岡山市
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岡山市(おかやまし)は、中国地方の南東部、岡山県の南部に位置する人口約70万人の中核市で、同県の県庁所在地。
2009年4月1日に全国で18番目、中国地方では2番目となる政令指定都市に移行することが、2008年10月16日に正式決定した[1]。
目次 |
[編集] 概要
全国的には桃太郎の伝説と吉備団子や西大寺会陽(裸祭り)、温暖な瀬戸内の気候により育まれたマスカット・オブ・アレキサンドリアや白桃など高級フルーツの産地として知られる都市である。中心部には岡山城 や日本三名園の一つである後楽園を市民のオアシスとして擁している。岡山藩池田氏の城下町として栄えた江戸時代以来、地域中心都市として発展してきた高層ビルの立ち並ぶ中心部と、長閑な田園や中山間地域が広がる郊外の豊かな自然とが調和した都市環境を持っている。
1980年代以降の瀬戸大橋の開通、JR線の四国との直通化、山陽自動車道の開通に伴い交通インフラが急速に整備され、もともとの広大な平野と江戸時代以来の高い教育・文化水準に支えられ、岡山都市圏は周辺都市圏と共に東瀬戸経済圏として成長を続けている。
2009年4月1日の政令指定都市移行を控え、移行準備が進められている。都市部人口増加率は先行政令指定都市と比較しても上位であり、広大な平野を背景に中四国のクロスポイントとして交通網が整備され、一大物流ハブという優位性を持つ岡山市は中四国地方2番目の政令指定都市として今後の発展が期待されている。
[編集] 地理
市の北部はなだらかな丘が続く吉備高原の一角をなしており、市民の水がめである旭川ダムや、利便性の良さから利用客が増大している岡山空港、および近郊住宅街がある。南部の岡山平野に中心市街地が位置しており、さらに平野の南部は干拓地であり農地が広がっている。その南に児島湾を挟み、瀬戸内海を望む風光明媚な児島半島の丘陵地を成す。
- 旭川湖:市の北部を占める建部町にある旭川ダム(旭川第1堰堤)のダム湖。旭川中流部の一部をなす。美咲町、吉備中央町と湖内で接している。
- 白鳥湖:市の北部を占める建部町にある旭川ダム(旭川第2堰堤)のダム湖。旭川中流部の一部をなす。吉備中央町と湖内で接している。
[編集] 気候
中国山地の南側、瀬戸内海沿岸部に位置するため、温暖で日照時間は年間約2000時間と長く、年間降水量は1100mm程度と雨・雪は少ない。特に南部では雪が降っても積雪する事はほとんどなく、典型的な瀬戸内海式気候に属す。降水量1mm未満の日数が非常に多いため、一般に「晴れの国」と言われる。
[編集] 隣接する自治体
[編集] 人口
岡山市の人口は現在70万人を突破していると推計されており、人口増加も堅調である。 これは若年層を中心とした働き手の近隣中四国圏からの人口流入に加えて、岡山に定住した人口の自然増によるものである[要出典]。
| 岡山市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 岡山市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は岡山市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 歴史
[編集] 古代から律令時代まで
古代の岡山は吉備国の一角であり、弥生時代と古墳時代には、筑紫・出雲・ヤマト・毛野などと並んで、日本列島を代表する政権として繁栄し、ヤマトと連合して列島の統一・治世に貢献した。
しかし、吉備の興隆を快く思わないヤマトに裏切られて勢力を削減され、備前国・備中国・備後国・美作国に分割され、これ以後現在に至るまで、経済・文化の面で連関の強い旧吉備国の政治的な統一は達成されていない。吉備国が分割された後、備前国の国府は現在の岡山市域内に置かれたと見られる。
[編集] 戦国時代から天正期
岡山周辺は室町時代までは農村地帯で、16世紀には金光氏が小規模な城を築いて拠点にしていた。戦国時代に岡山の地の交通の便と土地の広さに目を付けた宇喜多直家は1570年(元亀元年)に金光宗高を謀反の疑いありとして切腹させて、岡山城を奪った。その後城を大規模に拡張し、山陽道を岡山経由に付け替えて、備前国内外の商人を呼び寄せ、1573年(天正元年)に本拠にすべく移住した。直家が始めた城下町・岡山の振興は、秀家の代にも続けられ、これ以後、岡山は主に備前国の政治経済の中心地となった。
[編集] 江戸時代
宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで没落すると、1601年(慶長6年)に小早川秀秋が岡山城に入った。秀秋は翌1602年(慶長7年)に死に、小早川家は断絶した。1603年(慶長8年)には池田忠継が入り、以後江戸時代を通じて、岡山は池田氏の城下町となった。
江戸時代の1704年(宝永4年)、城下町・岡山の人口は、武家が2万2904人、町方が3万0635人で、計5万3539人であった。後楽園が造成された時期は、池田氏第四代の綱政の代であった。その後も順調に発展し、江戸時代末期には、十指に入る経済力を持つ城下町となった(江戸時代後期の大手の城下町:鹿児島・熊本・広島・岡山・徳島・名古屋・金沢・仙台)。
[編集] 明治維新から第二次大戦まで
1871年(明治4年)8月29日の廃藩置県により、岡山は岡山県の県庁所在地となり、1889年(明治22年)には市制を敷いた。市制施行当時、面積5.77km²、人口4万7564人。1920年(大正9年)には人口9万4585人を数えた。
第二次大戦末期の1945年(昭和20年)6月29日の岡山空襲で大きな被害を受け、1000人以上が犠牲となり、10万人以上が家を失った。
[編集] 第二次大戦後
戦後は順調に発展し、周辺市町村との合併を進めた。1960年(昭和35年)頃には、倉敷市を含めた県南広域都市の構想を岡山県知事が提唱したが、倉敷市長の失踪に端を発する騒動により、白紙撤回された。
1972年(昭和47年)3月15日には山陽新幹線岡山駅が開業、1988年(昭和63年)3月13日には瀬戸大橋線が開業し、以来は鉄道交通の要衝となっている。
1996年(平成8年)には、国から中核市に指定された。その後の2005年(平成17年)3月22日、隣接する御津郡御津町・児島郡灘崎町の2町を編入、2007年(平成19年)1月22日、隣接する御津郡建部町・赤磐郡瀬戸町の2町を編入した。
2007年(平成19年)6月26日夕方に、市の人口が70万人を突破した。
[編集] 政治・行政
[編集] 市長
- 現職市長
髙谷茂男(2005年(平成17年)10月11日~。第33代市長。1期目)
- 1937年生まれ。岡山大学法経短期大学部法経学科(夜間部のみの短大)卒業。民間出身で、サンヨープレジャー、おもちゃ王国、チボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営会社)社長を歴任。
- 元通産省職員で、1999年の市長選に自由民主党と社会民主党の推薦で初当選した前市長萩原誠司が、自由民主党の要請で2005年の衆議院議員総選挙で岡山2区から立候補するため、2期目途中の2005年8月25日に市長を辞職したのに伴い実施された、2005年10月9日投開票の市長選挙に自由民主党・社会民主党の推薦を受けて立候補し、初当選を果たした。なお前萩原市長は、同年開催された岡山国体開催直前での辞職で、賛否両論があった。
総選挙、岡山市長選とも前衆議院議員熊代昭彦に自由民主党が対抗馬を出した形となっている。
- 歴代市長
| 歴代 | 氏名 | 在任期間 |
|---|---|---|
| 1 | 花房端連 | 1889年(明治22年)9月17日 ~ 1890年(明治23年)10月30日 |
| 2 | 新庄厚信 | 1890年(明治23年)10月30日 ~ 1894年(明治27年)年5月15日 |
| 3 | 小田安正 (1期) | 1894年(明治27年)7月4日 ~ 1900年(明治33年)7月3日 |
| 4 | 小田安正 (2期) | 1900年(明治33年)8月8日 ~ 1902年(明治35年)7月10日 |
| 5 | 岡田磐 (1期) | 1902年(明治35年)7月25日 ~ 1908年(明治41年)7月24日 |
| 6 | 岡田磐 (2期) | 1908年(明治41年)年7月28日 ~ 1914年(大正3年)年7月23日 |
| 7 | 岡田磐 (3期) | 1914年(大正3年)8月3日 ~ 1918年(大正7年)8月2日 |
| 8 | 中山寛 | 1918年(大正7年)10月19日 ~ 1922年(大正11年)10月18日 |
| 9 | 窪谷逸次郎 (1期) | 1923年(大正12年)5月10日 ~ 1927年(昭和2年)5月9日 |
| 10 | 窪谷逸次郎 (2期) | 1927年(昭和2年)5月10日 ~ 1928年(昭和3年)8月18日 |
| 11 | 守屋松之助 (1期) | 1929年(昭和4年)2月25日 ~ 1932年(昭和7年)12月12日 |
| 12 | 守屋松之助 (2期) | 1933年(昭和8年)3月16日 ~ 1933年(昭和8年)8月2日 |
| 13 | 石原市三郎 | 1934年(昭和9年)2月25日 ~ 1938年(昭和13年)2月24日 |
| 14 | 時実秋穂 | 1938年(昭和13年)3月19日 ~ 1940年(昭和15年)1月8日 |
| 15 | 国富友次郎 | 1940年(昭和15年)9月4日 ~ 1944年(昭和19年)9月3日 |
| 16 | 竹内寛 | 1944年(昭和19年)9月4日 ~ 1945年(昭和20年)10月9日 |
| 17 | 橋本富三郎 | 1945年(昭和20年)11月22日 ~ 1947年(昭和22年)2月22日 |
| 18 | 田中弘道 | 1947年(昭和22年)4月6日 ~ 1951年(昭和26年)3月24日 |
| 19 | 横山昊太 | 1951年(昭和26年)4月23日 ~ 1955年(昭和30年)4月12日 |
| 20 | 田淵久 | 1955年(昭和30年)5月1日 ~ 1959年(昭和34年)4月30日 |
| 21 | 寺田熊雄 | 1959年(昭和34年)5月1日 ~ 1963年(昭和38年)4月30日 |
| 22 | 岡﨑平夫 (1期) | 1963年(昭和38年)5月1日 ~ 1967年(昭和42年)4月30日 |
| 23 | 岡﨑平夫 (2期) | 1967年(昭和42年)5月1日 ~ 1971年(昭和46年)4月30日 |
| 24 | 岡﨑平夫 (3期) | 1971年(昭和46年)5月1日 ~ 1975年(昭和50年)4月30日 |
| 25 | 岡﨑平夫 (4期) | 1975年(昭和50年)5月1日 ~ 1979年(昭和54年)4月30日 |
| 26 | 岡﨑平夫 (5期) | 1979年(昭和54年)5月1日 ~ 1983年(昭和58年)4月30日 |
| 27 | 松本一 (1期) | 1983年(昭和58年)5月1日 ~ 1987年(昭和62年)4月30日 |
| 28 | 松本一 (2期) | 1987年(昭和62年)5月1日 ~ 1991年(平成3年)1月14日 |
| 29 | 安宅敬祐 (1期) | 1991年(平成3年)2月12日 ~ 1995年(平成7年)2月9日 |
| 30 | 安宅敬祐 (2期) | 1995年(平成7年)2月10日 ~ 1999年(平成11年)2月9日 |
| 31 | 萩原誠司 (1期) | 1999年(平成11年)2月10日 ~ 2003年(平成15年)2月9日 |
| 32 | 萩原誠司 (2期) | 2003年(平成15年)3月24日 ~ 2005年(平成17年)8月25日 |
| 33 | 髙谷茂男 | 2005年(平成17年)10月11日 ~ 現職 |
[編集] 市役所・支所の管轄地域
| 支所名 | 所在地 | 管轄地域 |
|---|---|---|
| 岡山市役所 | 大供一丁目1番1号 | 岡山市中心部 |
| 児島支所※ | 北浦716番地 | 児島半島 |
| 灘崎支所 | 灘崎町片岡207番地 | 旧灘崎町域 |
| 藤田支所 | 藤田508番地 | 藤田 |
| 興除支所 | 中畦593番地 | 内尾、曽根、中畦、西畦、東畦 |
| 妹尾支所 | 箕島1024番地8 | 妹尾、箕島 |
| 福田支所 | 古新田1089番地 | 大福、古新田、妹尾崎、山田 |
| 吉備支所 | 庭瀬414番地 | 大内田、川入、中撫川、撫川、西花尻、庭瀬、納所、延友、東花尻、平野 |
| 高松支所 | 高松141番地1 | 大崎、加茂、吉備津、小山、下土田、新庄上、新庄下、惣爪、高塚、高松、高松稲荷、高松田中、高松原古才、立田、津寺、平山、福崎、三手、門前、和井元 |
| 一宮支所 | 一宮553番地1 | 一宮、一宮山崎、大窪、尾上、辛川市場、首部、佐山、長野、楢津、西辛川、芳賀、福谷、松尾、横尾 |
| 津高支所 | 栢谷1682番地 | 栢谷、菅野、高野、田原、田益、津高、津高台、富原、富吉、日応寺、三和、横井上、吉宗 |
| 足守支所 | 足守718番地 | 足守、粟井、石妻、大井、掛畑、上高田、上土田、河原、苔山、下足守、下高田、庄田、杉谷、西山内、東山内、日近、間倉、真星、山上、吉 |
| 西大寺支所 | 西大寺上二丁目 7番31号 |
浅越、犬島、大多羅町、邑久郷、乙子、可知、金岡西町、金岡東町、金田、上阿知、神崎町、北幸田、君津、久々井、九蟠、久保、鉄、幸地崎町、光津、河本町、古都宿、古都南方、西大寺、西大寺射越、西大寺一宮、西大寺金岡、西大寺上、西大寺川口、西大寺北、西大寺五明、西大寺新、西大寺新地、西大寺中、西大寺中野、西大寺中野本町、西大寺浜、西大寺東、西大寺松崎、西大寺南、西大寺門前、西隆寺、宍甘、下阿知、宿毛、水門町、千手、富崎、豊田、中川町、長沼、西片岡、西幸西、西庄、東片岡、東幸西、東幸崎、広谷、福治、藤井、富士見町、宝伝、正儀、政津、升田、益野町、松新町、南水門町、向州、目黒町、矢津、吉原 |
| 上道支所 | 楢原466番地 | 浅川、内ヶ原、浦間、草ヶ部、才崎、上道北方、城東台西、城東台東、城東台南、砂場、西祖、竹原、谷尻、寺山、中尾、楢原、西平島、沼、東平島、一日市、南古都、百枝月、矢井、吉井 |
| 御津支所 | 御津金川1020番地 | 旧御津町域 |
| 建部支所 | 建部町福渡489番地 | 旧建部町域 |
| 瀬戸支所 | 瀬戸町瀬戸45番地 | 旧瀬戸町域 |
※児島半島のうち飽浦、阿津、北浦、郡、小串、宮浦が岡山市
[編集] 市議会
岡山市議会:定数53名(定数特例適用の定数、本来の定数は52名)
[編集] 会派
2008年5月8日現在
- 自民党・保守系
- 新風会 - 11人
- 政隆会 - 9人
- 保守・労組系
- ゆうあいクラブ - 9人
- 公明党系
- 公明党市議団 - 10人
- 民主党・労組系
- 市民ネット - 7人
- 共産党系
- 共産党市議団 - 5人
- 無所属 - 1人
- 欠員 - 1人
[編集] 警察
警察は7箇所の警察署がそれぞれ管轄している。管轄区域は学校区、河川ならびに鉄道によって分けられているが、市町村合併などが行われた場合には管轄区域が変更されることがある。 なお、2009年4月の政令指定都市移行に併せて、岡山東警察署を岡山中央警察署へ、西大寺警察署を岡山東警察署へと名称変更することが予定されている。
- 岡山東警察署:概ね西川以東から百間川以西までの市内中心部を管轄
- 岡山西警察署:一宮・高松・吉備・足守地区のほか概ね西川以西の市内西部を管轄
- 岡山南警察署:福田・妹尾・興除・藤田・児島・灘崎地区のほか概ね市内南部を管轄
- 岡山北警察署:御津・建部地区の市内北部を管轄
- 西大寺警察署:西大寺・上道地区の市内東部を管轄
- 赤磐警察署:瀬戸地区を管轄
- 倉敷警察署(倉敷市):大内田(岡山県総合流通センター吉備地区)の一部を管轄
※詳細な管轄区域については、岡山県警察署の名称、位置及び管轄区域に関する条例において確認することができる。
[編集] 消防
消防は全域を岡山市消防局が担当し、4消防署・15出張所(うち1出張所は岡山市へ消防・救急業務を委託している吉備中央町に設置)・1救急ステーションが設置されている。また、岡南飛行場に消防航空隊の基地が設置されている。
2009年4月1日の政令指定都市移行に併せて中消防署を北消防署へ、北消防署を中消防署へ、西大寺消防署を東消防署へそれぞれ名称変更する。同時に、新設の岡山市西消防署が野殿西町に整備される。2009年度以降は中・東・西・南・北の5署体制となる。また、名称変更後の中消防署は2011年春をめどに今在家に整備されて移転する。
- 岡山市中消防署
- 旭東出張所・庭瀬出張所
- 岡山市北消防署
- 三門出張所・御野出張所・津高出張所・吉備津出張所・竜操出張所・御津出張所・吉備中央出張所(吉備中央町)・吉備中央出張所足守救急ステーション・建部出張所
- 岡山市南消防署
- 妹尾出張所・灘崎出張所
- 西大寺消防署
- 可知出張所・上道出張所・瀬戸出張所
2009年度以降の管轄区域は概ね行政区の区域と一致している。北区については西消防署と北消防署の2署が管轄する。新設の西消防署の管轄予定区域は、北区のうち、京山、石井、中山、高松、足守の各中学校区、御南中学校区のうち笹ヶ瀬川以西、吉備中央町である。北消防署の管轄区域は北区のうち西消防署の管轄区域を除く区域である。
[編集] 市町村合併と指定都市
[編集] 昭和の大合併
- 岡山県南百万都市建設計画
1961年(昭和36年)岡山県知事だった三木行治が打ち出したもので、邑久町(現瀬戸内市)から鴨方町(現浅口市)、南は児島半島までの33市町村による人口が90万人の大規模合併であったが、関係市町村議会の議決後(岡山市においては1962年(昭和37年)12月17日、22対16の賛成多数で議決)、ほとんどの首長らの署名が行われた段階で、倉敷市長が署名を行わないまま一時失踪する騒動が発生し、岡山市、倉敷市、児島市(現倉敷市児島)が合併協議から脱退するに至り、構想は時間切れで頓挫した。
- 50万都市への合併
高度経済成長期に入り、岡山市は郊外へ市街地を拡大させ膨張していったことで、周辺市町村のあちこちで急速なベッドタウン化が進み社会資本整備が追いつかなくなり合併が一気に進んだ。1969年(昭和44年)に財政再建団体転落直前であった西大寺市を皮切りに一宮町、津高町、高松町、吉備町、妹尾町、福田村、足守町、上道町、興除村さらに1975年(昭和50年)の藤田村に至るまで11市町村との大合併が行われ、岡山市は政令指定都市の法律要件である人口50万人を突破した。
[編集] 平成の大合併
2002年2月 岡山青年会議所が岡山市と玉野市との合併による政令指定都市移行の要望書が岡山市長に提出し、7月には岡山市と玉野市、灘崎町、御津町、瀬戸町による合併研究会と瀬戸町を除いた任意合併協議会が相次いで設置された。2004年1月に新設合併、既存の独自の行政サービスの維持などの内容で中間答申がなされるが、玉野市では議会と市民グループの反対があり2月に岡山市との合併を断念し離脱したが、残る灘崎町・御津町は岡山市との合併協議を続け2005年3月に編入合併した。(岡山県南政令市構想第一次合併)
他の組み合わせでの合併協議からともに離脱していた建部町・瀬戸町は政令指定都市移行を前提に岡山市に合併を申し入れ、2007年1月に編入合併された(岡山県南政令市構想第二次合併)(国勢調査人口69万6千、合併時推計人口69万8千人)。そして、2007年6月には推計人口70万人突破し(市調査の推計人口、県の月次報告では8月1日)、政令市移行のための人口要件が満たされたこととされた。
[編集] 政令指定都市移行への動き
- 2006年9月 - 市長が市議会9月定例会の代表質問で、2009年中に政令指定都市移行を目指すと正式に表明。
- 2006年10月、11月 - 岡山県と権限移譲に関する研究会を設置、庁内に政令指定都市推進本部を設置。
- 2007年7月 - 「行政区画等審議会」、「政令指定都市県市連絡会議」をそれぞれ設置。
- 2008年6月 - 岡山県知事が市長とともに総務省を訪問し、2009年4月の岡山市の政令指定都市移行を県として正式に要望。岡山市は行政区画等審議会の答申を受け、4行政区の区名を、北区・中区・東区・南区とする方針を決定[3]。
詳細は岡山県南政令指定都市構想参照
[編集] 市域の変遷
明治22年の市制施行以来周辺の市町村と合併を繰り返してきた現在の岡山市は御津郡(旧御野郡・津高郡)・上道郡・吉備郡(旧賀陽郡)・児島郡・邑久郡・都窪郡(旧都宇郡)・赤磐郡(旧赤坂郡・磐梨郡)・和気郡・久米郡(旧久米南条郡・久米北条郡)と広範囲の地域に及んでいる。
| 年月日 | 合併された市町村 |
|---|---|
| 1889年(明治22年)6月1日 | 市制施行 |
| 1899年(明治32年)8月1日 | 御野村、伊島村、石井村、鹿田村、古鹿田村、福浜村の各一部と、三櫂村全域 |
| 1921年(大正10年)3月1日 | 伊島村、石井村、鹿田村全域と、御野村の大部分 |
| 1931年(昭和6年)4月1日 | 宇野村、平井村、福浜村 |
| 1950年(昭和25年)12月1日 | (児島湾埋立地を編入) |
| 1952年(昭和27年)4月1日 | 牧石村、大野村、今村、芳田村、白石村、甲浦村、三蟠村、沖田村、操陽村、富山村 |
| 1953年(昭和28年)3月1日 | 牧山村、高月村の各一部 |
| 1954年(昭和29年)4月1日 | 高島村、幡多村、財田町、小串村全域と、御津町の一部 |
| 1969年(昭和44年)2月18日 | 西大寺市 |
| 1971年(昭和46年)1月8日 | 一宮町、津高町、高松町 |
| 1971年(昭和46年)3月8日 | 吉備町、妹尾町、福田村 |
| 1971年(昭和46年)5月1日 | 上道町、興除村、足守町 |
| 1975年(昭和50年)5月1日 | 藤田村 |
| 2005年(平成17年)3月22日 | 御津町、灘崎町 |
| 2007年(平成19年)1月22日 | 建部町、瀬戸町 |
※1969年以降に合併された旧市町村役場は、岡山市役所の支所として引き継がれている。
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 地域・地域間関係
[編集] 市内の地域
岡山市の地域一覧を参照。
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[編集] 合併特例区
「平成の大合併」で編入した御津・灘崎・建部・瀬戸に合併特例区を設けている。
いずれも合併時から5年間の時限的なもので、政令指定都市の行政区や東京都の特別区とは異なる。ただし、政令指定都市に移行することが決まったため、今後これらを政令市の行政区においてどのように取り扱うかが新たな問題として浮上した。
[編集] 岡山と高松(香川)の関係
岡山市と高松市は、瀬戸内海を挟んで互いに対岸に位置しているため、宇高連絡船の時代から相互交流も盛んであり、地上波テレビ放送ではエリアが統合される程である。1988年の瀬戸大橋の開通以降は、相互交流がより密になっている。 一方で、岡山は山陽新幹線等の主要路線と接続し、高松市もまた四国島内の鉄道交通の主導権を握るなど、岡山と高松は交通都市としての地位を高め、それを確固たる物にしていた。しかし高松は瀬戸大橋開通後、企業の支店の大阪、岡山などへの移転統合が進み、オフィス空室率も上昇するなど拠点性の低下が顕著になってきた。一方の岡山市は物流を中心に中四国の拠点設置が相次ぎ、人口増加も堅調で政令指定都市移行も目前になるなど格差が目立ち始めている。
このように、自然障壁を介して通じ合っている両市の構図としては、広島市と松山市(瀬戸内海)、下関市と北九州市(関門海峡)、仙台市と山形市(蔵王連峰)、青森市と函館市(津軽海峡)、京都市と大津市(逢坂山)、福岡市と佐賀市(三瀬峠)などがある。
[編集] 中四国地方での地位
詳細は東瀬戸経済圏を参照
岡山駅から瀬戸大橋線で四国と直結しており、四国の全ての県庁所在地へ向かう特急が発着するほか、伯備線で山陰主要部とも結ばれており、また智頭線経由の特急スーパーいなばで鳥取市とも直結しており、岡山駅はすべての新幹線のぞみが停車する一大ターミナルになっている。
また高速道路も東西に大動脈である山陽自動車道、中国自動車道が貫き、南北の岡山自動車道、米子自動車道とクロスしており、瀬戸大橋を介して、四国の高速道路と結ばれており、日本海から太平洋へ抜ける交通の結節点という優位性のある立地となっている。
1998年に明石海峡大橋が、1999年にしまなみ海道が開通し、四国の流通網が岡山経由から淡路島経由に大きく移動すると予想されたものの、実際はさほどの影響はなく交通量を維持している。この背景としては、四国の高速道路網が愛媛、高知は瀬戸大橋利用のほうが利便性が高いことや料金面での差異がないことなどが挙げられ、また他のルートと違い鉄道併用橋であるという輸送力での圧倒的な優位性が大きいと考えられる。
中国地方または中四国地方においては、交通の結節点である岡山は物流拠点都市としての位置付けが大きく、食品や流通業の一部は中四国の拠点を岡山に置いている。一方で、中四国地方最大の広島市は国のブロック出先官庁と従来からの許認可を必要とする企業を中心にした中枢都市としての位置付けが大きいという傾向が見られる。しかし岡山にも官公庁の出先機関が設けられているため、さほど広島との都市競争上の差異はみられなくなってきている。