佐野浅夫

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佐野 浅夫
Asao Sano
生年月日 1925年8月13日(83歳)
出生地 日本 神奈川県横浜市保土ヶ谷区
ジャンル 俳優
活動期間 1943年 -
主な作品
ありがとう
水戸黄門』 他

佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本俳優童話作家実業家アクターズ・セブン所属。

目次

[編集] 来歴・人物

神奈川県横浜市保土ヶ谷区出身。実家は相模鉄道天王町駅近くで当時としては珍しかったバナナを扱う青果商だった。

日本大学芸術学部在学中の1943年劇団苦楽座に入団。戦後、劇団民藝の結成に参加し、多くの舞台に出演するが、1971年に民藝内部で対立が起こり、下條正巳鈴木瑞穂佐々木すみ江らと共に退団する。以降は映画・テレビで主に脇役として活躍。NHKラジオの『お話でてこい』では、童話の朗読役として4000回を超える放送をこなした。また、創作童話の執筆にも取り組み、『せん爺さんの太鼓』などの著書がある。その功績をたたえ、2001年広島大学からペスタロッチ教育賞を授与された。また俳優業の傍ら家業の青果商を継ぎ、現在は横浜中央卸売市場の仲買業者の社長でもある。

1993年放送開始の『水戸黄門』第22部から3代目徳川光圀役として活躍。初代東野英治郎、2代目西村晃とは一味違う庶民的で優しい「泣き虫黄門」として親しまれた。水戸黄門の撮影所では自転車を乗り回していた。光圀出演回数は246回である。なお、2代目助さん及び5代目光圀役の里見浩太朗(本名・佐野邦俊)とは親戚関係にある。

1998年に長年連れ添った英子夫人に先立たれ、一時は芸能活動を休止したが、2000年2月に、21歳年下の育子夫人と再婚し、意欲的に仕事に取り組んでいる。長男は株式会社 i plus 1 代表取締役、次男は競輪選手。


戦時下の1943年、18歳で入団した劇団苦楽座では最年少で皆に可愛がられた。1945年、苦楽座は中国地方を慰問する移動演劇桜隊に改称。佐野は同年3月、本土決戦特攻隊員になり劇団を離れた。丸山定夫園井恵子仲みどりら劇団員は8月6日広島で被爆。佐野は軍隊を抜け出し20日東京帝国大学付属病院に仲を見舞った。仲間の消息を聞こうとしたが、仲はベッドに寝たきりで何も聞けず病室を後にした。「これまでは自分だけが生き残ったことが後ろめたかった。しかし、仲間を知る人がいなくなった今こそ」と62年間の沈黙を破り2007年8月6日、東京都目黒区五百羅漢寺で仲間への思いを初めて語り追悼した(讀賣新聞、2007年8月6日や東京新聞毎日新聞でも戦争体験から反戦を述べている)。

[編集] 出演作品

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] その他のテレビ番組

[編集] 吹き替え

[編集] ナレーション

  • 元禄太平記・忠臣蔵討入の助っ人たち(1995年・テレビ朝日)

[編集] ラジオ

[編集] 著書

  • せん爺さんの太鼓
  • お話でてこいのおじさんのお話

[編集] TVCM

[編集] 関連項目

先代:
西村晃
ナショナル劇場 水戸黄門
水戸光圀
3代目:1993 - 2000
次代:
石坂浩二