水道橋博士

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水道橋博士
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本名: 小野 正芳
生年月日: 1962年8月18日(46歳)
出身地: 岡山県倉敷市
コンビ名: 浅草キッド
事務所: オフィス北野
活動時期: 1987年 - 現在

水道橋 博士(すいどうばし はかせ、本名:小野 正芳(おの まさよし)、1962年8月18日 - )は、日本のお笑いコンビ浅草キッド」のメンバーである。身長161cm、体重53kg。血液型A型。芸能事務所オフィス北野所属。

漫才コントのほか俳優活動、ライターとして雑誌にコラムエッセイの執筆なども行い、その文章力には定評がある。

目次

[編集] 来歴

岡山県倉敷市出身。紙問屋の次男として生まれる。少年時代から頭の回転がよく、岡山県きっての進学校である岡山大学教育学部附属中学校に進学。同級生に甲本ヒロトオウム真理教中川智正がいる。竹中労の著作を読み、ルポ・ライターに憧れる。ブルース・リーや『空手バカ一代』などにも大きな影響を受けた。

岡山県立倉敷青陵高等学校卒業後、ビートたけしに憧れて明治大学経営学部に入学するも単位を取得せず4年間をパチンコとアルバイトに明け暮れた末[1]1986年ビートたけしに弟子入りし、浅草フランス座で修業を積む。翌1987年玉袋筋太郎浅草キッドを結成。

1990年テレビ朝日ザ・テレビ演芸』で10週勝ち抜きチャンピオンに、1991年テレビ東京まねまね天国』の5週勝ち抜きチャンピオンになるなど若手実力派として認められる。1991年に『オールナイトニッポン』の月曜第2部を開始、翌1992年にテレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』などで人気を集める。

1996年10月に、『面子証事件(「オフィス北野ライブ」で命名)』発覚。道路交通法違反で書類送検され、略式起訴、罰金10万円。4ヶ月の間謹慎して芸能活動を自粛する。運転免許証を紛失したと偽り、不正に再交付を受け、本来、紛失したとして免許証の再交付を受けた後、紛失した免許証が見つかった場合、古い方を返納する義務があるが、それを行なわなかったため。運転免許証の写真を笑えるものにするというたけし軍団内のお遊びで、水道橋博士は3年に1度の免許更新を待ちきれずに紛失したと偽って免許証を3度再取得。免許証交付時には1ヶ月前から風貌を変える準備をし、まるで変装したかのような写真を免許証で使っていた。返納すべき免許証を『笑っていいとも!』などいくつかのテレビ番組で披露したことで、不正が警視庁に発覚したというのが事件の経緯。写真の内容は「東南アジア人(アフロヘアに口ひげ姿)」「不自然眉毛(黒ブチのメガネ姿。本来の眉毛は剃毛し、眉毛が額のはるか上部)」「重症患者(頭を包帯で巻き、首にはギプス)」。この写真は1997年1月に事件を報道する東京スポーツの1面等を飾っている。

謹慎期間中の1997年にパソコンとインターネットを独学で学び公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。芸能人の中では早い部類に入る。「面倒臭いからいつやめるかわからない」と言っていた日記『博士の悪童日記』もほぼ欠かさず毎日更新し、ブログが浸透し始める頃には従来のログを移行。2007年時点で、芸能人ブログの最長記録を持つのは、10年間毎日書きつづけている自分であると自負している[2]

2002年に結婚。過去に男性と同居していた事を公表している為か、ファンの間では同性愛者という噂もあったが、2007年現在は2人の子供がいる。伊集院光など昔から仲の良い芸能人の話では、「女に飢えていておかしくなりそうな時期もあった」とのことである。ちなみに息子の名前に『たけし』と名づけ、師匠であるビートたけしの前でネタにし『ふざけんなコノヤロー!』と冗談交じりに言わせたことがあった。なお、娘の名前は高田文夫にあやかり、『文(ふみ)』である。

2004年、浅草キッドの名義で著した『お笑い男の星座2』が大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされ、ライターとしても評価を受ける。ゴーストライターを使わず全ての原稿を自分で執筆し、「ルポライター芸人」の異名を取る[3]。単独著の『博士の異常な健康』『筋肉バカの壁』も12万部の好セールスを記録している[4]

[編集] 芸名

手塚治虫作『鉄腕アトム』の登場人物・お茶の水博士パロディである。メガネを掛けた風貌が「博士」風であり、明治大学に通って居たために本来は最寄り駅がお茶の水であるが「ひとつ手前でいいや」(JR中央線御茶ノ水駅の隣駅である水道橋駅から)とたけしの判断から。

浅草キッドブラザースのメンバーだった亀頭白乃介の二代目を襲名し、3ヶ月ほど名乗ったこともあったが、定着しなかった[5]。この亀頭白乃介の襲名披露は、師匠のラジオ『ビートたけしのオールナイトニッポン』で放送された。

[編集] 資格

  • 宅地建物取引主任者。大学を中退したことで親から資格を取るように言われて、半年の勉強で取得[6]。時折テレビ番組の不動産特集に解説者として出演することもある。

[編集] エピソード・逸話

  • テレビ朝日制作のクイズ番組タイムショック21』で、あまりにも正解数が悪く、回転したため、正月スペシャルの番組内で芸名を水道橋バカセ水道バカと呼称されたことがある(次の回にて汚名返上した)。しかし、本来はクイズ番組の実力はトップクラスで、『ウィーケストリンク☆一人勝ちの法則』では正解率100%、『平成教育予備校』では最優秀生徒になった実績がある。
  • 2006年1月19日フジテレビで25時から放送のバラエティ番組北野タレント名鑑』に出演し4問正解。自己アピール時間の最中、今まで帽子ばかりかぶっていたのは、実は髪の毛が異常に薄かったからだと、その写真とともに告白した。2006年現在は、いろいろ試した増毛法の組み合わせが劇的な効果を上げたため、各界から注目を浴びている。それらの博士が健康になるまでの体験や秘訣を2006年の著書『博士の異常な健康』のなかで明らかにしている。
  • 『北野タレント名鑑』に出演した際、たけし軍団の先輩であるラッシャー板前松尾伴内よりも年上なのにもかかわらず、未だに「若手」と呼ばれているとボヤいている。
  • スーパージョッキー』の企画「軍団クイズ・体は資本だ!」でスキー場での人間サイコロ(発泡スチロール製の大型サイコロの中に人間が入ったもの)に挑戦した際、途中でサイコロのフタが開き外に身体が投げ出され、結果として椎間板ヘルニアを患うことに。相方の玉袋のサイコロもスキー場の谷底に落下し気絶するなど壮絶な舞台裏だったが、映像的には浅草キッド史を代表する傑作ともなった。ただし、この一件以降、博士は「ガンバルマン」のコーナーの辞退を余儀なくされ、たけし軍団の力仕事からは一線を退かざるを得なくなってしまった。
  • TBSラジオの『ストリーム』の「コラムの花道」コーナーのマニアとして知られる。過去のすべての放送を録音して、移動中に繰り返し聴いている。
  • スリーピースバンド、サンボマスターと交流があり、2005年の年賀状ではサンボマスターのメンバーとの4ショット写真を載せていた。しかし、当時サンボマスターの知名度は現在ほどではなかったため、送られた人からは「どこの学生さんと撮ったの?」と言われたことを『僕らの音楽3』でサンボマスターと対談した際に明らかにした。
  • タモリ倶楽部』ではサンボマスターの日比谷公会堂ライブでのツアーグッズTシャツを着て出演したことがある。
  • 散歩が趣味で、好きな曲をiPodに入れてそれを聴きながら散歩をする。
  • オウム真理教道場建設予定地事件 - ダンカンが首謀者として引き起こした。水道橋博士が自宅を建設しようと購入した杉並区の土地に、”オウム真理教杉並道場建設予定地”と書いた看板をダンカンが立てた。詳しくはダンカンの項を参照。
  • 小学生時代には自転車の乗り方コンテストの県大会に優勝し、岡山県代表として全国大会に出場した。
  • ダウンタウンの松本人志に強い興味を持っているらしく、松本のラジオ番組『放送室』を第1回から欠かさずチェックしている。なお、2006年12月15日、『人志松本のすべらない話』収録後の打ち上げで、松本人志の横に座ることが出来、宴席開始の深夜より朝まで質問攻めに成功する。(Blogより)
  • Tokyo Boy』での共演を通じて親交のある石原慎太郎に文章力を評価され、「会うたびに、『書いているか』と聞かれる」、という。
  • 甲本ヒロトのことは、未だに中学時代と同じ「こうもっちゃん」というあだ名で呼ぶ。
  • 若手の頃、グレート義太夫スカトロビデオの使い走りをさせられており、次第に専門店の常連という形になり、名前が売れてきた頃に、店員から大声で名前を呼ばれてしまった事がある(人志松本のすべらない話より)。
  • 格闘技やサブカルチャーに造詣が深く、『噂の真相』は創刊号から休刊号までの全てを保有している。
  • アントニオ猪木の大ファン。2002年に猪木のイベントを観戦しに行った際に、目が合った瞬間にいきなり平手打ちされ、その場で倒れてしまった事もある。
  • 小学校時代は、先生の言うことはあまり聞かない子供だったが、通信簿はオール5だった(平成教育予備校より)。
  • 同じく、芸能界、格闘界をフィールドとして人物研究をしている吉田豪については、同志としてリスペクトしており、「芸能界の柳田國男」と呼んでいる。

[編集] 著書

  • 1995年『水道橋博士の異常な愛情―または私は如何にして心配するのを止めて風俗とAVを愛するようになったか。』プラザ
  • 2005年『本業―タレント本50冊・怒涛の誉め殺し!』(ロッキング・オン
  • 2006年『博士の異常な健康』 (アスペクト
  • 2007年『筋肉バカの壁〔博士の異常な健康PART2〕』(アスペクト)

[編集] 連載

  • 『水道橋博士のちんちん日記』(熱烈投稿

[編集] 主な出演作品

[編集] 脚注

  1. ^ 木村元彦「現代の肖像 水道橋博士」『AERA』2006年1月30日号
  2. ^ 水道橋博士「オヤジ 父への私小説」『文藝春秋』2008年1月号、p140。
  3. ^ 木村元彦「現代の肖像 水道橋博士」『AERA』2006年1月30日号
  4. ^ 佐藤祥子「家の履歴書 水道橋博士」『週刊文春』2007年11月8日号
  5. ^ 西城昇『トウキョウコメディアンの逆襲』光文社文庫、1998年
  6. ^ 佐藤祥子「家の履歴書 水道橋博士」『週刊文春』2007年11月8日号

[編集] 外部リンク