チェルシー
ポジション FW
背番号 11
利き足 右足
代表歴
2002- コートジボワール 52 (34)
2008年2月4日現在


Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリーDidier Yves Drogba Tébily1978年3月11日 - )は、コートジボワールアビジャン出身の同国代表プレミアリーグチェルシー所属のサッカー選手。ポジションはFW。愛称はティトTito)。

目次

[編集] 経歴

5歳の頃、生まれ故郷のコートジボワールを離れフランスに移り、サッカー選手であった叔父の元で育てられる。18歳までパリ郊外の地元チームに所属、19歳でル・マンUCとプロ契約しキャリアをスタートさせる。

ル・マンでは怪我もあり満足な活躍ができず、2001-2002シーズン途中からEAギャンガンに移籍、2002-2003シーズンには17得点を挙げると注目され、マルセイユに5年契約で移籍。素早い順応を見せた彼は、リーグでは18得点を挙げ、2003/04シーズンのフランスリーグ最優秀選手に選出された。UEFAカップでも獅子奮迅の活躍、準優勝の原動力になる。チャンピオンズリーグで対戦した当時ポルトモウリーニョ監督の目に留まり同監督とともにチェルシーへ、同クラブ史上最高額の移籍金47億円で移籍した。

幼いころフランスへ移住していたため、代表ではフランス人として、フランス代表でプレーすることも可能であったが、母国であるコートジボワール代表を選択。アーセナル所属のDFコロ・トゥーレと共に母国をドイツW杯初出場に導く原動力となった。

2006-2007シーズン、アンドリー・シェフチェンコの加入により出番が少なくなると思われていたが、ツートップで使われる形が多くなることもありチェルシー加入3シーズン目で本領発揮、開幕から素晴らしい活躍を見せアフリカ年間最優秀選手に選ばれる。最終的に公式戦59試合出場33得点を挙げる。リーグでは20得点を挙げてFAプレミアリーグ得点王に輝いた。

しかし、近頃は怪我が多く、戦線から離れがちであるために持てる能力を活かせない日々が続いている。

[編集] プレースタイル

テクニックそのものは並外れたレベルにある訳ではないが、アフリカ大陸をルーツとする選手特有の高い身体能力を誇る。ジャンプ力を生かしたヘディングも得意だが、彼の真骨頂はその優れた身体能力を生かした突破力にある。しなやかさと屈強さを兼ね備えたボディバランスの良さとスピードでDFを振り切りシュートまで持っていく形を最も得意としている。また、相手DFを背負っている状態から、相手を抑えながらの振り向きざまのシュートは脅威である。

シュート力も抜群だが精度に問題を抱え、とんでもなく難易度の高いシュートを決めたかと思えば、蹴り込むだけでゴールになるようなチャンスをフイにしてしまうことが度々あった。しかし近年は改善が見られ、2006-2007シーズンではプレミアリーグ得点王に輝いた。中でも2006年9月17日のリヴァプールFC戦、同年12月18日のエヴァートンFC戦など数々の試合でアクロバティックなスーパーゴールを決めており、その多くが決勝点となっていることからメディアの評価も非常に高い。

基本的にセンターフォワードの位置でプレーする事が多いが、前述の得点を奪うプレーだけではなく前線からの精力的な守備や相手DFの執拗なマークと戦いながらのポストワークも惜しみなくこなす。相手のセットプレー時には最終ラインまで戻って守備をする。ポジションの関係上被ファウルも多いが、自らがファウルを犯す事も多い辺りに彼の勤勉な一面が窺える。

[編集] その他

[編集] 所属クラブ

チェルシーでのドログバ

[編集] 獲得タイトル

クラブ
個人

[編集] 出典

  1. ^ ドログバがゲーム制作会社に直談判「俺はアンリより上だ」
  2. ^ アフリカMVP問題、ドログバ証言は事実
  3. ^ ドログバに不正発覚!?

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ