板尾創路

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板尾創路
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本名: 板尾創路
生年月日: 1963年7月18日(45歳)
出身地: 大阪府富田林市
コンビ名: 130R
立ち位置:
事務所: 吉本興業
活動時期: 1985年 - 現在

板尾 創路(いたお いつじ、1963年昭和38年)7月18日 - )は、大阪府富田林市出身のお笑いタレント俳優である。お笑いコンビ130Rボケ担当。吉本興業所属。吉本総合芸能学院 (NSC) 4期生。既婚。血液型A型。父は板尾岳人の名で川柳作家として、また川柳塔社理事長として活動している。身長175cm。

目次

[編集] 来歴

ケーキ店「パルナス三国ヶ丘店(堺市北区)に勤める両親の息子として生まれる。高校卒業後551蓬莱に就職。10代の頃にケーキを持って島田紳助の家にいきなり押しかけ、弟子入りを志願したことがある。紳助には当時すでに弟子が1人いたため断られるが、吉本興業のタレント養成所であるNSCへの入学を勧められ、のちに同校の第4期生として入学した。

NSCでは「ホンコン・マカオ」というコンビを組み、「ホンコン」の芸名を名乗ったが程なくコンビ解消。のちに同期の蔵野孝洋(現・ほんこん)に「ホンコン」の名を譲り渡し、蔵野が2代目「ホンコン・マカオ」を結成。しかし2代目「ホンコン・マカオ」も長くは続かず、1986年6月に板尾と蔵野で新たにコンビ「130R」を結成した。

その後ダウンタウンが司会を務めていた4時ですよーだに王子役で出演したりしていたが、1991年よりフジテレビ系列ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演したのを機に、全国区にその名を知られるようになる。同番組内のコントの代表作に「板尾係長」に始まる「板尾○○」シリーズ、「シンガー板尾」などがある。積極的に前に出るタイプの芸風ではないため、ダウンタウンや今田・東野の芸風と比較すると大人しく控えめな印象があるが、シリーズ企画「ごっつの車窓から」などの個人にスポットが当たる場面では自身の飛びぬけた発想を如何なく打ち出し、『ごっつ』の歴史に残るインパクトを与えた。ダウンタウンがメインを務める番組を中心に様々な番組に出演し、その飄々としたキャラクターで人気を博す。

1994年、当時14歳の女子中学生を相手に淫行に及んだとして、大阪府青少年健全育成条例違反容疑で逮捕された。これにより一時芸能活動を停止したが、松本人志ら芸人仲間たちの働きかけもあり、1年後に復帰した(事件は相手の少女が別件で補導された際に発覚したもので、少女は板尾に対して18歳と自称したこと、合意の上での行為であったことなどから、事務所を解雇されるまでには至らなかった)。復帰一発目の仕事は松本の単独ライブ「寸止め海峡(仮)」への出演。ただし復帰後はお笑い芸人という職業柄、松本に収録中「よっ! 犯罪者!」と呼ばれるなど、愛のある「イジり」をもって迎えられた。その例として『ダウンタウンのごっつええ感じ』における板尾のキャラ、シンガー板尾の復帰第一曲タイトルが「年下の女の子」になる等がある。

近年は深夜枠のバラエティ番組を中心に出演している。『虎の門』(テレビ朝日)の「しりとり竜王戦」ではそのシュールな発想力を発揮し、「永世しりとり竜王」として歴代最多の優勝回数を誇った。また2001年には、木村祐一と漫才コンビ「イタキム」を結成してM-1グランプリに出場、準々決勝まで勝ち進んだ。

2000年代頃よりテレビドラマ映画、舞台など、俳優としても活動。脇役ながら独特の存在感を放ち、怪演が注目を集めている。

[編集] 人物

  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系列)では、しばしば「板尾の嫁」と称する外国人女性(「娘」と称する外国人の少女がいることも)と共に登場し、番組収録に無理やり乱入しては理不尽な出演料をせびる不気味なキャラを演じている。初代「板尾の嫁」は番組との契約解消後にヌード写真を写真週刊誌に披露した。ちなみに、板尾の本当の妻は日本人である。
  • 俳優としての評価は高く、映画『ナイン・ソウルズ』で共演した原田芳雄からは「板尾は良すぎる」と手放しの賞賛を贈られたほか、松尾スズキは自著の中で「(板尾は)お笑い芸人の中で圧倒的に芝居が上手い」という趣旨の記述をしている。
  • 好きな歌は軍歌

[編集] 逸話

  • クールな顔とシュールな芸風に似合わずド天然でミステリアスであり、数々の板尾伝説を作っている。千原ジュニアいわく「天然というより自然という感じ」。
    • 「ガキの使い」の罰ゲーム『笑ってはいけない高校(ハイスクール)』で、オートバイに乗ろうとしたとき三段シートに足が引っかかり、遠藤を除く全員を笑わせた(遠藤からは死角になっていた)。
    • 新潟中越地震が発生し、東京もある程度揺れた。そのときルミネtheよしもとで新喜劇をやっていた板尾は、動揺して焦って急いで帰ったが、劇で顔につけていた付けホクロをそのままつけたまま帰ってしまったという話もある。
    • 靴紐を結んでいて何の力も加えられてないのにそのまま後ろに倒れたことがある(今田耕司談)。
    • 透明のガラスによく当たるが、当たっても顔色を変えることなく髪をかき上げる。
    • 目を瞑ってしまって失敗したスナップ写真を集めている。
    • ネタの最中台詞が飛んでも顔の表情を変えないため、相方のほんこんが間違えたような空気になる。
    • 虎の門のしりとり竜王戦のコーナーで生放送中にも関わらず寝てしまったことがある。
    • 同じくしりとり竜王戦にて、お題として発表する予定だった最初の言葉が「ん」で終わってしまっていたこともある(幸い、このフリップを番組放送時に紛失していたため、口頭により別のお題を出すことで事無きを得た)。
    • 中学の時にアロンアルファを目に入れて失明しかけた事がある。
    • 野球ゲームのCPU対CPUを淡々と観戦し、応援していた方が点をとられるとチッと舌打ちをする。
    • 千原ジュニアとホテルに宿泊し、外食した際、鍵をロビーに預けず外食したが、外食から帰ってきてからこれから必要であるのに鍵を預けた。
    • 悪口を言っていた女性と後日手を繋いで歩いていた。
    • ポケットティッシュを見てとろけるチーズと勘違いしたことがある。
  • トラックの運転手をしていた(放送室より)。実際に観光バスを運転する姿がぐっさん家で確認されているので、大型自動車の免許を持っているのは間違いない。
  • ナインティナインのオールナイトニッポンで「ビートたけしのまったく新しいものまね」を振られ、苦し紛れに『グラッチェ!!』と言ったが、数日後の生放送特番でたけしが本当に『グラッチェ』発言をしたため「予知笑い」という言葉が上がった。
  • 未だにセカンドバッグを持っていて中には携帯妨害機が入っている。
  • 板尾の嫁は毎年松本の家にお歳暮を贈っている。2002年はコーヒーだった。
  • 木村祐一と千原ジュニアがデパートで買い物をしていた際、寝具売り場で50歳くらいの女性とダブルベッドを見ている板尾を目撃した。ジュニアがその話を東野にし、番組で東野がその事を追及すると、笑いながら「それはなぁ、人違いや」と答えた。(千原ジュニア談)
  • 千原ジュニアがバイク事故を起こした時、生死をさまよう大事故だったがなんとか助かり一般病棟に移ると板尾は一番にお見舞いに行った。ジュニアに「お前何してんねん。早よ戻ってこい」といい数冊の雑誌を置いて帰っていったが、それらの中の一番上の雑誌が「今度はベスパに乗ろう」という特集だった。
  • 昔板尾、今田耕司、千原ジュニアの3人でカラオケにて合コンをした際、ジュニアは一番後輩なので飲み物を頼んだり、曲を入れたりしていた。するとだんだん相手の女の子たちも調子の乗ってきて、ジュニアに番号入れや、飲み物を頼みだした。ジュニアも言われたとおりにしていたが、一人が「これでタバコ買ってきて」とお金を渡すと今田がキレて「コイツは俺らの後輩ではあるけどお前らの後輩ではないんや!」と一喝。その横で板尾は「そらそうや」と一言言った。
  • 中学の時たまたま火災現場を見かけた際、すぐさま119番通報をし、消防署から感謝状をもらった事がある。
  • 当時大阪に住んでいて「ごっつええ感じ」などの番組を撮るために東京へ通っていた。ある日大阪で、千原ジュニアと二人で銭湯へ行きサウナへ入っていた際、小学5年生くらいの男の子二人が板尾を見つけサウナの外で「あれごっつに出てる板尾ちゃうか」というような会話をしていた。板尾とジュニアは他の客にバレると嫌なので早々にサウナを出ることにし、板尾が水風呂に頭まで浸かり、出ると「あっ!板尾係長や!」と板尾の思いがけない行動に子供たちは歓声をあげた。
  • 母親には「いつじ」という名前が言いにくいため「いちろう」と呼ばれている。

[編集] 出演

[編集] テレビ

[編集] 現在

バラエティ

[編集] 過去

バラエティ

ほか

テレビドラマ

ほか

[編集] インターネット配信

[編集] ラジオ

[編集] 映画

[編集] 舞台

[編集] DVD

[編集] CD

  • 少年B(2008年3月) テイ・トウワプロデュース
  • ミュージック(2008年10月)

[編集] 著書

  • 板尾日記(2006年11月)
  • 板尾日記2 (2007年3月)
  • 板尾日記3 (2008年2月)(いずれもリトルモアが出版)

[編集] 外部リンク