POISON GIRL BAND
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
POISON GIRL BAND(ポイズンガールバンド)は、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属するお笑いコンビである。略称ポイズン。東京NSC4期生。
目次 |
[編集] メンバー
- 阿部智則(あべ とものり 1979年8月29日 - )
- ボケ担当
- 宮城県出身。宮城県石巻工業高等学校卒業。土木科に在籍し、毎日あちこちを掘っていた。
- 身長168cm、A型。父親と兄は彼とは違い、背が高くガッチリ体型らしい。
- 趣味は洗濯、スロット。特技は水泳。潔癖症気味。
- 金魚とウーパールーパーを飼っていて、名前を付けて可愛がっている。動物好きで、一人でもよく動物園へ行く。特に好きな動物はカバとゴリラとバイソン。好きな女性のタイプも動物好きな子。
- NSC時代、ダンスの授業で名前の順で3人グループを作られ、インパルスの板倉俊之・ロバートの秋山竜次と一緒だった。
- 一時芸人を引退し、半年ほど引きこもりになった。その間、ただ天井を見て死ぬことしか考えていなかった。
- ポイズンの結成、解散、トリオ「積木」の結成、解散・メンバー3人の芸人引退、引きこもりからの復活、ポイズン再結成・芸人復帰など、芸人人生の転機となるものがすべて吉田がきっかけで、ロンドンブーツ1号2号の田村淳に、吉田に主導権を握られて人生を送っているといわれた。
- 無口で、周りに芸人が多くいる場でも、みんなの面白さに自分が落ち込むことを理由に一人で黙っていることが多い。
- 髪をロングヘアにしたのは、レッドホットチリペッパーズのボーカル、アンソニー・キーディスの影響。
- ダイノジ大地と映画「いま、会いにゆきます」を見て号泣したり、M-1の決勝進出決定時や水曜無限大でプライベートでも仲の良いアホマイルド高橋の卒業作文を聞いて生放送中に泣いてしまうなど、泣き上戸エピソードも多くある。
- 出身高校水泳部の青いジャージを未だ普段着として愛用している。当時両親が離婚の危機にさらされており、どちらの苗字になるか分からなかっため、左胸には「石巻工業 智則」と刺繍がされている。
- 夢はゴリラを飼うことである。
- 力士の安馬が大好きである。
- 吉田大吾(よしだ だいご 1979年4月4日 - )
- ツッコミ(便乗ボケ)、主にネタ作り担当。
- 東京都杉並区荻窪出身。東京都立豊多摩高等学校卒業。小・中学校はせんだみつお、高校は宮崎駿の後輩。
- 身長181cm O型
- 2008年5月にレーシック手術を受け、視力を回復させた。
- NSC時代ダンスが選抜コースで一発ギャグ大会では一位だった。
- HIP-HOPグループのMIG MARKETは幼馴染。吉田いわく「彼らの声からは明確な意志が…彼らの言葉からは深い優しさが…彼らの音楽からは真っ直ぐな愛が感じ取れる」。
- 高校では友達作りに出遅れてしまい、どのグループにも入れず、休み時間は机で寝たふりをしてすごした。
- まったく裏表がない性格で、ダイアンいわくクールでシュッとしている東京の人。
- 趣味は散歩・株。特技は単独行動。ローリング・ストーンズの大ファン。
- かなりの甘党で、ストレスが溜まるとコンビニで2000円分ほどチョコを買い、一気に食べる。
- 口癖は「だいぶ…」「何なら…」「全然良いけど…」「言っても…」
- 潔癖症で、実の姉や祖母であっても握ったおにぎりが食べられない(母親だけがOK)。電車のつり革につかまるときは中指1本、満員電車で揺れの激しい時は3本でつかまる。
- 仕事で帰り時間が遅くなっても靴下などをきちんと変えたいという理由で漫画喫茶などには泊まらない。
- ドSで喧嘩っ早い[1]。
[編集] 来歴
- 1998年7月 東京NSCに入学し3ヶ月経ち、周囲の勧めで吉田から阿部を誘ってコンビ結成。阿部が複雑なコンビ乗り換えをしていたところを吉田が救う形になる。
- 1998年8月 コンビ結成から1ヶ月で銀座7丁目劇場で初舞台を経験し、大好評。NSC生の中からMVPを決める大会で、4期生の中で2位になる。
- 1999年1月 吉田がボケになりたいという理由からコンビを解散する。その際、吉田はツッコミ候補のNSC生とすでに仲良くしており、阿部に電話でそのことを伝えた。
- 1999年3月 お互い別々のコンビでNSCを卒業。吉田は「ももいろ」、阿部は「積木」というコンビ。
- 1999年7月 吉田の「ももいろ」がうまくいかず解散。阿部の「積木」も事務所から舞台にはあがらせないと言われていた。そのころ「積木」のやっていたネタは、ウンコ大臣とオシッコ大王。阿部いわく、ウンコ関連のネタしか出てこなくなっていた。
- 1999年7月下旬 吉田が自ら「積木」への加入を希望し、阿部は快く承諾してトリオになるが、1回だけ活動し、すぐ解散。ネタ見せの際、ほとんど吉田が考えたネタだったが、吉田自身全部ネタが飛んでしまった。メンバーは解散とともに3人とも芸人を引退。吉田はフリーター、阿部は徐々に引きこもりになる。
- 2000年7月 諦めきれなかった吉田が阿部を競馬場に呼び出してコンビ再結成。そのため2000年結成とされる。
- 2002年 ルミネのゴングショーで初めて勝ちあがり、人気・機運が急上昇する。しかし悩みやすれ違いも多く、ルミネの楽屋で取っ組み合いの大喧嘩をし壁に穴を開けてしまう。
- 2004年1月 お笑いカウントダウンTVでテレビ初出演。(しかし阿部は「山根」と間違ったテロップを入れられる。アンガールズと間違えられたと思われる)
- 2004年9月 マクドナルドのCMの声に抜擢され、動物の声を担当。
- 2007年4月 「ヨシモト∞」水曜2部のナビゲーターを務める。
- 2007年7月 神保町花月のこけら落し公演「ハッピーな片想い」にて座長を務める。
- 2008年3月 神保町花月「声~黒松病院~(脚本 ザ・プラン9 お~い!久馬)」で主演。
[編集] 概要
- コンビ名の由来は、阿部の出した100個以上の案の中から選んだ3つを合わせたもの。実は元々はコンビ名の「POISON」の部分は「POIZON」であったが、あまりに間違われるせいか、ひそかに改名している。
- 共に相撲とロック好きであり、タバコを吸わない。
- ふたりとも口癖は「どゆこと?」
- 2人とも孤立した高校時代をおくっており、切ないエピソードを多く持っている。
- 2007年にオープンした「神保町花月」にて、記念すべき初代座長に抜擢され11日間に渡り「ハッピーな片思い」を公演した。
- YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 〜100人が映画撮りました〜では「ハチノス」という映画を撮った。
- またYoshimoto Director's 100のだいたひかる監督作品「ボロボロな人」で、阿部が家庭内暴力を振るう息子役で主演している。
- 吉田はトータルテンボスが結成したアフロモンキーズというお笑い芸人の軟式野球チームに所属している。
- 2人で金魚金融というものをつくっており、少しの芸人仲間にお金を貸している。利息は金魚1匹。
- 「TKプロジェクト ガチコラ」という、小室哲哉があらかじめ作った曲に吉本芸人が歌詞をつけるという企画で、2人は「角界パンク」という力士の歌をつくり、CDデビューをした。
- 漫才は非常にシュールなものが多く、好き嫌いが分かれる。
[編集] エピソード
- 一時期、阿部が組んでいたコンビ「積木」に吉田が加わりトリオになったが、トリオ名を『美輪明宏やおっぱい』として事務所に提出しようとして、間違えて『美輪明宏やおっぱん』と書いてしまったため、そのままトリオ名になってしまった[3]。
- コンビ再結成の話をする為、宝塚記念前日の府中競馬場に阿部を呼び出した吉田はテイエムオペラオーとメイショウドトウの1着2着を一点買いをした。吉田はひそかに、これを外すようなら自分達に望みはないと賭けていたが、それで獲ったので阿部に「もう一度やらないか」と提案した。ちなみに阿部の方は5万負けていた。[4]
- ルミネのゴングショーで4回勝ちあがれないとほとんどの芸人が辞めていく中で、1年半粘ったことは評価されている。
- 非常にコンビ仲が悪かった時期があり、2006年春までの数年間まともに会話もしなかったと、吉田が自身のブログで明かした。
- 千鳥の大阪大悟組というのがあるが、東京大吾組も千鳥の大悟が発足させた。組長の吉田をメンバーは「坊ちゃん」と呼ぶことになっており、吉田以外のメンバーは全員B型。
- ある日吉田はM-1ツアーの1ステと2ステの間に先輩に連れられて食事へ行き、そこでお酒を勧められると心意気を見せようとしてベロンベロンになってしまった。2ステ目のネタは酔っ払って滑舌も悪くネタ振りが何言っているかわからない状態だったが阿部は淡々とネタを進め、ネタ後吉田が謝ると阿部は笑って許した[5]。
- マンザイマニアというライブにおいて楽屋に隠しカメラが仕掛けられており、楽屋の隅で体操座りしている阿部や、後輩に肩を揉ませている吉田、2人で触ってはいけない消火器をいじる姿などが公開された。
- 阿部について吉田は「かわいい」「高校時代のジャージやドラゴンボールのシャツなど8割方の人が似合わない服も阿部ちゃんが着ると、まあアリかな…」と語る。
- ハローバイバイの関はPOISON GIRL BANDのことを唯一心を開ける後輩だと語る。
- R-1ぐらんぷり2008に阿部は「短髪」という芸名で出場した。以前には「矢沢」として出場したが、それに対抗した吉田は同じ年に「長渕」として出場していた。
- 吉田も阿部同様に楽屋では一人で黙っているタイプだったが、ダイノジ大谷に積極的に話しかけられたことで、少し社交的に変わった。
[編集] M-1グランプリ
- 2004年 M-1グランプリ 6位
- 決勝進出し6位になったことは、吉田は人生で一番嬉しかったという。
- 2006、2007年は決勝戦9組中の最下位で、2006年は8位のアマチュアコンビ(変ホ長調)以下の成績であったことに非常にショックを受けた。吉田は一生分の恥をかいたと語り、2007年の決勝でのキャッチフレーズは「屈辱からの脱出」で、ネタ後に阿部が「漫才の神様が見えた」と発言したが、結果は連続最下位となり再び屈辱を味わうことになった。
- M-1出場後、「M-1には2度と出るな」と中傷的な手紙も多く届き、特に阿部の個人ブログが大炎上したというが、本人達は「最下位は任せてください」「次回は敗者復活からの最下位目指します」とネタにして、結成10年目までM-1に出たいと語っている。
[編集] 芸風
- 阿部の話に、吉田は話を肯定したりずれたツッコミをしたりして、どんどん予期せぬ方向に進む独特の漫才でこれまでに無い新しい笑いのスタイルを確立しつつある。
- 他に類のない不思議な空気感は脱力系とも言われる。ふたりとも声が独特である。
- ナインティナインの岡村隆史はオールナイトニッポン内で大阪にはいないタイプの芸人と言っている。
- ボケとツッコミが曖昧でのんびりした漫才をするのは、宮城県出身の阿部が標準語をはっきり話せないため。
- 漫才の出だしは、よく「みなさんもね…」から始める。
[編集] 現在の出演
[編集] テレビ
[編集] CM(声の出演)
- 日本マクドナルド
- ソニー・コンピュータエンタテインメント「カズオ」(2006年 -)阿部のみ
- 明治製菓「きのこの山」(2008年 -) 阿部のみ(きの山さんの声)
[編集] 過去の出演
[編集] テレビ
- 爆笑オンエアバトル(NHK総合テレビジョン) OA率 - 1/4 最高KB:377KB
- キャナガワ
- エンタの神様(日本テレビ) キャッチコピーは「新世代の異端児」
- 笑いの金メダル(テレビ朝日)
- NANDA!?(テレビ朝日)
- 失恋保険(テレビ東京、2006年)
- メンB(日本テレビ、2004年4月16日 - 2005年3月31日)
- 少女B(日本テレビ、2005年4月7日 - 9月)
- 単発・特番
- ゼベック・オンライン (TOKYO MX、2005年1月10日)
- お笑いDynamite!(2007年12月28日、TBS)キャッチコピーは「脱力系 不思議ワールド」
[編集] その他
- Wii Fitでダレがイチバン燃焼できるか対決!! - Wiiのみんなのニンテンドーチャンネルにて配信

