的場直樹

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的場 直樹
福岡ソフトバンクホークス  No.26
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府大阪市住吉区
生年月日 1977年5月9日(31歳)
身長
体重
179cm
87kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 捕手
プロ入り 1999年 3位
初出場 2000年4月30日
年俸 2,100万円(推定)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

的場 直樹(まとば なおき、1977年5月9日 - )は、大阪府出身のプロ野球選手捕手)である。福岡ソフトバンクホークスに所属する。

目次

[編集] 来歴

上宮高校時代は三木肇(現北海道日本ハムファイターズ)と同級生、明治大学時代は主将もつとめ、アマNo.1捕手と評価されていた。大学では木塚敦志(現横浜ベイスターズ)とバッテリーを組んだ。

シドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場。その後のドラフトで3位指名を受け、当時の福岡ダイエーホークスに入団する。1年目の2000年には正捕手の城島健司が負傷したため34試合に出場したものの、2003年には全試合フルイニング出場するなど城島の壁は厚く、1軍の試合に出場すらできない時期が長く続いた。

2004年、城島がアテネオリンピック野球日本代表に選出され不在となった折に、同僚の田口昌徳とともにその穴を埋めた。2005年、怪我により城島が離脱した際にも殆どの試合でスタメンを任され、正捕手不在のチームの敗戦数を最小限に抑えた。その年出場したパ・リーグ・プレーオフにおいても、城島が欠場したため正捕手を任された。低めのリードに徹する城島とは違って勝負所で大胆な内角高めのボールを要求して空振りを誘導するなど、城島とは一味違うリードを見せたりもした。

2006年、城島がFA権を行使し、シアトル・マリナーズと契約し移籍したことから、チームの新正捕手争いが激化。経験・安定感に勝る的場は最有力候補と目されておりシーズン序盤は常時スタメン出場をしていたが、自身の打撃難と山崎勝己の台頭により中盤以降はエースの斉藤和巳専属捕手の形になってしまった。

2007年も引き続き主に斉藤が先発する試合でマスクをかぶったが、その斉藤が故障がちだったこと、打力に秀でる田上秀則の台頭により前年よりもさらに出番を減らす結果となった。

2008年は斉藤がシーズンを棒に振ったことに加え、オリックス・バファローズから的山哲也が加入し、さらに後半戦は高谷裕亮が優先的に起用されたことからほとんど出番がなく、スタメン出場は2試合のみ、トータルでも8試合出場に終わった。

[編集] プレースタイル・特徴

典型的な専守防衛型の捕手。リード面や守備では早くから長く正捕手を務めていた城島健司にも劣らない評価を得ていた。特に斉藤和巳とのコンビは特筆すべきものがある。しかし打率が2割に届いたシーズンすら1度もないほどの打力の弱さがネックで、城島退団後も「斉藤専属捕手」から抜け出せない原因となっている(ただ打球自体はライナー性の強い当たりが多い。2軍ではクリーンナップを務めたこともある)。

プレー以外ではユーモラスなキャラクターが特徴で、自分の低打率もネタにするほど。特にホークス宮崎キャンプ恒例の「朝の声出し」では毎年のように周りを爆笑させている(詳しくは後述)。

[編集] エピソード

[編集] 斉藤和巳との縁

同い年の斉藤とは実家・高校が比較的近いことから(的場は大阪府、斉藤は京都府)プロ入り前から面識があった。高卒の斉藤がホークス入団が決まった頃、的場は斉藤の球を受けていたという。斉藤に遅れること4年経って的場もホークスに入団したが、当時のホークスは的場の1歳上の城島健司が絶対的な正捕手だったため、斉藤は「よう来たなぁ、どうすんねん。こいつ、運悪いなぁ」と思ったが、「この悪い運をこの縁で何とかしてやろうと思った」と、雑誌の対談企画で語っている。

プロ入り後も2人の奇妙とも言える縁は続き、的場が入団した2000年に斉藤はプロ初勝利を挙げたが、当時城島は故障離脱中だったためその時のマスクは的場がかぶっていた。また、ほぼ同時期に怪我をし、そのリハビリに明け暮れたこともある。そのこともあって城島がシアトル・マリナーズに移籍した2006年以降、斉藤が投げる試合ではほぼ必ず的場が捕手を務めている。

その2006年は斉藤が投手4冠を達成したこともあり、斉藤・的場のコンビは最優秀バッテリー賞を受賞した。同じ年のコンビでの受賞は史上3組目であった。[1]また、この年6月8日読売ジャイアンツ戦では、斉藤の「準完全試合」(出した走者は脇谷亮太の内野安打による1人だけで、その脇谷も牽制アウトになったため巨人の攻撃は27人で終了)を演出している。

ただし、この年ホークス自体はレギュラーシーズン3位に終わり、プレーオフでも第2ステージで北海道日本ハムファイターズに1勝も出来ずに敗退した。最終戦は斉藤の完投サヨナラ負けという結果だったが、敗戦の瞬間に的場はグラウンドに大の字になり、大粒の涙を流しながら、肩を支えられベンチ裏に引き揚げた。試合後、「(1位通過しながらプレーオフ敗退という)2年間の悔しさを思い出して…。和巳が頑張っていたので何とか助けようと思っていたけどできなかった」と目を真っ赤に腫らしながらコメントしている。

[編集] 仏教との関わり

  • 大阪市住吉区の実家は浄土真宗真宗大谷派)の古刹。直樹は長男として出生、9歳で得度、僧籍を持つ。幼少時代は勉学・部活動の合間を縫って実父らと読経・檀家まわり等修行経験を積んだ。
  • 中学時代、PL学園から進学の勧誘があったが、僧籍をもつ的場は宗教上のわだかまりを感じPL学園からの勧誘は固辞、上宮高校へ進学。なお、上宮高校は浄土真宗でなく浄土宗である。
  • プロ入りの誘いがあったとき、的場および親族はプロ入りか野球をやめ仏道に専念するかで大いに迷った。しかし的場の父から
1.契約金すべてを実家に提供(寺の改築費用に充当のため)
2.オフシーズンはトレーニングの邪魔にならない範囲で寺の手伝いをする(除夜の鐘など)
という提案がなされ、それらを受け入れた的場はプロ入りを果たした。
  • 2005年オフの九州朝日放送の番組内で「実家が寺だからって、『住職』と呼ぶのだけはやめてほしい。」と発言した。

[編集] ムードメーカーとして

的場はそのユーモア溢れるキャラクターを生かして、チームのムードメーカー的な存在になっている。2005年TVQ九州放送のスポーツ番組・「スポスタ」の番組内で、ギター侍・波田陽区ならぬ「ウクレレ」という名で「的場直樹のウクレレ侍」というコーナーをやっていた。また、この年のファン感謝デーでは氣志團のコスプレでパフォーマンスをし場内を沸かせている。

特に目立つのはホークス宮崎キャンプ恒例の「朝の声出し」の時。毎年のように周りにいる選手や首脳陣、ファンや取材陣を爆笑の渦に引き込んでいる。

  • 2006年:「昨年プレーオフで負けた悔しさ、ファンに金岡さん(用具担当)と川村さん(コンディショニング担当)に間違えられた悔しさ、両親に『直樹、何で(試合中継の)テレビで監督の後ろに立っているんだ』と鈴木広報に間違えられた悔しさを晴らしたい」
  • 2007年:「思い返せば昨年、ガソリンスタンドに行くのが苦痛でなりませんでした。イラク情勢は悪化、原油価格が高騰、ハイオクガソリン147円、僕の打率1割4分6厘。しかしこれも過去の話。今年こそはそのハイオクガソリンではなく、レギュラーガソリン、いやレギュラー目指して頑張ります」[1]
  • 2008年:「僕のオヤジが一言言いました。直樹、とにかく本を読め、本は心のご飯です。アントニオ猪木のパクリでした」[2][3]
    • なお2008年の「宮崎キャンプスペシャルサイト」では各選手とも「朝の声出し」は15秒のダイジェスト版にまとめられていたが、的場のみはダイジェスト版とは別にノーカット版もアップされていた。

[編集] その他

  • 2006年8月19日西武ライオンズ戦で、打者の水田圭介三振を喫しバランスを崩して倒れかかった際、的場が二塁へ盗塁阻止のために投げた送球が至近距離にいた水田の後頭部に当たってしまった。しかしヘルメットに助けられて大事には至らなかった(記録は走塁妨害)。
  • 2008年5月4日、シーズン初出場は小久保裕紀代走であった。変えられた小久保は一塁からベンチに戻った後も暫く爆笑していた。
  • 的山哲也と名前を混同されることが多く、テレビなどで「球場で『的山さ~ん!』と声をかけられ非常に困惑している」と笑い話として話したことがあるが、2007年オフにその的山がホークスに入団。そのためテレビ中継などでもアナウンサーが「的場」と「的山」を言い間違える場面が増えた。なお的場はプロ野球選手会の「今年の目標」ページで「的山さんに間違われないこと」と書いたこともある。

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団


























2000年 福岡ダイエー 26 34 53 6 8 1 0 2 15 2 0 1 0 6 0 8 1 .151 .237 .283
2001年 一軍出場なし
2002年
2003年 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000
2004年 13 15 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 0 7 0 .067 .125 .067
2005年 福岡ソフトバンク 39 86 7 16 8 0 2 30 8 0 4 0 4 0 21 2 .186 .222 .349
2006年 82 137 12 20 6 0 0 26 8 0 10 1 7 2 42 3 .146 .197 .190
2007年 35 42 4 7 3 0 0 10 1 0 4 0 3 1 12 0 .167 .239 .238
2008年 8 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .167
通算成績 212 340 29 53 18 0 4 83 20 0 19 1 21 3 93 6 .156 .211 .244

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] テーマソング

[編集] CM

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)
1999年ドラフト指名選手
1位:田中総司 / 2位:広田庄司 / 3位:的場直樹 / 4位:川﨑宗則 / 5位:田中瑞季