東北楽天ゴールデンイーグルス
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東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。楽天イーグルスという通称表記も使用される。宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にあるクリネックススタジアム宮城を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は山形県東村山郡中山町にある山形蔵王タカミヤホテルズスタジアムに加え、2009年シーズンからは宮城県宮城郡利府町にある利府町中央公園野球場も本拠地に追加される予定。この他、仙台市泉区には練習場と合宿所(東北楽天ゴールデンイーグルス泉グラウンドほか)が設けられている。
2005年シーズンから新規参入した、NPB加盟12球団の中で最も新しい球団。運営法人の商号は「株式会社楽天野球団」である。
| 東北楽天ゴールデンイーグルス | |
|---|---|
| チーム名 | 東北楽天ゴールデンイーグルス |
| 会社名 | 株式会社楽天野球団 |
| 加盟団体 | パシフィック・リーグ(一軍) イースタン・リーグ(二軍) |
| 創設年度 | 2005年 |
| チーム名の遍歴 | 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年〜) |
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フランチャイズ
の遍歴
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宮城県(2005年〜) |
| 本拠地 | クリネックススタジアム宮城(一軍) 山形蔵王タカミヤホテルズスタジアム(二軍) |
| 収容人員 | 23,000人 (クリネックススタジアム宮城) |
| オーナー | 島田亨 |
| 運営母体 | 楽天 |
| 監督 | 野村克也 |
| タイトル | リーグ戦:0回 日本シリーズ:0回 |
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クライマックス
シリーズ
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0回 |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
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| 本社所在地 | 〒983-0045 宮城県仙台市宮城野区宮城野2-11-6 |
| 設立 | 2004年10月29日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | プロ野球チーム 「東北楽天ゴールデンイーグルス」の運営 ほか関連事業 |
| 代表者 | 代表取締役社長 島田亨 |
| 資本金 | 4億円 |
| 売上高 | 75億5300万円(2007年12月決算) |
| 従業員数 | 200名(2007年9月現在) |
| 決算期 | 12月末 |
| 主要株主 | 楽天(株) 100% |
| 外部リンク | http://www.rakuteneagles.jp/ |
目次 |
[編集] 球団の歴史
[編集] 球団設立
- 2004年6月に明るみに出た大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)の合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けてプロ野球チームの設立を提案。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟を申請した。同年10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)とすることと、初代監督に田尾安志が就任することを発表した。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された(プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。
- 結成時の選手構成は当時オリックスと大阪近鉄に属していた選手を中心とし、参入して初めてのドラフトでは、明治大学の一場靖弘を自由獲得枠で獲得。他、即戦力選手を6名獲得した。東北にゆかりのある選手には5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)がいた。
- 宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう2箇年計画で増改築されることが決まった。これに伴い、県は球場の命名権を募集。その結果、人材派遣会社のフルキャストと契約合意、フルキャストスタジアム宮城と命名された。なお、命名権はファーム(二軍)のチーム名についても売却を予定していたが、2007年まで契約には至っていない。
- また練習場・合宿所として宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場を使用することになった。また練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化、仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(但し二軍本拠地は変更しない)。
- また2006年、泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成。グラウンドサイズはフルスタ宮城と同じ両翼101.5m、中堅122mの全面人工芝で、地元・宮城県を基盤とした家電販売のデンコードーと命名権契約を結び「デンコードースタジアム泉」となった。しかし、2007年4月1日、デンコードーがケーズホールディングスの完全子会社となったのに伴い、デンコードーは同年限りで泉グラウンドの命名権契約を返上した。イースタン・リーグ公式戦など対外試合では基本的に使用せず、練習専用施設として使用されている。
- チーム名が「東北楽天」でありながら、球団発足の2004年当時に東北地方で人気が高く、ファンの入団希望も多かったダルビッシュ有(東北高→北海道日本ハムファイターズ)や佐藤剛士(秋田商業高→広島東洋カープ)といった東北地方の高校出身選手を、「栄養費問題」で行き場を失っていた一場靖弘をプロ入りさせるためにダルビッシュらのドラフト指名を見送ったことから「東北新球団への期待を裏切られた」との声もある。当然、興行的にはダルビッシュなどは喉から手が出るほど欲しい選手ではあったが、獲得資金の問題や新規参入球団ゆえ練習場や2軍施設に難があり、球団創設当初の楽天では高校を卒業したばかりの選手をきちんと育て上げられない事情があったことから、即戦力新人重視の補強、大学・社会人出身選手、または他球団からの移籍選手がチーム編成の中心になった。
- 新規参入決定直後の秋期キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた。その際、「近鉄の後継球団として大阪のファンも大切する」との理由で宮城県よりも先に選手のサイン会が開催された。
- 2005年度のオープン戦は宮城球場の全面改装工事の実施の関係からホームゲーム(主催試合)は行わず、全試合(17試合)ビジターゲームで開催された。
- 2006年からは「楽天イーグルスTV」(公式サイト)でホームゲームを中心に試合を無料で生中継している(シーズン当初は楽天会員登録しなくても良かったが、現在は登録が必要)。
[編集] 2005年シーズン
- 開幕戦は千葉ロッテマリーンズとの対戦(千葉マリンスタジアム)。岩隈久志及び藤井彰人の近鉄球団最後の一軍公式戦の先発バッテリーの奮闘により3-1で初勝利(初回表1番レフト関川浩一は相手先発清水直行にレフトフライ)。新規参入球団が既存球団を相手に初戦で勝利を収めたのは、楽天が日本プロ野球史上初めてであった。
- 第2戦は0-26の記録的大敗。
- 4月1日本拠地宮城での初の公式戦、初代主将兼初代選手会長礒部公一が西武ライオンズ先発岡本篤志から初回先頭打者本塁打。球団史上初の公式戦ホームラン。開幕戦以来の2勝目、岩隈が開幕2連勝
- 4月15日の日本ハム戦(東京ドーム)から11連敗。このため4月30日を以てマーティ・キーナートGMをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、また山下大輔ヘッドコーチと駒田徳広打撃コーチを2軍にそれぞれ降格にするなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。
- 本拠地フルキャストスタジアム宮城での日本ハム戦の初戦は、7月2日となった。
- 5月8日読売ジャイアンツ相手にセ・パ交流戦初勝利。楽天第一号選手中村武志と初めてバッテリー組んだ岩隈が高橋尚成との投げ合い制し1失点完投勝利
- 6月8日宮城での中日ドラゴンズ戦、9回裏代打吉岡雄二が高橋聡文から球団史上初のサヨナラヒット。同年、対11球団別で中日戦のみ勝ち越し記録、球団史上初のパリーグ相手のサヨナラヒットは大島公一が前年の最多セーブ投手日本ハム横山道哉から7月2日宮城で記録
- 7月は有銘兼久のチーム初完封勝利(31日・対西武ライオンズ戦)もあって10勝9敗1分けと初の月間勝ち越しを記録した。
- 8月9日からは2度目の11連敗を喫した(シーズン2度の10連敗以上を記録したのは1989年の横浜大洋ホエールズ以来。パ・リーグでは3度を記録した1961年の近鉄バファローズ以来)。
- 8月29日、日本ハム戦(宮城)に敗れたことによりシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決定した。8月中に最下位が決まったのは1952年、8月20日に決まった近鉄以来53年ぶり。この時点での成績は33勝84敗1分、8月の月間成績は3勝21敗だった。
- 9月25日のホーム最終戦終了後、田尾安志監督のシーズン終了を以っての解任が発表される。
- 9月28日、全日程終了。38勝97敗1分(勝率.281)で最下位(マスコミからは100敗はするだろうという説もあった)。5位(北海道日本ハムファイターズ)と25ゲーム差、優勝した千葉ロッテマリーンズから47ゲーム差、レギュラーシーズン首位のソフトバンクからは51.5ゲーム差も付けられる散々たるものであった。
- 戦力外通告受けた小倉恒は12球団合同トライアウト受験、ヤクルトスワローズ時代からの同僚カツノリが実父たる第2代監督野村克也に再獲得を進言し実現
- 2005年12月26日に宮城県から1440万円の支援金の交付を受ける。
[編集] 2006年シーズン
- 前任の田尾に代わり、野村を監督として招聘。弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った(無形の力とは、目に見える技術を有形の力とし、それに対して目に見えない力、すなわち判断力や観察力等の頭脳面を指す)。
- 2006年は補強を進め、西武ライオンズからホセ・フェルナンデス、2003年に千葉ロッテマリーンズで活躍したリック・ショートなどを獲得。
- オープン戦で初めての主催試合を開催することが決定したが、フルスタ宮城での開催は2005年同様に改修工事実施のため組まれず、倉敷マスカットスタジアム・香川県営野球場・静岡県草薙総合運動場硬式野球場(静岡のみ2試合)の3球場・4試合で行われた。
- 前年9勝を挙げた岩隈久志、また前年横浜ベイスターズで7勝のセドリック・バワーズが開幕1軍から外れたため、北海道日本ハムファイターズとの開幕2連戦では前年2勝の一場靖弘と新外国人のインチェが先発するという苦しい投手事情もあり、開幕から5連敗を喫する。
- この年からホーム用の交流戦専用ユニフォーム(“E”のマークが前面左上部に付きその下に小さく“RAKUTEN”と書かれた、袖がクリムゾンレッド〈というよりも紫みが入った紅色の〉ラグランスリーブ)でセ・パ交流戦に臨む。
- 5月25日、神宮球場で行われたヤクルト戦でリック・ガトームソンから交流戦初のノーヒットノーランを喫する。
- 6月16日からの巨人との3連戦で史上初の4カード連続勝ち越し。交流戦も最終的には17勝19敗で12球団中7位(日本ハムと同率)で終わった。6月の交流戦に限れば、11勝7敗とリーグトップの成績を残した(セ・リーグ球団を含めても、中日に次いで2位である)。
- 6月28日の西武戦(福島)に4-1で勝ち、通算2度目の月間勝ち越し。
- サンヨーオールスターゲームはファン投票で選出された選手はおらず、監督推薦でホセ・フェルナンデスと福盛和男の2人が選出された。
- 8月20日の対オリックス・バファローズ戦でリーグ戦初の同一カード3連勝を果たす。
- 8月26日・27日、ファームの試合が青森県営野球場で開催、東北地方6県すべてで公式戦の開催を実現。
- 9月25日に行われたドラフト会議(高校生の部)で夏の甲子園大会準優勝・駒大苫小牧の田中将大投手を1巡目指名。
- 10月1日、全日程終了。2年連続最下位に終わったものの、前年より9勝多い47勝(85敗4分)を挙げ、5位(オリックス・バファローズ)とは4.5ゲーム差。
- リック・ショート、鉄平、ホセ・フェルナンデス、高須洋介と12球団最多となる3割打者4人を輩出した。
- 11月3〜8日、日米野球。日本代表監督として野村監督が指揮を執る(全5戦共)。楽天からは高須洋介、鉄平、福盛和男、小倉恒が登場。
- 11月14日、ホセ・フェルナンデス選手がベストナイン受賞。球団初のタイトル獲得選手となる。
- 12月28日、同球団のジュニアチームがNPB12球団ジュニアトーナメント(26日開催)にて読売ジャイアンツジュニアを下し優勝した。
[編集] 2007年シーズン
- 気候上の問題から、オープン戦はフルスタ宮城では3年連続で主催試合を行わず、高松1試合と静岡2試合の3試合のみを主催。
- 4月1日、オリックス戦(フルスタ宮城)で、3回裏にホセ・フェルナンデス、山﨑武司がともに吉井理人から満塁本塁打を記録。1イニング2本の満塁本塁打はプロ球界で3例目。同一投手から、及び柵越え本塁打ではプロ野球史上初。
- 4月17日〜4月19日、対ソフトバンク3連戦(フルスタ宮城)で、初の本拠地3連勝を記録。
- 4月20日、4月21日のフルスタでの千葉ロッテマリーンズ戦で、ファン人気投票で決まったという3rdユニフォーム(正式には交流戦用のラグランスリーブのユニフォームがあるため4thユニフォーム)を着て試合を行う。
- 4月、山﨑武司が球団初の月間MVP受賞(山﨑自身にとっては中日時代の1996年6月以来2度目の受賞)。
- 5月9日〜5月15日、球団新記録となる5連勝を記録。
- 6月17日、中島俊哉の1軍昇格により、楽天の創立メンバーは全員1度は1軍を経験。
- 7月2日、オールスター戦で8選手がファン投票で選出される。(後述)
- 8月1日、朝井秀樹が球団初の1-0での完封試合を達成。
- 8月27日、山﨑武司が球団初の40本塁打到達。
- 8月31日、田中将大が球団初の投手10勝到達。
- 8月、ホセ・フェルナンデスが月間MVPを受賞。チームの月間勝利数記録を15に更新する。
- 9月15日、山﨑武司が球団初の100打点到達。
- 9月29日、球団創設3年目にして初めての最下位脱出を決める。また10月3日には単独4位確定。
- 最終成績は67勝75敗2分勝率.472で4位。優勝チーム日本ハムとの差は13.5差、3位ソフトバンクとのゲーム差7.5とクライマックスシリーズ争いには加われなかったものの、勝率も過去2年間に比べ飛躍的に上がった。
- ソフトバンク、オリックスにシーズン勝ち越し。同リーグで対戦成績勝ち越しは3年目で初。
- 山﨑武が43本塁打、108打点で本塁打、打点の二冠王獲得。打撃部門タイトル獲得は球団初。リックも打率部門でシーズン終盤まで1位の成績であった(タイトル首位打者は稲葉篤紀(日本ハム))。もしリックが戴冠ならパリーグ主要打撃部門を楽天勢で総ナメであった。田中が11勝で球団初の新人王。
- 総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。また得失点差-101はダントツの6位だったが、僅差のゲームでの勝負強さから得失点-21の西武や-49のオリックスよりも結果的に順位が上になった。
- その一方で併殺打が上位四人(山﨑、リック、フェルナンデス、礒部)だけでソフトバンク全選手の合計(82個)に並ぶなど多く、シーズンチーム併殺打数が1996年ヤクルトの140個を超える144個を記録し、NPB新記録となった。
- 11月22日、球団オーナーの三木谷浩史が楽天本社の業務に専心する為、2008年1月1日を以てオーナー職を球団社長の島田亨に禅譲することが発表された。
島田はオーナーと球団社長を兼任する。また、三木谷自身は球団代表取締役会長に就き、大所高所から球団経営をサポートすることを表明している。
[編集] 2008年シーズン
- オープン戦は長崎県営野球場(ビッグN)2試合のみ主催。気候の都合上、加盟以来4年連続して地元クリネックス宮城球場での開催はない。
- 地方球場での主催試合開催は5月13日の福島県営あづま球場(4年連続4試合目)でのオリックス戦と7月1日の岩手県営球場(4年連続6試合目)での千葉ロッテ戦の2試合のみであった。
- 4月3日、対千葉ロッテマリーンズ戦(Kスタ宮城)に勝利(球団最多記録を更新する7連勝)し、球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。
- 6月14日、対読売ジャイアンツ戦(Kスタ宮城)が、平成20年岩手・宮城内陸地震の影響で開催中止。当初は被害がそれほどなかったため14時開始を15時に繰り下げて行う方針だったが、交通アクセスの都合上取り止めとなる。
- 6月22日、対広島東洋カープ戦で球団初のセ・パ交流戦勝ち越し決定(最終戦績は13勝11敗)。
- 交流戦で5勝を挙げた岩隈久志が交流戦の優秀選手賞に当たる"日本生命賞"を受賞。また、6月度のパ・リーグ月間MVP(投手部門)も受賞した。投手部門での月間MVP受賞は球団初(岩隈自身にとっては近鉄時代の2004年5月度以来、通算4度目の受賞)。
- 9月22日、岩隈久志が球団初の投手20勝到達。10月5日には背番号と同じ21勝目。"シーズン21勝"は1985年の佐藤義則(阪急=現・楽天投手コーチ)以来、23年ぶりの快挙。さらに、最優秀防御率(1.87)、最高勝率(21勝4敗、.840)と、投手タイトル三冠を達成した。20勝、勝率8割以上、防御率2点未満での同3冠は、1959年の杉浦忠(南海)以来、49年ぶり。
- 10月7日、同率最下位で並んでいたソフトバンクにレギュラーシーズン最終戦で、延長12回裏山崎武司のタイムリーヒットで1-0のサヨナラ勝ちを収め、5位が確定した。この試合は2008年シーズン限りで辞任を表明していた王貞治監督最後の試合ということで、大きな話題を呼んでいた。なお、野村監督にとって、ヤクルト監督時代以来14年ぶりとなるレギュラーシーズン最終戦での相星最下位決定戦であり、このときも横浜に勝利し最下位は免れている。この試合で高須洋介は犠牲バント1個も記録しなかったが同年リーグ最多32個記録。
- 10月17日、岩隈久志と藤井彰人が最優秀バッテリー賞受賞。岩隈は前述の通り、投手タイトル三冠達成。一方、藤井はリーグトップの盗塁阻止率(.429)を記録。
- 球団の総得失点差は3位日本ハム・4位ロッテより高い+20で、球団創設以来初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。
- 11月3日、岩隈久志が沢村賞受賞。沢村賞受賞は岩隈自身にとっても球団にとっても初の快挙。
- 11月21日、岩隈久志がパ・リーグMVPならびにベストナイン(投手)、首位打者のリック・ショートもベストナイン(外野手)を受賞。
[編集] チームの特徴
- 「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の深山に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。
- 球団のマスコットキャラクターはイヌワシをイメージした「クラッチ」(背番号は10で、永久欠番に該当する)と「クラッチーナ」。名前は一般公募され、英語のclutchに「ぎゅっとつかむ」「わしづかみ」という意味があり、また「勝負強い打者」を英語でクラッチヒッター(clutch hitter)と言うことから、「勝負強いチームになって、みんなの心をわしづかみにしてほしい」という願いを込めて決定された。クラッチーナは「クラッチを元に女の子らしい名前を」ということで球団側が名づけた。
- また、クラッチとクラッチーナ以外にも、非公認マスコットのMr.カラスコや未公認マスコットのピーマン ボン ジョルノ .カンパニーも登場する。
- 戦前の球団「イーグルス」とは無関係。
- 札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズ同様、クリネックススタジアム宮城開催の主催試合では三塁側ベンチに座っている(福島、盛岡等の地方球場での主催試合では一塁側)。そのため、一塁側ベンチに座る機会は少ない(2008年の公式戦において一塁側ベンチに座ったのは11試合のみ)。
- 東北ゴールデンエンジェルス(オフィシャルチアリーディングチーム)に地元仙台市在住の主婦(44・年齢は2004年のオーディション実施当時)が合格して話題になった。
- 楽天野球団公認の漫画「ルーキー野球団・東北楽天ゴールデンイーグルス物語」が1話完結の形で週刊ヤングジャンプで連載された。主人公は毎回変わる(主人公となったのは最終回を除いて連載順に、礒部公一・田尾安志・岩隈久志・松井優典・山崎武司・吉田豊彦・中村武志・沖原佳典の8人)。
- 楽天の応援席では、ほとんどの観客がレプリカユニフォームや球団の法被などの楽天球団の応援グッズを身に付けているが、事実上の大阪近鉄バファローズの後継球団ということもあり、近鉄の帽子やレプリカユニフォームを身に付けている人も見られる(特に近鉄の本拠地であった大阪ドーム)。また、希に仙台ライブドアフェニックスのタオルなどを持った人も見られる。
- 毎年5月19日を「ゴールデンイーグルスの日」に制定。これは「ゴ(5)ールデンイ(1)ーグ(9)ルス」の語呂合わせに由来する。2005年も来場者にこの日限りの記念グッズが進呈された。
- ホームである宮城球場は野外球場であるため、雨や濃霧による中断、コールドになる試合が多く、その中断分も含めて試合が長丁場になる事が他球団に比べ多い。
[編集] ユニフォーム
2005年から楽天株式会社のイメージ・カラーであるクリムゾン・レッド(エンジ)を基調としている。肩、脇腹に2本の細ライン、パンツに1本の細ラインが入り、胸ロゴ、背番号、胸番号、帽子マークには黄色の縁取りが施されている。背番号、胸番号、選手名の書体は横浜ベイスターズが採用している「カッパー・プレート・ゴシック」体を採用している。スパイクは白地にクリムゾン・レッドのライン。
-
- ホーム用は、胸ロゴ、背番号、胸番号、肩、脇腹ラインはクリムゾン・レッド。細いシャドー・ストライプが広めの等間隔に入っている。胸ロゴは「EAGLES」。その上に小さく「RAKUTEN」の文字がある。ホーム用にチーム名(企業名)を入れているのは福岡ソフトバンクホークスと同様。
- 2006年から交流戦期間のみ着用するホーム用が登場。胸ロゴは左胸に帽子と同じ「E」マーク、胸番号が右胸につく。肩、脇腹にクリムゾン・レッドのラグランスリーブラインが入る。背番号、胸番号の書体は、かつて西鉄ライオンズが採用していた角文字が使われている。
- 2007年に「ファンクラブデー」期間限定のファン投票によって選ばれたホーム用が初登場。交流戦用ユニフォームと同タイプであるが、胸に帽子と同じ「E」ロゴが大きく配置されている。胸番号は無し。背番号、選手名はカッパー・プレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2008年7月11日〜13日の千葉ロッテマリーンズとの3連戦には、2008年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸ロゴは左胸に「RAKUEN EAGLES」のロゴが縦置きに配置、右胸の胸番号、背番号、選手名はカッパー・プレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- ビジター用は、上着がクリムゾン・レッド、パンツが白(ホーム用と同タイプ)のツートンカラー。胸ロゴ、背番号、胸番号、肩、脇腹ラインは白。胸ロゴは「RAKUTEN」で、立体的に見えるよう黄色のシャドーが入っている。
- ホーム用は、胸ロゴ、背番号、胸番号、肩、脇腹ラインはクリムゾン・レッド。細いシャドー・ストライプが広めの等間隔に入っている。胸ロゴは「EAGLES」。その上に小さく「RAKUTEN」の文字がある。ホーム用にチーム名(企業名)を入れているのは福岡ソフトバンクホークスと同様。
地域密着を謳う球団として発足したものの、フォームには地域名を示す「TOHOKU(東北)」「SENDAI(仙台)」「MIYAGI(宮城)」等のロゴが入っておらず、疑問の声も少なくない(ユニフォーム決定の際、田尾監督は地域名が入っていなかったことを悲観したという)。楽天の場合、袖部分、胸の中央部、球団旗はすべて楽天もしくは、楽天のグループ会社のロゴが名前を着けており、逆にファンたちが着けているレプリカユニの方に「東北魂」と付けたユニフォームが躍っているという状況である。
- 宮城球場以外の東北各地での公式戦については、「(協賛スポンサー名)みちのくシリーズ」と題して行われている。
[編集] 主な球団歌
[編集] 公式応援歌
- THE マンパワー!!!(作詞・作曲:つんく♂(シャ乱Q)、歌:モーニング娘。)
- 2005年4月1日のホーム開幕戦(対西武ライオンズ戦)と5月8日の対読売ジャイアンツ戦ではフルキャストスタジアム宮城で披露され、スカイ・A「サテライトスタジアム」の中継のエンディングや、東北ANN各局ネット「黄金鷲団」のオープニング・エンディングでも使用されている。しかし歌詞の中に球団に関係したものが入っていない点(発表当初は野球に関するフレーズが全く入っていなかった)、東北地方のチームの応援歌であるにもかかわらず歌詞に大阪弁(「ものごっつい」)が含まれている点を批判するファンもいる。
- 楽天が経営するもう1つのプロスポーツチーム・ヴィッセル神戸(Jリーグ)が2004年の本拠地開幕戦に松浦亜弥(兵庫県姫路市出身)をゲストに呼んだことがハロー!プロジェクトとのつながり、さらにこの曲の誕生につながった。その影響で「B'zかL'Arc〜en〜Cielに歌わせるべきだった。」と言う声が相次いだ。
- LET'S GO 楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:DEF.DIVAと楽天イーグルス応援隊)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第2弾。コーラスでつんく・カントリー娘。・メロン記念日が参加。前作「THE マンパワー!!!」に球団関連の歌詞がなかったためにファンの間で定着しなかった反省から、「楽天」「楽天イーグルス」「東北楽天ゴールデンイーグルス」といった球団名が曲の中に合計30回登場する。CDは2006年3月25日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、3月28日のホーム開幕戦(対オリックス・バファローズ戦)で披露された。また前作に引き続きスカイ・A「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」(「サテライトスタジアム」から番組名変更)のエンディングテーマソングとして使用されている。
- 前作から引き続き参加しているのは前作でモーニング娘。のメンバー、今作でDEF.DIVAのメンバーとして参加している石川梨華のみである。
- ダイスキ楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:GAM)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第3弾。CDは2007年3月24日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、4月1日のホーム開幕戦(対オリックス・バファローズ戦)で披露された。この曲もスカイ・A sports+「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」のエンディングテーマソングとして使われている。
- 越えろ!楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:℃-ute)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第4弾。2008年3月20日発売。仙台駅構内・楽天イーグルスオフィシャルストア、Hello!Projectオフィシャルショップのみで発売。PVに、岩隈久志・山崎武司ら楽天イーグルス所属選手が出演。
[編集] 公式球団歌
- 羽ばたけ楽天イーグルス(作詞:藤巻浩・勝山聡・井岡美里、作曲:藤巻浩、歌:狗鷲合唱団)
- 行進曲調。
- Dangerous Fight!(作詞・作曲:藤巻浩、歌:TOMMY)
[編集] 公認応援歌
- 制作は地元・仙台市の商店街で形成される「虎屋横丁・稲荷小路親交会(通称:稲虎応援団)」。
- 楽天イーグルスGO!GO!GO!GO!(作詞・作曲:佐々木朋義、歌:奥山えいじ、DJ:ワッキー貝山)
- 毎年、みちのくYOSAKOIまつりで踊られる。
[編集] 公認イメージソング
- 後述するように、安易な田尾安志監督解任に対して抗議する意味も込め、さとう自らが歌唱を封印した。
[編集] その他
- 楽天サンバ
- 大空へ(作詞・作曲・歌:清貴)
- エフエム東京の番組企画で製作された。
[編集] 場内アナウンス
- クリネックススタジアム宮城開催のホームゲームで選手を紹介する場内アナウンスは男女2人体制。ビジターチームについてはフリーアナウンサーの岩手佳代子(2007年までは同じくフリーアナウンサーの高野志津も担当していた)、楽天については古田優児(フリーアナウンサー)が担当している。イニング間や勝利後には進行役を勤め球場を盛り上げている(ただし地方ホームゲームの場合はどちらか1人になる時もある)。5回裏の楽天攻撃時限定で公募した子供が場内の選手コール(ファールボールの注意や代打・代走のコールは男性DJ)を行う未だかつてない企画を実施している。
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- 男性の場内アナウンスといえばグリーンスタジアム神戸(現:スカイマークスタジアム)のオリックス主催ゲームが先駆けであるが、選手の紹介方法については神戸がメジャーリーグを手本としているのに対し、宮城球場はメジャーリーグに捉われないのが特徴である。
- 楽天の選手名はフルネームでコールするのも特徴。各選手のその日の最初のコールのみをフルネームで呼び、2回目以降は名字のみという例(千葉マリンスタジアムでのロッテ、福岡Yahoo! JAPANドームでのソフトバンクの各選手など)はあるが、宮城球場の楽天選手は常にフルネームでコールされる。またその日の第一打席の選手名や、各回の先頭打者名(リリーフ投手、守備変更、代打、代走の選手を含む)を復唱してコールし、背番号を言うのが普通のアナウンスであるが、宮城球場の場合は復唱コールはない。
- 2005年4月5日、福島県営あづま球場での日本ハム戦では試合途中から電光掲示板が故障するというアクシデントがあり、急場の措置で掲示板の上部に手書きでスコアのみを表示した。そのため試合中再三、場内DJがお詫びの言葉を放送していた。
- 宮城球場での楽天選手のバッター入場の際は2005年度はスローテンポの内野手用(捕手、指名打者を含む)とアップテンポの外野手用の2通りの2曲使い分けの音楽の登場曲、2006年はどの選手にも共通の登場曲(曲名はヴァン・ヘイレンの「JUMP」)、2007年シーズンより全選手に個別の登場曲が(投手にも)使用されるようになった。(地方主催ゲームでは略される、しかし2007年は使用)又、宮城球場での楽天敗戦の際、ゲームセットから(相手の)ヒーローインタビューまでの暫くの間、場内には映画『ターミネーター』の曲が流れる。
[編集] 応援スタイル
- クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)では鳴り物の使用が大幅に制限されており、トランペットや笛の使用は禁止。NPBから許可を受けた応援団のみ太鼓の使用が可能(但し、使用できる太鼓の大きさも制限されており、各団体1個のみしか使用できない)。なお、鳴り物応援の規制は大半のファンが必ずしも批判的や肯定的ではない、しかし、鳴り物応援が規制されているにもかかわらず、球場内外ではスピーカー等でアナウンスや音楽などを大音量で流している、また、笛や拡声器なども10時以降にも球団スタッフのみ使用しているように球場周辺の病院や住居など考えた処置をしていないのもかかわらず、応援のみ規制されていることに批判が集中している。なお、Kスタ宮城以外の球場ではトランペット、笛も使用した応援を行っている。
- 楽天攻撃時の選手の打席では「ドドドド○○!ドドドド○○!ォォォォオオオオ○○!」(○は選手名。ォォォォオオオオはせり上がる様に語尾上がり調で)とコールする「4・4・8拍子」(イーグルス私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」が発案した独自の応援方法)という応援スタイルが確立されている。
- 2008年より初回撃開始時に"オープニングテーマ"が歌われるようになる。原曲はさとう宗幸の「青葉城恋唄」(サビ部分を使用)。
- 選手別応援歌は基本的に私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」(以下「全鷲連」)で作った個別応援歌を使用しているが、個別応援歌が作られていない選手も多くおり、その選手には共通の汎用テーマを使用している(なお、個別応援歌は年間数曲ずつ作られている)。中には、元の所属球団で使用されていた応援歌が使用されている選手もおり、(2008年現在)現役では山﨑武司に対して中日時代のものを使用している。既に退団または引退した選手についても同様で、関川浩一、中村武志、益田大介に対しては中日時代、飯田哲也に対してはヤクルト時代、酒井忠晴に対してはロッテ時代、ケビン・ウィットに対しては横浜時代(但し、歌詞を全面的に書き換えている)のものをそれぞれ使用していた(いずれも当該球団の私設応援団から使用許諾を得ていた)。なお、球団設立当初は多数を占めていた近鉄の選手については旧近鉄応援団が近鉄時代の応援歌の使用を認めなかった為、前述の益田を除いて、元近鉄の選手は初年度は汎用テーマを使用していた。「全鷲連」が最初に用意した個別応援歌はチームの初代4番打者でもであったルイス・ロペスのものであるが、既存の曲で原曲はドリフ大爆笑のテーマ。なお、この応援歌はロペスが退団した後でもファンの間で親しまれており、現在も時折球場で歌われているもよう。なお、「全鷲連」で作曲された最初の個別応援歌はアンディ・トレーシーのもので、この曲は2006年からホセ・フェルナンデスの応援歌として流用(但し、歌詞を一部変更)されている。
- 得点のチャンス時に歌われる"チャンステーマ"は仙台市内にある遊園地「八木山ベニーランド」のテーマ曲が使われている。前奏として「青葉城恋唄」サビ部分を使用。この前奏は2007年まではビジター限定で使用されていたが、2008年からはホームでも使用されるようになった。ちなみに、このテーマは元々、地元の仙台二高の野球応援のチャンステーマとして使われていた。2008年には"チャンステーマ2"と称する新しいチャンステーマも用意され、先のチャンステーマと並行して使用されている。
- 劣勢時、"ファイティングテーマ"なるものが使用されることがある。なお、一部選手やファンからの評判は悪いもようで、このテーマが使用されることは滅多にない。それ故、万が一このテーマが使用された場合、よっぽどの"異常事態"であると言える。
- ジェット風船については、7回の攻撃開始前には赤い風船、楽天勝利時には白い風船を飛ばしている(いずれの場合も異なる色が多少混じっている)。創立当初の7回の風船は赤・黄のツートン使用であった。
[編集] 年度別成績
| 年度 | 監督 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 勝差※ | 打率 | 防御率 | 本塁打 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 田尾安志 | 6 | 136 | 38 | 97 | 1 | .281 | 51.5 | .255 | 5.67 | 88 |
| 2006 | 野村克也 | 6 | 136 | 47 | 85 | 4 | .356 | 33.0 | .258 | 4.30 | 67 |
| 2007 | 4 | 144 | 67 | 75 | 2 | .472 | 13.5 | .262 | 4.31 | 111 | |
| 2008 | 5 | 144 | 65 | 76 | 3 | .461 | 11.5 | .272 | 3.89 | 94 |
※シーズン1位チームとのゲーム差
[編集] チーム成績・記録
- 初試合・初勝利 2005年3月26日・千葉マリンスタジアム(ロッテに3-1)
- 初敗戦 2005年3月27日・千葉マリンスタジアム(ロッテに0-26)
- 初引分 2005年7月10日・フルキャストスタジアム宮城(ロッテに4-4)
- 最速10勝到達 20試合目(2008年)
- 最速20勝到達 39試合目(2008年)
- 最速30勝到達 56試合目(2008年)
- 最速40勝到達 85試合目(2008年)
- 最速50勝到達 110試合目(2007年)
- 最速60勝到達 128試合目(2007年)
- 最大開幕連敗 5(2006年)
- 最大連勝 7(2008年3月26日・対オリックス - 4月3日・対ロッテ)
- 最大連敗 11(2005年4月15日・対日本ハム - 4月27日・対オリックス、2005年8月9日・対オリックス - 8月23日・対オリックス)
- 最大連続延長戦 2(2005年6月25日・対西武 - 6月26日・対西武、2006年6月13日・対阪神 - 6月14日・対阪神)
- ゲーム最多得点 18(2005年9月2日・対オリックス)
- ゲーム最多失点 26(2005年3月27日・対ロッテ)
- ゲーム最多安打 20(2008年6月29日・対ソフトバンク、2008年9月30日・対ソフトバンク)
- イニング最多得点 10(2005年4月13日・対ソフトバンク・3回裏、2005年9月2日・対オリックス・6回裏)
- イニング最多失点 11(2005年3月27日・対ロッテ・2回裏、2008年7月22日・対西武・2回裏)
[編集] 永久欠番
- 10:ファン
- ベンチ入りする控え選手の一人としてチームを盛り上げてほしいという思いを込めた、ファンのための背番号。スターティングメンバーの9人に次ぐ番号であることにちなむ。日本プロ野球界では初。
- この10の永久欠番化は、千葉ロッテマリーンズが、一軍の25人に次ぐ26番目、支配下選手の一人という意味を込めて26をファンのための準永久欠番としたのを参考にしたとのこと。
- 現在、初代監督・田尾安志がつけていた88を永久欠番にするか検討中である。
[編集] 歴代本拠地
- 2005年〜2007年の呼称は"フルキャストスタジアム宮城"(略称:フルスタ宮城)
- 2008年からの呼称は"クリネックススタジアム宮城"(略称:Kスタ宮城)
- 当初の呼称は"日本製紙クリネックススタジアム宮城"であったが、日本製紙の不祥事(再生紙使用年賀はがきの古紙配合率偽装)により社名を削除された。
[編集] スポンサー
- 左袖
- パンツ
- MJQウェディング(2006年〜2007年)
- エイブル(2008年〜)
- ベンチシート、応援用ビッグユニフォームなど
- 北電子(2007年〜2008年)
[編集] 放送
楽天では初代球団オーナー・三木谷浩史の方針により収益を安定させるため、基本的に中継映像の制作部分までに関する権利を球団側で留保していた。2008年からは製作著作の権利までを球団側が所持。 従来型の放送局での中継には一定の制約がある。この手法は、北海道に移転した日本ハムの例に倣ったものとされる。
[編集] インターネット・テレビ
[編集] 従来型放送
- 地上波テレビ