ジェンナーロ・ガットゥーゾ

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ジェンナーロ・ガットゥーゾ
名前
本名 ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ
愛称 リーノ、リンギオ、ブレイヴハート
カタカナ ジェンナーロ・ガットゥーゾ
ラテン文字 Gennaro Ivan Gattuso
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 1978年1月9日(30歳)
出身地 コリリアーノ・カーラブロ
身長 177cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ACミラン
ポジション MF(DH)
背番号 8
利き足 右足
代表歴
2000- イタリア 65 (1)
2008年11月19日現在


Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾGennaro Ivan Gattuso1978年1月9日 - )は、イタリアコリリアーノ・カーラブロ出身の同国代表サッカー選手セリエAACミラン所属。ポジションはミッドフィルダー

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

ジェンナーロ・ガットゥーゾはカラブリア州にあるコリリアーノ・スキアヴォネアという町で誕生した。父親は小さな会社を経営しながらサッカーとミランを愛するという人物で、その他、母と2人の姉の5人家族。 父親の影響で幼い頃からボールを蹴りだし、その後、カラブリア州のユース代表に選出されるまでに成長する。この功績に、当時セリエC1に所属していたボローニャが目をつけオファーを出すが、父親がボローニャというクラブに弱小のレッテルを貼り付け、オファーを棄却。すぐさまペルージャからオファーが届き、結果、親元を離れてペルージャのトップチームを目指すという環境に身を置くことになる。 95-96シーズン、ガットゥーゾ17歳でセリエBながら見事にプロデビューを果たす。このシーズンは2試合の出場に止まる。翌シーズンにはペルージャがセリエAに昇格し、96年12月22日に念願のセリエAデビューを果たした。8試合に出場。

[編集] レンジャーズ時代

ペルージャで徐々に力をつけていたガットゥーゾだったが、突如スコットランドの強豪レンジャーズから「ペルージャでの年俸の30倍払う」と意外なオファーが来る。この頃、欧州で議論になっていたボスマン判決を逸早く取り入れる形で両クラブは合意に至り、ガットゥーゾはレンジャーズへ移籍。この移籍は欧州サッカー界において注目の的となった。

迎えた97-98シーズン、ガットゥーゾは豊富な運動量と守備面でのハードワークを武器に36試合に出場し7ゴールを上げる活躍を見せた。

[編集] セリエA復帰、ACミラン入団

98-99シーズン途中、急遽セリエAのサレルニターナへ移籍。最終戦でセリエB降格が決まるというチームは不甲斐ない結果に終わったが、ガットゥーゾ自身は高い評価を得ており、チームと一緒にセリエBに落ちるということはなく、ASローマの移籍を保険にACミランから納得のできる契約を待つという恵まれた環境にいた。

[編集] プレースタイル

無尽蔵のスタミナでピッチを縦横無尽に走り回り、強烈なタックルでボールを奪いにいく、ハードワーカーの代表格である。ACミランの中盤の要のプレイヤーであり、あふれる闘争心でチームを勇気づける。ボールがあるところにはガットゥーゾがいるというほど頻繁にボールホルダーにプレスをかけ、前線の攻撃的な選手が自由にプレーできるのも彼がいるからこそ。

ミランと代表共にコンビを組むアンドレア・ピルロとの組み合わせは「1+1が2以上になる」代表的な例である。また時には果敢に攻めあがり、シュートに持ち込んでいくなど、攻撃のセンスも日増しに上昇している。近年、ミランと代表でピルロとコンビを組んでいるせいか、だんだん相手に似てきたといわれている。調子のムラが皆無に近い事も特筆に値する。

愛称は「ブレイヴハート」「リンギオ(犬などの唸り声)」「うなり屋」で、プレースタイルに由来する。

[編集] 逸話

  • 女性ファンが多いイタリア代表の中でダントツの男性ファン数を誇るナイスミドル。それに反比例して女性ファンは少ないが、最近では女性ファンも増えつつある。
  • 特技は英語。グラスゴー・レンジャーズ在籍時に覚えたもので、自身の申告によればイタリア人サッカー選手の中ではかなりうまい部類。またモニカ夫人もイギリス人(スコットランド出身)で、レンジャーズ時代に通っていたイタリアレストラン経営者の娘である。
  • イタリアのドッキリ番組で、ターゲットにされた事がある。内容は、「レストランの駐車場に止めたガットゥーゾの車を、別の同じ車種・同じ色の車と入れ変え、その車の内装を大きな犬がボロボロにする」というもの。ボロボロにされた車を見て自分の車がやられたと思った彼は激怒し、駐車場の管理人(彼は、ボロボロにした犬の飼い主の役)を、蹴りを入れながら激しく追いまわした。
  • 日本のワールドサッカーダイジェスト誌でコラムを受け持ち、長く寄稿を続けている。
  • 喜ぶと奇怪な行動をとることがある。その場では大目玉を食らうこともあるが、激しい気質ゆえの彼一流のお茶目として、おおむね好意的に受け止められている。
  • 2006 FIFAワールドカップ
    • グループリーグの対チェコ戦でフィリッポ・インザーギがゴールした際に、代表監督のマルチェロ・リッピのもとに駆け寄ってその襟首を掴んでノド輪を食らわせた。
    • 決勝トーナメント初戦のオーストラリア戦では勝利後オーストラリア監督のフース・ヒディンクのもとに駆け寄ってこれ見よがしに両手を突き上げて小馬鹿にし、しっしと追い払われてもかまわず続けていた。前回大会でヒディンクが監督を務めた韓国に苦渋をなめさせられた(バイロン・モレノを参照)ことが原因であろう。
    • 優勝後のセレモニーではなぜかユニフォームの下を脱いで下半身パンツ一丁になってピッチのを食べだし、リッピの髪の毛をつかんで頭を揺さぶり「こんなに手荒い喜び方をするとはね」と苦笑いさせ、セレモニー後興奮のあまりトイレに28回も行き、周囲を唖然とさせた。
  • UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07の準決勝対マンチェスター・ユナイテッド戦のセカンドレグ後には決勝進出を果たした喜びのあまり、チームメイト全員に対してキスをした。さすがにこの行為にはキャプテンのパオロ・マルディーニはじめ全員から大目玉を食らった。
  • 本人の夢はマンチェスター・ユナイテッドでプレーする事。
  • 延長戦となり足をつる選手が多い中、相手ゴール前から自軍ゴール前まで全力疾走で守備に戻る彼の姿に相手だけでなく、味方選手まで驚かせることも多い。
  • 若手時代よく面倒を見てくれたことから、マルコ・マテラッツィとは大の親友である。
  • インタビューでキャプテン翼の話題となり、「(自身が幼かった)当時イタリアの子供のほとんどはファン。GKは若林ファン。だけど俺は違ったぜ。俺のお気に入りは石崎だ!」と答えた。

[編集] 経歴

代表
クラブ

[編集] 所属クラブ

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