海津市

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海津市
かいづし
日章旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県 
団体コード 21221-1
面積 112.31km²
総人口 38,309
推計人口、2008年10月1日)
人口密度 341人/km²
隣接自治体 :羽島市
養老郡養老町安八郡輪之内町
西:三重県いなべ市
愛知県愛西市稲沢市
:三重県桑名市
市の木
市の花 みかんの花
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海津市役所
所在地 〒503-0695 岐阜県
海津市海津町高須515
電話番号 0584-53-1111
外部リンク 海津市

海津市位置図(岐阜県)

:市 / :町・村
特記事項:
海津市役所
海津市役所
テンプレート (ノート 解説) 日本の市町村PJ

海津市(かいづし)は岐阜県の南西に位置するである。そのほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯であり、輪中地帯として有名。

目次

[編集] 地理

市内では輪中がよく見られる

[編集] 歴史

[編集] 沿革

[編集] 縄文時代

南濃町羽沢に貝塚(羽沢貝塚)があり、土器・石器・人骨・甕棺が出土していることから、遅くとも縄文晩期後半(約2500年前)には海津一帯に縄文人が定住していたと考えられる。なお、この時代の海津は海に面しており、貝塚からはヤマトシジミなどが見つかっている。

[編集] 高須輪中の完成

鎌倉時代末期の1319年(元応元年)、標高が低いために高潮などによる水害に苦しんだ農民たちが、それまで下流側に堤防がない「尻無堤」に堤防を追加し、集落全体を囲う最初の輪中である高須輪中が完成した。その後周辺の集落もこれに習い、周辺地域には数十の輪中が形成された。木曽川や長良川の強力な水流が作りかけの堤防を流してしまうことも多く、川に人柱が捧げられることもあった。

[編集] 行基寺建立

1700年(元禄13年)尾張藩主徳川光友の二男松平義行が高須に封じられた時、行基創建の寺院跡といわれていた場所に、松平家の菩提寺として1705年(宝永2年)に再建されて行基寺と命名された。地元産の河戸石を用いた城郭造りで、濃尾平野を一望できる山腹にある。

[編集] 宝暦治水

木曽三川のうち全てが集中するという地理上の理由と、「堤を作るときは尾張藩の御囲堤(おかこいづつみ)より3尺(約91cm)低く堤防を作らなければならない」という幕府の命令により、江戸時代の海津市周辺は洪水が多発していた。これを改修するために薩摩藩が動員され、そのうち33名が病死、平田靱負をはじめとする51名が引責、または、幕府への抗議のため自害した(宝暦治水)。治水神社は彼らを祭神とする。

宝暦治水は絶大な効果を挙げるように思われていたものの、完成した堤が川底への土砂の堆積を促したため実際には輪中地帯の洪水の回数はむしろ増加した。したがって明治期のお雇い外国人であるヨハネス・デ・レーケによる木曽三川の完全分流工事が行われるまで、輪中地域はたびたびの洪水被害に苦しんだ。

[編集] 幕末の高須四兄弟

高須藩から、徳川慶勝松平容保をはじめ高須四兄弟を輩出した。彼らは後に、全員が主要な藩の跡目を継ぎ、旧幕府と新政府の両政府で中心的な役割を果たした。彼らは、それぞれ新政府側、旧幕府側に分かれたとはいえ兄弟間の関係は良く、明治11年には4人そろっての記念写真を撮影している。

[編集] 明治大改修

宝暦治水以降、輪中地帯の洪水は放置されたままであり、1871年(明治4年)岐阜、愛知両県の堤防取締役らが三川分流を明治新政府に上申したが聞き入られなかった。1878年(明治11年)、輪中地帯を中心にした岐阜、愛知、三重の三県一体の陳情により、ようやくお雇い外国人であるオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケが現地に派遣され、1885年に分流計画書が完成、1887年に木曽三川の完全分流工事が着工された。

木曽三川の完全分流工事は1.洪水対策、2.輪中堤防内の排水改良、3.舟運の改善を目的に行われ、まずオランダから運ばれた浚渫船木曽川丸での木曽川河口の川底掘り下げから始まった。その後も佐屋川の埋め立てや油島洗堰の締め切りなどが行われた。しかし工事で土地を失う地主の土地買取拒否や、大雨、台風によるたびたびの堤防の決壊(明治三大水害)などで難航し、一応の完成は1899年(明治32年)、全工程完了は1912年(明治45年となった。一応の完了を祝って行われた1899年4月21日の成工式は当時の山縣有朋総理、西郷従道内務大臣らが参列する盛大なものだった。

陳情から28年、着工から12年の年月を要し、当時の最新技術に基づいた完全分流工事は著しい効果を挙げ、1899年の10年前後を比較した資料[1]によると、水害による死者は306人→10人、全壊家屋または流失家屋は15,436軒→304軒、堤防の決壊箇所は1821箇所→226箇所であり、明治改修の効果のほどを物語っている。

[編集] 大正改修

1921年(大正10年)に大正改修(三川上流改修工事)が行われ、洪水の被害は更に減少した。この改修と明治大改修で輪中の必要性は徐々に薄れ、輪中の存在が交通の不便を生んでいたこともあって、輪中は次々と破壊されていった。

[編集] 新市名を巡る混乱

2005年3月28日、海津郡の3町(海津町南濃町平田町)が合併し、市制を施行[2]。合併協議では2003年3月、全国から公募された新市名の中から旧3町の頭文字を一文字ずつ採った、平(ひら)南(な)海(み)から「ひらなみ市」とすることでいったん合意した。

しかし2,559件の応募のうち郡名でもある「海津」が最も多い511票あったのに対し、「ひらなみ」は2票しかなかった。その後住民により再考を求める運動が行われ、同年6月には南濃町で4,406人分の、海津町では15歳以上の住民による9,540人分の署名が提出された。住民からの反発を受け、合併協議会は2004年4月から5月にかけて郵送方式による住民意識調査を実施し、この中でもっとも多くの支持を集めた名前を新市名にするとした。同年5月31日に行われた集計で「海津市」が25,081票中20,383票という圧倒的支持を得たことから最終的に海津市となったが、新市名を巡る混乱により当初2004年3月を目標としていた合併が1年遅れる事になってしまった。

[編集] 産業 

  • 主な産業

[編集] 人口

海津市と全国の年齢別人口分布図(比較) 海津市の年齢・男女別人口分布図
紫色は海津市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 37,671人
1985年 39,538人
1990年 40,811人
1995年 41,694人
2000年 41,204人
2005年 39,453人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 首長陣

  • 市長:松永清彦
  • 市議会議長:近藤輝明

[編集] 各庁舎

海津市役所(旧:海津町役場)
  • 〒503-0695
  • 岐阜県海津市海津町高須515
  • TEL.0584-53-1111
  • FAX.0584-53-2170
南濃庁舎(旧:南濃町役場)
  • 〒503-0495
  • 岐阜県海津市南濃町駒野奥条入会地99-2
  • TEL.0584-55-0111
  • FAX.0584-55-0340
平田庁舎(旧:平田町役場)
  • 〒503-0392
  • 岐阜県海津市平田町今尾557
  • TEL.0584-66-2411
  • FAX.0584-66-4110

[編集] 姉妹都市・提携都市など

[編集] 国内

[編集] 海外

[編集] その他

  • 全国門前町サミット - 全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町を有する自治体・観光協会・商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議。

[編集] 学校

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

2008年4月、海津市立城山中学校海津市立養南中学校を統合。

[編集] 小学校

  • 海津市立石津小学校
  • 海津市立城山小学校
  • 海津市立下多度小学校
  • 海津市立西江小学校
  • 海津市立大江小学校
  • 海津市立東江小学校
  • 海津市立吉里小学校
  • 海津市立高須小学校
  • 海津市立今尾小学校
  • 海津市立海西小学校

[編集] 交通

[編集] 最寄の空港

[編集] 鉄道

[編集] 道路

一般国道
市内を走る一般国道:国道258号
岐阜県道
市内を走る主要地方道
道の駅

[編集] 観光

[編集] 名所

[編集] 旧跡

[編集] 寺社・仏閣

[編集] その他

[編集] 施設

[編集] 病院

[編集] 出身有名人

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 脚注

  1. ^ 旧海津郡をその範囲とする。
  2. ^ 県内では同年2月13日中津川市と周辺の町村の編入合併以来。