オール阪神・巨人

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オール阪神・巨人(オールはんしん・きょじん)は漫才コンビ。所属事務所吉本興業・大阪本社。1975年4月にコンビ結成。コンビ名の由来は、2人の23cmという身長差(巨人半身)に基づくといわれる。毎日放送のテレビ番組「ヤングおー!おー!」内で命名された。双方ともものまねが得意である。

目次

[編集] メンバー

オール巨人(オールきょじん、1951年11月16日-)
  • 大阪市天王寺区生まれ、大阪府豊中市育ち。大阪商業(現・大商学園)高等学校を卒業。
    • 本名:南出繁みなみでしげる
    • 身長:184.3cm
    • 体重:84kg
    • 愛称:モンスター
    • 酒好きで知られる。本人曰く「丈夫な肝臓が欲しい」とのこと。
    • 上記とは対照的に大のタバコ嫌いでも有名。弟子がタバコを吸っていると注意し、やめさせるという。
    • 1990年代に口ヒゲを生やしていたが現在は剃っている。(吉本では原則としてヒゲを生やす事を禁止しているという決まりがあったといわれている。)
    • 高校時代は陸上競技部に所属し、三段跳の選手として活躍。元祖筋肉芸人としても有名。リンゴを素手で握りつぶすなど、数々の最強伝説を持っている。現役時代の元大関若島津腕相撲で勝ったことがある。現在でも、自宅にあるジムでのトレーニングは欠かさないという。
    • 妻は元吉本新喜劇の青木みき、娘の南出一葉吉本新喜劇の劇団員、長男の南出仁寛はプロゴルファーを目指したがプロテストに落ち続け、タレントとなった。次男は一般人の為、公表されるのは殆ど皆無に近い。
    • 2007年に大阪で開催された第11回世界陸上選手権の有識者会議委員を務めた。
    • ゴルフ歴は約30年で、その腕前はプロゴルファー達からも誉められるほどの腕前である。
    • 名前とは裏腹に巨人ファンではなく、筋金入りの阪神ファンである。本人曰く、「阪神が負けた日におっちゃんに襲われることがある」という。
    • 最近は後輩芸人の指圧野郎にモノマネされており、巨人は彼のモノマネを公認し、気に入っている。
    • 2007年5月14日、次男(長男・仁寛の弟かつ長女・一葉の兄にあたる)に男児が誕生し、晴れておじいちゃんになった。
    • 毎年9月8日やその他随時にオフ会を開催し、ファンとの交流を大事にしている。
    • 2000年に結成した松竹芸能所属のなすなかにしを「ベテランのお笑いコンビ」と勘違いしたことがあり、「賞レースに出るな。」といったことがある。
    • ニュース速報の字幕で、背の高い巨人の顔が隠れたという漫才ネタをテレビの演芸で披露した際、その放送中、実際にニュース速報が出て、そのまま現実となったことがある。
    • 乗っている車はハマー
    • 島田洋七に代わり、M-1グランプリ2007の審査員となる。優勝したサンドウィッチマンの準決勝落選を批判するなど、的確な採点内容と併せて視聴者からは賞賛の声が寄せられた。
オール阪神(オールはんしん、1957年3月7日-)
  • 大阪府泉大津市出身。成器(現・大阪学芸)高等学校を卒業。
    • 本名:高田昭徳たかだあきのり
    • 身長:161.2cm
    • 体重:80kg
    • かつて「オレたちひょうきん族」内のコーナー「ひょうきんプロレス」に出演した際、対戦相手に股裂き攻撃を受けて実際に股が裂けてしまい病院送りを余儀なくされた。
    • 釣り好きで有名。サンテレビで自身の釣り番組『ビッグフィッシング』を持ち、同局の長寿番組の一つとなっている。
    • 酒好きの巨人とは対照的に酒に弱い。
    • 妻はゲルマニウムチタンブレスレットを扱う「サングリエヨシミ」の社長の高田良美。2007年4月に自叙エッセイ「幸せの舌シチュー」を出版。「サングリエヨシミ」の看板が大阪・北新地に掲げられている。
    • 離婚歴がある。また、現在の夫人との間に男児がいる。2008年現在、中学1年生である。
    • 芸名は「阪神」であるが、プロ野球には全くと言っていいほど、興味が無い。
    • 「車にポピー」のCM(ダイヤケミカル)でその高音には定評がある。
    • 主なギャグに、肩を触られたら「でい!! (聞かれたら)いかり肩ですねん」胸を触られたら「ポロッポー!! 鳩胸ですねん」背中を触られたら「ニャーォ!! 猫背ですねん」というものがある。他にも芸人の物真似(ミスハワイが有名)、楽器やチャイムの音真似など数々の芸の宝庫である。
    • なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!に出演するときは、WAHAHA本舗梅垣義明からを客席に飛ばすように、口にピンポン玉をくわえて客席に吹き飛ばすやや下品な芸も披露する。
    • 本名の苗字から取った「高田百歩」と言う弟子がいる。

[編集] 来歴

2人は素人時代、個々に受けたオーディションでの審査員の勧めがきっかけで「マネマネゴンスケ・マンスケ」という漫才コンビを組み、ともに落語家の三代目林家染三に弟子入りする(高座名は巨人は林家三喜、阪神は林家三六)。1974年にオール巨人が吉本新喜劇入りするために故岡八郎に入門、その後1975年に高校を卒業したばかりのオール阪神も岡八郎門下となり、半年間の弟子生活を経て、同年「オール阪神・巨人」として漫才デビュー。デビューの同期には1955年度生まれの明石家さんま(厳密に言うと巨人より若干遅い。「オール巨人の日記2006~」2007年8月6日投稿分参照)や島田紳助桂小枝(デビュー当時の芸名は桂枝織)がおり、紳助は「プロ野球に例えるなら阪神・巨人はドラフト1位、自分やさんまはテスト生みたいなものだった。」とデビュー当時を振り返っていた。

結成当初はコンビ仲がかなり悪かった。当時ヤングタウンで共演していたやしきたかじんは二人の仲の悪さに困り果てており、阪神・巨人それぞれに諭していたという。トーク番組などでさんまや紳助などと共演した際にその事を指摘されたりもした。

漫才のスタイルは正統派のしゃべくり漫才で、ボケ役とツッコミ役はネタや場面によって入れ替わる。初期は素人時代のコンビ名が物語るように声帯模写も多く取り入れていた。また、テレビでは一切放映しない劇場限定のネタも有している。

上述の経歴、後述の受賞歴にも表れているように、若い頃から正統派芸人としての評価が非常に高く、紳助は若手時代の彼らを見て、「阪神巨人が日本ダービーを目指すなら、俺は中山大障害を目指そう、邪道を極めようと思った」と語っている。

なお、吉本興業の故林正之助会長から、「二代目エンタツ・アチャコ」を襲名させる話があったが、本人たちが「おそれおおい」と断った。

前述の通り、オール巨人は大の阪神ファン、オール阪神は野球には興味がないが、強いて言えば巨人ファンらしい。

東京には、最近は巨人単独で出ることが多くなっている。

巨人自身は「壮絶バトル!花の芸能界」(日テレ系列・木曜19時枠全国ネット時代)に出演し、猿岩石(現在・解散)の不仲に関して、「お笑いコンビは元々、水と油なんですよ」「阪神と一緒にいても、彼は歩くの遅いから見てるだけでもムカムカしますね」と、阪神とのエピソードと今のお笑いコンビの実情を語ったこともあった(ただし実際は、巨人・阪神の両家族で旅行に出かけるなど、仲は良いようである)。

[編集] エピソード

[編集] オール巨人のスパルタ育成

  • オール巨人は芸と仕事には厳しく、吉本の中でも、「弟子に対する礼儀作法や仕事への取り組みの教育がとりわけ厳しい」「板東英二に影響を受けたため、時間や服装等のマナーに関しても厳しい」事で有名である。そのスパルタぶりに思わず逃げ出してしまった若手は数知れず、間寛平もトーク番組で「ちょっと、厳しすぎるんちゃうか?」と苦言を呈したほどである。
  • 弟子に対しては、ほんの些細なミスも許さずに体罰を加えることがある。また、遅刻すると強制的に丸坊主をさせられるなどの罰があり、こうした育成方法に、立川談志永六輔などから批判の声もある。
  • 読売テレビの「EXテレビ」の公開弟子審査会という企画で、当時素人だった有吉弘行(元・猿岩石)が合格し巨人に弟子入りした。しかし、巨人の威圧感に緊張しすぎたのか、有吉のたどたどしい言葉遣いに「お前がしゃべると腹が立つわ!」と激怒し、わずか半年で破門にしてしまったため、こちらも批判の声がでている。

[編集] オール巨人の門下時代

  • 巨人が弟子に厳しい背景として、吉本新喜劇所属の岡八朗の門下時代、師匠の岡に対してミスを絶対に犯さなかったことがあると言われている。巨人は岡の弟子時代、もちろん遅刻は一度もせず、師匠のあらゆる指示を完璧にこなし、岡から大絶賛されたという。本人が語ったところによれば、たとえば大阪近県での営業の際は、前日に営業先までの道を実際に走ってみて、岡が腹を空かすタイミングを考えて、どこに食堂等があるかをチェックし、もし適当な食堂がなければ弁当を事前に用意するなど、その気配りと綿密な準備は巨人自らが尊敬している横山やすし横山ノックの門下時代に修行をしていたのとほぼ同じであり、他の弟子もそこまでできないというレベルだった。島田紳助は「巨人は自分が弟子として完璧だったから、今、自分の弟子に厳しい。僕は自分が弟子として適当だったから、今は自分の弟子に甘い」と語っている。
  • かつて一度だけ、師匠の岡を迎えにいくために彼の車を一人で運転をしていた際に交通事故を起こしたことがある。この時、大事になれば週刊誌に岡八郎の名前が載ってしまい、師匠の芸能活動に支障が出ると思案に暮れていたところを、岡に「自分の名前が載ってもかまへんから、警察に起きた事実を言うて来い」と言われたという。その言葉通りに警察に出頭したところ、実は事故に遭った相手(被害者)が免停中にも関わらず車を運転していたことが発覚し、巨人は破門を免れることになった。後年この出来事を振り返り、「師匠にあの時許してもらえなかったら、今のオール阪神・巨人はなかった」と語っている。それだけに岡に対する尊敬の念は深く、岡の葬儀においては人目もはばからず号泣していた。
  • また、岡の舞台復帰の際は、娘との漫才のサポートを懇願され、事故の後遺症でなかなか台本を覚えられない岡にダメ出しをするなど、漫才に対して厳しい姿勢を見せながらも、衰えた師匠の姿に密かに号泣するなど、深い師弟愛と芸に対する厳しさの両面を見せた。ただし、岡が亡くなる直前に巨人のことを「南田くん」と呼んだことがいまだに心に引っかかっているという。後々に「師匠、僕は南出です…」とカメラの前で寂しそうにコメントを残した。
  • 「有名になったとたんに生意気になる、天狗になる」芸人に対しては許さないとしている。このため一時期、トミーズ雅(有名になりたての頃は相当な天狗ぶりだった)との確執がテレビや週刊誌で話題となった。巨人が「さんまのまんま」で雅の名前こそ出さなかったものの「我慢ならん!」と発言したり、事あるごとに番組などでさんまが雅に「巨人と仲良くしぃやー」と言っていた事等もあった。また、雅と同期のダウンタウンに関しては「浜田は昔も今も非常に礼儀正しい。松本は最初から(無名の時から)生意気だった。だから認めている」と述べている。
  • 阪神の息子は「巨人のおっちゃんは怖い」と語る(いい旅・夢気分より)。
  • 巨人の弟子育成の厳しさは横山やすしチャーリー浜中田カウスらと肩を並べるほどだと言われているが、巨人は生前のやすしにも可愛いがられ「弟子にも自分にも厳しい」と(その教育手法の賛否は別とするが)、内外からはもちろん、同学年の芸人・タレントである桂南光西川のりお笑福亭鶴瓶原田伸郎島田一の介大木こだまらからも一目を置かれている。その厳しさは、浜田雅功加藤浩次宮川大輔ら吉本の後輩に多大な影響を与えている。
  • かと思えば、自らの『スパルタ師匠』のイメージを生かしたドッキリ企画に参加するという、茶目っ気溢れる一面もある。「ダウンタウンのごっつええ感じ」の全編大阪ロケのスペシャルで、ほんこんをはめるドッキリが企画され、NGKの舞台に客を入れてほんこんがホスト役のトークショーをやるというもので、ゲストが阪神・巨人。番組が始まる前からベロンベロンに酔わされていたほんこんは番組中もグダグダで、逆に巨人は番組を成立させようと気を使うが阪神が怒って番組中帰ってしまう。阪神の激怒を目の当たりにしたほんこんは一気に酔いが覚め、巨人の楽屋に謝罪に行くがこっぴどく怒られる。もちろん阪神と巨人は企画を全て理解した上での演技だがほんこんは余りの怖さに泣いてしまい、多くの視聴者の爆笑を誘った。
  • またお笑い番組等で、レギュラーの若手達が真面目に頑張っている上で結果的にイジられた場合は、苦笑こそすれ決して本気で怒らない寛大さも持っている。
  • 「最近は後輩とあまり食事が出来なくて寂しい。誰からも連れてってくれといってもらえない。時代かなぁ。」と「ヨシモト∞」(2006年8月9日)で語った。「恐れ多くてこちらからは声がかけられないからです」と言ったMCのオリエンタルラジオをその場で食事に誘った。

[編集] プロ意識の高さ

  • 巨人は、自らの父が死去した時の、通夜直後の漫才イベントにも休まず参加していた。これについて、島田紳助は「あいつらプロやで!」と大絶賛していた(人生が変わる1分間の深イイ話より)。しかも漫才の内容は、自分の父が亡くなった事が主なネタであり、観客もそれを聞いて大爆笑していた。このことについて紳助は「やりなれたネタであれば、目をつむっててもできるため、泣いてしまうのは目に見えていた。そのためあえて難しいネタをアドリブとして持ってくることで両者の緊張感を高めていた」としている。

[編集] 巨人師匠のライバル

  • 島田紳助との仲は良いが、ライバル関係でもある。巨人が自分より先に新居を建てた時、かなり悔しがったという。が、その1年ほどの後、巨人の家の隣に新居を構えていたのが、他ならぬ紳助であった。また、家のローンを組んだ際、巨人とほとんど同額にもかかわらず返済期間が巨人より短かったので、「よくよく考えると、銀行はオレより巨人の方が(芸人として)持つのだろうと考えたのでは?」と悔しがったという。

[編集] ガチンコ漫才道のエピソード

ガチンコ漫才道の起源

  • TBSの「ガチンコ!」のコーナー、「ガチンコ漫才道」で講師を担当。元々、“やらせ”が多いと言われていた「ガチンコ!」で、巨人自身が“やらせ”を絶対にしないことを条件に講師を引き受けたという。

足を洗う約束 With あるある探検隊のレギュラー&エロ詩吟の天津

  • オール巨人は、この企画がスタートするにおいて、一位になれなかったコンビは漫才の世界から足を洗ってもらうというのを条件にスタートしたのだが、一位になれずに漫才を辞めていなければならないはずのコンビの中には、主にレギュラー天津 (お笑い)がいる。ザ・プラン9のヤナギブソンも当時「君と僕」というコンビ名で参加していた。

無礼な若者に容赦ない巨人師匠

  • 初回の出場者の大半が礼儀を欠いていたため、巨人が激怒して参加者全員が不合格となった。この時「お前ら、俺の弟子やったらパンパンやで」という言葉を残している(ナインティナイン岡村隆史によると、これは「ボコボコやで」と言おうとしたところ、誤って「パンパンやで」と言ってしまったらしい。しかし、「パンパン」でもビンタ張り手)の音を表しており、脅し文句としてはあながち間違っているものではない)。

ビッキーズの強制退場

  • この後再度募集をかけた結果、礼儀が比較的きちんとしている芸人が集まったが、ここでも活躍していることを理由にビッキーズが強制的に出場を辞退させられるなど、漫才道は波乱の船出となった。巨人師匠は、「お前ら人に迷惑かけないでやっていけるか?」という質問をし、二人は「辞退させて頂きます」と言い会場を去った。二人に厳しい質問を投げかけての強制退場となった。その後、ビッキーズは、解散しすっちー(須知裕雅)は、ピン芸人とし活動を再開。R-1にも出場している。木部信彦の方は、芸能界を引退し、たむらけんじが経営する焼肉屋で働いている。

巨人師匠の教え:運

  • 漫才の審査だけでなく、くじ引きでハズレを引いた芸人は即刻不合格になるという審査も行った。「この漫才の世界は運も必要」との考えからだというが、この方法に対して理不尽で非情すぎるという声もあり、賛否両論となった。

巨人師匠の芸人教育

  • 服装や髪型にも厳しく、出場者に「そのスーツの下のボタンははずした方がええんちゃう?」「キミは髪を切りなさい」など細かく注文を付けた。また、お笑いでよく使われる“客いじり”を禁止させたりするなど、あくまでも漫才の正統派路線を出場者に対して叩き込んでいた。
  • 漫才の審査においては、余りにも不甲斐ない出場者の漫才の出来に、観客を目の前にして怒鳴りつけたこともあった。その光景は、お笑いの会場とは思えないほどの修羅場であった。
  • その天津の向は「あん!」で服装を注意されたのに逆らい、番組中に大激怒されることとなる。数年後に、向は前述の巨人に大激怒されたことに関する反論をした揚句に口論になったことがあったという。

勝者誕生

[編集] お前とは一生○○せん!事件

  • 同期の明石家さんま島田紳助とお好み焼きを食べに行った際、巨人はさんまの作り方にいちいち文句をつけ、最後には「お前の食べ方は汚い」とまで言ってしまったため、さんまから「お前とは一生お好み食べん!」とキレられた。
  • なんば花月の楽屋の風呂に入った際、紳助が先に入っていて、体を洗っていた。その後、紳助が湯船につかったのを見た巨人は、「首の後ろが洗えてへん」との理由で紳助を湯船から引きずり出したため、紳助から「お前とは一生風呂入らん!」とキレられた。

これらの話は、阪神・巨人が「いつみても波瀾万丈」に出演した際に紳助がインタビューVTRで語っていたものである。彼らが同期であったことから考えると、話そのものは嘘ではないにしろ多少の誇張が加わっているものと思われる。たださんまも巨人について同様のエピソードをしばしば語ることがあるが。

[編集] 巨人改造計画

ナンバ壱番館の初期の企画で普段から厳しいとされるオール巨人を垢抜けさせようと赤フンドシ一丁で街に繰り出したり、かぶり物を着せたり、テレクラに行って女の子を口説くなど普段の巨人なら絶対しないことを番組内で行った。巨人を知る芸人仲間や身内はテレビを観たときに大変驚いたらしく、シリーズで何度か放送され評判が良かった企画である。

[編集] 阪神の十数年越しの結婚式

前述の通り阪神には離婚歴があり、現在の夫人とは再婚である。 ただし、再婚時に結婚式は開かなかった。夫人が酒の席で飲み仲間であるやしきたかじん(たかじんは阪神・巨人ともデビュー当時からの付き合いで大変仲が良い)に「結婚式を挙げたい」と言ったのがきっかけでたかじんがプロデュースでハワイで挙式を開いた。(挙式はたかじんONEMAN内で放送された)

なお、阪神の離婚が公になった直後しばらく、「別れても好きな人」のメロディで「別れた人に会った♪ キタの裁判所で会った♪」と巨人が替え歌を歌うネタで笑いを取っていた。また、「阪神大震災」をもじり「阪神大新妻」とも表現していたこともある。

[編集] 阪神のへそくり

一時期、阪神は舞台での仕事のギャラを会社に頼み込んで別の口座に振り込んでもらっていた。妻に給料が少ないことを不審がられると「花月の仕事はタダなんや」と切り抜けていたそうだ。ある時バレてえらい目に遭ったそうであるのだが。

この話はごきげん!ブランニュトミーズ雅が名前を伏せて披露していたものだが、話のシメに「車にポピー♪」と口を滑らせ(わざと?)、視聴者のほぼ全員が知るに至ったもの。

[編集] 受賞歴

  • 上方漫才大賞 1976年/第11回 新人賞
  • 上方漫才大賞 1981年/第16回 奨励賞
  • 上方漫才大賞 1982年/第17回 大賞
  • 上方漫才大賞 1983年/第18回 大賞
  • 上方漫才大賞 1985年/第20回 大賞
  • 上方お笑い大賞 1976年/第5回 銀賞
  • 上方お笑い大賞 1980年/第9回 金賞
  • 上方お笑い大賞 1985年/第14回 大賞
  • 花王名人大賞 1982年/第2回 漫才部門・名人賞
  • 花王名人大賞 1983年/第3回 漫才部門・名人賞
  • 花王名人大賞 1984年/第4回 名人賞
  • 花王名人大賞 1986年/第6回 名人賞
  • 花王名人大賞 1987年/第7回 花王名人大賞
  • 日本放送演芸大賞 1983年/第11回 奨励賞
  • 花王名人大賞 1985年/第5回 最優秀名人賞
  • 大阪府民劇場 1986年/昭和61年度 大阪府民劇場奨励賞
  • NHK上方漫才コンテスト 1975年/第6回 優秀話術賞

[編集] レギュラー番組

[編集] 巨人ソロ

[編集] 阪神ソロ

[編集] 音楽作品

  • 巨人ファンここにあり(巨人以外は野球じゃないぜ)/阪神ファンここにあり(俺もお前もタイガース)(1976年発売)
  • あんじょうやりや (1982年発売)(巨人のソロデビュー楽曲。作詞・作曲はBORO

[編集] ビデオ・DVD

  • 僕らは浪花の漫才師(アール・アンド・シー、2005年)
  • お笑いネットワーク発 漫才の殿堂(ポニーキャニオン、2003年)

[編集] 関連人物・項目

[編集] 外部サイト