与那国島

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与那国島(よなぐにじま)は日本八重山諸島西端ので、台湾の北東、日本の最西端に位置する。全島が沖縄県八重山郡与那国町に属している。北緯24度26分58秒東経122度56分01秒[1]に位置する西崎(いりざき)は、正式な日本の極地のなかで唯一、一般の交通機関で誰でも自由に訪れることができる場所である。

最西端之地碑
立神岩
与那国島の位置

目次

[編集] 地理

面積28.88km²、人口1,745人、年平均気温23.9℃、年間降水量3,000mm。石垣島からは124kmの国境の島で、台湾までは111kmしかなく、晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができる。島は東西に細長く、ちょうどサツマイモのような形をしていて、起伏は激しいものの自転車でも3~4時間で一周が可能な大きさである。

島の成因は、隆起珊瑚礁ではなく火山島であるが、これは八重山列島の中では他に石垣島と西表島だけである。面積は小さいながら、200m級の山があるなど大変起伏が激しい。また、島の南海岸は波で浸食され、断崖絶壁が多数ある。南側の太平洋からは一年を通じて強い風が吹くが、中央の山地によって遮られ、高地までは影響があるものの、島の北側では風はそれほど強くない。島の東端には東崎(あがりざき)、西端には西崎の2つの岬がある。

中央北部に祖納(そない)、西部に久部良(くぶら)、南部に比川(ひがわ)の3つの集落があり、町役場は祖納にある。主な産業は、漁業サトウキビ農業酪農観光で、島の南半分では牛馬が放牧されている。比川の近くには海老の養殖場もある。

[編集] 自然

ヨナクニの名を持つもっとも有名な動物は、おそらく、世界一巨大なといわれるヨナグニサンである。ただし日本では与那国島のみでなく近隣諸島にも見られ、中国台湾をはじめアジア各地に分布している。

また、北牧場及び東牧場などでは日本在来馬与那国馬が飼育されている。与那国馬は1969年3月25日に与那国町の天然記念物に指定されている。

島の中央部の約187haの面積が国指定与那国鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定されている。これは国指定天然記念物及び国内希少野生動植物種に指定されているヨナクニカラスバトの保全が目的である。

与那国馬

[編集] 交通

[編集] 防空識別圏

島の上空の西側(約3分の2)は、米国統治時代に設定された台湾防空識別圏に含まれており、日本の民間機が台湾空軍のスクランブル発進を受けたこともあった。 しかし、2006年台湾側が識別圏から台湾寄りの海上に設定した境界線で運用していることが明らかになり、外務省は「防空上の問題は事実上生じない」という立場をとっている。

与那国空港#防空識別圏問題も参照。

[編集] 歴史

14世紀に沖縄本島の有力者が海上交易を始めると、その中継点として訪れた人々によって文明化されたと思われる。1522年琉球王朝の支配下に組み入れられるまでは、女首長サンアイ・イソバ(実在不明)の下で独立国であった。19世紀琉球処分と共に日本に帰属するが、台湾が日本領になると、台湾住民との間で砂糖や米の密貿易が行われるようになり、人口は2万人まで増加した。1945年米軍の軍政下に置かれ、台湾が日本から分離したため、密貿易は行われなくなり、人口も急減した。1952年サンフランシスコ平和条約米国統治となり、1972年に日本へ返還されて現在に至る。

1986年にはダイバーによって海底遺跡(下記)が発見されて話題となる。

[編集] 名所旧跡・観光

[編集] 名所旧跡

  • 東崎(あがりざき)
  • 西崎(いりざき)
    日本最西端の岬。最西端之地碑がある。
  • 立神岩
  • 軍艦岩
  • 久部良割(くぶらばり)
    久部良地区にある岩場にある割れ目で、幅3m、深さ7m。かつて妊婦を集めてこれを飛び越えさせ、飛び越えたものだけが生きて子を産むことが出来たという。
  • 人升田(とぅんぐだ)
    15-50歳の男子を招集し、この田に入りきれなかったものを殺したとの伝承がある。
    上記2つの残酷な伝承は、かつて人頭税による過酷な取り立てがあった頃の、人減らしの策であったともいわれる。
  • ダティグチディ
    先島諸島火番盛(国指定史跡)のひとつ。
  • サンニヌ台

[編集] ダイビング

ダイビングの名所として非常に有名な島である。特に冬場に西崎で見られるハンマーヘッドは人気があり、多くのダイバーが訪れる。海底遺跡(下記)にも潜ることができる。非常に潮の流れが速いことがあるため、上級者向けのポイントであるが、状況によっては初級者も見ることができる。ダイビングサービスは島内に5軒ある。

[編集] 「海底遺跡」

海底遺跡とされる場所

1986年に、ダイバーによって島の南側海底に巨大な一枚岩が発見された。「一枚岩」は周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので、人工的に切り出したような跡や、人がちょうど歩くことができそうな通路状の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、人が加工しなければできないかのように思われる形状を備えていたため、遺跡ではないかと報道された。

この地形の成因については、以下の通り、人工的な構造物であるとする立場と、自然地形であるとする立場からのいくつかの説がある[2][3]。人工的な構造物説に立つのは木村政昭(琉球大学名誉教授)らのグループのみである[4]。しかし、考古学的・地質学的な調査をせず、論文発表もせず、学会外における報告書や出版物でも精確な調査データを出さなかったり図面をわざわざ不正確に捏造するなどしているため、学術的に認められていない。一方、同じ琉球大学理学部教授の中村衛や元沖縄県埋蔵文化センター所長の安里嗣淳らは自然現象説を採っている[5][6]

  • 遺跡説
  1. 古代文明遺跡説
    かつて古代文明がこの地に存在し、何かに使用した建物であるとする説。「遺跡」であれば、水没したのは動植物の分布や鍾乳石から、前回の氷河期が終わって海面が上昇したときであるとの説があり、これが事実ならば、1万年以上前の世界最古の古代遺跡ということになる[7]。また、発見者である新嵩喜八郎主催の与那国海底遺跡博物館のWEBによると、遺跡説の中では古代遺跡説がかなり有力である[1]。しかし周辺に同様の様式を持った遺構などを含めて1万年以上前の文明の痕跡らしきものが一切発見されていないこと、「遺跡」の傾き(これは与那国周辺の地層そのままである)が大きすぎて施設として考えた場合に実用性が疑わしいこと、そもそも人の手が加わった証拠が全く見つかっていないことなどから、この説には疑問の声が強い。
  2. 石切り場説
    1.に対して、施設を作る為に石を切り出す場所であったとする説。これは階段状に直角に切り出されている部分は説明がつくが、切り出した石の行方が説明できない。
  3. 中世遺跡説
    1.に対して、比較的新しい時代の遺跡とする説。2005年から2006年にかけて、遺跡の全貌の把握ならびに年代特定のために、琉球大学主催で本格調査が実施された。そして、採集した遺跡のサンプルから年代の特定が行われた結果、遺跡が水没した年代は、10世紀後半から11世紀前半にかけての時代であることが判明したとされる(論文・報告書は未公刊の為、この主張の客観的検証は現時点では不可能)。これが事実であれば、1万年以上前の古代遺跡とする説は否定され、古代文明も存在しなかったことになる。しかしながら、琉球史では、遺跡が水没したとされる時代の資料が非常に少なく、南西諸島における地殻変動の記録も未だ見つかっていないため、結論は未だ出せない状況である。とは言え数十mもの地殻変動であれば影響は広範囲に渡ると予想されるため、その記録が一切発見されていないことは説を疑問視するに充分な状況証拠となっている。
  • 侵食説
    岩が侵食されてできた自然地形であるとする説。この岩はもともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できる。階段状部分の高さがまちまちであり高いところでは1段につき1m以上もあることなどからも、人工の構造物ではなく節理による自然地形とする見方が裏付けられる。穴はへこんだ部分に石が入り込み、潮流によって回され、周りの石材を削りだしたもの(ポットホール)で、河川ではよく見られる光景である。また、地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百~数千年間)波打ち際で波による侵食を受けたと考えられるが、そのような痕跡は見られない。このように、地形が「人工物のように見える」という以外に古代文明があった証拠が希薄であることから、遺跡であることを疑問視する向きがあり、多くの学者は侵食説を支持している。木村らのグループはこの批判を踏まえた形で新たに「海底遺跡は一気に水没した」という説を打ち出している(上記中世遺跡説参照)が、現時点ではこの説は口頭発表のみで主張されているので、論文の公刊が熱望されるところである。

[編集] Dr.コトー診療所

志木那島診療所として撮影に使用された建物

与那国島は、2003年夏に放映されたフジテレビ系列のドラマDr.コトー診療所」の撮影地となった。比川には撮影に使用した「診療所」が残っている。2004年11月に放送された2夜連続スペシャル「Dr.コトー診療所2004」や、2006年10月から放送の続編「Dr.コトー診療所2006」でも、与那国島でロケが行われている。与那国空港や港の観光案内所では、ロケ地めぐり用のパンフレットを配布したり、写真展を開催したりしている。

[編集] 放送

[編集] 脚注

  1. ^ 国土地理院 都道府県の東西南北端点と重心の経度緯度
  2. ^ 与那国海底遺跡
  3. ^ 沖縄与那国海底遺跡博物館、遺跡に関する新聞記事
  4. ^ 与那国島海底遺跡調査団
  5. ^ 与那国島の海底遺跡はいつできたのか?
  6. ^ 与那国に注目した世界の学者たち 安里嗣淳さん
  7. ^ 特集:観光新世紀 海底遺跡の真価

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ